序章  業火転生變(一) 新免武蔵 3




   1 鹿賀誠治かが せいじ ③


 

 関西の刑務所を出た後、まず彼が立ち寄ったのは中京地方だった。

 中で知り合った年下の細谷と言うやつが、名古屋で組関係のチンピラをしていたのだ。

 ゆく宛もない鹿賀は、ふた月前に出所していたその細谷という男を頼ったのである。


 不意に訪れたムショ仲間に嫌な顔ひとつせず、細谷は彼を歓迎した。

 暴力団員とは言うものの、細谷は気のいい陽気な男だった。

 服役理由も些細な恐喝事件で、いままで大した罪も犯していない。


 さすがの鹿賀もそんな細谷の人柄と不案内な土地と言うこともあり、一週間ほどはおとなしくしていた。

 そんなある夜ふたりで組が守りをしているクラブで飲んでいると、彼の兄貴分というのが入ってきて面白半分に細谷をいたぶり始めた。

 この辺りの縄張りしまを任されている、爬虫類のような目をした銀バッチの後藤という幹部組員だった。

 取り巻きの若い衆を、五人ほど連れている。


 細谷はこの男とライバル関係にある組員の舎弟で、日頃からなにかと苛められていた。

 それというのも細谷の兄貴格の大橋は組の命令で対立組織へ単身カチ込み、三年間の懲役に入っており、現在組を留守にしていたのだ。



「こら細谷、てめえがここで酒を飲むなんざ十年早いんだよ」

 そう言い様に、テーブルの上をひと薙ぎする。

 グラスや酒瓶が床に落ち、大きな音を立てた。

 当初は下手に出ていた細谷だったが、あまりのしつこさに思わず反抗的な態度を取ってしまう。


「ちょっと兄貴、そりゃあんまりじゃないですか。今夜は友達ダチと一緒なんです、どうか機嫌良く飲んで下さいよ」

 下から睨みつける。

 それに腹を立てた後藤は、実際に手を出し始めた。


「その目はなんだ、それが兄貴分に対する態度かよ。ふざけるんじゃねえ、躾け直してやるよ。泣き付こうにも大橋はあと一年は戻ってこねえ、まあ戻ってもあの野郎の居場所はもうねえがな」

 兄貴分のことを悪し様に言われ、我慢ならず後藤が啖呵を切った。


「あんたこそ口を閉じといた方が良いぜ。大橋の兄貴は親分のお言い付けで佐久間組にカチ込んだんだ、ムショを満期で勤め上げ復帰すりゃ金バッチだ。あんたなんか這いつくばって靴を舐めなきゃならなくなるぞ」

「大層な口叩きやがって、許さねえからな」

 腹に一発蹴りを入れ、そのまま拳で顔面を殴打する。

 細谷は相手が兄貴分と言うこともあり、手を出さずなすがままにやられている。


 殴る蹴るの暴行を受けている友人を見かねて、鹿賀が止めに入った。

「もうそれくらいで勘弁してやれよ、俺の連れなんだ」

 本来仁義や情などというものには無縁な彼だが、行き場のない自分を受け入れてくれた細谷に、柄にもなく多少の恩義を感じたのだろう。

 後藤が、今度は鹿賀に突っ掛かってきた。


「なんだお前ぇ、流れ者の半端野郎のくせに黙ってろ」

 言うなり殴り掛かられた。

 元々短気な鹿賀は、すぐさま反撃に出た。



 鹿賀はいままで組織に所属したことはなく、常に一匹狼のアウトローとして生きてきた。

 だから正確に言えば、やくざではない。

 シャバに居るのが長くて三月程だから、特に仕事に就いたこともない。

 金が必要になれば、見境なく力で奪い取る。

 そうやって生きてきたのだ。


 だから相手が組員であろうが、暴力や凶暴性にかけては引けを取らない。

 やくざ者に対する恐れもない。

 こう言う手合いの人間が、最も厄介な人種なのだ。


 人の肉体や精神に危害を加えるのに、良心の呵責さえ覚えたことがなかった。

 それどころか彼には恐怖心というものが欠落している、一種の精神異常者だ。

 だから切れたら無敵状態である。


 最初の殺人以来人命を奪わなかったのは、単なる偶然だった。

 その証拠に人を刃物で刺したり、拳銃で撃った事も何度もある。

 そのいずれもが軽傷ですみ、たまたま致命傷にならなかっただけなのだ。

 本来この男は娑婆に解き放つべき人間ではないが、現行の法律で量刑すれば数年で出所することとなる。

 法とはなんと馬鹿げた制度なのだろう、と思わずにはいられない。



 瞬時に形勢は逆転し、鹿賀は相手に馬乗りになり拳を打ち込む。

 総合格闘技で言う、パウンド状態だ。

 見る間に後藤の顔面は腫れ上がり、口や鼻から血が吹き出る。


「誠治さん、もうやめろよ。兄貴が死んじまう」

 あまりの有り様に細谷が制止するが、一旦火のついた彼は止まらない。


〝がつんっ!〟

 そこで別の組員から、ビール瓶でこめかみ辺りを思いっきりぶっ叩かれた。

 映画やドラマと違って、現実は瓶が粉々に砕け散り頭を抱えながらも逆にやり返すなんてことにはならない。


 実際にビール瓶で頭を殴られれば、大変なダメージを受けるのだ。

 テレビや映画の中のことを鵜呑みにしてはいけない、力加減によってはあっさりと死んでもおかしくはないのだから。


 鹿賀も頭から血を流し、脳震とうを起こし倒れ込む。

 身体を起こし殴り返したいが、小指ひとつピクリとも動かせない。

 視線の先に映るのは、赤系の色の絨毯を踏む複数の靴ばかりだ。


「おい、死んじまったんじゃねえか。耳から血が出てるぞ」

「やべえぞ、どうすんだよ」

「知ったことか、あのまま放ってりゃ後藤の兄貴が殺されてた。とにかくここに置いとく訳にゃいかねえ。表に運んで、そこいらに捨てちまえ」


 気が遠くなりながらそんな会話が聞こえてきたが、意識が朦朧となり彼はそのまま気を失った。

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