第一章  発端 7





 高校生たちを乗せたバスは東北自動車道から首都高速で東京を経由し、東名自動車道へと入った。

 久喜白岡JCTで圏央道に入り、一気に海老名JCTまで行くコースもあったが、道が渋滞していない事もあり、生徒の希望により東京を経由することにしたのだった。


 なによりも首都高コースにすると、東名自動車道〝海老名サービスエリア〟へ行くことが出来る。

 その海老名サービスエリアで、一行はゆったりとした休憩を取った。


 テレビ番組などで頻繁に取り上げられる、日本でも最大級の規模を誇る温泉まで備えた施設は、北関東の田舎町の高校生の目には巨大なテーマパークのように映った。

 これまでもトイレのための小休憩はあったが、この海老名SAでは昼食も兼ねて一時間もの時間が取られた。

 それでも足りないと生徒たちは文句を云ったが、バスは無情にも西を目指し出発する。



 ここから目的地へは、そう時間はかからなかった。

 伊豆半島の上っ面を通り過ぎ、相模湾沿いを進み次郎長とちびまる子ちゃんで有名な清水市を通過すると、長かったバスの旅も終点へと近づく。


 清水を通る際には、バス中に〝踊るぽんぽこりん〟を合唱する声が響いた。

 地方から東京周辺へ修学旅行する生徒たちが湘南の海岸線をバスが走ると、あれが江の島だ、エボシ岩だと騒ぎ〝勝手にシンドバッド〟を歌い出すのと同じだ。


 静岡県川浦町、そこが合宿を行う場所の地名だった。

 地理的には吉田町と牧之原市の中間に位置する、小さな海岸沿いの半農半漁の田舎町である。

元は相良町と共に榛原郡に所属していた。



 江戸時代は賄賂政治で名高い田沼意次によって治められ、遠州相良藩が置かれ相良城という城まで築かれた。

 歴史上悪いイメージだった田沼意次であったが、近年研究が進みそのダークなメージが覆りつつある。


 途中で挫折したものの農業中心の世の中からから、貨幣経済への改革や印旛沼を代表とした干拓事業を推し進めたことが評価されている。

 また、エレキテルで有名な日本のレオナルドダヴィンチ・平賀源内などとも親交があり、当時としては珍しい先見性のある政治家だったらしい。


 しかしその当時、明和の大火・浅間山の大噴火・天明の大飢饉といった自然災害や事故が相次ぎ、嫡男田沼意知が江戸城内で暗殺されてからは、家柄重視の松平定信ら保守派に追い落とされて行く事となる。

 第十代将軍徳川家治の死で、意次は完全に政治の表舞台から姿を消した。

 彼の失脚に伴い城は取り壊され、いまは跡形もない。



 相良町は榛原町と合併し牧之原市となったが、川浦町は小さいながらも昔のままの地名で残った。

 東名自動車道の焼津ICを過ぎ、大井川を渡るとすぐに吉田ICがある。

 間を置かずに〝川浦IC〟が続く。

 ほとんど車の乗り降りのない、寂しい印象のインターだ。


 高速を降り左折し南下、海岸沿いを御前崎方面へ進むと本丁筋と呼ばれる川浦町の中心地へと出る。

 そこから海沿いの道を十五分ほど走ると、のんびりとした風景の海からすぐに山が臨める〝寺筋〟と言われている田舎集落が出現する。

 山へ入る間道を数分進むと〝薬王院〟という名の寺が現れた。

 道はそこで行き止まっている。


 この薬王院というのが美術部とテニス同好会が、これから十日間間合宿のため寝泊まりさせてもらう場所だ。



『慈月山』『薬王院』

 山門には立派な山号額と、院号額が掲げられている。


 平安時代初期から続く弘法大師空海が開いたという伝承が残る真言宗大谷派の古刹と言うことで、なかなかに立派な門構えをしている。

 正式名称は『慈月山 薬王院 明王寺』と言う。

 一般的には〝薬王院〟又は〝お薬さま〟で通っている。

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