第29話 準備

 

 舞踏会当日、王宮の控え室でアイリーンはやる気に満ち溢れていた。


「わたくし、今日ほど殿下に感謝したことはありませんわ……シャルマに邪魔されず、リィナにがっつり化粧をできるなんて!」


 ドレッサーの前に座ったリィナを見て、アイリーンはうっとりする。

 リィナも鏡に映った自分をまじまじと見つめてしまった。


 長い銀髪は結い上げ、まるで花が咲いたような編み込みが施されている。ドレスは可愛らしすぎない青。今はオフショルダーという肩と胸元を惜しみなく見せるデザインが主流らしい。貧相な胸元はコルセットでぐっと寄せて大きく見せる。水仕事で荒れた指先は二の腕まで覆うグローブで隠せば問題ない。

 顔はアイリーン渾身の出来で、別人のように仕上がっている。リィナも本当に自分かと疑ってしまうほどだ。念には念を入れて、顔を隠すためにヴェールを被る予定だ。


「やっぱりヴェール被るなんてもったいないわ! 着飾ったらこんなにも見栄えするのに!」

「アイリーン様には負けてしまいますよ」


 アイリーンはヒルデガルドの御目付役として付き添うことになっており、普段よりも気合が入った化粧をしている。身にまとう淡いグリーンのドレスは彼女を優しい印象にしてくれていた。


「貴方は少し謙遜しすぎでしてよ! 殿下にエスコートされるのですから、私は国で一番かわいいと思って堂々としてなさい!」

「そんなそんな……そういえば、アイリーン様。ヒルデガルド様はあれから大丈夫だったんですか?」


 白百合の塔に謎の侵入者が現れてから、リィナは休暇に入ってしまったので、その後のことは聞いていない。


「ええ、ヒルデガルド殿下は犯人を捜して捕まえると息を巻いていましたが、わたくしが全力で止めました。特に不審な人物もいませんでしたね。リィナの見立てでは、襲ってきた相手はカツラを被っていたのでしょう?」

「ええ。髪の毛もありましたけど、男女別々にありましたし……」

「悔しいですね……まあ、私が殿下に近づく者を警戒すればいい話ですわ。ところでリィナ。あなたの設定を覚えていますか?」

「はい! レイモンド公爵家の遠縁の姫君、リリーナです! 幼い頃の病のせいで声があまり出せません!」

「よろしい!」


 本日、ユリウスにエスコートされるリィナの設定は、この国でかなりの地位を持つレイモンド公爵家の遠縁の姫君。ユリウスの母はレイモンド公爵家と旧知の仲らしく、リィナの身分詐称だけでなく、屋敷の侍女達まで派遣し、アイリーンと共にドレスの着付けや化粧まで手伝ってくれた。レイモンド公爵とは、リィナの準備が済み次第、この場で顔合わせすることになっていた。


 公爵家といえば、五等爵の中でも頂点に立つ位。そのほとんどは王家の血筋を引いていると聞く。そんな相手と会うとなると緊張する。


「レイモンド公爵様ってどんな御方なんですか?」

「根っからの貴族とは思えないほど、気立てのいい方ですわ。ただ礼儀には気をつけなさい。相手はベアトリス様の実家も足元に及ばないくらいすごい権力を持った貴族です」

「え。そんなに⁉」

「レイモンド公爵家は過去に何度も王家の人間と婚姻を結んでいます。それに加え、現当主の母君は降嫁された元王女。国王陛下とは従兄弟という事柄です。それにシャルマの身元引受人でもあります」

「へ……?」


 身元引受人ということは、養子とはまた違う関係なのだろうか。


「元々殿下はシャルマをレイモンド公爵家の養子に売り込むつもりだったんです。レイモンド公爵の奥様は後継者を生む前に早世してしまっているので」

「じゃあ、なんで身元引受人に?」

「基本的に貴族では養子は遠くても親戚からとるもの。公爵家ならなおのこと。だから殿下はシャルマを『こいつは何でもできるからあなたの隠し子として養子にして』と頼みました。が、あろうことかシャルマ本人が断ったらしいですわ。『オレは両親の下に生まれたことを誇りに思っているので嫌です』って。レイモンド公爵もレイモンド公爵で『隠し子なんて嘘でも発覚したら亡き姉と妻に顔向けできない』って泣きつかれたらしいです」

「……名門の御貴族で当主なんですよね?」


 それで大丈夫なのか、公爵家。

 アイリーンもそれなりに思うことがあるのか、ため息を零してから言い聞かせるように言った。


「何度も言いますが、王家とも繋がりが深いお方です。失礼のないようになさい」

「はい」


 リィナがそう返事をした時、シャルマのことを思い浮かべる。


(結局、シャルマさんと会えなかったな……)


 頼まれている仕事が終わらないのか、まだシャルマと顔を合わせていない。ユリウスやガジェットに聞いてみても、「もう少しかかる」としか答えてくれなかった。


(一体、どこで何やってるんだろう……)


 アイリーンにバレないように、こっそりため息をついた時、部屋のドアをノックされる。


「レイモンド公爵様がお見えになりました」

「あら、もういらしたのですね。お通ししてちょうだい」


 アイリーンがそう言うと、ドアの奥から見知った顔が現れた。

 レイモンド公爵なる人物がリィナの顔を見て、目を大きく見開く。


「あれ?」

「え?」


 案内してくれた侍女が下がったのを確認してから、リィナは言った。


「や、優しいおじさん!」

「しーーーーーーっ! ここではその呼び名はダメって言ったでしょ!」


 そう、レイモンド公爵なる人物は、先日書庫で再会した優しいおじさんだった。まさかそんな偉い貴族の人だとは思わず、声を上げるとアイリーンが顔をしかめた。


「優しいおじさん……? レイモンド公爵?」

「あ、アイリーン、違うんだよ! 別に私達は怪しい関係ではないんだ!」

「え、ええ。うちの孤児院に寄付や寄贈をしてくださった貴族の方です」


 はじめは怪訝な顔をしていたアイリーンだったがリィナの説明を聞いて、彼女はややあって頷いた。


「ああ……そういえば、レイモンド公爵は慈善活動に熱心な方でしたね。まさかそんな繋がりがあったなんて驚きです」


 それはリィナもだ。


(なるほど、院長がおじさんの身分を隠すわけだわ。小さい私に威嚇されたり、説教されたりしてたし……)


 あの頃のリィナは生きることにとにかく必死だった。孤児院に来た彼は、子どもの視点から欲しいものを聞いてそれを寄付したいと言い、代表としてリィナが選ばれた。理由は簡単。リィナが最も賢く、機転の利く子どもだったからだ。言い換えれば最も子どもらしくないとも言う。そして、彼が提案した内容をリィナはことごとくケチをつけた。

 滑り台だの、鉄棒だの遊具を寄贈したいと彼が言った時には「その日を生きることに精いっぱいなので、遊ぶ暇がありません」ときっぱり断り、それを聞いた院長は隣で青ざめていたものだった。


(幼い頃の私は、とんでもなく恐れ多いことをしてたのか……ごめんなさい、院長)


 あの時の院長の態度の謎がようやくここで解けた。

 彼はリィナをまじまじと見つめ、感嘆とした様子でため息を漏らす。


「まさかユリウス殿下に頼まれていた子がリィナちゃんなんて驚きだよ。いやぁ、見違えたね」

「私も、まさかおじさんがそんな偉い人とは……なんか今まで失礼なことばかり……」

「いやいやいや! そう畏まらないで! いつも通りのリィナちゃんで接してよ! それの方が私も嬉しいから! ね!」


 そう言って、可愛らしく小首を傾げ、リィナは小さく頷いた。


「改めて、私はミハイル・レイモンド。国王陛下とは従弟にあたる。今日はリィナちゃんを遠縁の姫君として扱うから、気軽におじ様と呼んでほしい」


 目じりに深く皺を作り、レイモンド公爵は笑って見せた。リィナはアイリーン仕込みの淑女の礼を披露する。


「こちらこそ、本日は何卒よろしくお願いいたします。おじ様」


 ドレスの裾を捌いて礼をする。顔を上げると、レイモンド公爵は驚いた様子で固まっていた。


「あ、あのう……おじさ……まっ⁉」


 レイモンドの目からぼろぼろと涙がこぼれ、これにはリィナだけでなく、アイリーンも驚いてしまう。


「公爵⁉ どうされたのです⁉」

「いや、ごめんね……あんな小さかったリィナちゃんが、とても綺麗になって……なんだか感慨深くなって涙が……年かな?」


 彼はハンカチで涙を拭うと、リィナに赤くはれた目を向けた。


「本当に、大きくなったね」


 鼻先まで赤くなったレイモンド公爵の顔を見て、リィナはまるで親に言われたような気持ちになり、急に気恥ずかしくなる。


「大きくはなりましたが、綺麗に見えるのはアイリーン様の化粧技術のおかげですよ」


 照れ隠し、いや実際にその通りなのでリィナがそういえば、レイモンド公爵は眉を下げて笑った。


「やあ、みんなもう揃っていたんだね」


 次に部屋にやってきたのは、正装に身を包んだユリウスとガジェットだった。普段は衣装を着崩していたり、野暮ったい髪形をしたりしているユリウスだが、大きな舞踏会というのもあって、きっちりと着こなしている。


「久方ぶりでございます。ユリウス殿下」


 恭しくレイモンド公爵が挨拶をすると、ユリウスも王族らしい笑みを浮かべた。


「閣下も元気そうで何より。それに今回は無理を通してしまってすまない。後日、礼をする」

「いえいえ、むしろ堂々と彼女におじ様と呼ばれる機会を作ってくださり、感謝しかありません」


 涙を拭いながらそう言ったレオモンド公爵にユリウスは若干、戸惑った様子で生返事を返すと、次にリィナに目を向けた。

 すると、先ほどのレイモンド公爵と同じように大きく目を見開いた。


「ずいぶんと垢抜けたな。まるで本物のご令嬢のようだ」

「そうでしょう! 今回はシャルマに邪魔をされず、思う存分にドレスアップさせていただきましたわ!」


 アイリーンは鼻高々にそう告げると、リィナの肩に手を置いた。


「殿下の隣を歩くのだもの。それはもう力を入れさせていただきました! リィナ、会場では頑張るのですよ! 私が教えたことは覚えていて?」

「はい! 社交界は戦場! やられる前にやれ! やられたら五割増しでやり返せです!」

「その通りよ!」


 リィナの回答に満足げに頷き、アイリーンはユリウスの隣にリィナを立たせた。

 レイモンド公爵も並んでいるユリウスとリィナを見て、頷いた。


「うん。これはお似合いだ。バルロード侯爵令嬢には悪いが、見た目だけならリィナちゃんには敵わない」

「そう、見た目だけは敵いませんわ!」


 それは一体どういうことだろうか。

 隣にいるユリウスさえも「むしろお似合いになってもらわないよ困る」と肩をすくめて言った。


「さて、先に会場に入っててくれ。あとで合流しよう。リィナは自分の名前を間違えないように。今の君はリリーナだからね」

「はい……えーっと挨拶回りとかは?」

「余計な探りを入れられたら困る。私が適当に誤魔化しておくから君は話さなくていいよ。最悪、レイモンド公爵にどうにかしてもらおう」


 しれっとそんなことを言うユリウスにリィナは不安になり、レイモンド公爵を見上げる。


「陛下は私と仲がいいから、気にしないで」


 それを聞いてリィナは胸を撫で下ろすと、アイリーンがレイモンド公爵とユリウスに礼をする。


「それでは殿下。私はヒルデガルド殿下の下へ向かいますわ」

「ああ、頼んだよ」

「レイモンド公爵も、またのちほど。それからリィナも頑張るんですよ!」

「は、はい!」


 アイリーンはこの後、護衛も兼ねてヒルデガルド殿下と一緒に行動することになっている。頼もしいアイリーンが側にいないのは心もとないが、リィナだけで頑張るしかない。

 遠ざかっていくアイリーンの背を見送りながら、リィナは自分に喝を入れる。


(やられる前にやれ。やられたら、五割増しでやり返す!)


 アイリーンの教えを心の内で復唱し、ユリウスとガジェットとも別れ、リィナはレイモンド公爵にエスコートされ、会場へ向かった。


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