第三章  殺人鬼の影 7





「おいお前たち、なにか揉めごとか」

 青年たちの群れに、薬王院の住職了海が声を掛けた。


「なんだ和尚じゃねえか、別に揉めてなんかいねえよ。俺たちゃ幼なじみと言うより兄弟だ、仲良く話してただけだよ」

 坊主頭の青年が応える。


「ほほう、昔みたいに仲良くなったのか、それは目出度い。今度は前のように蘭と三人で遊びに来なさい、菓子と茶ぐらい出すぞ」

「そりゃありがてえが、あいにくあんな抹香臭えとこは遠慮しとくよ。この夏は死んだお袋と、ジュンの親父さんの法要を大々的に行う手はずになってる。そんときにゃ行くからよろしく頼む、俺は仕事があるからこれで失礼するよ」

「栄次、おぬし仕事をしとるのか。感心じゃな、人間真面目に働くのが一番じゃ。しっかり励めよ」

「もうガキじゃねんだ、あんたに説教されるいわれはねえよ。坊主は経だけ読んでな」

 憎まれ口を叩きながら、青年は近くに止めていた軽トラックに乗り込む。


 車の腹には〝浜口土建〟と大きく会社名が書かれている。

「おい、ヒコ。ぶらぶらしてんならうちの会社へ来い、労働は気持ちいいぞ。他のやつも分かったな、いつまでもチンピラみてえな事してんじゃねえぞ」

 言われた小林たちはにやにやと愛想笑い浮かべて、ぺこんと頭を下げる。


「ジュン、ちゃんと携帯には出ろよ。近いうちにおばちゃんと蘭ちゃんの顔を見に行く、なんかあったらすぐに連絡してこい。俺も親父もすぐに駆けつける、じゃあな」

 車の窓から右手を出し二、三度振ると、軽トラはエンジン音を響かせ走り去っていった。


「じゃあ俺たちも消えるよ和尚さん、お宅の生徒たちにはもうちょっかい出さねえから安心しな。これからの標的は香澄を殺った野郎だ、ガキなんか相手にしてられねえ」

 小林たちはバイクやスクーターに乗り、けたたましい轟音を残して砂浜から道路に戻り、あっという間に姿を消した。



 残されたジュンは住職の方を見ようともせずに、みなに背中を向け歩き出す。

「待てジュン、おぬしには少し話がある。寺まで来なさい」

 了海が声を掛けた。

 ジュンは立ち止まり、はじめて了海の顔を見る。


「話しなんかねえよ、お節介はよしてくれないか。お袋が世話になってるのは感謝するが、俺には関係ない」

 そう言って踵を返す。


「待ってよジュンくん、あたし鈴です――。覚えてない? 五歳の頃だもんね、忘れちゃったよね」

 鈴が思い切って声を掛ける。


「ああ忘れたよ。約束も守らない薄情なやつなんか、いつまでも覚えてられねえよ」

 振り向いた顔には、怒りと懐かしさと戸惑いが同居したような、なんとも言いようのない表情が浮かんでいた。


〝!〟


「覚えていてくれたんだ」

 鈴の表情が、ぱっと輝いた。


「ごめんなさい、ずっと謝りたかったの。あれから十二年も経っちゃった、約束を忘れたわけじゃなかったの。――ううん、言い訳はしない。でもこうやってもう一度逢えたんだもの、ちゃんと謝らせて欲しい」

「ずっと待ってた。次の年も、また次の年も、そのまた次の年も。五年間待った、でもお前はここへは戻ってこなかった。また来年も遊ぼうね、その言葉を信じて俺は子どもながらに五年待った。まあ、俺が馬鹿だったのさ。ガキの約束なんか信じちまってよ」


「ごめんなさい、ほんとうにごめんなさい」

 謝りながら、遠い少女の日を鈴は思い出していた。


『また来年も遊ぼうね、約束だよ』

『うん遊ぼう、ボクのこと忘れないでよ』

『忘れたりしないよ、あなたこそ忘れないでね』

『また来年もここで待ってる、きっと来てね』

『約束ね、げんまんしよう』

 寺へ昇る石段の側で、父親が自分の名前を呼ぶ声がする。

 ふたりは指切りをして、手を振ってわかれた。


『来年待ってるよ』

『忘れないでね、あたしリン。弓岡鈴よ』

『ボクはジュン、大垣遵だよ。バイバイ』

『バイバイ、ジュンくん』

 鈴は小走りに父親の元へ駆け寄った。


 石段をしばらく昇って海岸を振り向くと、手を振っているジュンの姿が見えた。

 鈴も大きく手を振る。

 しばらく昇っては、また振り向く。

 そこには同じように手を振り続ける、真っ白い少年がいた。


 海は沈み始めた陽を受け、黄金色にキラキラと輝いている。

 逆光の中少年のシルエットが、いつまでもいつまでも手を振っている。


『バイバーイ、ジュンくーん』

 最後に掛けた声は、遠すぎて少年には届かなかっただろう。


〝思い出した、そう彼の名はジュンだ〟

 いまやっと鈴は、彼の名を自分で思い出していた。


〝やっとまた逢えた、ジュンくん〟

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