第二章  第一のささやかな、いくつかの事件 6





「あにき、もうすぐ四十分になっちまいますよ」

 大夢が声を掛ける。

「やべっ、朝飯に間に合わなくなっちまう。ケンちゃん出ようよ」

 慌てて剛志が湯船から上がる。

 湯煙に霞んだ時計の針は、七時三十八分を指していた。


「お先に失礼しまーす」

 まだ湯に浸かっている老人たちに声を掛けながら、彼らは次々に脱衣所へと出て行く。

 男と書かれた暖簾をめくると、すでに女子の三人はそこで待っていた。

 しかし居るのは彼女らだけではなかった。


 四、五台のバイクに跨った柄の悪そうなやつらが、三人を取り囲んでいる。

「よう、待たせたな。急がねえと飯の時間に遅れちまう、さっさと帰ろう」

 健一は、バイクの男たちを一切無視し三人に声を掛ける。

「あの石段を昇ったら、また汗が出てきそうだ。さあ行こうね」

 隆介も彼らをガン無視して、女子たちを促す。


「よお兄ちゃんたち、いま俺たちがこの娘たちとお話ししてんだよ。帰りたきゃ自分たちだけ帰んな」

 中の一人が凄んで見せる。


「なんか聞こえたか、隆ちゃん」

「いいや、空耳だろ」

 緊張感の欠片も見せずに、二人が顔を見合わせる。


「ふざけんじゃねえぞ手前ぇら、俺たちを舐めんなよ」

 ごつい身体付きの男が、バイクから降りて健一たちの前に立った。

「そんな汚ねえ面なんざ、舐められる訳ねえだろ。さっさと家へ帰って顔を洗い直して来いよ」

 剛志が挑発する。

 仲間内ではひょうきんな役回りを演じているが、喧嘩の腕には相当自信があるらしく、怯えもせずに真正面からその男を睨みつけている。


「やめなよツヨポン、問題起こしたら即帰宅だよ。構わず行こう」

 隆介が剛志の肩をつかみ、引き下がらせる。

「だからよ、帰りたきゃ勝手に帰れ。この娘たちは俺らが遊んでやるって言ってんだろ」

 相手も引かない。


「すまないなお兄さんたち、俺たちは学校の合宿で薬王院に来てるんだ。もうすぐ朝飯の時間なんで戻らなきゃいけない、無茶言わずに通してくれないか」

 健一が軽く頭を下げる。


「へへへ、意気地のねえ野郎だな。じゃあここで土下座して頼め、どうか通して下さいってな」

 健一の目が昏く光る。

「────」

 なにかを健一が言いかけた時、後ろから声がした。



「あれ小林先輩じゃないですか、なにしてんですか」

 風呂に来ていた老人から、ジュンと呼ばれていた青年だった。


「ジ、ジュン! お前も来てたのか」

 バイクの連中が、急に挙動不審になる。

「先輩たちも入ってきたらどうです、朝風呂は気持ちいいですよ。ガッコ卒業したってのに、朝からバイク転がしていい御身分ですね。なんなら久しぶりにぼくと遊びますか? それとも引き揚げますか」

 明らかに彼らは、この美しい青年に怯えていた。


「わかったよ、お前とは係わりたくねえ。行くよ、邪魔したな」

 小林先輩とやらが、ジュンから目を逸らす。

「浜口先輩に言っといてください、薬王院のお客さんたちには手を出さないようにって。ぼく和尚には色々と世話になってますんで、それにお袋が彼らの食事を作りに行ってるんだ。これはぼくからの忠告です、すぐに居なくなる人たちだから係わるな。係わればぼくが黙っちゃいない」

「わ、わかった。栄次くんには伝えとく──」

 リーダー格の男がみなに目配せすると、バイクは一斉に爆音を残して遠ざかって行った。


「助けて貰っちまったな、ありがとう」

 健一がジュンという青年に礼を言う。

「あいつら質が悪い、今度見掛けても相手にするな」

 ジュンはそれだけ言うと、挨拶も返さず去って行った。


「なにあのイケメン、あんな綺麗な男がこの世にいるのね」

 沙織がうっとりとした目で、青年の後ろ姿を見送っている。

「わあ、急がねえと本当に飯に間に合わねえよ」

 剛志の声につられ、みな一斉に駆け足で寺へと戻って行く。



 というのが、雄作が語る朝の浴場での出来事であった。

「じゃあ、そのイケメンが居なかったら、今頃大騒ぎになってたかもしれないじゃん。一体あんたらなにしてんの、問題起こしたら即帰宅だよ。朝から風呂なんかに行くから、そんな事に巻き込まれるんでしょ。きっとご住職が言ってた質の悪い連中ってそいつらのことね、健一に注意しとかなくっちゃ」

 夕香が怖い顔で、雄作を睨みつける。


「すいません、でも俺たち本当に騒ぎを起こす気なんてなかったんですよ。でも女の子が絡まれちゃってたんで、健一さんたちも引くに引けなかったんじゃないでしょうか。あの状況ですんなり通してくれそうもなかったし・・・」

「そうね、先生とご住職に報告して対策を考えなきゃ。変なトラブルは極力避けるような方法をね。そうでしょ鈴」

 そう話しを振った夕香が鈴の顔を見ると、鈴はなにか物思いに耽っているような曖昧な表情で考え込んでいた。

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