三・丑三つ時のにせものたち
1 冷戦勃発、のち帰宅
ユユは可愛い。それは周知の事実だとして、他にも形容する言葉なら
神も人もそう簡単には信じない。それはこれまでのユユの人生で培われ、心に定めた決して折れることのない指針だが、同時にユユの側からあまり他人に干渉しないという方針の現れでもある。
自分の範疇などたかが知れているし、それは他の人も同様のはず。ならばお互い無理に関わる必要なんてないし、ユユはその枠の外でひとが何をしようが基本全然OKなタイプ──要するに寛容ということになるのだ。
そんなユユにも、当たり前だが胸を張って苦手と宣言できるものがいくつかある。
まずは信仰の強要。これは自分がされるのも、人がされているのを見ることも嫌だ。二つ目、怖いもの。もはや説明不要だろう。ついでに他にも改めて考えていたら結構浮かんできたが、とにかくここで言いたいのはたった一つ。
──ユユがちゃらちゃらとした軟派な男性を、上から順に数えて五本の指に入る程度には、思いっきり苦手にしているということだ。
「このガ──お子さんが後輩と」
「ユユですよろしくお願いしますー。──せんぱーい」
顎を逸らして見上げるほどの長身、目の前のパツ
ガキと言いかけたのにもきちんと気づいたが、そうでなくてもユユの胸の内の炎ははっきりと赤く弾け始めていたのだから大した違いではない。というか「お子さん」ですら十分バカにしている。
大人三人が顔を見合わせ、少女一体が面倒臭そうな表情を浮かべる中、ユユが一方的にその白けた面をした男──
──一体どうしてこうなったのか。事態は、今から三十分ほど前に遡る。
◆
中学校を卒業してからほぼ三年。生活費を稼ぐためのバイト以外にこれといってすることのないユユの日中は、意外にも暇なものである。
そこで今日は、正体がユユにバレて以降も、変わらず『
マフラーに顔をうずめ、どこの制服だろうという好奇の視線を集めながら校門の前で出待ち。もちろんユユの優れた容姿の影響も多分にあるだろう。女子高でよかったと思いながらそんな下校風景をぼんやり眺め、ユユは校門をくぐった灰髪を目ざとく発見。
四六時中眠たそうな瞳が目いっぱいに見開かれるのは、なかなかに気分がいいものだった。
見るからに学生なコート姿が周りに見当たらなくなってからようやく擬態を解いた鼎は、もうそろそろユユも『いつもの』と呼べるようになってきた粗野な口調に切り替えた。並んで下校、なんて懐かしくなる時間は終わりだ。
「なんだ。オレぁ最近はなんもしてねえぞ」
「知ってる。いいから着いてきて」
どこにとは聞かれず、わざとらしさ百点満点のため息が返答の代わり。
ユユが鼎を引き連れて向かう場所など一つしかないのだから、当然の反応ではあった。もっとも嫌がらせのように当該の場所に押しかけていた一か月前までの頻度を併せて考えると、また印象は変わってくる。ちなみに、当人曰くもう飽きたらしい。
「今何やってるの?」
「普通に期末に向けてやってるが。受験するヤツらはほぼ来てねエが、ウチの親は面倒だからなァ」
「……あ、そっか。受験。二月から自由登校だっけ」
「縁遠すぎて忘れてんなよ。そうだぜ」
諸々の要素をひっくるめてまかり間違っても普通とは言えない、けれどはたから見れば対等な関係に見えなくもない、友人未満、長い付き合い以上。以前とは違う、ずけずけと遠慮なく言い合いのできる間柄に馴染んできたような気がするユユでもある。
そんな『対等』を繰り広げながら、歩いて二十分と少し。早々に日も落ち始めたことに季節を実感しつつ、辿り着いたのは看板のない隠れ家的事務所──
ユユのバイト先、その二だ。
「おつですー……あ、
「いらっしゃいユユちゃん。そう、久々。呼ばれたの」
扉を押し開ける、その先で紅茶を傾けていた和洋折衷の麗人がたおやかに微笑む。曰く本業が別にあるらしい美曙は、基本的に事務所にはたまに顔を出す程度。加えて呼ばれたり用事がなければ立ち寄ったりはしないユユとなると、両者が顔を合わせるのはそれこそ稗田村での件以来。そして、そういった過去の事例を鑑みると──。
「もしかして、なんか依頼来てます?」
「そんな感じ。そっちこそ、今日はどんな用向きだい?
「
ユユの疑問に答えた上で、逆に返してきた半々の髪色の男性。奥のいかにも偉そうな椅子に座る彼は、鼎自身が「面倒だから
「実はっていうか、こっちもそんな感じなんです。ギリ、急ぎじゃないんですけど」
「や、話も大体まとまったところだからいいよ。相談事なら聞こうじゃないか」
「その前に、どうぞ。立ち話もなんですから」
美曙のいる反対側のソファから
余談だが、明らかに事務所内の席数が足りていないのを見て、三週間前からユユは自分用の椅子を持ち込んでいる。小さいが背もたれもあって、しかもくるくる回るやつだ。1Kの一人暮らしでは無用の長物と断念していたため、結構うきうきでポチったユユである。
「はーい」と軽く答え、そういう経緯の椅子にユユが、そして景がいない方かつ美曙の対角線上のソファの肘掛けに鼎が無言で腰かければ、これで各々が定位置についたかたちになる。最後に関してももはや見慣れた光景だ。行儀の悪さは間違いないが、とはいえ普通の場所に座られると違和感があるレベルで。
「……あ、どもです」
「いえいえ」
温まった室内だと途端に鬱陶しくなるマフラーを逆向きに回して外し、膝の上へ。ついでに見計らったかのように景から出された紅茶に口をつけつつ──温度も冷えた体に最適だった──ユユは訪問理由を明かす準備を整える。
この一か月でユユの関わった案件は二つ。どちらも
そういった仔細はともかくとして、つまりは今からユユが話す内容が、ユユにとっての通算五件目ということになる。
「先に言っておくんですけど、ユユのことじゃないです。知り合い……言っちゃうと、バ先のお客さんから聞いた話で」
「なるほど。『これ友達の話なんだけど』と同じと捉えて構わないかい?」
「構います。違います。ほんとに
「ちなみにオレも知らねエ」
細かい茶々を入れる君月にちゃんと否定を入れつつ、「ばさき?」と首を傾げている美曙に「バイト先の略でしょう」と景が注釈を入れているのも横目に、
「どこから言えばいいか微妙なんですけど。えっと、『丑の刻参り』って知ってますか?」
そう、ユユは自分でもあまり心当たりなさげに眉を下げながら全体に向かって問いかけた。
「ふむ。宗教、信仰というより、呪いだね。ジャンルとしては」
真っ先に反応したのは君月。他の面々にも明確に疑問符を浮かべた様子の者はおらず、予想に違わないその動じなさで説明が省けたことにユユは安堵。美曙だけは知らずに堂々としているだけなのか、判断がつかないけれど。
あとはやはり自分が無知側だったことも要素としてあったが、大分今更だ。
「そう、あんま関係ないかなってユユも最初思ったんです。けど聞いてるうちに──『神』が、関わってるかもになったので」
「当ててみよっか、憎い相手に呪いをかけてくれる『神』がいると言われた」
「寺社でのそういった噂となると、近隣ではなかったはずですが……原典からは少し外れた類でしょうか」
「んで、なんでオレは呼ばれたんだ」
「近いです。景さんのも結構。後で言うから待って。それで、今日来たのは──」
順に応対し、鼎には目線を向けず手のひらだけで静止を求め、しかしそこでユユの言葉は打ち切られた。
看板のない、傍目には何の事務所かも分からないこの場所。関係者、もしくは依頼者以外に開かれることのない扉が、唐突に叩かれたのだ。
「お? 誰か来たね」
静寂を破る音。トントンと続けざまにノックされ、内部、すなわちこちら側の返答を待たずしてそれは無造作に押し開けられる。そこから覗いたのは、見覚えのない顔だった。
「──おつっす、ミツキさん、頼んでたレポートってどうなってま……」
ガタイがよく、上背のある男だった。最も目立つのは頭の上で好き放題に跳ねている、やや色の落ちた金髪。ユユからすると遥か上にある三白眼は、見下ろす格好になっていることもあり非常に人相の悪さに加点要素。シルバーのネックレス。ブレスレット。複数の指輪。だらしのない服装。背中のギターケース。全部が全部、プラスでしかない。
相手からしても初対面、見るからにユユを不審がる男の、半分ほど開いたままの口元で特徴的な八重歯が主張する。
見た目に似合いのかったるい口調で相談所を訪れた男は、予想外の先客であるユユと見つめ合い──その視線がすぐ隣、もう一人の見知らぬ客へとスライドしていって。
「なんだァ、オマエ」
「いや俺が聞きてえけど……」
ソファの肘掛けを占領する、異常に口の悪いセーラー服の女子高生。偽だが。
そっちに関する疑問なら妥当だと、ぼそり呟いた金髪男へ内心理解を示すユユだったが、それはそれとして、男の正体が掴めていないのには変わらない。──そういえば確か『ミツキ』と、美曙が使っている君月の愛称を開口一番で放っていたような気がしたが。
「──アキ」
我関せずで紅茶を飲み終えた美曙が、ユユの知らない名前を口にする。それが金髪男のことだと分かると、ユユは戸口を向いたままで表情の窺えない美曙と、立ち尽くす男をゆっくりと、交互に見比べて。
「……来てたんだな。姉貴」
「ええ」
姉貴。
なぜか渋い顔をした男──『アキ』は美曙のことをそう呼んだ。姉貴。つまりそれは、それが指すのは。
「お、とうとぉ?」
「そうよ?」
頓狂な声を上げるユユに、金髪男がなんだお前はとでも言いたげな表情。ぐ、と思わず出てしまった間抜けな顔をユユも引っ込め、互いに不審者を見る目だ。言われてみると、普段は隠されているものの八重歯が美曙の特徴の一つだったと回想。あれは遺伝性のものだったらしい。
肯定はしたがどうやらそれ以上を述べるつもりのない美曙、そこでようやく、状況を座して見ていた景が「君月さん」ともう一人の傍観者兼、この場で最も上にいる者を呼び出した。彼は穏やかながらどこか諫めるような口調で、
「そろそろ説明した方がいいかと。これ以上は両者ともに、やや気の毒です」
「つれないなあ、もうちょっと見てたかったのに」
出し物でも観覧しているつもりだったのか、意地悪く口を尖らせる君月。よっこいせ、と奥のスペースからのそのそ出てくるのをユユと鼎、そして金髪男が見守る。
君月はその中間に立つと、腰に片手を当ててびしっと金髪男を手のひらで指した。その顔はユユを向いていて、まずはこちらが『される側』だとユユは理解した。
「
暁國と言うらしい男が、「うす」と言いながらぐいっと顎を突き出し──もしや会釈のつもりだろうか──その横で君月が矢継ぎ早に情報を並べると、今度は反対へ。指し示されるユユは、きちんと顎を引いて「どもです」と小さい声で述べる。
「アキくん、こちらは甘蔗ユユくん。十一月頃に入った新人がいるって言ったろ、あの子だ」
一応、さわりだけは聞かされていたようだ。それはユユも同じで、確かにバイトがもう一人いるという情報を、その十一月頃に聞いた気がしないでもなかったと思い出した。それならそれで、ただ一つユユが疑問に思うのは。
「……え、会うの遅くないですか?」
四捨五入、端数切り上げで大体二か月間。親しみを覚えるとまではいかないが、ユユが気を抜けるくらいには
その間、同じバイトの立場であれど一度も遭遇しないというのはあるものだろうか、とユユは小首をかしげた。
「あら、会ってなかったの? ねえ景くん、アキって私がいない間も来てた?」
「はい。ですが、人数の要る依頼がなかったのもありますね。ちなみに割り振りは俺が決めています」
「やーまあ、俺があんま来てなかったのはそりゃそうっつうか」
顔を見合わせながら解説を担う二人を遮るかたちで、暁國が言い淀む。と、「僕がいこう」と腰に当てていた両手を腕組みに変えた君月が、
「はいじゃあ十一月」
「中間すよ」
「十二月」
「バイト、あー。こっちじゃない方稼ぎ時で」
「最近、というかちょっと前までが」
「年始す。同じっすね」
「うん。ご多忙だったってことだよ」
以上、説明完了。なるほど納得せざるを得ない理由だった──というかむしろ、それが事実なら相当に忙しない日々なのではと。なぜよりによってこの職場なのか、やはり家族経由? とユユの頭の中で新たな疑問が湧いてくる。
そんなことは露知らず、暁國がソファの上、厳密には人が座る場所でないところにいる人物を指さした。
「そんで、こっちが新人ってんなら、あっちはなんなんすか」
「あァ?」
「ペット枠。愛玩じゃないけどね」
「試し斬り用?」
「自称『神』の弱っちいやつ! ほんご……っ本郷鼎を名乗ってるやつ! そんな認識だったんですか今まで!?」
一斉に飛び出してきた暴言に、驚きで声をひっくり返しながらユユが正しい情報を叫ぶ。前者はどうせ皮肉だろうが、後者のは恐らく本心なのが更に怖い。
ここに加わらなかった景だけが、この場で唯一残った良心だとユユはひそかに震えた。否、顔に貼りついた微笑みをぴくりとも崩さなかったところを見ると、案外内心では同意しているのかもしれない。
──鼎に対してそういう、真面目に言い換えるならば許されざる存在という認識でいるべきなのはユユも分かっている。
けれど、一度絆されてしまったからには、ユユはユユの決めた立場で居続けることが覚悟の証なのだと、今は思っているのだ。
例えば、真横で目にせずとも分かるほど剣呑な気配を発し始めた鼎を真っ先に抑える役割だとか。そんな必死な素振りを見せるユユと、素知らぬ顔で肩をすくめる君月といった面々を尻目に、暁國の視線が向くのは美曙だった。
彼は声量を抑え、眉間に何らかの感情が入り混じった末の皴を寄せながら、
「姉貴ぁ、それでいいのか」
「言ったでしょう、試し斬り用よ。それ以上でも、以下でもないわ」
「──。そうかよ。なら、いいんじゃねえか」
「よくはねエが?」
我ながら、最後の説明で理解できたのか不安だったが、どうにかなったらしい。
ユユにはよく分からなかったそんな姉弟の会話──家族間での話にしてはどこか含みがあるように聞こえたが、そういうものなのだろうか──と、加えて全員にスルーされた鼎の発言でもって、その日は神宿相談所・最初の全員集合と相成ったのだ。
「んまあ結局、このガ──お子さんが後輩と」
「えーと、はい」
──そうして、最初の衝撃とその後のやり取りの疲労感が過ぎ去れば、冒頭の悪感情──というほど確定的で鮮明ではない、黒ではなく灰色に近い苦手感情がむくむくと頭をもたげてくるのだ。
「ユユですよろしくお願いしますー。せんぱーい」
異物混入。なんていうのはどちらかといえば相手側から向けられるべき感想だし、ユユはそれほどこの場所に思い入れが強いわけではない。
だからこれは、一時的にユユの度量が狭くなってしまっただけだ。表立って見せはしない。ちゃんとする。寛容、ユユのモットーの一つ。
そして、それはさておき。
「あと、説明しようと思ってた依頼なんですけど、時間なくなっちゃったので。……ちょっと着いてきてもらって、そこで話す感じでもいいですか?」
時刻は十七時半。いくら可愛い遅刻癖のあるユユとはいえ、仕事場には十五分前くらいには着いておくべきという常識は知っている。し、守っている。大体。
暁國の乱入で多少予定が狂ったが、元々そのつもりだったので今ならまだ問題なし。
そんなユユ以外からすれば唐突な提案に、君月がなるほどと腕を組みかえて、
「今度こそ当てよう、行先はそのバイト先かい?」
「です。言っちゃうと最初から、そっちの方が早いかなって思ってて。──多分、今日もそのお客さんいるので」
三日前から毎日必ず来店するようになった、その少し困った客の顔を思い浮かべる──『丑の刻参りに失敗した』と嘆いていた、女性の顔を。
どうだろう、別に無理筋な話をしているわけではないと思うけど、とユユは返答を待って。
「ふむ」
君月の切れ長の目が思案げに細められる。
彼の頭の中で流れる思考が、ユユの提案を受け入れるかどうかではなくその先、人選についてのものであったことと。
その目元がふいに
◆
「──おかえりなさいませ、
黒を基調とした、フリルとリボンを惜しげもなくあしらったロリータチックなエプロンドレス。パニエ入りのふんわり膨らんだスカートが膝の上で踊る。頭の上には少し特異な形状をした、大きめの白いヘッドドレス。その上、いつものツインテールを靡かせれば、そこに存在するのは甘蔗ユユ──ではなく、メイド・『しゅがぁ』ちゃんだ。
新規のお客様用のマニュアルを片手に満点のサービススマイルを放つユユに、「主様」と呼ばれた金髪の男はぴくりと片頬を引きつらせて、
「…………アキでいいっす。ええっと、あまつ──」
「しゅがぁです♡」
「あ、はい」
横で一部始終を聞いていた、ご新規ではない方の『主様』──鼎の背中がひっきりなしに震えている。腹を抱えてくの字に折り曲げた体から、時折「んふっ」だの「ひっ」だの漏れてくるが無視する。先ほどの腹いせのつもりだろうか。
──ユユだって、まさかこうなるとは思っていなかったのだ。
「それではお席の方へ案内いたしますっ。主様、『
そこに位置するユユのバイト先その一こと、コンセプトカフェ『Dibine♡』に急遽来店した暁國と鼎を接待すべく、ユユはプロ意識だけで形作った笑みが崩れないうちにと、言うやいなや踵を返してさっさと席へと向かっていった。
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