二・山奥のラスコーリニコフ
1 神宿相談所+αの喧噪
東京都内のそこそこ都心。
人口は役所に届出がなされているのが千人程、しかし実際の総数は不明。割合としてはギリギリ人口過密ではない程度と予想される。
違法建築、不法居住者、実質的な無法地帯。三拍子揃ったその街は、外界から隔離されるかのように周囲を玉垣と
毒々しい色のネオンサインを洋とするならば和洋折衷。こう表現する者はいないだろうが。目にも鮮やかに彩られた、独特の意匠と造形だ。
かといって繁華街というには夜の店が多いというわけでもなく、更にいうと活気もない。淀んだ空気はどちらかというとスラム街──ドヤ街に近く、しかしこの分類もまた適切ではない。
確かに「誰が何の目的で、何故作った」と言いたくなるような、芸術としても大半が落第に近い奇怪な見た目の建物──それも数多くある──を筆頭に、どこもかしこもごみごみとしていて雑多で、街自体、むしろ『汚』の部類に入るだろうが。
この街には生活感がない。風にはためく洗濯物も、表札すら滅多に見当たらない街。それが何よりの異常で、否定材料だった。
機能的といえる点は皆無。げに怪しげで無秩序、継ぎ足し継ぎ足し作られていったような、その無鉄砲とも思える造りにはどこか稚気を感じるほど。
そしてもう一つ、あだ名の由来は単純で、要するに街の犯罪発生率だ。
『神』の出現以来、全国的に犯罪率は上昇した。世間の混乱に乗じた「火事場泥棒」があちこちで多発したのだ。しかしこの街はというと、その上がった平均を容易に上回る。自治体が機能していないだとか、それは街そのものが一夜にしてできたからだとか、注連縄の内側は神の領域、それゆえ手出しができないからだとか。
噂は数多く立ったものの、実際のところはただ行政にそっぽを向かれ、放置されているだけ。そんな悲しい真相はさておき、信用するのは言葉ではなく数字だけにするとしても。
一見ふざけて付けられたように思える「眠ったら死ぬ」というあだ名が、あながち間違ってはいないという事実に変わりはない。
神宿は紛れもない無法の街。それが一般常識であり、ゆえに自身を紛れもない一般人と自負するところである──それも十七歳の少女が。
そこに自ら足を踏み入れるなんて経験、したこともなかったのだ。──つい先日までは。
長いツインテールを揺らす少女が、入り組んだ路地に迷うことなく入り込む。今日も今日とてピンクと黒の制服姿。違いはリボン、今日はレース生地。色はいつも通りの真っ黒だ。
時刻は昼過ぎ、街の代名詞ともいえるネオンサインが点灯するにはまだ早い頃合い。人通りも少ない、一面白茶けて薄汚れた灰色の街を、不釣り合いに可憐な容姿をした少女が颯爽と通りすぎる。
慣れた足取りで角を一つ二つ曲がり、裏路地を抜けたその先。重々しく、どこか寂れた雰囲気を漂わせる扉を躊躇いなく押し開いた。
「──お疲れ様です。回収きましたー」
「はい来た帰れ。今すぐ帰れ」
気負わない調子で来訪を告げるや否や、聞こえてきたのは怒涛の「帰れ」コール。それを受けた少女──ユユはしかし、動揺を見せる様子はない。なぜなら、そうして退去を切に願われる対象はユユではなく、声はすでに室内にいる相手に向けて発せられたものだからだ。
「よォ。邪魔してるぜ」
ユユと声の主を含めた視線が集まる先、常に眠たげな目を更に細め、口の端を片方だけ持ち上げるもう一人の少女。
厭味ったらしく片手を上げてみせたのは、癖のある灰髪の小柄な少女──めいいっぱい足を伸ばして二人掛けのソファを一人で占領する、自称『神』こと現・
「いい加減にしろよ化け物。お前今日で何回目だ。うちは休憩所じゃないしセーフハウスでもないんだよ、なんならデンジャーハウスなの、お前みたいなのにとって」
『人の心の機敏に疎いが、聡明でなんやかんや頼りになる所長』は、あれでどうやら割と作ったキャラだったらしい。うんざりした表情とそこに浮かぶ嫌悪を隠そうともしない青年──金と黒のハーフカラーが特徴の、
「まアそうだなあ、ゆっくりしてけよ。なァ、ユユ」
「はい、今すぐユユが連れて帰ります。
互いが互いの話を一切気に留めない、三者三様の主張が会話の体をなさず一方的に通り抜ける。当然のことながら、いまだ寝転ぶ鼎が他二人に睨まれる結果だ。
ここ一週間と少しですっかり馴染みとなった光景を前に、これまたその全てをどこ吹く風と素知らぬ顔で紅茶をたしなむ者が、あと二人。
その一人のいる方を目だけ動かして見やり、意を決した口調の君月が宣告する。
「分かった、そっちがその気ならけしかけようじゃないか。
「けしかけられるわ」
──あ、受け入れるんだ。犬扱いしないで、とかじゃないんだ。
ぴくりと頬を動かしたユユの内心を知る由もなく、優雅に微笑む美女こと、
今日のコーデも和洋折衷。淡い色合いの着物の下、黒いリボンタイ付きのフリルブラウスが楚々として美しい。普通に鞘に手をかけ始めた美曙を見てそろそろ遵法意識について改めて聞いた方がいいだろうか、との考えがユユの頭によぎったが、やっぱり今じゃなくてもいいかと思い流すことにした。
そんなユユをよそに実力行使を匂わされた鼎は舌を出し、緩慢な動きで立ち上がる。何がおかしいのか、不気味にもくつくつと笑いながら。
「お疲れ様です、
それを尻目に作業中だったらしい書類をデスクに置き、穏やかな調子でユユに声をかけた青年。長めの前髪をさらりと左に流し、反対側をピンで留めた全身黒のフォーマルスタイル──
それこそ神宿内なら、探せば他に稼げる仕事もたくさんあるだろうに、もったいないなあとユユはちょっと思っている。余談だが。
「大丈夫です、教えてもらったルート通れば、全然。まだ昼ですし。……それに、ユユが言い出したことなので」
「そうですか」
後ろめたいということでもないが、なんとなく視線を下にやりつつの返答だった。
一方の鼎はというと、ユユのお陰で一命をとりとめたわけだが、その態度は妙にふてぶてしく、なんなら徐々に幅を効かせるようになってきている。
二日に一度くらいの頻度で無断で相談所に上がり込んでは、そのたびに呼び出されたユユが引っ張って帰るのが恒例行事となっていた。
──そのお陰と言ってはなんだが、あのとき鼎に感じた圧倒的な畏怖も、今ではめっきりとその影を薄くしている。
代わりに、どうにも形容できないモヤモヤとした気持ちがユユの心を取り巻いているのも事実だったが。
──そこらへんは今は一旦、置いておくことにした。
そういうわけで、ユユは「ルートねえ」と目を窄めて何か呟いている鼎にずかずかと歩み寄り、
「随分と気味悪ィ街だよな。なんでこんなンができたんだか」
「いいから帰るよ。か、……ほら」
冷たく突き放したような言い方を心掛け、呼び方はまだ考え中。手も差し伸べたりはしない。
ユユが鼎と出会ってから、十一年。実にその半分を本当の鼎ではなく得体のしれない何かと過ごしていたらしいという、衝撃でしかない真実。
疑問は大いに残るし、全部を受け入れて納得したと言い切れるほど、ユユは図太くも強くもない。
──ユユは未だ、『鼎』をどう扱うか決めかねている。
できる限り頑張るけれど、自分でもはっきりと分かるほどユユは感情を表に出さないのが苦手で、今もそれが恐らく伝わっていたから、
「──せいぜい悩め。オマエが白黒つけらねエって喚いてぐずぐず迷い続け、そんでこれからもコイツらからオレを庇ってくれること、願ってるぜ」
ユユにだけ聞こえるように耳打ちされた、すれ違いざまの鼎の囁きはまさに図星というほかなかった。ユユはバッと顔を離し、白々しく遠ざかる後頭部に向かって──否定の言葉の一つすら、口をついで出てこない。
悔しい気持ちに唇を噛みしめると、ユユは振り払うように勢いよく頭を下げ、
「っ、じゃあこれで。失礼しました、ほんと、」
「あー、ごめん。今日はちょっと待ってくれ」
思わぬストップがかかり、顔を上げたユユが目をぱちくりさせる。待ったを口にした君月は何か言いにくいことでもあるのか、どことなく視線を彷徨わせており、不穏な気配。扉に手をかけた鼎もそこで止まり、どうやら背後で様子を伺っている。
息を吐き、切り替えるためか組んだ両手を大仰に机に乗せると、君月はようやくはっきりと告げた。
「今朝、うちに依頼が来たんだ」
「えっと。はい」
「ちょっと来てほしいって言われててね、大体一週間くらいかな。依頼人のところ──とある村にしばらく滞在することになるんだけど。予定、空いてたりする?」
一週間。村に滞在。ユユにしてみても、なかなかに聞いたことのない状況だった。相談所と銘打ち、神宿と地名を冠している以上、近場の問題解決に尽力するイメージだったのだが、随分と行動範囲の広いことだ。
というか、つまり。
「それってユユも行く、ってことですか? その、依頼」
「うん。あ、いや。なんだけど、っていうか」
なんかものすごい断定避けるな、とユユは思った。動機はさておき働くと言い出したのはユユの方で、別にやぶさかではないのだけれど。実際問題、役に立つかどうかもまた、さておくとして。
その奇妙な言動の答えは、なんとも言えない顔をした君月の視線の先にあった。
「ねっ。女子旅しましょ、ユユちゃん。親睦旅行よ」
語尾に音符でも付きそうな調子で、見るからにうきうきとした様子。口元に袖を当てがい、小首をかしげた美曙が麗しくも満面の笑みをユユに向ける。
──その後ろで、感情が顔に出る出ないの差はあれど、揃ってどこか明後日の方向を向く男二人を見て。
可愛くも空気の読めることに定評のあるユユは、きちんと首を縦に振ったのだった。
「で、いつなんですか。その村に行くのって」
「明日」
「明日!?」
◆
実際、その通りだった。
「いやほんと、全然断ってくれてよかったんだよ? 元々僕と景だけの予定だったし」
首都高を走る黒のSUV。その助手席に座る君月が首を伸ばし、本日何度目かの念押しを後部座席のユユに向かってする。くどいくらいだが、まあ必要なんだろうなというのはユユの察するところでもあった。もっとも、
「今更帰るって無理くないですか? それに、なんか流されましたけど、別に嫌ってわけでもないので」
「……一応、前のときみたいな事態も想定しといてもらえると、」
「ユユそんな深いこと考えてないです。なんか、こういうのいいな〜って思っただけです」
「いいな〜。ねえ」
わざと軽い調子で言ってのけたそれに対し、探るような目つきになる君月。
探られたくない腹があるのは本当だったので、ユユはさっさと顔を背けて窓の方に目を向ける。その肩口を、ふいに柔らかい何かが掠めてくすぐった。
「ちょっ、」
「そっち詰めてくれや。こっち真横に刃物あんだぜ、怖くてしゃーねエの」
見た目通り少女らしくユユの肩に寄りかかりながら、可愛げのかけらもない台詞をぬけぬけと吐く鼎。
後部座席は左から順に、ユユ、鼎、そして美曙で定員一杯。狭いのは事実だが、にやつくその顔が気に入らない。
なので無視して──面倒なのでスカートの袖を掴んで端の方に身は寄せつつ──「何が気に入らないのかしら」と微笑む美曙を見て、無用な火種を生みたくなかったのもある──ユユは愛らしい唇をへの字に曲げると、もう一度君月に視線を合わせて主張した。
「これです」
どういうつもりかは知らないが、何故か結構乗り気だったのがこの鼎だ。
これ以上ないほどのユユの同行理由を聞いた君月が、苦笑いを残して引っ込む。
「ほんと姦しくなったもんだよ。ねえ」
「ええ。予想外でした」
ドアポケットに肘を置いた呟きに言葉を返すのは、君月の隣でハンドルを握る景だ。ルームミラーに映るやんわりとした微笑と、大方の予想に反さないきっちりとした安全運転。
所長というからには本人が運転するのかと思いきや、の采配だった。先日の事件も踏まえて、君月に対しユユの中であまり仕事をしない疑惑が持ち上がる。
静かになった後部座席をどう思ったのか、にゅっと君月が再び顔を突き出してきた。そして何やら深刻そうな口調で、
「僕の運転する車。乗りたい?」
「嫌です!!」
「ふっ」
瞬間的に拒否が発動。なるほど。言われてみると、根拠はないがなんとなく、ものすごくダメな気がした。
もっとも失礼なことには間違いなく、反射的に口に出してしまった直後、分かりやすくまずいという顔になったユユ。しかしどうやら想定内だったようで──ある意味想定外だったのか──一瞬おかしそうにした君月を見て少しの安堵。そして彼はわざわざ表情を戻して、身構えるユユに向かって言った。
「じゃあ、美曙の運転する車。乗りたい?」
「いっ、」
バッとユユは右を見る。ばちり、美曙と目が合った。「どうかした?」と不思議そうに首を傾けられる。大丈夫、まだセーフと心を鎮め、ユユはとびきり明るく、あと可愛く、
「──隣にいてくれる方が嬉しいです!」
「あら嬉しい」
「上手い! 上出来!」
手放しに賞賛されてここまで嬉しくないことってあるだろうか。あんまりない気がする。
肩を落とし、十七歳にしては重い安堵のため息を漏らしたユユ。横の鼎がぶっ、と行儀悪く吹き出したがこれも無視。
「ま、そういう感じで」と席の向こうに引っ込んだ君月が続け、ユユは脱力しかかった体を改めて引き締める。
「着くまでの間、依頼について再確認しとこっか」
再確認と言いつつ、詳しい内容はユユにはまだ知らされていなかった。というか自分から、なんか真面目っぽくするのもなあと思って聞いていなかった。つまりはこれが初聴となるのだが、
「今回の依頼は匿名で。向かうのは山のふもとに位置する人口百人程度の村、
告げられたのは、初仕事にしては妙にスケールの大きい依頼だった。
─────・・
お待たせいたしました。第二章開始です。
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