第二章 第一のささやかな、いくつかの事件 4
朝八時きっかりに、朝食の時間が始まる。
「これから朝ご飯をいただく。はい、いただきます」
晃彦が掛け声を出す。
「いただきます」
続いて生徒たちが、一斉に声を合わせる。
昨夜のとんかつとカレーにトマトとウィンナーのスープも美味しかったが、今朝の朝食も絶品だった。
ご飯に、わかめと玉ねぎと豆腐の入った味噌汁。
卵焼きに納豆とお漬物に昆布の佃煮という、いたってシンプルなメニューだが、みそ汁の味といい卵焼きの出汁加減といい、申し分のない味だ。
それもこれも、満ちゃんと言う料理教室の講師だった人のお陰なのだろう。
朝だと言うのに、三膳もお代わりする者もいた。
朝食の後、八時四十五分から十一時四十五分までの三時間が各部の活動時間となる。
美術部員は部長の柳原早百合が毎日課題を出し、部員はそのテーマに沿った絵や造形物をつくる。
一方のテニス同好会は境内で十分な柔軟をこなしてから、まずは海岸まで続く長い石段を駆け足で三往復する事から始めた。
ほとんどの生徒は真面目に参加しているが、やはり健一たち一派はだらだらとするばかりで、一向に身が入らない。
そんな健一たちの中に、例の美術部員の男子二名と、女子三名が混じっていた。
「ねえ健一。あんたら朝一で浴場に行ったでしょ、そこでなんか騒動起こさなかった。帰って来た時の様子が変だったわよ。勝手な事は止めなさいよ、問題起こしたら帰らされちゃうよ。それに美術部員も仲間に入れて、こんな事してたらすぐに速水くんとトラブルになるじゃん。あなた達もこんな馬鹿の所になんか来ないで、ちゃんと決められた課題をこなしなさい。部長や上級生に怒られても知らないから」
いつものように夕香が文句を言う。
「うるせえな、こいつらが勝手に寄ってくんだよ。俺には関係ねえ、責任者は剛志なんだ。文句をつけたきゃこいつに言えよ」
あごで剛志の方を指し示し、面倒くさそうにそっぽを向く。
下駄を預けられた剛志が、慌てた顔になる。
「ははは、夕香。なにもそんな言い方しなくていいだろ、下級生は可愛がってやらなくちゃ。それに部は違えどもこいつら大夢のクラスメートなんだ、それが仲良くしてどこが悪いんだよ。他人の交友関係にまで文句言うのはおかしいと思うぜ」
通常であれば乱暴な口調で詰め寄るのだが、そんな事をすれば健一に制裁されるのは目に見えているため、剛志にしては珍しくやんわりと言い返す。
「ちょっと、あんたなんなの。あたしたちは美術部なんだから、同好会の人に注意される覚えはないわ。なにをしようが勝手じゃない、上級生ぶってうるさいのよ」
女子の一人、山口亜花里が横から口ごたえした。
それを夕香が〝キッ〟と睨みつける。
「ほらほら、亜花里ちゃん。年上のお姉さんにそんな口利いちゃ駄目じゃない。俺もそのお姉さんの言うことに賛成だな、君たちがどんな絵を描くのか見てみたいもの。昼食後に俺に見せに来てよ、誰が一番上手に描けたか選んであげるから」
にこにこしながら、隆介が三人に語り掛ける。
「本当ですか? 先輩あたしの絵が見たいの。だったら頑張って描こうかな」
下から媚を込めた視線を亜花里が見せる。
「可愛さは互角だけど、絵だったらサオリンの方が巧いんですからね。齋藤先輩、張り切って描くから誉めて下さいよ」
サオリンこと大原沙織が、隆介の右手に身体をすり寄せる。
それを微妙に躱しながら、隆介が手を〝パン、パン〟と叩く。
「ようし、じゃあ君たちは絵に集中してね。傑作を期待してるぞ」
「はあい、お昼ご飯食べたらまたお話しして下さいよ」
三人の中では一番物分かりの良さそうな竹内笑美が、名前通りの満面の笑みを見せた。
巧みな隆介の女あしらいに三人はほいほいと乗せられ、地面に放置していたスケッチブックと画材を手にして去って行く。
「ほら、君たちも早く絵を描いてきな、でないとこのお姉さんに叱られるよ。このお姉さんが怒るとケンちゃんの機嫌も悪くなる、ツヨポンみたいに拳骨喰らわされるぞ」
「おいお前ら、マジで言うこと聞いた方がいいぞ。剛志あにきは昨日二発も喰らって血まで出ちまったんだ、はやくあいつらみたいに絵に専念しろ。悪いことは言わん」
真面目な表情で大夢にそう言われた二人は、慌てて三人の女子の後を追った。
いまや夕香は剛志や一年生にとっては、健一に次いで怖れられる存在となっていた。
「齋藤君、きみ女の扱いが巧いね。あたしそんな男は信用できないな、なにが目的で健一にくっついてんの、悪いんだけどきみの事いまいち信用出来ない」
挑戦的な夕香の視線を真正面から受け止め、隆介が微かに笑みを浮かべた。
肯定とも否定ともつかない、不思議な顔だった。
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