第31話 恋する乙女、再来
「やあ、バルロード侯爵令嬢。先日のお茶会ぶりだね」
「はい。ところで、そちらのご令嬢、ご紹介いただけませんか?」
彼女はにっこり笑っているが、目がまったく笑っていなかった。
(やばい、完全に目が据わっていらっしゃる!)
そりゃ、そうだろう。意中の相手が自分を差し置いて、どこぞの馬の骨かもわからない女をエスコートしているのだ。リィナは食べかけの皿をそっとテーブルに置く。
「彼女はレイモンド公爵の遠縁の姫君、リリーナ嬢だ。リリーナ嬢、こちらのご令嬢はバルロード侯爵令嬢だ」
「お初にお目にかかります。レイモンド公爵に所縁のある方。わたくし、ヴィオネッタ・バルロードと申します。かねてから殿下とは交友を深めている仲ですの」
かぶせ気味に言うとバルロード侯爵令嬢はユリウスの腕をとろうとしたが、彼は不自然にならない程度に躱した。
「リリーナ嬢、彼女は第一妃と御縁のある令嬢なんだ。だが、彼女の兄はフィリップ兄上とも交友があってね。彼女も兄のように派閥関係なく幅広い付き合いをしているんだよ」
ユリウスがしれっと特別な仲ではないと言い含めるのを見て、リィナは頷くかどうか判断に迷う。ここで頷いたら彼女の顔が怒りで真っ赤になりそうだ。
リィナは誤魔化しついでにドレスの裾を捌き、礼をする。
すると、バルロード侯爵令嬢は「まあ!」と大袈裟に声を上げた。
「礼だけで済まそうだなんて……本当にレイモンド公爵に所縁がある方なのですか?」
言外で「礼儀知らず」と言われたが、リィナは「縁も所縁もないです。ごめんなさい」と内心で平謝りをする。
しかし、ユリウスは普段彼女には見せないであろう笑顔を向けた。
「バルロード侯爵令嬢、説明が遅れたがリリーナ嬢は幼い頃の病が原因で大きな声を出せないんだ」
「まあ、おかわいそうに」
バルロード侯爵令嬢は扇で口元を隠し、目を細めた。いくらリィナが平民でも彼女の目を見れば、本心でそう思っていないことは簡単に分かった。
(恋する乙女って、ライバルがいると分かると途端に豹変する子いるわよね……)
バルロード侯爵令嬢は恋に一生懸命なのだ。それこそ、恋の黒魔術などという怪しいおまじないを実践するくらいには。そう思うと、なんだか彼女に微笑ましさすら覚えた。
「ところで殿下。わたくし、今夜のエスコートを受けられないと聞いて、とても残念でしたの。代わりに一曲踊ってくださらない?」
バルロード侯爵令嬢の誘いに、ユリウスはリィナに目を向ける。
「いや、レイモンド公爵から預かった大切な姫君だ。彼女を放っておくことなんてできないよ」
「なら、わたくしのお友達を紹介いたしますわ。見知らぬ土地で新しいお友達を作るのも大事ではありませんこと?」
(うーん、これはなー)
リィナはユリウスの服を遠慮しがちに引っ張り「いってらっしゃい」と手を振る。
今回、彼女のエスコートを断るためにリィナがパートナーとして選ばれたのだ。アイリーンの教えではダンスは一曲だけなら問題ないと聞いている。それに食事をしながら待っていれば、一曲なんてすぐだろう。ユリウスは嘆息を漏らすと「仕方ない」と言わんばかりに頷いた。
「リリーナ嬢、絶対にここにいるように。間違っても他の男性と会場から離れたり、ついて行ったりしないように」
リィナは頷くと、ユリウスは嬉しそうなバルロード侯爵令嬢を連れて人ごみに消えた。
(はぁ~、怖かった。ユリウス殿下には悪いけど、一曲踊って彼女のご機嫌を取ってもらおう)
リィナは気を取り直して、皿に再び手を伸ばそうとした時だった。
「!」
誰かが近づいてくる気配がし、何となく嫌な予感がしたリィナはさっとその場から離れた。
「きゃあ!」
不意に横からやってきた女性が直前までリィナのいたテーブルに激突する。
ガッシャーンと大きな音を立ててテーブルに乗っていた料理が床に散らばり、ぽかんと呆気にとられるリィナとは裏腹に、辺りは騒然となった。
(……え⁉ えええっ⁉ 何があったの⁉)
予想外の出来事に、リィナは身動きできない。
嫌な予感がして離れたつもりが、まさか女性が突っ込んでくると誰が思うか。
『いいですか、リィナ。もし誰かが急に近づいてくる気配がしたら、少しでもいいからその場を離れるのですよ。大概そういう輩はろくでもない輩だと相場は決まっています』
そうアイリーンから教えられたが……教えられたのだが、ろくでもない輩というより不幸な人ではないだろうか。
(大丈夫かしら、この子……)
テーブルに突っ込んできたのは、リィナと年の近い令嬢だ。ソースやら汁やらスープやらで、ドレスが汚れてしまっている。いくら食い意地が張っているリィナでも、ダメになった料理よりも突っ込んできた彼女を心配してしまう。しかし、声があまり出せないという設定がある以上、リィナはおろおろと狼狽えることしかできないでいた。
近くに給仕達が半泣きの令嬢を助け起こしている時、騒ぎを聞きつけてきたのか、ユリウスが戻ってくる。
「リリーナ嬢!」
(あれ⁉ バルロード侯爵令嬢は⁉)
リィナの言いたいことを察したのか、ユリウスはリィナにしか聞こえない声で言った。
「彼女は置いてきた」
(ダメでしょ、それ!)
絶対に後で恨まれるやつである。しかし、彼は気にしていないようでそっとリィナの手を取った。
「ちゃんと断りは入れたから気にするな」
「リリーナ、殿下! 一体何が⁉」
レイモンド公爵も慌てて駆けつけ、大惨事になったテーブルを見て唖然とする。
「…………何があったの?」
「それは私も知りたい。何があったんだ、リリーナ嬢?」
二人はそう問いかけてくるが、リィナはただ首を横に振るしかない。
「も、申し訳ありません!」
給仕に助け起こされた令嬢は、ユリウスとレイモンド公爵の姿を見て、青ざめた顔で言った。
「あ、足をもつれさせてしまって……ぶ、ぶつかってしまったのです!」
(その言い訳は無理がないかな……?)
しかし、いつもは穏やかなレイモンド公爵が若干表情を曇らせている。それはユリウスも同様だ。二人が怪訝な目を彼女に向けているのを見て、リィナはあえて彼女に近づいた。
そして、ソースで汚れた彼女の頬をハンカチで拭い、そのハンカチを彼女に握らせた。
リィナの行動にユリウスは肩をすくめた。
「どうやら、リリーナ嬢は君を心配しているらしい。そのハンカチを使ってくれだそうだ」
リィナは頷いてユリウスの言ったことに肯定する。
そして「お大事に」というつもりで会釈をして手を振った。
彼女はリィナに何度も頭を下げてその場を離れていき、彼女の姿が見えなくなったところでバルロード侯爵令嬢が戻ってくる。
「殿下、ひどいですわ。わたくしを置いていくだなんて」
愛らしく頬を膨らませて言った後、リィナの姿を見て怪訝な顔をする。しかし、その表情は一瞬で消え失せた。
「さ、わたくしと踊ってくださいませ」
「悪いね、バルロード侯爵令嬢。さっきの騒動で彼女のドレスが少なからず汚れてしまったようだ」
ユリウスはそう言ってリィナにハンカチを手渡した。気づけば、グローブのほかに、ところどころ飛び散ったソースがドレスにシミを作っていた。
(うわっ、最悪。落ちるかな、このシミ)
「少し席を外そうと思う。また後で」
「そんなの侍女に任せれば……」
そう言いかけたところで、彼女は口を噤む。おそらくレイモンド公爵が側にいたからだろう。
「そうですわね。殿下のお戻りをお待ちしてますわ」
にっこりと笑ってバルロード侯爵令嬢が答え、ユリウスはレイモンド公爵に断りを入れてからリィナと共に会場を離れた。
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