7 饗宴



 ──ユユは自分のことを可愛いと思っている。


 可愛いけれど、ちょっと頭が足りないところがあるとも。


 それはそれで使い方によってはプラスだ。ほどよく相手の優越感をくすぐり、さらには庇護欲を持たせることもユユの外見ならば可能。人間、抜けてるな〜くらいが世の中上手くいくというのが十七年生きてきたユユの持論である。


 けれど本当に芯の方までバカになってしまったら、その可愛さまで含めて全部が帳消しだ。もったいないにも程がある。

 大事なことは心の中で。誰にも見せず、誰も信じず、足りないなりにユユは思考を止めない。


 だからユユは、大事だと感じたことについては、自分なりに、ものすごく、精一杯頭を働かせて頑張るのだ。



 ──ユユが『メリのめぐみ』の会合の存在を知り、そして今日ここに来れた理由は、言ってしまえばラッキーの一言に尽きる。


 取った方法自体は至極簡単で、ただ彼らが持っているであろうかなえのスマートフォン、そのGPSをオンにしておいただけ。


 万が一に備え、昨日の連絡帳の照合時に黙って操作しておいたのが幸いした。それでも証拠品を彼らが持ち歩くかどうかは不明だったため、結論をいうと単にラッキーだったから、ということになるのだ。


 ──気遣いか邪魔扱いかは知らないが、排除しようとされるのを黙って見ているユユではない。

 そうして首尾よく彼らの後を尾け、会場に入り込んだユユが最初に抱いた感想は「それっぽすぎる」であった。


 誰も彼も、揃いも揃って服装はフード付き。怪しさ満点、それっぽさ百点。たまに目元を出しているのもいるが、そちらは逆にマスクなりで口元を隠している。

 どうあっても、顔を出したくない人たちの集まりらしいとユユも勘づいた。


 と同時にめちゃくちゃやばいとこに来ちゃったんじゃ、という今更感のある不安も込み上げてくる。

 ゆえにユユはぐいっとパーカーのフードを下に引っ張り、心臓をバクバクさせながら顔を俯かせて、開始時刻まで身じろぎせず立っていたのだ。


 ──バレないようにと注意を払う割に髪型が普段通りツインテールなのは、こだわりととるか、そういうところが抜けていると自認する所以なのか。それはまさに、ユユのみぞ知るところである──。


 何はともあれ、『恵み』という謎の肉を配られたところまでは順調だった。

 ゾンビの漏らしたその一言から始まり、そして亡くなったユユのバイト先の常連客が望んでいたもの。


 曰く付きというどころではないその物体を食すことに、躊躇いがなかったといえば嘘になる。


 これを持ち帰ったところでユユにできることはない。それよりも、自分で確かめてみた方が早い。目立ちたくはないし、意外に思われるかもしれないが、自分なりに判断した上での行動だった。


「……まず……」


 いざ食べてみると、味は桃色に近い見た目通りに淡白で、食感は薄い割に適度に硬い。

 問題はその独特の臭み。ユユの記憶にあまり比較対象がないのではっきりとは言えないが、異様に獣臭い。思わず口に出してしまったほどで、正直ユユの好みではなかった。

 ぐにぐにとしたそれを顔を顰めながら飲み込んだ、その時。


「──声は上げずに。俺です」


「っ、……椿原つばはらさん」


 そっと肩に乗せられた手に振り向くとそこにいたのは、前髪を片側に流した整った顔立ちの男。

 一瞬焦りを見せたが、ユユはすぐに気まずそうに視線を落とす。遠慮がちに囁かれたその名前に男──けいは「はい」と肯定を示した上で、安堵か呆れかは不明だが嘆息した。


「どうやってここまで……」


「……スマホ、持ってますよね。かなちゃんの」


 そうして放たれた当然の疑問に、後ろめたそうにしながらユユが白状する。それだけ言えば彼は理解したようで、どこかしみじみと悟ったような顔をしていた。

 その視線がなんとなしに下に向けられ、ユユの持っている空っぽの皿に気づいてそこで止まった。


「……もしや、食べました?」


「……食べました、けど」


 額に手を当てる仕草も絵になるのだ。恐らく、本人の意図とは裏腹に。

 そんな現実逃避をするくらい、沈黙が重い。何かそこまで、ユユはまずいことをしたのだろうか。


「手遅れかもしれませんが、とにかくここを出たら吐いてもらいます」


「そんなにやばいやつなんですか? 動物って感じして、あんまり美味しくはなかったですけど……」


 なぜか説明を渋る景に、ユユの中で嫌な想像が膨らんでいく。と同時にここはいわば敵の本拠地で、あまり喋りすぎるのも、というのはユユにでも分かること。今はなぜか気づかれた様子はないが。


 よってユユにできることは目立たずこの会合を乗り切り、外に出たあとで彼らを問い詰めること──と考えた矢先。


 ガタン、と背後にある扉が不穏な音を立てて大きく揺れた。



 ◆



 ──その空洞を見た瞬間から、ユユの記憶は途切れている。


 あるはずのものがない、窪んだ目元。無機質な真っ暗闇のがらんどう。


 ドアの隙間から覗いた、ユユの脳裏に未だ色濃く影を落とすそれと目が合った・・・・・その刹那、巻き起こったフラッシュバック。

 一瞬で許容容量の限界を迎えたユユの脳みそは、ぱたりと動きを止めた。


「──甘蔗あまつらさん! 動けますか、甘蔗さん!!」


「…………えっ」


「俺は貴方を抱えて逃げることができません。間違いなく共倒れになるからです。ですのでご自身で走ってもらわないと、」


「逃げる、って」


 ──何から?


 寝起きのような、ふわふわとした心地がする。肩を揺さぶってきた景は初めて見る必死の形相だった。なぜだろう。なんでユユは長椅子の下にいるのだろう。──今、なにが起こっているのだろう。

 呟いたまま呆然とするユユに、景は厳しい声で、


「アレから、です」


 彼が背後に顔を向けるのに釣られ、ユユは背伸びをしてその肩口越しにやっとそれ・・を見た。


 そこに広がっていたのは惨状だった。


「き、」


 きゃあああ、とそこで叫び出さなかった自分を、ユユはもう滅茶苦茶に褒めてやりたくなった。

 ゾンビ自体はギリギリ初見ではなかったことと、意識が飛びはしたが、どうやらその時間がユユに猶予を与えたらしい。


 だがその光景に対する衝撃自体がなかったかというと、全くもってそんなことはない。


「う、わ」


 ゾンビが見える範囲でおよそ十体。

 捕獲。捕食。手掴み鷲掴み、人の四肢がもがれ、引き倒され、食らいつかれる。血が迸り、肉が飛び散る。果敢にも備え付けのロウソクやらを武器に反撃を挑む者もいたが、ゾンビは手足が飛び散ろうがお構いなし。すぐに敢え無くなっていた。


 小規模ゾンビパニック。我が事ながらよく少しの間でも気を失っていられたと思うほど、その阿鼻叫喚も凄まじい。パニックがパニックを呼ぶ、まさに地獄だった。


 ゾンビの方も外見は悲惨なものだ。というのも、彼らは彼らで恐らく一度殺されている。

 あちこち千切れて泥に塗れ、当たり前だが映画で見るほど小綺麗な成りはしておらず、あの夜とは違い明かりがあるために、その凄惨さが際立つ結果になっていた。


 最悪なのはそれが、地に伏している既に事切れたであろう人間との区別がつかないこと。


 どちらも欠け放題の滴らせ放題、全身赤黒の斑模様。

 捕まったが最後、末路はアレだ。


 ごくりと唾を飲み込み、現状を飲み込んだユユが口を開く。


「さっきユユ、どのくらい固まってましたか」


「十秒ほどです。行けますか」


「──はい!」


 その返事を合図に、二人は同時に長椅子の下を抜けて駆け出した。景が「先に!」と鋭く言い放ち、それに従うユユが建物の奥へと突き進む。

 混乱状態の群衆を掻き分け、腰を屈めて追走する景から次の指示が飛び、


「階段に向かってください!」


「上っ!? 外出た方が、」


「封鎖されています。誤算でした──彼らは、知能を未だ有している」


「なんですかそれ!?」


 怒声。そんなのありですか、と文句をつけたくなったが流石に飲み込んだ。

 否、考えてみれば一昨日の一件以外今まで被害がなかったのにも関わらず、こうして大勢が集まるところで襲撃を受けたのも、つまりはそういうことなのかもしれない。

 ──狙われた、ということなのだろうか。


「そこの扉に!」


 最奥の言われた場所に向かうと、その前には既に何人かが詰め寄り、押し合いへし合いしている状態だった。

 それなのになぜか扉は閉められたままで、ユユは困惑の声を上げる。


「ちょっ……なんで誰も行かないんですか!」


「開かないんだよ!! クソ、古いからか!?」


 ガチャガチャと狂ったようにノブを回す男性が応答した。恐怖に裏返ったその声はよく響き、それを耳にした周りにも伝染していく。

 もう、一刻の猶予もない。


「──退いてください」


 混乱の最中に男性を押しのけたのは景だった。彼は手に持った短い折りたたみナイフをドアの隙間に滑り込ませ、ぐっと押し込み始める。どこから出したのかだとか、そんなことは今は些事だ。

 周囲が固唾を飲んで見守る中、数秒後、ついにガチャリと軽い音がした。


「あ、開いた──!!」


 快哉を上げ、真っ先に男がその先にあった二階に続く階段を駆け上がる。「わ、わっ」突如動き出した人の波に揉まれながら、ユユも景に腕を引かれてドアの向こうへと足を踏み入れる。


「あっちの、久野ひさのさんは!? 来てるんですよね、待たなくていいんですか、」


「あの人なら無事です。むしろ、自分のことに集中しろと言われるでしょうね。二階に礼拝堂があるので、そこで救助が来るまで籠城します」


 このまま行っていいのかと聞くも、全く動じない景に逆に憂慮を取り除かれる。大方、既に連絡は取っているのだろう。

 一方で人の流れは遅々として進まず、木製の階段はギシギシと言うばかりで、焦りと緊張がユユの五感を麻痺させる。


 ──だから、後ろから徐々に悲鳴が近づいていることにも気づけなかった。


「頭を下げてください!」

「っ、はい!」


 ユユが警告に従った直後、頭上で金属音が鳴り響く。


 バッと顔を上げると、景の振るったナイフが至近距離でゾンビの歯を受け止めていた。ガチガチという邪魔物を噛み砕かんと刃を軋ませる音に、自然とユユの口から悲鳴が溢れる。


「椿原さん!」


 その叫びにも、景は動じない。がっちり挟み込まれ引けなくなったそれを、彼は一瞬の判断で手前ではなく奥にスライドさせた。

 捻りを加えて突き出されたナイフは口腔内を通過し、頬を内側から切り裂いて、無理矢理に開けたスペースを使いゾンビの口から抜けることに成功する。


「上へ!」


 そのまま反動で軸が揺らいだゾンビを足蹴にし、階下へと蹴り落として、彼は再度声を張り上げた。


 景に促され、そのときユユは、彼が顔色一つ変えずになした所業に引くのでもなく、守ってくれたとときめくわけでもなく。

 少女は一人、ある一つの結論に達していた。


「──あ、これ」


 ユユのせいだ。


 ぽつりと呟いたそれは、加害妄想でもなんでもない。


 被害者のいなかったはずのゾンビに、その時点では唯一襲われたのが自分だったこと。今この時、時間的には日の落ち切った直後、狙い澄ましたように襲撃が起こったこと。

 加えて彼らに知性があるのなら、人の判別だってできる可能性が高い。


 ゾンビの狙いがユユだったとしても、なにもおかしくはない。


 足の止まったユユを見てどう捉えたのか、景が静かに語りかける。


「俺がここにいるのは、君月きみつきさんに申しつけられたので。それだけですよ。貴方が気負う必要はありません。ですから、」


 意外な言葉に、ユユは目をぱちくりさせた。それが慰めでもなんでもなく、何の偽りもない、本心からのものに思えたからだ。

 常に優しげながらも、どこか彼の声も表情にも温度感を感じなかった理由がここにきてようやく分かる。


 結構いい性格しているな、とユユは思う。けど、嫌いじゃなかった。


 ──おかげで、躊躇なく実行に移せるから。


「ユユ、かわいいですか?」


 いきなりな問いに景から「はい?」と頓狂な声が出かかった。しかしただの問答ではないと直感したのか、「は」で止まる。

 代わりに、それが恐怖から出たものとでも思ったのか。言いかけた言葉を引っ込めて、彼は努めて柔らかく微笑んで言い直した。


「はい。可愛らしいと思いますよ」


「ですよね」


 とびきりの笑顔を見せ、ユユは全力で賛成した。言われずともそうだし、言われるとやっぱり嬉しい。そういうものだ。


 ──そして、くるりと後ろを向くと数段下目掛けて飛び降りた。


「甘蔗さん!?」


 そんな声も出せるのかと、景の焦り声を聞きながらユユは飛んだ。先ほどのゾンビの襲撃で、後ろにはもう誰もいない。

 その落ちていく先、先ほどから嫌な軋みを奏でていた階段が、ユユのつま先が触れた途端に崩落する。


「先行ってください。大丈夫です。──かわいいユユは、死なないので」


 気狂いかと思われるような台詞を吐いて、振り向きざまにユユは顔を引き攣らせる。笑う。笑っているように、見えればいい。


 ひらり、ツインテールが風に舞う。階段を突き破る衝撃に備え、ユユはギュッと目を瞑った。



 ◆



「げほっ、えほ……っ、ぅ」


 高所から落ちるときは、身体を丸めてできる限り足から落ちること。あとは着地した瞬間に転がることができれば上出来。


 以前どこかで聞いた話をぶっつけ本番で試したわけだが、結論からいうとなんとかなったらしい。下に麻袋か何かが落ちていたのも幸いした。

 しかしやはり完璧とはいかず、落下の際に背中を強く打ち肺へダメージがいったために、こうしてユユは呼吸を整えることに苦心することになった。大量に舞った土埃も相まって、咳き込みながら目尻に涙が浮かぶ。


 実際、死ぬ気など毛頭なかったのだ。ユユは可愛いが、生憎すぐに世を儚むような繊細さは持ち合わせていない。ただ、巻き込んだ責任を取っただけ。

 それに前回と違い、今回は秘密兵器もあるのだ。


 と、呼吸が落ち着いてきたところで、ユユははたと気がついた。


「誰も、いない……?」


 人の気配がしない。周りを見渡してみても、ゾンビはおろか人間すらいない、完全なる無人。

 むしろ、騒がしいのは上の方で。


「……地下?」


 その推測を口にした直後、ドン、と一際大きく天井が揺れてユユはびくっとする。

 だが一向に誰も何も姿を見せる様子はなく、つまりはそれが、ここが地下だという何よりの証明だった。


 そうして改めて周りを見渡すと、ユユが落ちてきた場所は小さな部屋のように見えた。麻袋や箱が積んであるところをみると、倉庫か何かだろうか。


 通行の途絶えたであろう階段の真下とはいえ、ユユが落ちてきた穴のこともある。ここにいるのが得策ではないことは自明で、ユユは恐る恐る古めかしい扉を開ける。


「……っ」


 扉の外には暗闇が広がっていた。無意識のうちに足がすくむが、勇気を出して一歩、踏み出す。その足先すら、闇に飲まれて見えなくなる。


 自分の足元すら見えない暗がりでは無限にも思えたが、通路の幅は思ったよりも狭く、二、三歩進んだだけですぐに反対側の扉に行き着いた。同じように古めかしい造りのノブに、ユユが手を伸ばした瞬間。


 ──その内側から、カタ、と小さく物音がして、今度こそユユは絶叫しそうになった。


 急いで口元を押さえるも間に合わず、僅かだが確実に声は漏れ出た。

 中にいる何者か──もしくは何かに気取られたことを予見。心臓は早鐘を打ち動悸は最高潮、どうするどうしようどうすればいいと頭がぐるぐる回転して、


「──ユユ?」


 ──自分の名前を呼ぶ、見知った声が中から聞こえた刹那、それまでの全ての思考が吹き飛ばんだ。


 なぜか外から掛けられていた鍵のツマミサムターンを一心不乱に回し、開いた扉を開け放つ。


「……ぁ、ちゃん」


 掠れた声は、ユユがずっと口を開け放しにしていた証拠。指が震え、言葉も出ない。出せなかった。


 そこにいたのは、たった一人の少女だった。


 無造作にまとめられた、長い長い灰色に近い黒髪。小柄な体躯。

 彼女は今もなお頭上で繰り広げられるゾンビの饗宴──否、狂宴など気にも留めない顔をして。


 消えた親友──本郷鼎ほんごう かなえが、ころんとした色のない曇りガラスのような瞳で、ただじっとユユを見つめていた。


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