5 村民裁判
「はー、わざわざ東京からねえ。随分慕われてたんだなあ、
「言ってましたねえ。ははは」
葬式の手伝いに来た先、一人立っていたのがあの、初日に村の入り口で話をした男性だった。田舎は狭いとはまさにこのこと、と
「なんだっけか、農村……」
「農村社会学。集団心理、都市研究なんかを中心にやってましてね、その一環で。教授は人柄もよかったじゃないですか、僕好きだったんですよね。あ、もちろん人としてですよ、単位なんかも甘くしてもらっちゃって」
一を言われたら十返す、彼特有の他者を顧みないお決まりの舌の早回しだ。
男性は穏やかな気性の持ち主らしく、見知らぬ来訪者に最初こそ警戒しているようだったが、今では気も緩んだようで苦笑いを見せてくれている。
「それが一昨年でしたっけ、人手が足りないからって地元に帰ってそれっきりですよ。確か母親が……ミチさんでしたっけ」
依頼人からの提供、あとはネットを駆使して集めた個人情報を惜しみなく奮い、説得力と信用に変える。
初日に遭遇した老女、喪主を名乗った彼女のことだ。するとその名前を出された男性が「あー……」と立ちどころに顔をしかめて、
「あの人も難しいからねえ。今回だって友引に被るだのなんだの言って日にちズラしてきて、こっちだって暇じゃないってんのに、これだから無駄に歳食った人間ってやつぁ」
そう語る男性の弁舌には熱がこもり始めている。争いを好まない性格に見えた男性だったが、意外や意外。
都会も田舎も変わらず陰湿なものだなあ、と君月は緩む口元を意識して抑え、代わりに共感を示すように大きく頷いた。
「葬式の手伝いなんかもね、もう今どきやんないんですよ」
「おや、そうなんですか」
「ええ、都会のことは分かりませんがね、今は皆んな家族葬ですわ。それを年寄り一人じゃ難しいから手伝えって」
「なるほど、過疎地域の高齢者問題は深刻ですからね。例えば、特に独居老人ってうつ病を発症しやすいんですよ。孤立による社会からの疎外感──ま、つまりは寂しいんじゃないでしょうか」
こういうとき──適当にそれらしい言葉を並べ立ててを無知な相手を納得させるとき、君月がイメージし、使うのは
まるで能面みたいだと君月は常々思っているのだが、知らない人間にはだいたい効果があるので利用させてもらっている。
はたして男は、「あー理由ね、理由……まあ他にあってもおかしくは」などと妙に歯切れが悪い。少なくとも納得した素振りは見せていたが、さては──と心に留めておく。
「いや、詳しいんだねえ。農村、」
「農村社会学」
「そうそう。いやだからさ、感謝してるんだよ。あっちのシュッとした方……」
「
「椿原さんか。いやまあ、あんたは背ぇがね。じゃなくてさ、彼今全部やってくれてるだろう。俺の分までやって楽さしてくれて、こりゃ都会の人も悪かないんじゃないと」
「でしょう。僕も悪くないですよ」
「あんた働いてないからなあ」
「お互い様ですよ」
実際、サボり中なのはどちらも同じだった。しれっと言われた身体的特徴へのコメントは聞き流し、会話は和やかな進みをみせている。
──そんな何の得にもならない時間の使い方は君月の望むところではないので、さてここいらで。と一つ間をおいて。
「僕、ずっと気になっていたんですけど。──先生の死因、誰も教えてくれないんですよね」
「──。────。ああ。そりゃ、まあ」
露骨という他ない反応だった。
騙るのだから聞かないのも不自然だろうと、割とほうぼうに聞いて回った君月だったが、どれも同じように濁されて終わっていた。死因、死んだのだから誰にでもあって当たり前のもの、それを言えないとはこれ如何に。
「隠すようなものってことですかね? 足滑らせて溝に落ちたとか、馬に蹴られて打ちどころが悪かったとか、まさかそういった
「いやあ……」
「あはは、それならそうと言ってくださいよ。幻滅とかしませんから。故人がなぜ亡くなったのか、聞きたいのはたったそれだけです」
こうして畳みかける最中も、男性はしきりに辺りを気にしている。流石に、単に言いたくないというレベルではないだろう。それよりも、言うのを憚られるといった素振りだ。
なんなら相手が吐くまで世界の偉人面白死因リストでも講釈垂れようか──と君月が考え始めた頃、遂に男性は観念したようで、
「……だってねえ、しょうがないでしょう。あの人、こないだの『裁判』で有罪になったんだから」
「へえ──どうぞ。詳しく」
小声で漏らされた、その明らかに異彩を放つワード。一際冒涜的な「目玉」の予感。逃す理由なし。
目を逸らす男の表情にありありと見えたのは、忌避に近い嫌悪の感情──それと、少しの罪悪感。向けられるのは故人に対してか、それ以外か。
「何かある」と口にせずとも雄弁に語る男に向かって、君月は再度、あの能面をインストールした。
◆
「お、いたいた。どうだった? なんか収穫あったかい?」
「前置き飛ばしていいですか」
時刻はあの恐怖体験から割とすぐ。
「いいよ」
「この村やばいです」
「同意」
見解が一致したにもかかわらず、何が面白いのか君月はくつくつと喉を鳴らしている。
横を見ると正面に向かって鼎が唇を曲げていたので、初めてユユと気持ちが揃った瞬間かもしれない。
「あと美曙さんは村の人に呼ばれてました。先行くのもあれだったので戻って……ん、一人ですか?」
「
「調べた結果ですけど。それっぽい伝承が一個あって──」
村に伝わる『クエビコ様』の昔話、彗星とそれによる世界滅亡を語った村人の様子、それとあの山のこと。
午前いっぱい使った調査の成果を、時折、鼎による茶々──もとい注釈が入りつつ、大まかに伝え終えたユユだった。
「うん。多少こっちとも重なってる部分もあったし、間違いないだろ。上出来だ、ありがとう」
と、頷いた君月の言。
先ほど語られた例の恐怖体験に対し、「えっ、なんか悪いことしたのかい?」と妙にわくわくした感じで言い放ったのでユユの恨みを買っている。
「こっちは思わぬ話が聞けてね、故・峰岸進氏に関してだ」
「すいません、誰……?」
「『教授』だよ。彼は村八分を受けていた。昔から火事と葬式だけはやるからね、これだけはやってもらえたんだろう」
村八分。と聞いてピンときていない表情のユユに、君月から「仲間外れみたいなことさ」と補足が入った。しかしそれが、どう繋がるというのだろう。──と、考え始める前に思考を遮るものがあった。
「僕が呼称しただけで、彼自身が村八分だと言ってたわけじゃないけど。だから正しくは──」
「あの、多分鳴ってます」
「ん? ほんとだ」
ユユの指摘にいそいそと君月が懐から、ブザーを鳴らしていたスマートフォンを取り出す。「うん」だの「わあ」だの気安い口調で会話していたため、電話の相手は景か美曙だろうとユユは考察。そうしてしばらくのち、彼は「分かった。すぐ行く」と言ってスマホを置くと、
「なんか不味いことになってるらしい」
と、──あれ今結構軽い感じで喋ってたよね、とユユが思わずにはいられないことを口にした。
◆
多分、中学二年か三年の記憶。
公民の授業で、模擬裁判をやらされたことがあった。といってもユユは見ていただけだが。
それ自体については眠かった記憶しか残っていないので、本題はそこではなく、思い出したという事実そのものにある。
今、目の前で行われているものを見た感想としての、想起だ。台本を読むだけの予定調和な進行が似ていただとか、机に突っ伏したくなるほどの退屈さが通ずるものがあっただとか、そういう意味ではない。
では何故かというと、あの、やっていることの意味も大して理解していない時分に行われた真似事を思い浮かべたほどに、それが稚拙で──ありていに言えば、目も当てられない行為だったから。
「──もうさっさと認めてくれよ、あんたが認めりゃ終わりなんだよ!」
「恥さらし! 罪を償う気もないの!?」
「村のためだろう、強情張るのもいい加減にしてくれ!」
悲鳴混じりの非難の声と、必死さを交えた野次が飛ぶ。その誰もがなり振り構わないといった形相で、一方的に浴びせられる罵声の矛先は、たった一人の青年に向けられていた。
「だから俺じゃねえって言ってんだろ! つか証拠ねえだろ、なあ!!」
唾をまき散らし、十二月だというのに額に薄く汗をかいた青年が檄を飛ばす。
傍らにある杖が印象的な青年だ。大の大人が寄ってたかって、若者を口々に責め立てる光景。のどかかと思われた村は一転、まさに混沌といった様相を呈していた。
「……なんですか、これ」
「『裁判』らしい。こうして秩序を保ち、自治を行っているんだと」
裁判。秩序。自治。──これが?
そのあまりの不一致さに思わずユユが顔をこわばらせる。
罪を認めろと躍起になって口にする人々をざっと見ても、裁判を名乗るなら不可欠であろう弁護側に立とうとする者はいない。彼らは皆、ただ有罪を叫ぶだけ。
前言撤回、子どもの方がマシかもしれない。あれは強制されたもので、こちらは自主的。比較することすら不適切だった。
どう見たところで、ユユの目には私刑としか映らない光景。
そのうえユユにとって、罪だのなんだのと耳を塞ぎたくなるような言葉を耳にするのは本日二回目だ。まるで文字通り浴びるように聞かされたそれの再演のようで、ひどく気味が悪かった。
「──君月さん」
若者を囲んで輪になっている村人の集団、そこから少し離れたところの物陰に隠れるユユたちに声をかける者がいた。
他でもない、先ほど君月に連絡してきた景だ。外套を纏った姿の彼に「や」と君月は軽く手を上げると、声をひそめて、
「これ、いつから?」
「十分ほど前です。『原告』は
「分かんない」
「昨日会いました。ここに着いてすぐ──あの人です」
掌で示された先にいたのは、騒ぎからやや外れて見守っている風の、人畜無害そうな男性だった。声を荒げる周りの中ではむしろ浮いており、パッと見ただけだがユユには意外だと感じた。
おどおどとした彼の様子は、この騒ぎの主導者というには似つかわしくないように見えたためだ。
「どうも、自分の畑に何者かによって農薬が散布されたと訴えを起こしたようで。証言があり、あの中心にいる彼が『被告』とされたそうです」
「それだけで……」
解説が続く。『罪状』を聞き、更に状況への不信感が増したユユを気遣うように一瞥すると、景が問いかける。
「君月さん。どうされます?」
「口出そっか」
あまりにも即決すぎて反応が遅れ、「えっ」とユユが口に出せたのは彼が村人の輪に分け入った後だった。
──この人ほんと、なんにでも突っ込んでくんだ、とユユは思った。
「俺じゃねえ──ッ、……あ? 誰だお前、」
「観客。いや、傍聴人さ。ふふん、なかなか面白いもの見せてもらったよ」
──それ悪い人が言うやつだ、とユユは思ったが、しんと静まり返った集団には、恐らくそんなことを考える余裕は微塵もなかったことだろう。
よほど『裁判』に熱を上げていたようで、君月が出ていくまで誰一人こちらに気づいた素振りもなかった村人たちだ。想定外の事態に怯えすら表情に映した彼らは、人に見せることの憚られる行為という自覚はあるのか、黙って静かに互いに目を合わせている。
「すいません、お見苦しいところを……」
その間を割って、一人の男が歩み出てきた。そのどこか見覚えのある相貌──
後で話を聞こうと美曙と話していた、伝承に出てきた──ときっと関係のある──人だ。それに、村の代表も名乗っていた。
何かあったのかと景が視線を向けてきたので、ユユは「後で話します」と短く言う。君月には伝えてあるので、彼も分かるはずだと思うが。
「いえ全然。むしろ好みです」
「はい?」
ユユの想像も、きっと相手の想定も通り越して、丹羽の方が呆気にとられる発言だった。それも、どこまで本心だろうと疑いたくなる清々しいほどの言い方で。
「なのでお気になさらず。どうしよっかなあ、ちょっと最後まで見ていきたいけどなあ」
にやりと笑い語気を弾ませる君月に、丹羽がぐっと言葉を詰まらせる。
なるほど、とユユは得心した。
今のは全部、相手の調子を崩し自分のペースに持ち込むための発言だったのだ──多分。なにせ前科多数、ユユの疑念もひとしおだ。
そうこうしているうちに、早々と決着は着いたようだった。
「……外では珍しいかもしれませんが、ここではこれが決まりです。見せ物ではないので次はご遠慮願いたい」
代表といったのは嘘ではなかったようで、丹羽が合図すると村人たちはたちどころに離れていった。残ったのは『被告』とされていた若者と、丹羽本人。
「なるほど。郷に入っては郷に従えと?」
「話の早い」
本性を見せた、もしくは化けの皮が剥がれたというべきか。言い切った丹羽の表情は冷たかった。
「もっと怒るかと思ったんですが。──ああ、喧嘩も『罪』になるんでしたっけ。これはこれは、大変ですねえ」
君月のダメ押しのような煽り文句にも、彼は動じなかった。
──否、一切の感情を押し殺したような顔だが、目元だけがごくわずかに動いた瞬間をユユは見て取った。耐えきれなかったと言わんばかりの感情の発露、それは緊張でも怒りでもなく。
一瞬のうちに表情を戻すと去っていった丹羽。彼の姿が見えなくなったのを確認してから、あと一応景の顔を伺ってから──「大丈夫でしょう」と頷かれた──ユユは顔を出した。
「『被告』くんがいないんだけど」
「え? ……あ、ほんとだ。ですね」
「関わりたくないって思われたかなあ」
心外だと言わんばかりに首を捻る君月。
──だと思います、とは口にしないユユだった。
◆
「村民裁判というらしい。柔らかく言ってみると、悪いことした人をちゃんと反省させるために村総出でしっかり怒ろう! って感じだろう。──で、これの前回の被告が」
「その、峰岸さん」
「スケープゴート。人柱。早いとこ、生贄だろ」
──問い。罪と罰に対する意識が非常に高い村で、有罪と判決が下されたらその人間はどうなるか。
「答えは死だ」
何の捻りもなく、そういうことらしかった。
「──『クエビコ様』が望まれたら、罪人を捧げなくてはいけない。どんな些細な悪いことでも、証拠が一つもなくても、『存在する』とされたのだから罪人はいなくてはならない」
先ほど、景からの電話に遮られた調査報告が行われている。場所を移して再びの仮宿内、内容は偶然にも今回の『原告』から聞き出したのだという、
「彼の罪状は『荷を落とし、道を塞いだこと』だったそうです」
彼が亡くなったのは依頼の来た当日、三日前。
『裁判』から『執行』までどれくらいかかるのかは知らないが、たった数日前にそれだけの──法治国家にあるまじき、といった次元ではない。真正面から人の道に背くようなことが、この村で行われていたのだと知った。
「弁護士も裁判官も、証拠請求すらないとあっては検察もいないと言っていいだろう。ないない尽くしだけど、じゃ、なぜ裁判というある種の儀式が必要なのかというと」
滔々と語る君月は「一応僕の想像だ」と付け足し、悪っぽく凄んでみせた。
「そのまんま彼らが言っていた通り、犯人が罪を認める過程が必要なのさ。──自分たちの罪悪感を軽減するために、ね」
そしてその考察は、ユユの考えていたものと一致するところでもあった。
──声を荒げてただ一人を追い込む村人の、あの吊り上がった目つきと異様な恫喝の繰り返しは、すなわち焦りだ。
なぜなら一つの例外もなく──丹羽すらもふくめ、彼らの顔に浮かんでいたのは紛れもない恐怖だったから。
そして彼らを駆り立て、非道を実行に移させたのは、きっと。
「『山』だと思います。ここに住んでる人たちがもし、あの声をずっと聞いてるんだとしたら、多分──耐えきれない」
「その現象ですが、俺の方でも起こりませんでした。
「それは、ユユも分かんないですけど。あと、丹羽さんに話聞きに行こう、って美曙さんと言ってたんですけど。これじゃ──」
そこまで言いかけて、ふと気づく。発言の止まったユユに不思議そうな顔を向ける面々に、神妙な面持ちでユユは気づいたことを伝えた。
「美曙さん、遅くないですか?」
「あ」
そういえば、の顔をしている二人。一応鼎の方も見たが興味がなさそうなので諦める。『裁判』には着いて行きたがったくせに、相変わらずよく分からない。
全く揃いも揃って、いや人のこと言えないけど、とユユは難しい顔。
「ていうかこれ、結構やばいかなって」
時間はそろそろ日の沈む頃合い。しかしいくら抜けていそうな美曙であっても、「夜は外に出るな」と忠告されたことくらいは覚えているはず──ユユがそう言うと、
「無理。無謀。無茶言わないでやってくれ」
「諦めた方がいいのはあの人も同じです」
「出た出た、まともなのは俺だけですって言う気だろ、君」
「今仰ってもらったのでそれで」
「めんどくさい会話しないでください!」
と猛反発を食らって却下された。危うく本当に面倒くさい流れになりそうだったので早々にユユがストップをかけ、とにかく美曙に電話してもらうことになったが──、
「──これ、消えた?」
数分後、半笑いで呟いた君月の一言が現状を表す全てだった。
──
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