序章  業火転生變(一) 新免武蔵 20


   3 詩篇天魔・異界転生 一(鹿賀・武蔵)⑥


    『鹿賀 4』


 

 深夜の道に立ち、鹿賀はタクシーを停めた。

 運転手は暗いと言うことも手伝い、その血に塗れた姿をよく確認できていなかった。


 車が停まり、いつものように自動ドアが開く。

 室内灯に照らされ、壮絶な血染めの顔が確認できたときにはすでに遅かった。

 個人タクシーの六十絡みの運転手は急いでドアを閉めようとしたが、加賀の体が車内に入ってくる方が早かった。


「おい、とりあえず真っ直ぐ走ってくれ」

 なにごともないかのように、鹿賀が指示を出す。


 ミラー越しに悪鬼のごとき面相を見て、運転手は生きた心地がしなかった。

 頷くだけで返事を返すこともできず、運転手は自動ドアを閉め車を発車させた。


〝バタン〟

 室内灯が消えると幾分顔が見えにくくなり、凄惨さは低下した。


〝なんてこった、こんな時間に客がつかまって喜んでたら、選りにも選ってとんでもないのを乗せちまった〟

 確実に犯罪絡みだと思われる人間と係わってしまった自分自身を、彼は心の底から呪った。


〝どうか無事に降りてくれますように、命だけは助かりますように〟

 そう祈りながら、スーパーサインのスイッチを〝ON〟にした。

 上部の提灯部分が点滅を始める。


 これはなんらかの緊急事態のための仕組みで、提灯や行灯が点滅しているときはSOSを求めていることになる。

 タクシーは真夜中もとうに過ぎた東京を、静かに南下して行く。


 警察署か交番があれば即時に停車し駆け込む積もりでいたが、こんな時に限って遭遇しない。

 必要以上にステアリングを固く握りしめているため、指は血の気を失い真っ白に変色している。

 抑えようとしても自然と体が震えてしまい、全身にびっしょりと汗をかいていた。

 一分が十分、いやそれ以上の長さに感じられる。



「おい、ここで停めろ」

 そう声を掛けられた運転手は、心の中で安堵の溜息をついた。

 この恐ろしい客が、降車してくれると思ったのだ。


 そこは周りに住宅もなにもない、都会の隙間のような場所だった。

「二千百円です」

 そう告げる運転手へ、ルーミラーに映った鹿賀が歯を剥き出して〝にっ〟と嗤う。


「誰が降りると言った、降りるのはお前だよ」

 一瞬で引き攣った顔が歪みきる前に、運転手は喉を切り裂かれフロントグラスに血を撒き散らした。



 運転手を車外へ蹴り出すと、鹿賀は自分でタクシーを運転し始めた。

 シャブが極まっているため、眠気も疲労感もなにも感じていない。


 これが通常であれば、フロントグラスが血で汚れている車を見ただけで、すぐに通報されるはずだが、いまは夜である。

 しかももっとも車通りの少ない時間帯で、そのタクシーの異常さに気づく者は誰もいなかった。


 しばらく車を走らせていたが、なんでもないカーブで運転を誤りタクシーは電柱に激突してしまった。

 それもそのはずだ、鹿賀は車の運転免許を持っていなかった。


 シートベルトをしていなかった鹿賀は、フロントグラスへ頭を強く打ち付けその衝撃で意識をなくした。

 さすがに大量の薬物を摂取している鹿賀であっても、六十キロ以上のスピードでの電柱直撃には勝てなかったと見える。


 時間はすでに明け方近くになっている。

 そのうち通りかかった車が、事故を起こしているタクシーを発見し110番に通報した。

 十分も待たずにパトカーが到着する、時間的に直近の交番から駆けつけたのだろう。


 通報した人間は面倒に巻き込まれるのを嫌ったらしく、すでに姿はなかった。

 あとで思えば、この無責任な判断は正しかったと言える。

 もしその場に残り事故の検分を警官と共に立ち合っていたら、どんな災厄が降り掛かったか分からない。


 中から若い警官と中年の先輩らしい警官が現れ、まず車の外観を確認した。

 電柱に激突して、前面は大破していた。


 車内を見ると、男がフロントへ突っ伏すような姿勢のまま気を失っている。

 まったく動く気配がない。

 年配の警官が、パトカーの無線でどこかへ連絡を取った。

 恐らく救急車の手配と、本署への応援を要請したのだろう。





 救急車が到着したとき、現場には警官の死体がふたつ転がっていた。

 少し遅れて来たパトカーは当初二台だったが、三十分後には夥しい関係車両で現場一帯は埋め尽くされた。


 鹿賀の犯行はこれからますますエスカレートし、前代未聞の大事件へと発展することになる。

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