恋する乙女とおまじない

第9話 緊急試食会

 

「はい、リィナ。あーん?」


 ユリウスがリィナの口元に運ぶのは、一本の髪の毛だった。


「嫌です」


 嫌悪感を隠そうともしないリィナは顔を逸らすと、後ろから頭を抑え込まれた。


「殿下が手ずから与える物を拒むとは。いい度胸ですね、リィナ?」


 ガジェットの低い声がし、無理やり前へ顔を向けさせられ、リィナは悲鳴を上げる。


「いやぁあああああっ! 助けてぇえええええっ!」

「何をしているのですか⁉」


 後ろからシャルマの声がし、解放されたリィナは半泣きで彼の後ろへ隠れた。


「大の男が二人がかりで女性を抑え込むなんて、恥ずかしくないのですか⁉ アイリーン嬢に言いつけますよ!」


 シャルマがそういうと、さすがの彼らもアイリーンの説教は堪えるのか、しかたなしと言わんばかりに首を横に振った。


「アイリーンの名前を出すなんて、君も言うようになったね? リィナが来るまで従順でいい子だったのに」

「そうですよ、シャルマ。あのアイリーンですよ? 額が擦り下ろされるまで殿下に土下座させる気ですか?」

「それだけのことをしたと自覚があるなら、やめてください。せめて同意を得ないとリィナさんが人間不信になってしまいますよ!」


 ユリウスは「同意ってねぇ」とシャルマの後ろに隠れたリィナを見つめる。


「この間、嬉々として髪の毛を食べていたじゃないか」

「私にだって口に入れるものを選ぶ権利がありますよ!」


 リィナはシャルマの背中越しに抗議した。


「それに喜んでません! 今後安心して食事するためにやったんですから!」


 でなければ、他人の髪の毛やフケだけでなく塵まで口には入れない。あれはあくまで自分の食事、ひいては食事を作ってくれたシャルマへの敬意を示すためにやったのだ。


「それに私の仕事は毒見です! 一体何のためにその髪の毛を食べさせるんですか! 殿下のことですから遊びじゃないのは分かります。理由をお聞かせください!」


 ユリウスとガジェットは顔を見合わせた後、「分かった」と短く答えた。


「シャルマ、それからガジェットは部屋の外へ。これはリィナと二人で話す」

「御意」

「……承知しました」


 シャルマは「またあとで」と言ってガジェットと共に部屋の外へ出て行く。部屋に残されたリィナは、静まり返った部屋に緊張感を覚える。

 ユリウスと二人きりになったのは今回が初めてだ。それだけ重大な案件なのかもしれない。

 自然と背筋が伸びると、ユリウスは苦笑する。


「そんな緊張しなくていいよ。なに、くだらない話さ」


 彼はそう言うと、さきほどリィナに食べさせようとした髪の毛を摘まむ。


「実はこの髪の毛は、明日一緒にお茶をするバルロード候爵家の息女、ヴィオネッタ嬢のものだ」

「へ…………」

「ちょっとした伝手を使って採取してきてもらったんだよ。そこでリィナ。なんでこれを君に食べさせようとしたか分かるかい?」


 すでに誰の髪の毛か分かっているものを食べさせようとする理由なんて、リィナには分からない。おまけにその相手は明日ユリウスとお茶をするのだ。

 リィナは小さく首を横に振った。


「分かりません。なぜですか?」

「前に媚薬効果あると言われる食材を使ったケーキを食べさせたことがあったね?」

「あ、はい」

「あれを寄越してきたのが彼女だ」

「なっ⁉」


 ご執心とは聞いていたが、まさか一国の王子に媚薬を盛るなどなんて胆力だ。


「彼女は第一妃の息がかかっている女性だ。寄越してきた食べ物も身体に害があるものでもないし、糾弾はできなくてね。でも、最近はちょっと露骨でね。そういったものを食べさせられた後、ボディタッチもしてくるからさ……やんわり諫めてはいるけど」

(うわぁ…………)


 ぞぞぞっと背中に冷たいものが走った。これがリィナの立場だったら恐怖に打ち震えていたであろう。ユリウスは笑顔を保ったまま話しているが、内心では苛立ちを感じているかもしれない。


「それでね。最近の彼女について変な噂を耳にしてね……」

「う、噂……ですか?」


 一体どんな噂だろうか。アイリーンからの教えで故意に噂話を流して政治的に優位に立つ方法があると聞いたことがある。まさかその一つだろうか。

 ユリウスは、小さくため息をついて言った。


「彼女ね。おまじないにハマっているんだって」

「おまじない? 思ったよりも可愛らしいですね」


 前世で小指だけ星の絵を書いたり、意中の相手の名前を書いた紙を小瓶にしまって持ち歩いたりするものを本で読んだことがある。本当に効果があるかどうかはさておき、この時代にもそんなものがあるのだろうか。もしそうなら、純粋で可愛らしい女の子だと思う。


「可愛いらしい……ねぇ」


 含みのある言葉を呟いた彼は、机から一冊の本を取り出す。


「これが……おまじないが書かれた彼女の愛読書だ」


 渋い茶色の装丁に、リィナの小指ほどの厚さのあるそれは、可愛らしさの欠片も無い無骨さだ。表紙は『黒魔術入門書~恋愛編~』と書かれており、いやに禍々しさがある。

 見るからに怪しい。ユリウスに顎で「見てみろ」と促され、恐る恐るその表紙をめくった。


『誰でも簡単に出来る、恋の黒魔術。

 序章 はじめに

 一章 運命の人に出会えるおまじない

 二章 好きな人に意識してもらうおまじない

 三章 恋の夢占い

 四章 好きな人と両想いになるおまじない

 五章 恋のライバルを遠ざけるおまじない

 六章 恋のジンクス

 終わりに 恋と乙女心~運命の悪戯は時に残酷~』


(あ、意外に中身は普通っぽい……)


 目次を見る限りでは可愛らしい内容だ。

 ほっとしているリィナをよそに、ユリウスは勝手に『好きな人に意識してもらうおまじない』のページをめくる。

 そこには手作り料理を食べてもらう内容が書かれおり、材料には以前、リィナが口にした媚薬効果のある食材がずらりと並んでいた。


「⁉」


 そして、好きな人と両想いになるおまじないまでページは送られる。

 その内容にリィナは目を剥いた。

 上級者向けと書かれたそこには、特注の媚薬の作り方が載っていた。

 髪の毛はまだ可愛らしい。想像するだけでも身の毛のよだつ内容に、リィナはぎこちなくユリウスに顔を向ける。


「リィナ……」

「はい」

「毒見、やってくれるね?」


 目の前で髪の毛をぶら下げられて言われてしまっては、リィナは頷くしかない。


 ちーんっ!


 脳内で卓上ベルが打ち鳴らされ、新たな個人情報が登録された。


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