第一章 発端 9
了海からひと通り案内を受けた生徒たちは、それぞれの宿泊場所に荷物を置きのんびりと休憩を取っていた。
かなり大きな敷地を持つお寺で、本堂のほか金堂や講堂が付随している。
住職たちの母屋と、僧侶のための離れはそれとは別に建てられている。
この辺りは〝寺筋〟と言われるだけあって、五つもの寺社が集まっている。
その中でも最も規模が大きいのが、この薬王院であった。
それに比例して、檀家の人数も最多である。
女子十五人は本堂の大広間、男子二十一人は講堂に寝泊まりすることになった。
風呂は海岸沿いに町の公共温泉施設があるので、そこを利用させてもらえる事になっていた。
バスの狭い座席から解放された若者たちは、宏大な座敷に寝てゴロゴロと転がってふざけ合っている。
別々の建物にいるはずなのに、男子も女子も同じような行動を取っているのが不思議だ。
自宅ではとても味わえない解放感に、みんな存分に浸っている。
四時頃に了海が、海岸を案内してくれることになっていた。
毎日の食事は、寺の檀家のおばさんたちの有志が、ボランティアで作ってくれることになっている。
それはお寺と地域住民との関係が、うまく行っている証だ。
食事の時間は朝が八時、昼が十二時、夜は六時と発表された。
食べ盛りの高校生ということもあり、毎回三十六人プラス教師二人分の料理を作るのは大変な手間であろう。
引率の晃彦は、檀家の婦人たちに感謝し切れないほどの思いを感じていた。
「伯父さん、くれぐれも檀家の方たちにはお礼を言っておいて下さい。なにせ部の予算が少なくって、とてもじゃないが外注など出来ないもんで。食材の分を賄うだけで手一杯なんです、最後の日には生徒たちに感謝の手紙を書かせます。そんな事くらいしか出来ませんが、よろしいでしょうか」
「ははは、なにも気にしなくてもいいのよ。みんな気のいいおばさん方なの、若い子に食べてもらおうと逆に張り切ってるんだから」
伯母の君江が、笑いながら応える。
「そう言って頂くと助かります。贅沢は言いませんが、量だけは大目にお願いします。みな食べ盛りなもので。それに材料費が足りなくなったら遠慮なく仰ってください、予備費は持って来てますから」
「そんな心配はしなくていいのよ。この辺は野菜は農家から、魚は漁師さんから余った物をもらえるんだから、それにお米も安く分けてもらえるし任せておいてちょうだい。今日は初日だから特別にお寺のおごりで〝とんかつとカレーライス〟を準備してるの。おばさんたち張り切ってもう下ごしらえしてる頃よ、お腹いっぱいに食べてね」
「そりゃあみんな喜ぶな、感謝します」
自分も好きなメニューなのだろう、晃彦が笑顔になる。
そこへ鈴が姿を見せた。
「こんにちは、鈴です──」
おずおずとした仕草で、鈴がぴょこんと頭を下げる。
「まあ、まあ鈴ちゃん! 大きくなったわね見違えたわ。前に逢った頃はこんな小さかったのに」
君江が満面の笑みを湛え、右手を高さ一メートル辺りにかざす。
「たぶん幼稚園の頃だったと思います、だからあまりよく覚えてなくって」
気恥ずかし気に鈴が応える。
「お父さん、お母さんは元気かい。随分逢ってないが」
了海が尋ねる。
「はい、元気にしてます。伯父さん伯母さんに、くれぐれもよろしく言ってくれって頼まれました」
「そうか、そうか。距離が離れてるから来るのも大変だが、たまには顔を見せてくれるように伝えてくれないかい」
「はい、必ず伝えます」
気さくで優しげな叔父夫婦に、鈴はすっかり気を許している。
「それにしても可愛らしい娘さんになったこと、高校二年生だったわね。じゃあ来年は受験ね」
「そうなんです、でもまだ進路を決めてなくって」
君江の問いに、鈴が口ごもる。
「伯母さん、少し説教して下さいよ。こいつまったく勉強に身が入ってないんです、進学するんなら大学も具体的に決めなきゃならないんだけど、未だにのんびりしてて。担任の先生から俺が苦情を言われるんですよ」
「なにもここで言い付けることないでしょ、晃ちゃんの馬鹿」
「教師に向かって馬鹿はないだろ、言い付けられたくなきゃ少しはしっかりしろ」
「しょうがないでしょ、まだ自分の将来の目標が見つけられないんだから」
そんな二人の遣り取りを、伯父と伯母は優しい目で眺めている。
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