第12話 波乱の終わりに

 

 アイリーンと共に先に戻ったリィナは、残りのクッキーを検分した。そして私室に戻ってきたユリウスを土下座して迎え、結果を報告する。


「すっいませんでしたぁあああああああああああっ!」

「いいよ。これは仕方ない。だって普通のクッキーも入っていたのだろう?」


 そうなのだ。彼女が持ってきたクッキーのうち数枚は普通のクッキーで、残りは髪の毛入りだったのだ。髪はもちろん、バルロード候爵令嬢のものだ。

 おそらく毒見役の目を誤魔化すための小細工で、上の方に入っていたのが普通のものだったのである。入っていたのが髪の毛だけだったのが救いだ。

 ユリウスはもちろん、アイリーン、ガジェット、そしてシャルマもリィナのことを責めることはなかった。髪の毛が入っていた以外は何ら問題のないクッキーだ。食べたフィリップ本人は特に気にすることなくユリウスとチェスを楽しんでいたらしい。


 ちなみに彼女の名誉のために手作りクッキーだったことはフィリップには伏せてある。


 ユリウスは呆れたようにため息を漏らした。


「まさか髪をそのまま入れるなんてな……食べさせるなら刻むなりするだろうに……しかし、フィリップ兄上の残念さに救われたよ。まあ、もう持ってこないだろう」

「そ、そうですか? 髪を入れるような人ですよ? 次は目に見えないようにとか考えません?」


 それにユリウスは静かに首を横に振る。


「ないよ。フィリップ兄上がクッキーを食べたからね」

「ど、どういうことです?」

「彼女の兄、ガレオンはフィリップ兄上のことが大っ嫌いなんだ」

「え……?」


 バルロード候爵令嬢に声を掛けたフィリップの口ぶりからでは、それほど仲が悪そうには聞こえなかった。傍にいたアイリーンとガジェット、シャルマも「そういう反応になるよね」といった顔をしている。


「ほら、彼女の家は第一王子派だろ? ガレオンはフィリップ兄上と同い年で、昔からフィリップ兄上に突っかかっては返り討ちにされているんだ。フィリップ兄上は普段ふわふわしてるだけど、勉強もできるし、足も速いし、あの容姿。さらに祝福のおかげで女性にもモテる。対してガレオンは努力しても報われないタイプの男で、相性はもう最悪だよね。でもフィリップ兄上は、ガレオンのことを切磋琢磨し合い、男同士の熱い絆で結ばれた親友だと思ってるんだよ」


 本当に困った人だとユリウスはもう一つため息をついた。


「フィリップ兄上はおしゃべりで残念さにかけては王宮一だ。そんな彼が王宮で親友に会ったらこう言うだろうね。『ねぇ、ガレオン。この間、君の妹が持ってきたクッキーを食べたんだけどさー。味は微妙だし、髪の毛も入ってたから、もうその店で買わない方がいいよ』って……きっとプライドの高いガレオンは彼女を問いつめると思うよ」

「なるほど……」


 フィリップ殿下には申し訳ないことをしたが、どうにかなりそうだ。


「まったく……兄上は本当に相変わらずだ。あとでそれとなく礼の品でも送っておこうか。何がいいかな」


 ユリウスはそう言うと、ガジェットは静かに頷いた。


「そうですね。新しいチェス盤とか喜ばれると思いますよ。持っているものはだいぶ使い込んでいるようでした」

「そうなのかい?」

「ベアリス第二妃様とよく対局するとお話してました。いつも負けて手ごたえがないって言われるらしいですが」

「ははは……ベアトリス様はお強いからな。では、チェスにしようか」


 ユリウスがそう言って、商人を呼ぶ手配をガジェットに頼む。アイリーンが「わたくしもチェス盤を選びたいですわ!」とガジェットの後について行く。


「リィナ。今日は気苦労をかけたね。大役お疲れさま。今日はもう下がってあとはゆっくり休むといい」

「はい……ありがとうございます」

「それからシャルマ。お前も下がっていいぞ」

「はい。御前を失礼いたします」


 二人で私室から出ると、リィナは背中を丸めて大きなため息を漏らした。


「あぁ~~~~~~~…………」

「お疲れ様です、リィナさん」

「でも、毒見を失敗しました…………」


 何もなかったとはいえ、これがもし毒だったらと考えると恐ろしいことになる。俯いて落ち込むリィナにシャルマは優しい声色で言った。


「たしかにこれが本物の毒だったら取り返しのつかないことでしたが、笑い話で済んだのなら良かったじゃないですか。これを踏み台にまた成長していけばいいのです」


 顔を上げると、シャルマは困ったような笑顔を向ける。


「これからも学ぶことがたくさんあります。オレも一緒に手伝いますよ。ね?」

「……はい」


 リィナがそう頷くと、彼は安堵する。


「部屋までお送りします。今日はたくさん頑張ったので、デザートも奮発して作りました。ジェラートです」

「じぇ、ジェラート⁉ あの冷たくて甘くて、口の中ですぐ溶ける、あの⁉」


 平民のリィナにとって幻のデザートだ。前世ではアイスクリームは大好きだった。シャルマはリィナの反応を見て、満足そうに頷いた。


「はい! オレもたくさん勉強して作りました! 一緒に食べましょうね!」

「わぁ! 楽しみです!」


 美味しい食べ物が食べられると分かっただけで、重たい気分は吹き飛んだ。自然と足取りも軽くなり、シャルマの隣に並ぶ。


(ジェラート……ジェラートかぁ……何だろう。季節的にはイチゴかな? 前にマーマレードも作ってたし、もしかしたらオレンジ味もあるかも……)

「そんなに楽しみですか?」


 不意に話かけられ、リィナはハッとする。


「もしかして、口に出してました?」

「いえ、嬉しそうな顔していたので」

「え、そんなに顔に出てました⁉」


 思わず顔を手で押さえる。によによした気持ち悪い顔を見られたかと思うと恥ずかしい。しかも、それが食べ物関連でにやけていたなど女としてどうなのだろう。


「気持ち悪い顔でしたよね……」

「いえ、そんなことはないですよ。そこまで嬉しそうな顔をされると私も嬉しいです」


 はにかんだ笑みを見せられ、ドンと背中のど真ん中を叩かれたような感覚がした。胸の奥が騒がしい。居心地の悪さを感じながら、リィナはどうにか話題をそらそうと考える。


「そ、そういえば、第二王子ってチェスを嗜むんですね。ちょっと意外です」

「え? ああ、そうですね。あの方というより、彼の母上である第二妃ベアトリス様の趣味に付き合っている感じですね。暇さえあれば、二人で対局しているそうですよ」


 暇さえあればチェスをしているなんて、よほど好きなのだろう。前世のリィナは戦略ゲームを最も苦手としていた。そもそも駒の動きが覚えられなかった。


「そうなんですね。じゃあ、ベアトリス第二妃がお強いってことは良くお相手する第二王子もお強いってことですよね?」

「そうですね……ベアトリス様がいくら『手応えがない』って言ってもあの方は強すぎますからね」


 ということは、フィリップもだいぶ強いのだろう。ユリウスがフィリップと一戦していたが、どっちが勝ったのだろうか。


「ユリウス殿下、勝てたんですかね」

「勝ちましたよ」


 間髪入れずにそうシャルマが答えた。


「え?」

「今日の対局でしょう? フィリップ殿下に勝ちましたよ」


 彼はそう言って微笑み、リィナはおずおずと頷く。


「そ、そうなんですね」

「ええ。一応殿下もベアトリス様の手ほどきを受けてますから」


 ユリウスもどうやら強いらしい。まあ、普段の彼はズボラなふりをしているだけなので、あまり驚きはしない。


(でもあれ……? なんでシャルマさんがチェスの結果を知ってるの?)


 確か、ユリウスがフィリップの宮に行った時は、一緒にいなかったはずだ。しかし、帰りはユリウスとガジェットともに帰ってきたので、もしかしたら結果を聞いていたのかもしれない。そんなことをごちゃごちゃと考えていたが、シャルマの次の言葉ですべてが吹っ飛ぶ。


「リィナさん。ジェラートは赤と白。どっちのお色がいいですか?」

「色⁉ え、二種類⁉ わっ、どっちにしよう~っ! うわぁ~、悩むっ!」


 赤ということはイチゴか。では白はなんだ。リンゴやミルクも考えられる。もしかしたらブドウの赤と白ということもあり得た。


 うんうんと唸るリィナの横でシャルマは声を抑えて笑った。


「じゃあ、二人で半分こしましょうか」

「はい! ぜひっ!」


 リィナが今日の夕食に心を躍らせていると、後ろから追いかけてくる足音が聞こえてきた。


「リィナ、ちょっとお待ちになって!」

「あれ? アイリーン様。どうしたんですか?」


 追いかけてきたのは、アイリーンだった。彼女の手には白い封筒が握られている。


「さっき、ガジェット様がこちらに戻る時に持ってきたのですって。リィナ宛だそうよ」

「手紙……?」


 手渡されたのは花の模様がついた封筒だ。花が立体的に浮き出ているように見える加工が施され、いかにもセンスがいい。


 宛名に『愛しのリィナへ』と書かれた封筒をひっくり返すと真っ赤な蝋印には木に留まる鳥の紋章。そしてその下には『誰よりも君を愛しているチャーリーより』優雅な字で書かれていた。


「リィナさん。その方はお知り合いですか……?」


 隣にいたシャルマから困惑しきった声が聞こえ、リィナは苦笑する。リィナにとって普通のことだったが、初めて見る人にとっては衝撃だろう。


「あ、はい。前にお話した絶対音感を持っている親友です」


 そう言った時アイリーンは「まあ」と驚き、シャルマから表情が消えた。

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