第三章  殺人鬼の影 1





 合宿二日目は、それ以上なにも起こらずに夜を迎えた。

 これからは女子の洗濯物は、屋外ではなく室内(住職さんたちの私邸である母屋)に干すこととなった。

 室内といっても母屋は広々としており、大勢の洗濯物も何とか干せる空間があった。

 縁側であれば開放感もあり、すぐに乾いてしまうだろう。


 鈴と夕香は夕食の後、晃彦と麗子の元を訪れた。

 朝の健一たち一行が、地元の不良に絡まれた件を相談するためだ。


「先生、こちらからはその気がなくても、向うが絡んで来る事は充分あると思うんです」

 他人がいるために、しおらしくちゃんと先生と呼んでいる。


「ううーん、厄介だな。どうします麗子先生」

 こちらも、内海先生から麗子先生へと呼び方が変わっている。

 その微妙な変化を感じ取り、鈴がにやりと口元を緩めた。


「そうですね、各部の部長を呼んで少し話し合いましょうか」

 麗子の提案に、すぐさま鈴と夕香が彼らを呼びに行く。

 晃彦は住職にも声を掛け、来てもらう事にした。



「やはりちょっかいを出してきおったか、まったく困った連中だ」

 住職の了海が腕組みをして、眉間に皺をよせる。

 部屋には晃彦、麗子の両教師と鈴、夕香に美術美部長の柳原早百合、テニス同好会部長の高岡翠、そして了海和尚が坐っていた。


「なんの用ですか」

 遅れて健一が顔を出した。

「おお、岡部来たか。まずは坐れ」

 晃彦に促され、健一は夕香の隣に腰を下ろした。


「おい、なんの集まりだ」

 夕香の耳元に囁く。

「あんたらが、朝絡まれた件よ」

「ちっ、誰がチクりやがった」

「そんなのどうでもいいの、これから先トラブルにならないよう、どうするかを話し合ってるのよ」

 そこまで聞いて、健一が晃彦の顔を見据えた。


「先生、俺たちは何も悪くはねえよ。相手が一方的に絡んで来やがったんだ、おまけに女たちに手を出そうとしやがった。また同じことが起きれば俺はやっちまうよ、それとも手を出さずに女を好きにさせろって言うんじゃねえだろうな。俺は男だ、女も守れねえようじゃ生きてる意味はねえよ」

 挑発的な視線だ。


 そう問われ、晃彦は返答に困った。

 受けて立ち喧嘩をしろとは言えないし、かといって女子を守るなとも言えない。

 やはり自分が同じ立場であったなら、身を呈して立ち向かうだろうと思う。


「どうした先生、なんとか言えよ。俺たちゃどうすればいい、教えてくれよ」

 彼の要求はもっともな事だ、彼らを監督する自分が明確な答えを提示してやらねばならない。


「相手はどんなやつらだった、特徴を聞かせてくれんか」

 了海が尋ねる。

「バイクに乗った四人組だ、リーダー格のやつは身体がでかかったな。たしか小林って名前のはずだ」

「小林? やはりあやつらか。この春に高校を卒業したばかりの連中だ、在学中から徒党を組んで悪さばかりしておった。卒業してもまともに働きもせずに、ぶらぶらしているらしいとは聞いておったが」

「札付きのワルって事ですね」

 麗子が気色ばんだ。


「ああ、総勢十五人ほどの集団で、仕切っておるのは浜口という質の悪い奴だ。親が地元の筋者で親子そろって町の鼻つまみ者だ。それにしてもあやつらに絡まれて、よくなにごとも起こさずに済んだな」

 逆に了海が驚いている。


「ジュンってやつに助けられた、あいつが居なかったらその場でボコボコにしてただろうな」

「なに、ジュンにも会ったのか。まあなんとも賑やかな朝だったようだな」

 笑いながら、了海が扇子を開いて顔を煽ぐ。


「なんだか妙に恐れられてる様子だったな、一体あいつはなにもんなんです」

 興味があるのか、健一が了海に青年の素性を訊いて来る。

大垣遵おおがきじゅん、お前さん方の食事を作りに来てくれておる、幸子さんの息子だよ」

「幸子さん?」

 夕香が首をひねる。


 個性派ぞろいのおばさんたちなのだが、幸子という名には思い当たらない。

「みな強烈な方たちばかりだから、幸子さんは目立たんようだな。細面の静かな方だよ、スクーターに乗ってる黄色いヘルメットの」

「ああ、あの綺麗な女の人ね。ほかのおばさんたちと全然雰囲気が違ってた」

「そうじゃろ、おばさんと呼ぶほど歳も取っちゃおらん。まだ三十六歳だ、晃彦くんとそう違わんだろ。美しい顔をしておるが化粧っ気もなく、着るものも地味で無頓着だから目立たんのだ。あれで化粧とそれなりのファッションをすれば、見違えるほどの美人になる。若い頃は町でも評判で、将来は女優になるんじゃないかと騒がれたものだ」

 了海の説明に、健一が頷く。


「ジュンってやつも綺麗な顔をしてたよ、でも髪も肌も真っ白だった。アルピノってんだろ、まるで妖精みたいな感じだったな」

「あれは生まれつきだ、可哀そうだが仕方がない。双子の姉の蘭も同じアルピノでな、姉の方は生まれつきの病弱で滅多に外にも出んで家に居る」

「えっ、双子のお姉さんがいるんですか」

 思わず鈴が声を上げた。


「鈴ちゃん、ジュンを知っておるのか」

「はい、小さい頃にここへ一度来た時に海岸で遊びました。真っ白な男の子で、とても優しかったのを覚えています」

 鈴が了海に応える。


「そうか、だったらいまは会わんほうがええかもしれんな。すっかり変わってしまいおった、この辺りの悪どもの陰の頭になっている。むかしは確かにおとなしく優しい子じゃったが、いまじゃ浜口たちでさえ係わらんようにしとるという噂じゃ」

「そ、そんな・・・」

 鈴の顔がみるみる曇って行く。


「和尚さん、俺にはそんなに悪い奴には見えなかったですよ。愛想はなかったけど、他人に迷惑をかける類の人間じゃなかった。それに和尚さんには色々と世話になってるって言ってたし、やつらにも二度と薬王院の客には手を出すなって言ってくれてた。どう考えたって悪なんかじゃなかったけどな」

 健一が自分の感じたままの印象を伝える。


「子どもの頃は毎日のように寺に遊びに来ておったが、いつの間にか姿を見せんようになってしもうた。説教じみたことばかり言うわしの事が煙たくなったのか、寄り付きもせんので真実は分からん。しかし聞こえてくる噂はどれも悪いものばかりで、最近では女子高生売春にも関わっているらしい。町のチンピラとその事が元でトラブルを起こしたと聞いておる」

「女子高生売春? なにそれ、完全な犯罪じゃない」

 夕香が大声を出した。


「直接確かめたわけではないが、そういう噂があるという話しだ」

「そんなの噂だろ、俺は自分の勘の方を信じる。あいつはそんなやつじゃなかった、なんかもっと透明で綺麗なやつだったよ」

「そうじゃな、安易に噂など信じちゃならなかったな。一度ジュンと直接話しをしてみよう」

 了海が自分を戒めるように、口を一文字に引き結んだ。


「トラブルを避ける方法だが、浴場に行く際には必ず十人以上で行動する。俺と麗子先生はそれぞれ別々の時間帯に同行する事にする」

「わしと家内も、なるべく一緒に行くとしよう」

「助かります伯父さん」

 晃彦が礼を言う。


「窮屈だが、浴場を出る時間も決めておいて一緒に帰る事にする。今朝のようなイレギュラーな入浴は禁止だ、どうしてもという場合は大人が誰か同行する」

 晃彦が健一を見ながら確認する。


「わかったよ、規則には従う。たったの十日間の事だ」

 健一も素直に言う事を聞いた。

「海岸や街中へ行くときも、必ず俺か麗子先生が一緒に行く。絶対に勝手な行動は厳禁だ」

「それでも突発的な事が起きたらどうする、いくら相手が悪くっても我慢しろってのかい。場合によっちゃ、そうはいかねえ事もあると思うけど」

 さっきの問いの繰り返しだ。


 しばらく晃彦は、なにも言わず考えていた。

「そのときは自分の良心の命ずるまま行動しろ、俺はお前を信じている。責任はすべて俺が引き受ける」

 晃彦の思いがけない発言に、麗子が驚愕の表情になる。


「なにをおっしゃってるんですか、柴神先生。絶対に手出しはしてはいけないとなぜおっしゃらないんです。責任を取るって、どういうことか分かってらっしゃるんですか」

「麗子先生、いまも言ったように俺は彼を信じる。その彼がやむに已まれずとった行動なら、それは正しいことに違いない。その責任を取るのは監督者であるわたし以外にない、教師を辞めることになってもしょうがないでしょう。信じるとはそういう事です」

「先生・・・」

 麗子はそれ以上言わなかった。


〝生徒を信じる、簡単な言葉ではあるが実行するのは難しい。でもこの人はそれをしようとしている、これこそが本物の教師じゃないのかしら〟

 心の中で、麗子の晃彦を見る目が変わった。


〝この人の事なら、信じられる〟

 単なる好意から、無意識のうちに微かな恋心へと気持ちが変化していた。


「先生、俺はあんたを辞めさせたりしねえよ。あんたみたいな大人は初めてだ、学校にはそんな教師が必要なんだ。トラブルは起こさない、誓うよ」

 健一も晃彦の心が理解できたのか、目の前の教師を見詰める澄んだ瞳が輝いている。


「晃彦くん、立派な先生になったな。生徒と教師とはいえ、結局は人と人だ。互いに信頼関係がなけりゃ、うまく行くものも巧く行かん。信じあえば相手を大切に思うようになる、それこそがこの世で一番大事なことだ」

「和尚」

 健一が了海を見て、微笑んだ。


「ん? なんだね」

「やっぱ坊主は説教臭えな、でもいいこと言うぜ」

「かっかっか。なにを生意気な、このこわっぱめが」

 了海が豪快に笑った。

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