序章 業火転生變(一) 新免武蔵 6
1
ジミーは店を出て、屋外階段で一階下のフロアに降りる。
そこは上の階とは打って変わり、照明さえ点いていない真っ暗な世界だった。
テナントも閉鎖されているようで、看板一つ見当たらない。
そんな闇の中をジミーは勝手知ったる様子で歩き、男性用トイレのドアを開けた。
「ここだよ、入んな」
顎で促す。
ドア左のスイッチを押すと白い蛍光灯の照明に照らされ、窓側にアサガオが三つと反対の方に個室がふたつ並んでいるのがわかった。
躊躇うことなくジミーは、奥の個室のドアを開ける。
そこには深めの四角いシンクと蛇口があり、モップやデッキブラシなどの便所掃除用の道具が雑多に置かれてあった。
雑巾やトイレ洗剤が入っているバケツが、無造作に積み重ねてある。
三段重ねになっている金属バケツの上ふたつを除けると、ジミーは腰を屈め一番下に残ったバケツをなにやら漁り始めた。
「それで、どんだけ欲しい。今日は初めての取り引きだから、サービス価格にしてやるよ」
そう言ってジミーが鹿賀の目の前にぶら下げたのは、透明のビニール袋に入った小分けの薬袋(所謂ワンパケ)だった。
「俺の
確かに妥当な価格である。
「十万分もらおうか、どんくらい効くかここで試してえ。ポンプはあるか」
差し出した十万を受け取ると、ジミーは腰のウエストポーチへ金を仕舞い結晶の小袋を十袋手渡した。
鹿賀はその大きめのウエストポーチに、ぎっしりと札が詰まっているのを見逃さなかった。
少なく見積っても、百万以上は入ってそうだった。
「随分飢えてんだな、そう慌てなさんなって」
再びバケツをまさぐるジミーに、鹿賀はなにげない風に訊いた。
「この辺に淺川組の事務所があるはずだが、知ってるか」
「淺川組? おっさんみたいなハンパ野郎が組になんの用があるんだ」
顔を上げて聞き返してくる。
なにか引っ掛かるらしく、眉間に皺が入っている。
「ムショで知り合った細谷ってヤツが淺川組にいるはずなんだ、実は俺この前出所したばかりで細谷を訪ねてこの街に来たんだ」
一気にジミーの表情が緩んだ。
「なんだ、アンタ細谷さんの知り合いだったのか。そういや最近あの人
細谷と言う名と刑務所の話しで、ジミーはすっかり鹿賀に対する警戒を解いている。
「淺川組の本部はすぐそこだよ。このビルを出て前の道を左に二百メートルほど行くと、川にぶつかってT字路になる。その右角の薄い青タイルの淺川ビルってのが事務所だ、行きゃすぐに分かるよ。もちろん看板は出てないから気をつけな、エントランス前の案内プレートに〝淺川興業〟って書いてあるよ。脇のインターホンで細谷さんの名前と、用件を伝えりゃロック解除してもらえるはずだ」
そう言いながら注射器の入ったステンレス製の容器と、おなじ薬の小袋ふたつをジミーが突き出す。
「ポンプとおまけのブツだ、細谷さんの知り合いだから大サービスしとく」
出された物を上着の内ポケットに突っ込みながら、鹿賀が奇妙に唇を引きつらせ笑う。
「それで相談なんだが、そのポーチの金と残りの薬を全部もらっとくよ」
「冗談言ってるんじゃねえよ。取引きは終わったんだ、さっさと行っちまいな」
それを鹿賀の戯言だと受け取ったジミーが、煩いと言わんばかりに肩を軽く押した。
「悪いな若いの。こんなに善くしてもらっといて、殺さなきゃいけねえなんて」
「は? なに言ってんだおっさ――」
ジミーの言葉が途中で途切れる。
鹿賀がアイスピックを構え、首を傾げ嗤っていた。
「ひっ!」
反射的にズボンのポケットに手を突っ込み、常時携帯しているダガーナイフを素早く引き出す。
見事な反応と早さだ。
通常の相手であれば殺傷力のあるナイフが、瞬く間に二、三度脇腹を抉っているはずだ。
〝ざづうっ〟
しかし時すでに遅く、躊躇なく鹿賀の繰り出した細く尖った金属はジミーの左耳から右耳へと貫通していた。
相手が悪かった。
大きく見開かれた目玉が〝ぐるり〟と裏返り、白目を剥き出したままジミーは息絶えた。
「ホントに済まねえ」
そういう鹿賀の顔からは、言葉と裏腹になんの感情も見て取ることは出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます