序章  業火転生變(一) 新免武蔵 24


   3 詩篇天魔・異界転生 一(鹿賀・武蔵)10


    『鹿賀 8』



 この時の鹿賀はなにを目的として、なにをするために何処へ行こうとしていたのかは判然としない。

 なにせ常に薬が効いている状態で、まともな思考が出来るはずもなかったからだ。


 もちろん本人に訊いてみても、納得のいく理由など返ってくるはずもない。

 しかし本人が語るには、常に頭の芯になにかが命じ続けていたというのだ。


〝まだ足りない、まだ足りない、これでは地獄から甦れない。まだ足りない――〟


 裁判で鹿賀を鑑定した医者や、著名な大学教授と呼ばれる者はみな口を揃えて言う。

「大量の違法薬物摂取による、精神異常がもたらす幻聴だった」と。


 これから鹿賀の犠牲となる人々にとっては、そんなことはどうでもいいことだった。

 とにかく鹿賀は、なにかに導かれるように東陽町方向へと歩いた。


 なぜへ行こうとしたのかも、やはり分からない。

 錦糸町と違ってこの東陽町などへは、一度も行ったことはなかったからだ。

 下手をすると、地名さえ知らなかった可能性もある。

 だが鹿賀は迷うことなく、を目指し歩いたのだと証言している。



 地下鉄東京メトロ東西線『東陽町駅』付近には、多数の警察官が立っていた。

 しかも警官の雰囲気が通常とは違い、なんだか殺気立っているように感じられる。

 道行く人はその異様な雰囲気に顔をしかめ、囁き合った。


「なんか警察が多くないか、しかもピリピリしてるみたいだし」

「なんだお前知らなかったのか? 近くでタクシーの運転手が殺され、その後警察官がふたりもられたんだってよ。まだ犯人がこの辺りに潜んでいるらしい、ネットのニュースでやってた」

 そう聞かされた友人らしい男は、ギョッとなった。


「だからこんなに警官が多いんだ、警察は身内が犠牲になると本気になるからな」

 納得したように頷く。

「これって差別じゃないか? 身内にだけじゃなくて、いつも本気出して欲しいよな」

「しょうがないじゃん、誰だって知り合い関係には親身になるもんさ」

 いくら凶悪な事件が発生し、その犯人が捕まっていないとしても、所詮は他人事ひとごとでしかなかった。


 そんな理不尽な非日常が、わが身に影響を及ぼすなど想像さえ出来ないことだ。

「それより急がないと時間に遅れるぞ」

「おう、殺人事件なんかより、今は試験に合格するほうが大事だもんな。急ごうぜ」

 彼らは同じ自動車運転教習所で知り合いになった、車の免許取得を目指している者同士のようだ。

 今日の試験に合格すれば、念願の運転免許を手にすることが出来るのであった。

 東陽町駅で待ち合わせ、近くにある試験会場へと向かうところらしい。



 鹿賀は東陽町駅を突っ切り、そのまま進み続ける。

 大勢の人間が、同じ場所を目指し黙々と歩いていた。


 なぜか分からぬまま、彼もその群れに交じりを目指す。

 小さな橋を渡った先に、はあった。

 人々に流されるように、ある敷地へと入った。

『江東運転免許試験場』という看板が出ている。


 鹿賀は建物に入ったはいいが、なにをする当てもなく空いている椅子に座った。

 三十分ほど経過した頃、彼はポケットから煙草を取り出し火を点けた。

 すかさず警備員が現れ、喫煙を注意する。

 穏やかな顔つきだが、がっちりとした体型の三十半ばの男だ。


「こんなところで煙草を吸っちゃ駄目ですよ、吸いたいのなら敷地から出て下さい」

 やんわりとした、感じのいい言い方だった。


 しかしそれを無視して、鹿賀は煙草を燻らせるのを止めない。

 いい加減頭に来たのだろう、警備員が強い口調になる。


「禁煙だと言ってるだろ、さっさと火を消すかここから出て行きなさい」

 そんな警備員の顔へ、鹿賀は思いっきり吸い込んだ煙を吹きかけた。

 瞬時に警備員の顔つきが変わり、喫煙を止めようとしない男の襟首を摑んだ。


「言うことを聞かないのなら排除するしかない、外へ叩き出してやる」

 柔道かなにかの経験者らしく、耳が潰れている。

 強い力で鹿賀を拘束した警備員は、力任せに鹿賀を敷地外まで引き摺っていった。


「規則を守れない者は入場の資格はない、さっさと帰れ。訴えたいのなら好きにすればいい、しかしお前が取った行為はすべて監視カメラに写っているのを忘れるなよ」

 柔和だった顔は、いつしか厳しい表情に変わっている。

 鹿賀を叩き出した警備員が、背を向けて建物へ戻ろうとした瞬間乾いた音が響いた。


〝ぱん〟


 音と同時に、警備員が倒れる。


〝さあ、やって来い。思う存分やって来い、人々に地獄を見せてやれ〟

 頭の中に渦巻く不思議な声に操られるがまま、鹿賀は再び敷地へ侵入し建物へと歩いていく。


 道行く人はそれがどういう状況なのか把握できず、ただ呆然と見ているだけだった。

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