第34話 教育の賜物
内心で悲鳴を上げていた時だった。後ろからこちらに近づいてくる足音が聞こえ、リィナは反射的に振り返る。
「殿下、会場から勝手に離れてはなりません!」
それは腰に剣を吊るした護衛の男だった。
(あれ……なんだろう、この人?)
リィナはヴェールの下で顔をしかめ、男をよく観察する。
中背中肉の体格に背はそれほど高くない。ぱっとしない顔立ちに、声もこれと言って特徴がなかった。
しかし、何故か違和感を覚え、リィナは男を注視する。
『いいですか、リィナ。要人に近づく人間はよく観察することです。特にユリウス様やヒルデガルド様のような王族に公的場以外で近づこうとする人間は相場が決まっています』
アイリーンの言葉を思い出した。
『そう言った手合いは、後ろ暗い狙いがある人です』
「誰ですか? あなた?」
ヒルデガルドがそう口にしたと同時に、男は自身の袖口に手を伸ばす。それを見たリィナは咄嗟に男を突き飛ばした。床に何かが落ちた音がし、男は舌打ちをしてリィナに掴みかかる。
「リリー……っ!」
「声を出すな。この女がどうなってもいいのか?」
男はリィナの首に腕を回し、もう一つ隠し持っていた暗器をリィナに向けた。
「一緒に来てもらおうか、ヒルデガルド王女殿下」
「……まずは貴方の目的を教えてくださいませ」
「説明するにも時間がおしくてな。悪いようにはしないとだけ、約束しよう」
「それではお話にならくてよ?」
睨むヒルデガルドに男は鼻で笑う。
「別にいいさ。あなたが拒めば、この娘とそこの侍女を殺してあなたを無理やり連れていくだけだ」
「くっ! この卑怯者!」
ヒルデガルドが低く罵れば、男は声を抑えて笑っていた。
(どどどっど、どうする⁉ このままだとヒルデガルド殿下の身が危ないわ!)
リィナは再び、アイリーンの淑女教育を思い出す。しかし、いくら思い返しても敵に捕まった時の相手から逃げ出す方法や、戦うすべなどは教えてもらっていない。当たり前だ。リィナが想定された戦場は、あくまでも社交界であるからだ。
(待て待て。女性でもできる悪漢の対処法なんて、アイリーン様の教えだけじゃないわ!)
「さあ、ヒルデガルド王女殿下。こちらへ」
(まずは相手の隙を作るのよ。そして怯んだ隙に逃げる……でも、その前に)
男がリィナからナイフを降ろした時、リィナは自分の首に腕を回す男の袖を思い切りまくった。そして──
(なんでもいい。情報を寄越せーーーーーーーーーっ!)
かぷりと男の腕に甘噛みし、脳内に卓上ベルの音が鳴り響く。
ちーんっ!
分析結果『過去の分析した検体と合致する情報を入手しました』
(なぬっ⁉)
まさかの情報結果にリィナが驚くと、再び卓上ベルの音が鳴る。
ちーんっ!
分析結果『合致した検体は──……ヒルデガルド殿下の部屋で入手したカツラ(絹糸)に付着した汗と同一のものです』
その分析結果に、リィナは目を見張った。
そして驚きながらも、男が甘噛みされたはずみで拘束を緩めた隙を見逃さなかった。
「この女、一体何をぉっ⁉」
「お・ま・え・かぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!」
男の胸倉を掴み、アイリーン仕込みの頭突きが炸裂する。
リィナの頭突きは見事に決まり、相当な威力だったのか悶え苦しみながら男はリィナから離れた。
「よくも私の食生活を脅かしてくれましたね! 貴方がどんな祝福持ちか知りませんが、おかげでせっかくの休暇だというのに地獄のような日々ですよ! なんてことをしてくれたんですか!」
我を忘れてリィナは叫んだ後、男の頭からカツラが落ちた。
その下に隠れていたのは、カツラの髪とは違い、誰もが目を引く綺麗な金髪。顔が平凡な分、非常に浮いていた。
「こいつ!」
再び男がリィナに手を伸ばす。これ以上戦う術がないリィナはまずいと身体を強張らせた時、目の前に小さな人影が滑り込んだ。
「はっ!」
それはヒルデガルドだ。
男の腕を掴むと、相手の足を払って宙へと放り投げる。しかし、男は受け身をとって素早く起き上がり、リィナ達を睨みつけた。
「なんなんだ! こいつら!」
遠くからこちらに駆け寄る足音が聞こえ、男は舌打ちをする。
「くそっ!」
そう悪態をついて、男の姿が闇に解けて消える。リィナはヒルデガルドをかばうように侍女と共に前に立つ。
(姿を消す祝福⁉ どこ⁉)
「リィナ!」
必死に相手の気配を探っていたリィナは駆けつけてきたアイリーンの姿を見て、安堵を漏らす。
「アイリーン様……!」
「よかった。無事のようで……」
リィナの無事を確認したアイリーンが安心したように言った後、彼女は周囲に目をやった。
「ごめんなさい。襲ってきた人を逃してしまいました……」
「リィナ、大丈夫よ」
アイリーンはリィナを落ち着かせるように言うと、何もない空間に向かって華麗な回し蹴りをする。
「ぐはっ!」
突如先ほどの男が姿を現し、床に転がり出た。痛みで腕を抑える男をアイリーンは冷たく見下した。
「このわたくしを前に、その程度の祝福で姿を隠し通せると思って?」
(はわわわわわわっ⁉)
大の男を薙ぎ倒す見事な蹴りに、リィナは震え上がる。
しかし、ヒルデガルドは見慣れているのか「さすがアイリーンですわ!」と呑気に歓声を上げていた。
「このアマァ! ぶっ!」
男が身を起こし、再び姿を消そうとした時、アイリーンは香水瓶を取り出して男の顔面に吹きかけた。
「何しやが……⁉」
驚きの声を上げ、男は自分の身体を凝視する。
「なんだこれ⁉ 祝福が……がっ!」
その隙を狙ってアイリーンが男の鳩尾に蹴りを入れ、今度こそ男は沈黙した。そのまま彼女は男を拘束している間と、手を叩きながらこちらに近づいてくる人物がいた。
「さすがの手腕だな、アイリーン」
それはユリウスだった。ガジェットを連れてやってきた彼は、しげしげと拘束した相手を見つめる。
「ふーん……顔のわりに派手な髪色をしてたからカツラで隠してたのか」
ユリウスはガジェットとアイリーンに男をどこかへ連れていくように指示すると、リィナ達に目を向けた。
「やあ、大変だったね。リィナ。ヒルデガルド」
「で、殿下! そ、その! ヒルデガルド殿下の前で……」
もう貴族令嬢のふりをしなくていいのだろうか。とはいえ、リィナも彼女の前で盛大に大声を出してしまったので今さらな気はする。
しかし、ユリウスは肩をすくめて言った。
「ああ、それ? 別に気にしなくていいよ。ね?」
ユリウスはヒルデガルドにそう言うと、彼女はにっこりと笑った。
「もちろんですわ!」
「じゃあ、リィナ。ヒルデガルド。一度控室へ戻るよ?」
そう言ってユリウスが背を向けたのを見て、リィナは首を傾げる。
「殿下、いつの間に着替えたんですか?」
彼が着ている服は、先ほどリィナと一緒にいた時のものとは違う。装飾の多い正装は普段のやる気のない衣装になっている。
「まあ、気にするな」
さらっとユリウスはそういうと、先に歩いて行ってしまう。リィナは首を傾げながらもユリウスの後へついて行くのだった。
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