14 山奥の罪と罰・裏の裏



『神』が討伐された村の人々は、その後すぐに戦意を喪失したらしい。戦意というか、ただの衝動だったのだろう。それも反射に近いもの。狂おしい状況に置かれた人々に自由意思などないに等しく、その原因が失われれば早かった、というわけだ。

 それが幸いだったと彼らがすぐに感じられたかは、また別として。


 静まり返った村をずんずんと歩く君月きみつき、少し後ろに並んでけいとユユがいる。かなえは気乗りしないようで、着いてはこなかった。

「歩けるかい?」とだけ言われ、行先不明なままに着いていった先には、一軒の家があった。

 その戸口の手前で、一行を待ち構えたように一人、佇んでいた人影がいて。


「依頼が完了しましたので、ご報告に参りました。──峰岸路代みねぎし みちよさん」


 君月が深々と頭を下げてそう言った相手は、あのときの老女。

 直前の会話の流れからして目的地だとは思っていたものの、まさかの訪問理由に本日何度目か分からないが、またしてもユユは目を見張った。


 依頼が完了、ご報告。それってつまり──と、自身へのダメ押しのように景を見る。微笑んだまま頷かれた。鼎を見る。知るか、と目で返された。

 最後にユユは、恐る恐る路代と呼ばれた老女を、その顔を見て、そして虚を突かれた。


 彼女は初遭遇時の、あの恐ろしくも冷め切った形相とはまるで別人のように静かで、安寧に満ちた顔をしていたのだ。


「改めまして、神宿相談所の所長をしております、久野ひさのと申します。この度はご依頼いただき、誠にありがとうございました」


「──こちらこそ、本当に。本当に、ありがとうございました」


 老女はそれに準ずるように、否、それ以上に深々と身を屈めて言った。ほつれた白髪が、重力に従ってはらりと束ごとに落ちていく。


「それと、ご愁傷様です。今度は本当に」


「いえ、いえ。もう十分、いただきました。息子の仇を取ってくれて──この村の習いを断ち切ってくれて、十分、十二分に。……」


「路代さん。僕らは、依頼された分の仕事をしたまでですよ」


 老人特有の歯切れの悪さと、それを超えて切に紡がれる言葉。

 謝礼を述べ終え、沈黙が辺りを包んでもなお頭を下げきったままのその姿には、きっと誰に顔を上げるよう言われようと、彼女は心いくまでそれをやめないのだろうという、ある種の切迫さすらあった。


 何秒も、何十秒もして、ようやく老女は緩慢とした動作で顔を上げた。


「……落ち着かれましたか?」


「はい。はい、申し訳ありません」


「いやいや。こみ上げるものもお有りでしょうから。当たり前ですよ」


「はい。……依頼は、娘に頼みました。ずっと前に運よく外に抜け出すことができて、もうずっと会っていなかったんですが、息子が……あの子にとっては兄でした。すすむが亡くなった時、葬式には行けないけれどと、久しぶりに連絡が来たんです。『いい相談相手がいる』と」


「なるほど、そうでしたか。よく、ご決断されましたね」


 以前の依頼者を辿り、人づてに来たという依頼。その発端は、たった一人、村に抗うことを思い定めた老女の決意にあったのだ。

 しかし粛々とそう称賛された彼女は、なぜか呆けたようにしばらく君月を見つめ返した後、皴の寄って窪んだ眼を閉ざして、また開く。


「……あぁ。確かに外の方に助けを求めるなんて、もしも露呈すればきっと、格好の『罪』とされていたと思います。せっかく来ていただいたのに、こちらから説明も何も言えず、ご不便もおかけしたと、」


「いえ」


 短く君月による訂正が告げられる。今まで彼が見せてきたものとは全く異なる、スピードは遅く、柔らかく諫めるような言い方。しかしそこには勇婦を、その己自身にも蔑ませてはならないという意気が、確かにあった。


「あってはならない恐怖支配の下とはいえ、『神』の庇護下から抜けることをご自身で決意された。なかなかできることではありません。──敬意を表すに値する行為であると、僭越ながら僕などは思いますよ」


 白く濁りかけの泥濘の目が、不確かに揺れる。君月をぼうっと見上げるその縮んだ背丈が、がぜん何倍にも小さく萎んで見えた。


 再び沈黙が下りる間、老女はすうっとその目を細めると、与えられたゆるしの言葉をゆっくりと、自身が咀嚼し終えるまで黙って佇んでいた。


 ──何も言えないユユが、まるで息の詰まるような心地の中、ただその場に立ちすくんでいる前で。


「……痴呆に罹ったふりをしろと言ってきたのは、息子でした。あの子は大学で働くほどに、聡い子でしたから。そうすればきっと、『クエビコ様』の……あの怪物の目を逃れられるはずだと。──そんなあの子を、私も。いえ、私が、死に至らしめました」


 ぽつぽつと、誰に言うのでもない懺悔を口にしだした彼女。

 不意にその言葉を、そのままに──放たれたままにしてはいけないという衝動がユユを駆り立てた。何が言えるのでもない、知った口なんて利く気もない、けれど、と──そんな未熟さがまろびでる寸前、黒手袋をはめた手がユユの眼前を遮って。


「罪は、消さずに背負うものです。誰に言われようとも。自分自身が、そう思う限り」


 阻まれることのなかった老女の告解は、そうやって締めくくられた。


 いつからか降り始めていた雪が、子を失った母の肩を、白く染め始めていた。



 ◆



「重ね重ね、ありがとうございました。この村が元に戻るかは分かりませんが、どうにか、自分たちの力だけで生きていけるよう……生きていこうと、思います」


 そう言ってもう一度深々とお辞儀をした老女に見送られ、一行はその場を後にした。


「ここ、どうなるんですかね」


「まだ詳しくは伝えてないけど考えてあるよ。まず、村の代表には熊谷くまがいくんになってもらう」


 仮宿に戻る道すがら。ぽつりと零した呟きに思った以上の具体的な返答があって、ユユは目を瞬かせた。熊谷といえば、田山たやまに嵌められ、『裁判』で危うく罪人にされかけた若者だ。ユユが庇った相手でもある。

 そういえば顔を見ていないけれど、あの後何もなかったのならいいなとユユは思った。見ていないというのなら、この村の人間、あの峰岸の老女以外は全員そうだったのだが。


「彼には働いてもらおうと思ってね。せっかくの『一つ足』だ」


 降ってきた雪をぽつんと頭に乗せながら、存分に露悪的な物言いをする君月にじっとりとした目つきになるユユだった。

 さっきの真っ当な受け答えと垣間見せた人間性は何だったのか──と、そこでようやく彼の言いたいことに思い当たる。

『一つ足』。そして『一つ目』と言えば、該当するのは一つだけ。


「……もしかして、『クエビコ様』の話の?」


「正解。利用させてもらう。『無宗教』はもはや現代だと危ういからね。生き残った冤罪被害者、象徴としての力は十分だし、どういった手段であれまずは『神』から人にその権を移すことが重要」


「そうなんだ……」


「もちろん、ちょくちょく連絡は取るよ。サポートはする。再三だけど、僕らは探偵じゃない。探って突き止めて倒してはい終わり、じゃあまりに不義理だろう」


 一応一回──昨日のことも含めると1.5回程度接触した身として、彼がそんなポジションに奉られることになるとはという思いもある。確か父親も『裁判』で亡くしているとかで、言葉を選ばずに言えば、ユユには結構限界ギリギリの精神状態に見えたのだが。


 ──加えるなら、他でもない彼が鼎に告げ口を受け、それを丹羽にわに密告した者だったという事実もある。しかしこれはユユには知り得ないことで、考えもしていないことだ。

 もしもその発想に行き着いていれば、それを盾にして迫るという君月の腹づもりにも気づいていたかもしれない。しかし、そうはならなかった。


「そんな、いい感じにいくんですかね」


「勝算はある。余計な話だし彼女の前では言わなかったが、稗多ひえだ村のそもそもの成り立ちが恐らくはそれ・・だ」


 それ、という曖昧な指示詞にユユは小首をかしげた。会話の間に発生した空白に気づいたように前を歩く君月が振り返ったかと思うと、ユユではなく景に目線を合わせた。

 何事か伝わったのか、それに景が首を横に振って返すと──ユユの気のせいだろうか、君月はやや鼻白んだ顔をして、


丹羽にわって人、覚えてるかい。彼の両親と兄弟は、三十五年前、山に立ち入った罪を償わせるためと真っ先に捧げられたらしい」


 そうだったんだ、とユユは疑問半分、頷き半分。酷い話だが、もう散々なまでに嫌になる話をぶつけられてきて、だいぶ今更になってきてしまった。嫌な傾向だとユユは自分で思う。


「一聞したところ、ただ怒れる『神』に恐れをなした村人が暴走した結果に見えるが──本当は『クエビコ様』の真実を知っている者を、優先的に排除した結果なのではないか。なんて考察をしてみてさ」


「──」


 疑問八割。ユユの首の角度がぐんと深くなった。

 だって、『クエビコ様』の真実は──。


「もう全部、分かったんですよね? 外から来たシンが作ったって、」


「僕が入れられた座敷牢、どう見積もっても三十五年以内にできたものじゃなかった」


 座敷牢というものがあった、というのもユユは初耳だった。けれど、裁判、罪人、罰の執行とくれば、罪人を収監しておく場所があってもおかしくないというのは確かに道理だ。嫌な道理だが。


 だから、道理にそぐわないのは別の部分だった。当然のように『罪人の投獄』のために作られたと考えられる牢が、それよりも前にあったということは、つまり。


「こういう話がある。かつて、この国の各地で伝えられていた『一つ目』もしくは『一つ足』の伝承。彼らは実は、人間だったのではないかという話だよ」


「──。昔、今みたいなのじゃない神様がいて……それがほんとは、人間だった?」


 未知に未知、仮定に仮定を重ねた話に、ユユは恐る恐る、自分なりに噛み砕いて口に出してみる。

 また前に向き直った君月の首が縦に動いたのを見て、それが正解だったことにユユは自分で一番驚いた。


「人造神とでも呼ぼうか。人の一部分を削り、それを生まれつきとして偽り。まるで人と思えない容姿にしたそれを、神として祀りあげた」


 現代でいうところの、神様が本当は良くない化け物で、良くない影響があって──みたいな話ではないことくらい、なんとなくユユも想像はできたものの。


「──かもしれない」と笑えない冗談めかして君月が付け加えたのは、オチを足したようなものなのだろうか。


 想定以上、どころか真反対。

 埒外の化け物に脅かされ続けた村で最後に語られたのは、純然たる人の業だった。


「さて。丹羽清次郎せいじろうの父親は何を罪だと思い、何を蜃相手に詫びて死んだのやら」


 伝承の利用、悪用の原点になったという、三十五年前の瀕死の間際の叫び。


 村の全てを狂わせたその夜、山を震わせた懺悔は、何を幻の中に見て、何に向けられたものだったのか。


「『クエビコ様』をはじめに利用したのは誰だったのか。因習は本当に、外来種の手で生み出されたものだけだったのか──」


 まさに怪談を語る語り口で、他人事になりきって、わざわざ簡単な節まで付けて。語尾が上がっていなかったことだけ、安心点。


 前を向いたままの君月の顔が、今は見えなければいいなと、半纏に顔を埋めるユユは何にでもなく切に願った。


「ま、確たる証拠は見つからなかった。だろ」


「はい。調べた範囲で、ですが」


 あったかもしれない、だけ。


 今の話が本当だとしても関係者はとうに亡くなっていて、古今東西の怖い話がかくあるように、稗田ひえだ村の悲劇もまた、語られ尽くされない余白と触れるべきではない余韻を残し。


 今度こそ、その幕を閉じた──その傍らで、一人の少女の決意を確たるものへと変えながら。



 ◆



 ──これだけは言っておかなくてはいけないと、決めていたことだ。それもできれば、鼎のいないところで。


 俯きがちに足を止めたユユに、二人が目を向けているのを感じる。何かあったかと、もう少しうるさくされるかとも思ったが、ユユが言い出すのを待っていてくれているらしい。

 よかったと目を瞑り、少女は息を吸い込んだ。


「──ユユ、多分あんまり人間好きじゃないんです」


 自分でもびっくりするくらいに、半纏に半ば吸い込まれたその声には温度がなかった。


 初めて言ったからびっくりしたというのもあったのだと、自分ごとながら遅れて気づいた。


「ひとのこと信用するのが、すごい苦手で。態度もずっとよくなかったと思います」


 次にしたのは謝罪。

 普段はもっと愛想はいい方なのだけど、と言い訳がましい頭の中のユユ。昔のことだけれど、いい子で可愛い甘蔗あまつらさんと言えばユユのことだったのだ。

 それなのに極限まで余裕のなかったときに初接触を果たしてしまったせいで、どうにも上手く繕えないでいた。ユユとしても不満の一つ。


 前半部分に関しては、未だ課題でもある。今し方のことも含めて、簡単に信用させてくれない態度も悪いと、主に君月に対しユユは内心だけで不満をぶつけた。

 多分、これは冤罪ではない。


「危ないのも痛いのもです。怖いのとかほんとに無理です。……かなちゃん、今はトウテツのことをどうにかするっていう最初の目的も、もうなくなっちゃった、っていうか」


 いらなくなりました。

 そう独り言みたく言って、初めて自分の内に残っていた喪失感を自覚する。

 割り切れたと思っていたけど、全然虚勢だったのだ。アレとこの先もやっていくという道を考えたのも嘘ではない。けれど間違いなく、本当の鼎がいなくて寂しいのも本当で。


「……だから、って考えてたんですけど」


 けれど今はそれ以上に、あの老女の姿が、抱え込まれた悔恨が、頭から離れなかった。


 ユユはぎゅっと襟の部分を握りしめる。妙に心細いと思ったら、そういえばツインテールがなかった。肩をやってしまったことだし、次に結べるのはいつになるのだろう。ちょっと鬱々としたが、それは置いておく。


「あの人はきっと、悪くないって分かってたのに。分かってたじゃ、ないですか」


 世界が狂っていることなんて、ユユもとっくに知っていた。神様仏様ばっかりで、皆んなみんな、発狂しきっているとずっとずっと思ってきた。

 加えて色んなことを知って知らぬふりをしてきたほどには可愛くない、ユユの中身。他の人と同じくらいに、汚くてぐちゃぐちゃの内臓。


 だって、どうしようもないから。どうしようもなかったから。──一人じゃ、ユユは弱いから。


 けれど、もしもどうにかできるのなら。

 それならばと思うくらいには、ユユは強くありたい・・・・性分だ。


「絶対苦しいって分かったのに、何も言えない……実際、言わない方がよかったのが今のユユで。けどああいうの、ああいう人が出てきちゃうの、やっぱりすっごく嫌だなって思ったので」


 景に止められたのは、最初は訳が分からなかったが。今は英断だったと思う。

 ユユの軽い言葉なんてあの老女には完璧に不要なもので、けれどそれを言われてしまえば、自分勝手にもユユは傷ついていただろうから。


 人を救いたい? ──違う。


 人を助けたい? ──違う。


 そんな高尚なこと、ユユはちっとも考えてなんかいない。ユユの頭に入りきるものか。無理だ。


 ただちょっと、自分も、自分で──自分以外と、動いてみたいと思っただけ。


「甘蔗ユユを、雇ってください」


 人の嫌な部分を思い出す稗田村の成り立ちを聞かされてもなお、変わらなかった己に頭の中で拍手。

 最後まで泣きだしたりつまづいたりせずに言えたことに二回目の拍手。三回目は思いつかなかったけど、やっぱり可愛いから拍手。


 ──人生を変える宣言をしっかり言い切って、ユユは顔を上げた。



 ◆



 熊谷に象徴役をやらせるという、ユユの前でも言ったことを実行。

 解放されてすぐだからか随分と気の抜けた顔をしていた若者だったが、もともと年長者の極端に少ない村だ、あと数年もすれば納まるところに納まるだろうと君月は予測した。

 田山とかいった、稗多村最後となった罪人をその熊谷に引き渡した際、一応、私刑禁止に関しては強めに念を押しておいた。ここが法治国家であることを忘れた人間が多すぎる、というのが君月の主張の一つである。悩ましい限りだ。


 稗多村の裏の裏の歴史については、いらぬ口出しだろうと協議の末、秘めておくことにした。証拠も生き証人もいなければ、この国では推定無罪となるのだし。恐らくは当事者である丹羽家の唯一の生き残り──丹羽清次郎が最も消沈していたということもある。

 これ以上は彼にとっては暴挙に等しいだろうと判断したのだ。


 終末論は早々と鳴りを潜め、しかし伝承含めたすべてが偽りだったということが浸透するまでは、もう少し時間がかかりそうだった。異常に身を置いた日々が長ければ長いほど、戻るまでには時を要する。そういうものだと君月は説明しておいた。


 その他諸々、後処理に三日。


 この日、ようやく都会に帰る時がやってきたのだ。だが、その前に。


「──ところで今、何しに向かってるんですか?」


「まだ一個残ってた、やっておくべきことさ」


 一行は再び、あの山に赴いていた。ユユが尋ね、君月がにんまりと笑って返す。

 あの後三日間もの間降り続け、白く積もった雪は火事も、蜃が暴れ回った痕も見事に覆い隠していた。


「祠があったろ。山に」


「あ。ありましたね、なんか」


「まさかオマエ……」


 何も分かっていなさそうな表情のユユの横で、半眼の鼎が問う。その背と両手は、罰代わりにと持たされた荷物で埋まっている。ちなみにユユは手ぶらだ。

 鼎の表情は同じ化け物だからという思うところがあるという理屈なのか、それとも単に罰当たりを咎めるという、実に人間的な思考が挟まったのか──ともあれ、君月はそんな自分を訝しむ少女二に景気よく言ってのけた。


「──せっかくだし、あれぶち壊して帰ろうじゃないか」


 と。

 ぱちぱちと瞬きをした後、ユユの目の奥がちょっと煌めいた気がしたのは、恐らく気のせいではないだろう。馴染んできてくれたようで幸いだと君月は思う。

 どうやら、今後もいるつもりのようだし。


「思い出しついでに、もう一個なんですけど」


「なんだい」


「美曙さんってずっと山にいたんですよね? あれってなんでその、襲われなかったのかな、なんて」


「そりゃあ、臆病な引きこもり貝が、突然自らの巣に現れた頭のおかしいやつにドン引いたってだけだろう」


「──。──?」


 きょとん。という声でも出しそうな顔を披露する美曙だった。


「すげエな、『誰のこと?』とかすら言わねえぞコイツ」


「ほんとだ。すごい、自分のことを微塵もそう思ってないって証拠じゃないか」


「よく分からないけど、どちらもぶっていいってことかしら」


「違います。こらえてください」


 この場で唯一のブレーキ役となった、笑顔の裏に疲れをにじませている景に笑いのツボを刺激されつつ、君月はやや下に見えてきた村を見下ろす。

 しばらく家にこもっていた人々も、この三日で積もった雪を掻くために顔を見せ始めていて、君月は口元がほんのり動くのを実感する。自分でも珍しい、真面目な方の笑みだ。

 そして回顧する。


 罪を暴く神なんていない、何故なら──ともっともぶって理屈ばって解説などしていたが。


 もっと他に、全く別の理由があったことを、彼女たちは気づいてすらいないだろう。


「──罪が分かるんだったら、気づかないわけがないだろうってことだよ」


「どうかしましたか?」


「なんでも。そうだ、今いいかい?」


「はい」


 独り言への返答を流し、代わりに景を呼び止める。話題はあれだと示すように顎でしゃくってみせ、自身も視線を向けるのは。山道の先を歩く、美曙と火花を散らし──あれで意外と相性がいいらしい──ユユに叱られている、なんならユユ以上にすっかり馴染んだといえる鼎だった。


「どう思う」


「甘蔗さんが弱みなのは間違いないでしょう。肉体の在り方といい、人との関わり方といい、化け物の中でも極めて異質だとも。御することができれば、こちらにも利はあるのでは?」


「大体同意だけど──行動を起こすのが早すぎるとは思わないかい。僕なら、あと一か月は待ったよ」


 騙し打ちにしては極めて杜撰。もう少し猫を被ってこちらの警戒心が緩むのを待てばよかったものを、時期尚早とすらいえる今回の計画は、話によるとたった一人の少女に全ておじゃんにされたらしい。どうにも愉快で痛快だが、そう笑ってばかりはいられない。


 まるで、何かに焦っているかのような素振りを見せるトウテツ。それが何を意味するのか、所長としては考えなくてはいけないのだから。


 ──揃って一様に脳みそだけを失って発見された被害者。脳髄を啜る化け物、蜃。


 貝の一種には、ヤスリに似た舌で獲物の殻に穴を開け、綺麗に中身だけ吸い取るものがいる。あの赤い目の附いた疑似首で紛らわした貝殻の中には、果たしてどんなおぞましく奇妙な生態が眠っていたのか。


 それを暴く機会は、ついぞ失われてしまった。


「──蜃の死体が消えただろ。あの、峰岸路代さんと話した日に」


 美曙により討ち取られ、地に捨て置かれた蜃の遺骸は、ある日突然に塵一つ残さず消滅していた。

 あの日、鼎ことトウテツは同行しなかった。「気が乗らない」と言って。


 見張りを外したのは失敗だったと、ひそかに悔やんだ君月だった。


「今の甘蔗くんに警戒は無理だろうし。美曙は最終手段すぎるし、彼は……まだ早いか。僕がいないときは頼むよ」


「承知しました」


 いつもと同じ笑みを浮かべ、景は画一的な返事を繰り返す。それを見て軽く白い息を吐くと、君月は合流のため、もとい最後にとっておいたお楽しみぶちこわしのため、歩みを再開させる。


 雪晴れの空に反射した雪山は、ここで起きたことなど綺麗さっぱり忘れたかのように、それはそれは白々しく輝いていた。


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