6 皆んな揃って



「故意でしょう」


「何がだい」


 ユユの去った相談所。けいが目をうっすら細め、穏やかな口調で語りかけた。答える声はとぼけていて、その顔は未だ画面に固定されたままそちらを向くことはない。

 目すら合わせない君月きみつきに何を思うこともなく、景はただいつも通りの、ある意味飄々とした調子で言葉を連ねる。


「彼女の反感を買うよう仕向け、わざと帰らせた。……一体何を見つけたんですか」


「言いたいこと聞いてくれるねえ。助かるよ」


「必要でしたらいつでも」


「──両脚羊」


 そこでようやく、君月の視線が動いた。ばちりと目が合い、そのまま景は逡巡。聞き慣れないその言葉の真意を問おうと首を傾げ、


「羊がどうか?」


「あー……待ってくれ、先に美曙みあけに連絡するから。…………お、早い」


 一度、手でそれを制された。スマートフォンを耳に当てた君月が二言三言交わし、手短に用件を告げる。


「うん。そう。彼女。──バレないように家まで見張って、何かあったら守ってほしい」


 電話越しに喋りながら、ちょいちょいと手招きする君月。指示された通り景が背後に回ると、彼は画面をやや傾けて、見やすいようにセットしたそれを指差した。顎をしゃくり、その目は景に目を通すよう要求している。


「いやバレたらダメなんだって。……理由? ついでに説明するから、彼女が帰宅した後でうちに来てくれ」


 景がサイトの内容を一通り読み終えるのと、「じゃよろしく」と君月が一方的に電話を切ったのはほとんど同時だった。顔を上げ、何か言いたげな景に気づくと彼はにんまりとして、


「美曙は『後で』って言われたことは、次会った時には大体忘れてる」


「否定はしませんが、」


「大丈夫これもちゃんと依頼人のため。だし、美曙も元々呼ぶ予定だったからね。ちょうどよかったって言や、そうだ」


 しれっとして己の言い分を並べ立てれば、それ以上は景は言及しない。「それで、」という君月のよく通る声を皮切りに、やっと話題は脱線から本筋へと戻る。


「僕がこれを依頼人に見せなかった理由。分かったろ」


「『恵み』とやらの正体ですか」


「せいかーい。ついでに言うと、元々この掲示板はその愛好家のために運用されていたらしい。『羊』ってのはその時の呼び名っぽいね」


 手持ち無沙汰にゆらゆらと動かすカーソルの下、黒を基調としたいかにも個人制作の雰囲気を漂わせるウェブサイト。

 その情報量は、先ほどユユを含めた三人で見ていたものと比べると目に見えて増えている。


「『藤本』を音読みしてトウホン、連想して戸籍謄本──やや突飛だが、古関こせきをもじったものと予想できる」


 と君月が付け足した通り、あのアカウントに接触すれば正しいURLが──『メリのめぐみ』への、真の入り口が分かる仕組みになっていた。


 沿革、理念、インフォメーション。簡素なつくりではあるが、十分にサイトとして機能しているようだ。その背景に掲げられた真っ赤な果実──ザクロの写真を眺め、悪趣味にもほどがあると君月は薄く笑みを浮かべる。


「ま、言っちゃうと人の肉だね」


 『神』の蔓延るこの世界で、人身の切り売りはさして珍しいものでもない。最も多い理由は『神』に捧げるため。信仰を宿した肉は、『神』の主食の一つであるからだ。


 ──そして次に多いのは、なんらかの『常識』に感化された人間同士の、俗にいう共食いである。


「今回、僕は後者だと思ってる。理由はゾンビ現象への違和感と昨夜の事件。それと、あのゴミ捨て場で捨てられていたのが可食部だけってことだね。どうだい、な予感するだろ〜」


「ええ」


「僕がいうのもなんだけど、ちょっとくらいそれっぽい顔してよ」


 悠然と微笑む景にどうしようもない不満を漏らしながら、インフォメーションのページを開く。一番上の『お知らせ』を視界の端に収めつつ、君月はしたり顔で言った。


「曰く明日みょうにち、ここの会合があるそうだ。──いよいよ仕事の時間だよ、椿原つばはら景くん」



 ◆



 レンタル教会、という商売がある。

 ここ数十年の間に異様な広がりを見せた、現代の多種多様な宗教形態──まとめて実像崇拝型と呼ばれることもあるが、その需要に真っ先に追いつかなくなったのは土地だった。


 ミサ、集会、会合。人を集め、コミニュティを形成するための手っ取り早い手段の一つは場所を固定することだ。特定の場所に何度も訪れるという、それだけで人々は自然と集団に所属している自覚、帰属意識を持つようになる。

 しかし、こと都市部においてはそのスペースの確保は難しく、そこに目をつけ始まったのが、集会所や教会のレンタル事業というわけだ。

 余談だが近頃では、檀徒が減り経営の苦しくなった寺までもが商売に踏み込むケースが見られている。


 この日『メリの惠』の会合が行われるのも、都心から一時間弱離れた場所にある、そんなレンタル教会の一つだった。


「──本日はこのように大勢の方にお集まりいただいたこと、誠に喜ばしく思います」


 ローブを着込み、フードで顔を隠したいかにもな風体の男が大仰に一礼する。声は明らかに男のものなので男性と呼称するが、それ以外の情報は体格も含め徹底して秘されている様だった。

 そしてそれは、教会に集まった人々のほぼ全員に共通することでもある。


 およそ三十人ほどだろうか。教会自体は古めかしい造りの二階建てで、この人数の割には随分立派なものを借りたのだなあと君月は他人事のように思う。

 来る前にレンタル会社の挙げていた写真を見たところ、一階が集会室、二階が礼拝堂となっていた。使うのが一階だけとなると、もったいないような気もする。


 などと考えつつ、集団が一斉に動いたことによる衣擦れの音に眉をひそめながら、君月も周りに合わせて頭を下げる。動きに伴い、被ったフードが前にずれて一瞬視界を覆った。


 ──ここまで匿名性の高い集まりであるとは予期していなかったが、おかげで紛れ込むのは容易だった。再びの衣擦れの音がしたので、君月は顔を上げる。


「今回は御言葉の拝聴は省略いたします。わたくしの方から代表して祈願を込めさせていただき、その後、『恵み』の拝領へと移らせていただきます」


 代表者らしき男から早速飛び出した『恵み』というワードに、君月は左隣にいる、同様のフードを被る景に目で合図した。小さく頷き返され、彼は再び前に視線を戻しながら思考する。


 今回の目的は二つ。一つ目は、依頼者の目的である少女の行方を知るものがいないかどうか探すこと。これには関連人物であろう古関の捜査も含まれている。

 そして二つ目は、ゾンビ現象にも関わっていると目される『恵み』をこの目で確認することだ。


「──美食を望みましょう」


 男は両手を掲げる。厳かに、しめやかに『祈願』の言葉が連なっていく。その背後の祭壇に鎮座するのは、中身の見えないようにされた大きな皿。


「請い願い、求め欲しましょう。その祈りこそがメリ様の血となり肉となり、果ては」


 そこで男は感極まったように言葉を切ると、胸に手を当てて、


「なんという幸福、なんと満ち足りたことか。我らがメリ様を満たし、祈りの代価として我らは恵みを賜る。めぐり、廻らす──祈りを、恵みを、そして命を」


 参加者が執拗に顔を隠すのも頷ける、と君月は一人思う。言葉を繕い飾り立ててはいるが、この会合の目的が『恵み』にあることは明白だった。


 ──恐らくここにいる連中は全員、人肉嗜食者カニバリストだ。


 わざわざあんな分かりづらい手順を経て参加し、男の祈願の言葉を聞いて、『恵み』の正体が何なのか勘付かないとは思えない。断言することは巧妙に避けているため、互いに暗黙の了解とされているのだろうというのが君月の予想。

 『メリ様』というのも創作にすぎないだろう。なぜなら、主食を家畜に分け与えるものなどいないのだから。


 問題はその入手経路と、この男がそうして『恵み』──人の肉を大勢の人間に摂取させ、何をする気でいるのか。


 ローブの袖を翻し、男が銀製の覆い──クローシュを取り除く。前置きもそこそこに、『拝領』が始まる。


 真っ白い皿に載せられていたのは、紛れもなく肉だった。


「──この肉は、メリ様が我らにくださった恵み」


 貴重性を誇示するためか、一切れは薄めに小さくカットされている。色は牛肉と豚肉の中間ほどの濃さのピンク色、サシが多めに入っており、その見た目は何も知らなければ実によく人の食欲を誘ったことだろう。


 前の方の列に陣取った甲斐があったと、つぶさに観察しながら君月は内心ごちる。

 その横でふと、同じく『恵み』を見ていた景が首を傾けるのが分かった。顔は向けず、君月はそちらに体を寄せると声を潜めて、


「……何か気になったかい」


「いえ……大したことではないんですが」


「いいから」


「……あの肉、見覚えのような気がしまして」


 眉根を寄せ、感じた違和感を伝える景。

 口数の少ない景はその分熟考して話す。経験上、また今回は君月自身が促したとはいえ、彼の口にする言葉は真に迫っていることが多い。だとすると──、


「その滋養は我らの命を繋ぎ、その甘やかさは我らを満たし、その神妙こそが我らをここに集わせる。──では、ここに」


 右端に立っていた参加者の一人が前に出ると、小皿に載せられた『恵み』が差し出された。それを受け取り、一礼して元の場所に戻る。そしてまた一人──と近い者から行儀よく一列に並び始めた。


 前の人に倣い、君月、そして景も参列する。幸いなんの問題も起こることなくスムーズに『恵み』の載った小皿を手にし、君月が顔は見えないまでも参列者にザッと目を通していたときのことだった。


 今しがた『恵み』を受け取った人物に見覚えがある気がして、その人物が踵を返すのをなんとなしに視線で追う。

 パーカーの隙間から風になびく、その艶やかな黒を見た瞬間、君月は比喩でもなんでもなく絶句した。


「──。ツインテールがいた」


「はい?」


「依頼人がいた。今さっき」


 ややあって放たれた呟きに、困惑顔を作った景が聞き返す。珍しく呆けた表情を晒しながら、君月は群衆に混ざり込んだその人物──甘蔗あまつらユユが立っているはずの場所、景の斜め後ろをガン見して、


「せめてほどいてこいよ……!」


 小声かつ、しっかりと情けない非難の声。それはもはや懇願だった。

 集団の中で一際背の低い、長い黒髪ツインテールを揺らしていたその姿には心当たりしかなく、先ほどから君月の顔はなんとも味わい深いものへと変わっている。

 ああ……と事態を把握した景が妙に納得した顔をして、


「今動くと目立ちますが、どうしますか?」


「すまないけど今すぐ行ってきてくれ。放っとくわけにいかないし、っていうか一般人にこれ・・食べさせるわけにいかないだろ」


 頭を抱えたくないる気持ちを抑え、口早に指示を繰り出す。相手は未成年、倫理的にも見逃したらまずいことになるのは明らかだった。


「フードを外さなければ恐らくは問題ない。スルーされるはず。物でも落としたてい・・で頼む。場所は斜め後ろ、結構奥の方」


「了解です。それと、君月さん」


 景は薄い微笑を浮かべ、君月の手元に視線を落とす。


「──口にしないよう、お願いします」


「……ああ」


 言い含めるような、柔らいながらも有無を言わさぬ口調。それに君月が頷いたのを確認し、景がスッとその場に沈み込む。腰を低くしたその背中が、見る間に人の波に紛れて見えなくなるのを目で追ってから、君月は無意識に息を吐いた。


「それでは皆様に行き渡りましたようなので、僭越ながらわたくしから」


 予期せぬ事は起こったが、式自体は滞りなく進んでいた。集団がめいめいに腕を掲げ始め、その手の上には揃って『恵み』が掲げられている。

 ちらりと君月が横目に他の参加者を見やると、そこには一面熱に浮かされたような、尋常でない顔つきがずらりと並んでおり、


「──メリ様に感謝して、いただきます」


「「いただきます」」


 まるで給食の時間だ、と君月は思う。大勢の子どものような合唱は、やや間の抜けた響きにも感じる。──行われていることの悼ましさから目を背けることができれば、だが。


 号令を合図に、各々が一斉に『恵み』を口に放り込む。君月も口に入れるフリをして、するりとそれを手早く胸ポケットに滑り込ませた。こういうときばかりは背が低い方でよかったと実感する。

 もぐもぐと何も入っていない口を動かし、『恵み』を食した前と後で周りに変化がないかどうか、全体を満遍なく注視して、


「繰り返しになりますが、本日はメリ様ご不在の中──」


 男の口にした言葉に、動きが止まる。お集まりいただき、と続いて謝辞が述べられるが耳に入らない。


 ──不在。なら、常時は──?


 この推測が正しければ、全てが根本からひっくり返る可能性がある。確信を得るため、君月は右隣に「すいません」と困ったような声色を作り話しかけた。隣の人物は君月よりも背が低く、案の定「はい?」と妙齢の女性の声が返ってきた。


「突然失礼します。あの方は……ええと、」


「ああ、前回参加されなかった方ですね。あちらは司教様代理の方ですよ」


 司教代理。口の中で小さく繰り返し、都合よく勘違いされたのを否定せずに君月はもう一歩、踏み込んだ質問を。


「では、メリ様はどちらに?」


「……それが、一週間ほど前からお姿がないのです。お力を使われて、休んでおられるのだとか。ですので、なおのこと祈りがいるのです。祈りを捧げ、『恵み』を──この素晴らしいものを、もっと配っていただか」


 ──堰を切ったように語り出した女の話を遮って、ふいにガタン、と何かがぶつかるような音がした。

 音は数度繰り返し、静寂が破られた群衆は何事かとざわめき出す。


 その出所は背後──締め切られた扉の更に奥から音がしているようだった。振り返るも、前の方にいる君月では何が起こっているのかはっきりしない。そうしている間にも、ドンドンと何かを叩くような音が大きくなっていく。 それは叩くというより、体当たりでもしているかのような激しさを帯びていて、


「……開けようと、している?」


 そう呟いた君月の想像を裏付けるように、後ろの方からはくぐもった悲鳴のようなどよめきが伝染し始め──扉の倒壊とともに、爆発する。


「──ゾンビだああああ!!!!」


 一人が振り絞った陳腐なまでの叫び声が、パニックの始まりを告げた。


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