第一章 発端 6
「夕香と健一くんって幼馴染なんだよね、確か家が隣同士」
鈴が期間限定発売ザクロ味のグミを、ポンと口にほうり込みながら訊く。
「わっ、これ美味しい」
少女が満面の笑顔になる。
「そう、赤ちゃんの時からの腐れ縁。幼稚園も同じ組で、随分あたしが面倒見てやったのよ」
「えっ、あんたが面倒を──」
「なに驚いてんのよ、あいつはね小っちゃい頃は凄い内気で泣き虫だったんだ。幼稚園じゃいつもいじめられてて、それをあたしが助けてやってたわけ。あたしの服をしっかりと握り締めて、後ろに隠れてた頃は可愛かったんだけどさ。それが今じゃつっぱっちゃって、多分無理してるに決まってる。本当は優しい子なんだ」
学校一の強面で通っている健一が、泣き虫のいじめられっ子だったとは想像も出来ない。
いまではこの近隣地区でも一、二を争う不良なのだ。
「あー、そう言えば小学校低学年の頃は、目立たずに大人しかったような・・・」
鈴が思い出したかのように頷く。
「小三の時に空手を習い出してから、変わって行ったの。素質があったのかどんどん上達してね、五年生の時には小学生の部で一番になったんだよ。少しづつ明るくなって、いじめられたりもしなくなった。それでも優しさは変わらずに、空手で人を傷つけたりは絶対にしなかった。でも中二の時に事件があって──」
「事件って」
袋からグミをふた粒つまみ、夕香の口の前に持ってゆく。
〝ぱくっ〟
いっきに口に入れながら、夕香が鈴の顔をまっすぐに見つめる。
「あたしが原因なんだよね──」
「あんたが!」
鈴は大きく目を見開いた。
「空手の地区大会があったんだ、あたしは健一の応援で会場にいた。そこで余所の地区の男子に絡まれたの。その子たちも大会に出場するらしくて、空手着を着てた。そこへ健一がやって来たの」
そこまで話し、夕香がひと息つく。
「相手は高校生でね、四人もいたの。でも健一は恐れもせずにあたしの手を引いて、その場から逃げようとしてくれた。でも相手が立ちはだかって、あたしの身体を掴んだの。それを強く振りほどいたら頬を拳で殴られた、凄く痛くってあたし泣き出したの」
「・・・・・」
「そしたらおとなしい健一が怒っちゃって、あっという間に高校生たち四人を叩きのめしちゃったんだ。本当にあっという間で、どうやったのかさえ分からなかった。カッコよかったよ、あの時の健一」
いかにも嬉しそうに、夕香が喋っている。
「それからどうなったの?」
「うん、何人もの目撃者がいて、双方とも事務所みたいなところに連れていかれ、色々と質問された。見てた人の証言もあって、悪いのは相手だとすぐに分かってもらえた。でもね、それからが大変だったの」
俯きながら、夕香はゆっくりと話し続ける。
「いくら悪いのは相手だとはいえ、中には歯を折ったり大きく左目を腫らして出血してる者。鼻が曲がってしまった子もいた。だから健一にも一応謝れという話しになったの。道場の師範からも、無暗に空手を暴力的に使うなと厳しく叱られていた」
「えっ、でもそれは夕香を護るためでしょ」
「そうなの、だから健一は頑なに謝るのを拒んだ。なんといわれても絶対に頭を下げなかったんだ。そしたら師範から言うことを聞けなければ、道場は辞めてもらうしかないって言われちゃったの」
「なにそれ、ひどい」
「それでも健一は謝らなかった。そして最後に大人たちにこう言ったの〝大事な人を助けることさえできないのなら、そんなものはこっちから辞めてやる。正義も暴力も一緒だってんなら、そんな世の中間違ってる。これからは俺の好きなように生きる〟ってね」
「かっこいい。ねえ、それって夕香への愛の告白よね。俺の大切な人は俺が守るって言ってるのと同じじゃん。あたしもそんな彼氏欲しいな」
「なに言ってんの、彼氏なんかじゃないわよ。変なこと言わないでよ」
あわてた様子で、夕香が否定する。
「またまたあ、夕香も健一くんの事好きなんでしょ。素直になりなよ」
「違うって、まだそんなんじゃないんだってば。そりゃ意識はしてるけどさ、あと一歩何か足りないんだよね」
恥ずかしそうに笑いながら、勝手に鈴の持っている袋からグミを取り出して口に運ぶ。
「それからなの、健一があんなになっちゃったの。急に乱暴な口を利くようになって、服装もガラが悪くなった。しょっちゅう喧嘩ばかりして、いつの間にか不良って呼ばれるようになっちゃったんだ」
寂しそうな顔で、最後部に坐っている健一をチラリと見た。
ことさら悪ぶって、健一は大股開きになって中央に坐っている。
「でも、でもね本当は悪い奴じゃないんだよ。あたしのせいでこんなんなっちゃって、優しい子なの、本当に優しい・・・」
まるで泣き出しそうな夕香を、鈴がギュッと抱き締めた。
「わかってる、健一くんが優しいってことはね。それに、あんたが彼を大好きだって事もね」
「や、やめてよ鈴、そんなこと言われたら泣いちゃうよ──」
青い春真っ盛りの十七歳の少女同士は、幼い恋を持て余していた。
「先輩、ポテチ食べませんか」
美術部の下級生の女子が速水へ、ポテトチップの袋を差し出す。
「速水君は甘いものが好きなの、ねっ」
小首をこれ見よがしに傾げながら、別の同学年らしい女子がチョコレート菓子を指で摘み口元に持ってゆく。
そのどれもを鬱陶し気に拒みながら、速水は手にしている本に目を落とす。
それは池上英洋著「西洋美術史入門 実践編」であった。
「あんたたち凌平の読書の邪魔よ、席に戻りなさい」
速水と同じく副部長を務める、三年の春緒雪乃が冷たい声を掛ける。
その声に身体を強張らせた少女たちは、黙って退散する。
「あら凌平、もう一冊目は読み終えたようね」
背の高いすらりとした身体は、まるでファッションモデルのようだ。
まったく癖のない長い黒髪を背中の辺りまで伸ばし、彫刻の女神のようなノーブルな顔つきをしている。
人よりも赤い唇が、大人びた妙な色気を醸し出している。
「ええ、先輩から勧められ読み始めましたが、実に面白かったです。夏休み前に続編の〝実践編〟を図書館から借りといたんです。合宿中に読もうと思いましてね」
「さすがは凌平ね、やっぱり蓺大を目指すの?」
「勿論です、それ以外に選択肢はない。合宿が終わったら、家へ東京から美術講師を呼ぶことになっています。休みの間中みっちりと勉強漬けです、東京に住んでるやつらにはただでさえハンデがあるんだ、遊んでる暇なんかない」
さもそれが当たり前のように、速水が言う。
「わたしは多摩美に行くわ、藝大は無理みたいだから。再来年東京で逢いましょ、楽しみにしてるわよ」
なにか意味ありげに、雪乃が微笑む。
それに対して、速水はなにも応えなかった。
バスは一路、静岡県の合宿地目指して走り続ける。
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