13 山奥の罪と罰・裏



「妖怪という言葉が、かつてあった」


 君月きみつきがそう口火を切るのを、ユユは布団の上で寝転がりながらちらりと目を向けて聞いていた。患部──刺された方の肩が少し上になるように枕を支えにあてがい、仰向けで、ごろんと。トレードマークのツインテールは今は解いていて、服装は村にあったという浴衣と綿入りの半纏。

 自分ごとながら人に見せるには珍しい格好だなあというのが、目が覚めて一番にユユが思ったことだった。


 あれから一晩明け、場所は戻って例の仮宿。ユユの傷もすぐに手当が施されたのもあって大したことはなく、村人の狂気はあの後すぐに鎮静化。大体の事後処理は終えたと、ユユは起きたときに君月から聞かされた。

 そういうわけで、一同はめいめいにくつろいだ格好で君月の語る説明を待っていたのだ。否、一同というより、ユユが強く説明を求めたためである。


 なにせ、またしてもすべての決着を見届けることなく、ユユは一人だけ意識を飛ばしてしまったのだ。記憶に新しいゾンビ事件のときと全く同じに。

 不甲斐ないとまで感じるほど自省する気質ではないが、ちょっと情けないなとなったユユだった。


「古事記という本が昔あったと言ったね。あれはここ日本の、それはそれは古くから伝わってきた神々の話を記述したものだった。──『神』が出現したのを機に、無駄な火種を生むとされて発禁処分になったけど。それと近い理由で、更には差別用語とまでされた言葉だ」


「神様が……昔から、いた?」


「ちょっと長くなるけど前置きから話そうか」という宣言の後に告げられた内容に、ユユは目をぱちくりさせる。

 ──何故ならユユの習った歴史では、『神』が出現したのは今から三十五年前。

 それまで人は、その至上の導きなくして生きなければならなかったのだと教えられてきたから。


 その言葉に君月は、以前は囲炉裏しかなかった場所にいつの間にか増えていたストーブに手をかざしながら、「ある意味そうかもね」と曖昧に頷き、


「証明されていない神が、多数存在していたんだ」


「証明されて、ない……」


「今と違ってね。例えばこの国には昔から、八百万の神だとか精霊信仰、付喪神なんかもだし。とにかく不思議なものを量産する癖があった。や、不思議なことが起きたらすぐにそれに名前を付けるというべきか。──大陸から伝わってきたものもあるが、とにかく何でもかんでも『モノ』にしちゃってたんだよ。我らがご先祖様は」


 そこを『神』に付け込まれたんだろうけど、と呟いて君月は嘆息した。

 思うところでもあるのだろうか、とユユの頭によぎる前、彼はぱちりとスイッチを入れ直したようで、ユユが上手く言い表せなかったその気配は一瞬にして消え去っていた。


「平たく言えば空想の産物だ。神仏だけでなく、妖怪、あやかし、物の怪、魑魅に魍魎、そして化け物──ただ、中にはいわゆる本物も混じっていてね」


 ユユが聞いたことのない言葉のオンパレードを言い放ち、その視線がついと動く。君月が水を向けたのは、壁にもたれかかり足を投げ出して座る、まるで少女のように爪をいじっているかなえ──つまりは彼の言うところの、本物だった。


 下を向いているが聞き耳は立てていたのか、会話が止まって一拍だけ時が流れたところで、鼎は明確に君月の意図を解したように顔を上げた。

 その目はいつものごとく面倒くさそうな、じっとりとした半目。


「なんだ。なんか言いたいことでもあんのか?」


「言いたいことなら十二分に。ま、もういらないっぽいけど──じゃなくて、どうかってことだよ。心当たりはあるかってことさ」


「化け物呼ばわりが、か? ──あァ。ここ最近の方が物珍しかったよ、最初の頃はな」


 そう聞くと、求めていた証言を得られたとばかりに首肯した君月。

『神』を名乗る以前、その扱いはまるで別物だったと。歴史も通念も何もかも塗り替えて、彼らは顕現してきたのだと。

 次々と明かされる真相に置いていかれそうになるユユの思考は、もっと想像のしやすい──すなわち、より身近で単純な例へと自然と寄っていった。


 そういえば、再び灰色の髪に戻った鼎の──トウテツの辿ってきた軌跡について、聞いてみたことがなかったなと、その時ふと思ったのだ。


 六年前。たまたま道で見かけた遺体を被るまで、彼、もしくは彼女はどこで、どんな風にして生きてきたのか。


 そもそも正確な性別すら不明なこの化け物の、奥底に手を伸ばしてみたくなった。

 ユユはそんな自分の心境の変化に驚いた。鼎と『鼎』の違いを思い知ることも怖くて、避けるように、逃げるようにしてきたのに。きっと原因としてありえるのは、山中での出来事と、それと──。


 ああ、と納得を得て、他は心密かにしまいこむ。

 ──知ったような口も利かれたし。とそれだけ、凄みを利かせる気持ちで鼎をじっと見たユユだった。目が合った鼎に三倍くらいの目力で返されて、ちょっと無理だったので目を逸らした。


「続けていいかい?」


「あっ、どぞ」


「ん。──この村の『神』、その正体はシンという妖怪だった」


「あら、あの貝のこと?」


 一日ぶりに聞いた美曙みあけの声がした瞬間、ユユは一つの決断を迫られた。


 数分前にユユの意識が戻ってから、絶えずしていた音があったのだ。

 ショリ、ショリという、ざらざらした硬い何かが規則正しく擦り合わされているような、やや耳に触る音。傷の位置の関係上、ユユがそちらを向くには結構頑張って首を回さなくてはいけなかったこともあり、ずっと聞いて聞かぬふりをしていたのだが。


 声がした方角からして、その音の発信源は美曙。それゆえにユユは、意識して見ないようにしていたその先へとついに目を向けた。向けてしまった。


 ユユは悩んだ。

 その姿を──先ほどから一人黙々と、延々と刀を研いでいた美曙を目にした瞬間、頭に思い浮かんでしまった単語を口にするか否かで。


 ──苦悩の末、導き出した答えは。


「おにば……」


甘蔗あまつらくん」


「出来心です。見逃してください。ユユ可愛いじゃないですか」


「頼むからボケに回んないでくれ。それ僕の役目なんだ」


「そっち!?」


「こほ」


 特に力を入れずとも響いた美曙の咳払いに、衝動に負けてふざけてしまったユユと、明らかに故意だった君月が揃ってぴしりと固まる。

 判決が下るのを待つ囚人のようだったと、そのときの心情をのちにユユは語った。嘘だ。


「……どちらかと言うと、その反応の方が腹立つわ。腫れものじゃないのよ。私だって傷つくの」


「うわ知らなかった。教えてくれてありがとう」


「後で覚悟しときなさいなミツキ。──おはよう、ユユちゃん。お疲れ様」


 そう言って美曙は慈母のごとき微笑みを浮かべた。前半はまさにおにば……だったが、その笑みの持つ包容力たるや。ついでにユユとしては、あの鬼神のごとき奮迅を見てもなお、その言葉と顔に安心感を覚えた自分の単純さたるや、でもあった。


「お疲れ様です。……すいません、一人だけずっとぐうたらしてて」


「いいの。安静にしててちょうだい」


「鬼婆、」


「何?」


「……はさておき、話の続きだ。蜃の話だよ。──蜃気楼って言葉があるだろ。あれの語源がそうだ。すなわち蜃というのは霧を吐き、幻を見せる存在だったのさ」


「──。貝の中にいたのが本体。あのにょろにょろしたのは攻撃手段と、自分を強く見せるため。人を怖がらせるための、つまりはハッタリね」


 美曙による補足、更にはそれに「あの赤い目──模造だろうけど、あれが幻覚を見せていたわけだし、洗脳用でもあったんだろう」と君月による補足の補足が入る。ユユは寝っ転がりながらふんふんと、動かしづらい頭を少し上下させた。


「順を追って説明しよう。まず、この村を縛ってきた根幹、『罪』が植え付けられたものってことには早々に気が付いてた。使ったのは夢か薬物か幻覚か、ま、この中のどれかだろうと」


 君の証言も大いに役立ったよ、と君月は言った。


「それは、……どうもです」


 何と返すべきか、ユユは迷った末に短く。どういたしましては、ちょっとなんだかなと思ったのだ。

 同時にユユの頭の中で、あの霧の中で言われた──「コイツも、なんも知らねえよ」というセリフが蘇る。鼎も分かっていたのだと、遅れながらも得心がいった。


「そもそも罰が下るタイミングがおかしいんだよ。罪を犯した時点ではなく、それが判明し、村人によって裁かれた時点で『神』からの罰が下る。こんなんで神は罪が分かるんだーとか、思えるわけないだろ?」


「そうなの?」


「あ、確かに」


 何らかのカラクリがあったと語る君月に納得するユユ。美曙は通常運転。一方で、それに生温かい目で首を縦に振った君月の顔が段々と赤くなってきていることには触れた方がいいのだろうかと、ユユはぼんやり考え始めた。

 原因は十中八九、どう見ても近すぎる位置にあるストーブだと思うのだが。


「そこまでは早かったんだけど、正体に関してはこれだ! っていう決め手がなくてね。よっぽど人前に出たくなかったのか──最後は土壇場で何とかするかって感じで、時間もないし手っ取り早く僕が捕まりにいった」


「そうなったとき、私は身動き取りやすいようにって、早めに山に入ったの」


 一番気にかかっていた部分が解消されて、ユユはひっそりと溜息を吐いた。自分のせいとか、置いて行ったことが悪いわけではなかったという安堵と、もう一つ。


「顔に出るタイプだよね、君。先に言えって?」


「……そうですよ。すっごい罪悪感、って感じでした」


「ごめんごめん、次からそうするよ。で謝罪ついでに今から一個、重要な話だ」


 そう言っている間にも血色がよくなっていく君月の頬。言うべきかどうか、多少それに気を引っ張られるところもあったが、それよりも彼が口にしたことの方が、気づけばユユの心を占めていた。

 それは確かに重要で、十二分に温まった室内ですら、背筋が薄ら寒くなる話だった。


 ──信仰とは、等価交換が基本であるこの世界において唯一、無償のものなのだと君月は言った。


 それを捧げることは、すなわち相手への隷属に等しくなる。本人にその自覚はなくとも、それだけで一種の契約を結ぶこととなるのだと。


 もちろんただの契約ではない。身も心も一方的に委ねてしまうような、ひどく偏った占有契約を。


「そういう話を、以前に聞いたことがあってね」


 そして、契約を結んでいない相手に手を出すというのは、どうやら大いに苦痛を伴う行為らしいと彼は続けた。


「実は化け物にもルールがあるんだよね。僕も意外に思った覚えがあるよ」


「それはユユも聞きました。こいつから」


「へえ。何それ、どういう状況?」


「うるせエ。必要だったから言っただけだ」


 飽きたのかいじる対象を爪から髪に変え、今度は枝毛を探しているらしい、少女然としすぎた化け物。あの山中での出来事に関しては、ユユも深掘りされると恥ずかしい部分もあるために触れなかった。


「そういうわけで囮になった。一般人を『罪人』にさせたままではまずいし、契約対象外でいられる僕なら代役にはもってこいさ。──あの裏切りは予想外だったけど」


「あ、ほら。ごめんなさいしてトウテツ。今、チャンス」


「……。…………いらねエだろう」


「うん。確かに君が告げ口しようとなかろうと、結果は変わんなかったけども」


「……けども、なんだ」


「僕が見たい」


「────」


 ユユが今まで見た中で、それは間違いなく最も不機嫌な顔だった。


「──すまねエな。矮小なニンゲン」


「ありがとう、間抜けな化け物。随分と気になる関係性の変わり方だけど、そこは置いとくとして──後は適当に挑発して時間稼ぎして喋って喋って、奴がまんまと出てきたところで、って感じだね。君らも知っての通りだ」


「質問いいですか」


「はい甘蔗くん早かった」


「ユユのやったことって……その、あれでよかったんですか、ね。あの後すぐ、蜃っていうのが出てきて、狙われたんですけど」


「ああ。放火あれ、そういや君だったか」


 場の雰囲気に呑まれるようにして、託されたライターに意味があるような気がして、火を放った。

 一連の行動を振り返ってみて、割ととんでもないことをしたことに今更ながら気づいた。

 やばい女の子になってしまったのだ、ユユ──となんだか妙に切ない気持ち。


 目に見えてゆらゆらと小さく左右に揺れ始めた君月が咳払いを一つすると、


「そもそも、美曙にライター渡したの僕だから。想定内。けど案の定」


「詳細はどうあれ、思い出しただけで褒めるべきよ。そう思わない?」


「もっと酷かったときのことを思い出したよ。霧を晴らすなんてことしたら真っ先に狙われるだろうから、君に託したんだけど」


「次は手に書いておくわ」


「そこはオレがなんとかしてやったんだぜ? なァ、ユユ」


 自慢げに笑う鼎にユユはべー、と舌を出しておいた。一回感謝したのだから、それ以上は調子に乗らせるだけだと、そろそろこの化け物の扱いも分かってきたという自負があった。


「とにかく、よくあれの使い道に気づいたね。この仕事向いてるよ、君」


「──」


 すぐに言葉を返せなかったのは、思ってもみなかったことを言われて驚いたからでも、ましてや褒められて照れたからでもない。


 ──それが、神宿相談所ここを続けるかどうか、ずっとユユが決めかねていたことを見透かしたような発言だったからだ。


 ゾンビ事件の後、無理を言ってユユがここにもぐりこんだのは、まずは相談所にとっての監視対象となった鼎の動向が気にかかったため。もちろん、助命を願った責任を感じていたのもある。

 もう一つは非常に自分本位な話だが、ユユ自身がこれから鼎にどう対処していくべきか、それを考える時間がほしかったから。


 ──言ってしまえば、突然降りかかった非日常からの抜け出し方が分からなかったのだろう。またしてもユユは停滞を願ってしまったのだ、自覚済みの悪癖のままに。


 その二つの問題はあの山中で、一気に解決してしまった。

 つまりは簡単に言えば、鼎に対しての警戒心が緩んだのだ。


「ユユ、は……」


 ユユ一人ではどうしていいか分からないから、鼎を押し付けるかたちで相談所に自分ごと押し入った。

 それが今回のことで、自惚れのようでもあるが、鼎を自分だけで抑えられるという確信を得て。もちろん一番大きい『押さえ』は君月と結んでいる契約だろうし、鼎の特殊な食糧事情も相談所に任せることになる。全部、ユユからお願いして、了承してもらう必要がある。


 もう、あんまり危険な化け物じゃない──と、思うからと。

 責任もってユユが面倒見ます、と。


 元の形には戻れないけれど、元のように二人、似非女子高生として生きていくのもできるんじゃないかと、思ったのだ。

 そもそもこの上なく危ない羽目に遭ったし、なんだか世界規模の洒落にならない話が多すぎるし、ユユは元々、何にも知らない小市民でいたいタイプだし。


「……だから、」


「あ」

「え」

「あら」


 ふらり、君月の上半身が一際大きく揺れた。


 焦りなのか諦めなのか、半笑いで固まった赤い顔が真後ろに傾いていって、一定の角度に達した直後、衝撃音。

 後頭部と床が激突したそれに、ユユは思わず目を瞑ってしまう。「はっ」と鼻で笑ったのは間違いなく鼎だろう。最悪だ。ユユが恐る恐る目を開けて、言葉をかけるようとしたそのとき──、


 がらりと、引き戸が開く音がした。


「──戻りました……その顔、またのぼせたんですか」


「うん。またやった」


 いかにも反省していない風、君月のへらへらした返しに戸を開けた人物がため息を吐く。背後から美曙が簡単なねぎらいをかけていて、それにその人物が言葉を返す。

 そんな中、ユユはむくりと起き上がった。肩の痛みは全然無視できる程度、それよりも優先すべきことがあったから。


「──。あの、誰でもいいので」


 視線を前方に固定したまま、全方位に向かって問いかける。


「説明ください。じゃないとユユ、もう一回倒れます」


 彼が開け放った門口から入り込んだ風と同様、静かで冷め切った宣告が、たった一人置いていかれたユユの口から漏れる。

「はっ」と鼎がもう一度笑ったのが聞こえた。


 外から戸を引いたのは穏やかな笑みを常に携えた、実に拍子抜けな現れ方をした二人目の行方不明者。

 椿原つばはら景、その人だった。



 ◆



 昨晩のことをユユは思い出す。厳密に言えば諸々の不安要素のうちの一つ、景の所在の予想をユユが尋ねたときの、


「景くんがいなくなって、ミツキが普通にしてられるわけないもの」


 などの美曙の発言を、だ。つまりは大丈夫と言いたいのだろうと、そのときのユユは努めて上向きに解釈した記憶がある。じゃあもういいよ、よく分かんないけどもういいよと、よく分からないながらも言葉足らずをそのまま受け取ることにした覚えが。



 そしてその答え合わせはあまりにも唐突に訪れる。

 それはひょっこりと表現するほかない、不意打ちの帰還だった。


「先に要点だけお伝えします。田山たやまが吐きました」


「誰だっけ」


「今回の『裁判』の発端、原告です。証拠を突き付けたところ、割とあっさりと。逃げる気力もなさそうだったので、ひとまずそのまま自宅に置いてきましたが……」


「見張り付けとこうか。美曙、」


「行けばいいのね。了解」


 君月は上半身を床に投げ出したまま、戸を後ろ手に閉めた景がそれを見下ろして、

 ユユにはちんぷんかんぷんな話をしている。呼ばれた美曙が立ち上がると──その際ユユは、刀が鞘に納まる音が顔の真横からするという、大変心臓に悪い思いをした──景と入れ替わりに戸口へと向かう。


 二言三言以上に、というか何度も美曙にその家の場所を説明し、確認し、腕を伸ばして指し示してみせ、念のためかもう一回──と繰り返している景を見て、「やっぱりこの人から見ても美曙さんってそんな感じなんだ」と思ったユユだった。


ようやく「行ってくるわ」と美曙が自信満々に出ていくと、景は目線をユユの方にやった。微妙に疲れた感じがしたのは気のせいではないと思う。


「お疲れ様です。体調はいかがですか?」


「えっと、普通です。ちょっと痛いだけです。……あ、お疲れ様です」


「はい」


「……え、あの」


 どこいたんですか、と眉を思いっきりひそめながらユユは当たり前の質問をぶつけた。説明を求められた景は「はい」と承諾の笑みを見せ、


「美曙さんと同様、村人の矛先がこちらに向くことを想定して一時避難していました。──俺の役目はその間、『家探し』をすることだったので」


 そう、前半部分はちょっとユユも予想していた通りの内容の。後半は全く想像だにしなかったことを口にした。

「あと、美曙さんに合図を出すのも俺が」「あー……」というやり取りの後、彼はおもむろに歩み入ると、無言で床に置いてあったストーブを持ち上げた。「あっ」という情けない声は、それを取り上げられたかたちになった君月。何とも言えない空気が流れる。


「……ま、いいや。そう、家探し。ていうか証拠探し。頼んでたんだ。よっこいせっと」


 諦めたように億劫そうながらも上体を起こし、あぐらをかきながら君月が補足。すると、短すぎて分からないと、無理解をありありと顔に浮かべたユユを見かねてか、美曙がいた辺りにストーブを置きなおした景が確認する。


「まず、『裁判』のことは覚えてますか?」


「覚えてます。この村やばって、最初に思ったときのことですし……あっ、あの『畑がダメにされた』って言ってた人!」


「その人その人。どうにも臭かったから、暇するだろう景に調べといてくれって言った」


「はい。調べた結果、訴えを起こした張本人──田山氏の家から不自然な量の農薬が見つかりました」


 畑に農薬が撒かれていた、だから犯人を捕まえてくれと。

 罪人を裁いてくれと、気弱そうながらもしっかりとした意志を持って訴えていた男。

 その男を──彼に訴えられ、あの『裁判』の中でも「俺はやってない」と頑なに認めなかった被告の若者のことを、ユユは思い出した。


 持ち歩いていた杖を取り落とした彼を襲い、それを身を挺して庇ったユユに阻まれたのも、あの田山という人だったということも。


 その全てが、ようやく腑に落ちる。


「自作自演、だったってことですか」


「そうなりますね」


「ちなみに、ここまでが君が起きる前の話。景から報告受けて、じゃ尋問までしてきてくれって送り出した結果がさっきのやり取りってわけ」


「──。なんで、」


 この村で起きていた、『裁判』という名の集団排斥の要素を含んだ生贄制度。そこに、自分以外の人間にわざわざ罪を擦り付けて、差し出すなんて。


 考えなくてもユユにだって分かるくらい、酷いことだ。


 どうしてそんなことができたのか、事情を聞く前よりも更に膨らんでしまった無理解を表情に宿し、ユユは疑問を零した。


「なんでそんなこと……あの熊谷くまがいって人、死んじゃってたかもしれないのに」


「簡単だよ。自分が死にたくなかったからさ」


 愚問だと言わんばかりにあっけらかんとした君月に、ユユの言葉が詰まる。それは思考が閉ざされたからではなく、むしろひらけたからだった。


 どんな事情があれど人を殺そうとするなんて、意味が分からない、理解ができない。

 ──そんなお花畑みたいなことを思えるほど、ユユは、ユユの中身は可愛くできていない。それなのに、今の自分はそう言いかけていたのだと分かって、何も言えなくなった。


 人が理由さえあればどこまでも残酷になれることを、ユユも知っていたというのに。


「──愚かなもんだなァ」


 それまでずっと口を閉ざしていた鼎が静かに、超然と文字通り人事ひとごとの口調でそう言ったのが、ユユの胸の内を妙に搔きむしった。

 目を伏せて見るからに気落ちした様子のユユ、それを知ってか知らずか君月は「続けるよ」と断りを入れて、


「僕の予想だけど、彼なりにきちんと理屈はある……や、あったんだよね? 景」


「はい。おおむね、君月さんが言われた通りでした。彼は故・峰岸進みねぎし すすむさんのことがあってから、計画の実行を決意したと」


「峰岸……あ、お葬式の」


 この村への来訪のいわば口実、ダシに使われた男性、直近の『裁判』による被害者の名前が君月の口から飛び出してきた。ここから話がどう転がるのかと、ユユの意識がそちらに寄ったのを認識したように君月が頷く。


「この村、年寄りが異常に少ないんだ」


「……そうなんですか?」


「うん、そう。老人どころか多分、六十代以上も数えるほどしかいない。いても、ボケてたりね」


 山奥という過疎地に存在し、独特のいたましい風習によって外界から隔絶されたこの村は、不思議なことに限界集落ではなかったのだ。言われてみると、ユユも聞き込みをした相手は二十代から四十代と、比較的若い人ばかりだったような気がして、ああ、と納得がこぼれ出た。


「考えてみると簡単で、『神』にとって邪魔だったんだろう。改ざんされた過去を知っている世代なんて、とっとと消しておくに越したことはない」


「邪魔って思った蜃が、やった……?」


「だと思って、」


「はい。伺ってきました。確かに『罪人』の選抜は、昔は『神』によって決められていたと。もうあまり覚えていないが、白昼夢のようなかたちで『お告げ』があったと言っていました」


「それも幻覚か。予想通りだ」


 年を取った人から順番に殺されていったという、聞きようによっては姥捨て山にも近い歴史。生き残った人々は偽の伝承を作り上げた『神』に操られるまま、自分たちの間だけで行われるようになった罪の塗りあいから逃れるため、間接的な殺人という罪を重ねていったのだ。

 そう、ユユはやっと理解した。


「僕らがこの村に来る直前、一人の男性が死亡した。他でもない、峰岸進さんだ。彼はまだ五十三、そしてくだんの田山はたった二つ下。自分の番が来たと、そう思ったんだろうね」


 顎に指を当てた君月が淡々と述べる。


 三十五年の間、押し付け続けた死を見続けて。いざ全く同じものが目の前に迫ったとき、彼が何を思って、自分より一回りも二回りも下の若者を自分の代わりにしようと考えついて、それを実行に移したのか。


『裁判』の最中の、田山のやけに人の目を気にした落ち着きのない素振りと、「逃げる気力もなさそうだった」という景の言が、今一度それを思い返したユユにやりきれない感情を芽生えさせていった。


「……あれ」


 ふと、この村に来てからのことと出会った人とをしんみり振り返る中で、ユユは唐突に瞬きをした。一つだけ、まだ明かされていないことがあったと気づいたのだ。


「確か一人、いましたよね。おばあちゃん、」


 村に来て、ユユが最初に会った人。泥濘の目をした喪服の老婆、ここが『罪人の村』だと一行に最初に告げた相手。

 老人が真っ先に消されていったのならば、いるはずのない存在だ。


 それを聞かれた君月は、顎に当てていた指を思案げに彷徨わせ、うーんとしばらく宙を見つめたあとで、


「甘蔗くん。──今って、歩けるかい?」


 そう、尋ねたのだ。


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