序章  業火転生變(一) 新免武蔵 30


   3 詩篇天魔・異界転生 一(鹿賀・武蔵)16


    『鹿賀 14』




 日本警察のしかも責任ある立場の者の口から、この言葉が出てくることは暴言と言ってよかった。

 なによりも人命を第一とするのが大前提であり、仮にそれが最善策だとしても口に出してはならぬ言葉なのだ。


 その際に本当に人命が失われれば、係わった責任者たちは重大な処分を受けることとなる。

 出世コースからは外され、今いる地位から左遷され、一生を冷や飯喰いとして残りの人生を生きることになる。

 それは国家の上級官僚であるもの達にとっては、あってはならない事態なのだ。


「ふ、冬原君、君は自分がなにを言っているのか分かっておるのかね。人命を犠牲にするなど口にするだけで、君の警察官としての道は閉ざされるんだぞ。ましてやそれを管理官に提言するなど、いったいなにを考えているんだ。君は即刻任を解く、この場から去りなさい」

 眼鏡の官僚は顔を真っ赤に染めて、怒りで身体を震わせながら怒鳴った。


「人命第一だからこそ、強硬策を取るしかないんじゃありませんか。このまま人質を殺させ続ける積もりだとおっしゃるんですか。それこそ保身に走り人命を犠牲にしていることになる、ここは突入しかほかに手はない」

 横合いから立花が食ってかかる。


「管理官、鹿賀はもはや人間ではありません。あいつが十五分おきに殺すと言ったのは脅しじゃない、確実に実行するでしょう。奴には逃げる気もなければなにかの要求もない、そんな相手に交渉は無意味です。すでに警視総監へSAT(警視庁特殊部隊)の出動要請はしてあります。わたしの報告したこれまでの犠牲者の数をお聞きになり、総監も納得して下さいました。間もなく到着するはずです」


「冬原、お前は管理官に無断でそんなことまで――、どこまで独断専行をする気だ。SATを投入したとなれば、マスコミは大騒ぎするぞ。その上人質が死んだりすれば、われわれの将来は終わってしまう。勝手な真似はさせんからな」

 これが警察官ではなく、役人としての警察官僚の本音だった。

 自分の責任にさえならなければ、結果はどうでもいいのである。


「井上君、少し黙っていてくれませんか。なん十人という人命がかかっているんです、我々の出世がどうのと言っている場合じゃない。わたしたち警察は、国民の生命をこそ一番に護らねばならん。それは自分の保身などとは、比較にならないほど大事なことです」

 蔑むような目で同僚を一瞥した。


「ですが槇田さん、わたしにも将来はあるんです。それはあなたが一番お判りのはずだ、なんのために学生の時から今日まで頑張ってきたのか。すべては官僚として成功するためです、あなたの巻き添えを食って人生を終わらせたくはない」

 これもまた正直な人間の感情ではあった。


 積み上げてきたキャリアがここで止まってしまう、周りが遊び回っているときも懸命に勉強し、東大法学部に合格し国家公務員となり、熾烈なキャリア競争を勝ち抜いて出世してゆく。

 それが自分以外の人間の判断で断ち切られるのは、納得のいくものではないのも確かだった。


「井上君、君は最後まで強行に作戦には反対したと証言しよう。最大限君に責任が及ばないよう努力する、だからここはわたしの好きにさせてくれないか。これは人としての頼みだ、判って欲しい」

 槇田が深々と頭を下げた。

 上官にそこまでされたら、これ以上逆らえない。


「わかりました、しかしわたしはこの場から退席させて頂きます。意見の相違と言うことにしておいて下さい」

 そう言って井上は、捜査本部のある部屋から出て行った。

 黙って見送った槇田が、冬原へ視線を戻す。


「やはりそれしか手はないのかね、冬原さん」

「はい、一刻も早いほうがいい。時間を費やせば費やすほど犠牲者は増えます、どうかご決断下さい」

 きっぱりとそう言い切った冬原の目を、管理官が正面から見据えた。


「よし、判った。すべてはこのわたし槇田恭一が責任を取る、SATが到着次第作戦を実施してくれ。しかし人質となっている方たちへの配慮は、最大限優先して欲しい。出来うる限りの手は尽くしてくれ」


「もちろんです、ひとりでも犠牲が減るように全力を尽くします。すでに試験場の下には三階から飛び降りても安全なように処置を始めました。管理官のご決断に感謝致します、この現場であなたとご一緒出来たことは、警察官としてのわたしの生涯の誇りとなりましょう」


 この事件がどういう決着を見せても、今後槇田管理官の役職は上がることはないだろう。

 強行突入を実行し人質に犠牲がでたとなれば、誰かが責任を取らねばならない。

 それが官僚組織というもので、例えその判断が間違ってなかったとしても、そうしなければマスコミも納得しないだろう。


 自分のキャリアを捨てて、槇田は覚悟の決断をしたのである。

 よくて閑職へ移動か関連団体への出向、さもなくば依願辞職の道しかないのはみなが判っている。


 それを押してこの決断を下したエリート官僚の勇気に、現場の人間である冬原は感動していた。


「あなたは、真の警察官です」

 冬原が居住まいを正し、槇田管理官へ敬礼をした。

 その場の捜査員たちも北原に倣い、全員が敬礼をする。


「誰かが言い出してくれるのを待っていました、自ら率先して提言できなかったのはわたしの不甲斐なさ故だ。こちらこそ君に感謝している、よく言ってくれた」


 槇田が右手を差し出すと、冬原はその手を強く握りしめた。

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