6 被害者/被疑者
またこの人は何を言い出したのかと、その発言を聞いたユユは一瞬にして半眼になった。
「この際だからはっきり言っておくと、
それがこの一言だ。美曙の行方不明が確定し、さすがの
彼女が消息を絶ってからそろそろ四時間、ふざけている場合ではないとユユは思うのだが。
「基本的に全てのことに対して、殴って解決できたらいいのにとか考えてるタイプのバカだ。闘牛に近い。それかゴリラ」
「は?」
「待って聞いてくれ、大事な話だから」
あまりにもあんまりな比喩表現に、思わず心からの「は?」が出てしまったが後悔はしていないユユである。本人の不在時に、それも女性に向けるものではない、というか普通に誰に対しても失礼。
──本当のことを言うとユユもちょっと考えていたことでもあったので、分からないでもない評価だったが。それにしてもな言い方だった。
しかし大事と言った通り、君月の表情は真剣そのもの。
文句をつけても埒が明かないと悟ったユユが言われた通りに口をつぐめば、彼はこれまでに思いを馳せるように目を瞑り、顎に手を当てて、
「会話は通じるし、ちょくちょく変な言動を見せるがとんでもないヘマをやらかすことは少ない。……いやたまに洒落にならないな。じゃなくてあれは恐らく、他者との交流を含め、社会的活動のほとんどを本能、もしくは条件反射──無意識の野生的な勘と多少の経験則でもって行っている。共同体を形成し始めた頃の原始人のようなものだ」
「すいません。何言ってるか分かんないし最悪な例えしないと死ぬんですか?」
「まだある」
「なくていいです!」
「何じゃれてンだ」
呆れたような声が挟まる。薄目を開けた
──ちなみに、先の美曙評を聞いた鼎が、気分よさそうにその口元を緩めていたのをユユは目撃しているのだが。あれは一体どんな感情に由来するのか。
「あの女、そこいらのタマじゃねえだろ。随分悠長じゃねえのかオマエ」
「ほーう。化け物に語られたくないんだけど」
「君月さん、今は巻きで」
「分かった分かった。結論、つまり行動パターンが想像しやすいってこと。村人が関わってるなら……名前は分からないんだっけか」
「……はい。すいません」
矛先を向けられたユユが視線を下にやる。ユユ自身、聞いておけばよかったと後悔するところでもあり、声がしぼむ。
それを聞いた君月は気にするなといった風に手を振って──にしても落ち着きすぎではないのかとユユは思ったが、
「いい。予測は立てれるから、明日こっちで調べようと思う。何時からだっけ、葬式」
「十時です。それより前の行動はさらに印象を悪くするため、控えた方がいいかと思いますが」
「だね。けど印象に関しちゃしょうがない、あの場ではあれが最善だった」
私欲にしか思えなかった『裁判』への乱入にも、確固たる意図があったらしい。と、ふいにぴし、と指が伸ばされ、その先にいたユユが目をぱちくりさせた。
「
「え? ……結構古いですけど、神社のお参りとか?」
「はいちがーう!」
「怒っていいですか」
「どうぞ。遠慮なく」
「なんで
景だけが透明な笑みを含ませるそんな会話をよそに、ユユは君月を瞬きせずに見つめた。加えておもむろにぐっと拳を固めることで、「ごめんって」という両手を上げた降参宣言を引き出させることに成功。美曙に倣った甲斐があった。
「こほん。正解は恐怖だよ。おそれ──難しい方の漢字の『畏れ』。畏怖とか畏縮とか、あれだ」
咳払いののちに提示されたそれが、何を指して言っているのか。今日、目にした出来事を思えば答えは明白だった。
いくら『神』に関する決まり事とはいえ、身勝手に罪を押し付けあう『裁判』がこの村で行われていること、その根源は──、
「怖いから。やらなきゃ怖いぞって、言われてるから」
「殴られたくない。痛いのは嫌だ。死にたくない。動機にさせる感情はそれだけでいいし、本能に紐づくものであればあるほどいい」
「それがその、信仰に繋がる……?」
「そう。示されたデメリットを避けるため、人は容易に楽な方へと流れ、垂らされた唯一の救いに縋るようになる。ちなみにこれを負の強化と言う。──報酬を与え、正の強化を手法とする洗脳よりも随分楽な手法さ」
含みのある言い方の君月がちろりと鼎を見やり、当の本人が肩をすくめるのが見えた。
村で起こっていることへの説明がついたあたりで──ん? とユユは勘づいた表情を見せた。
君月と、口ぶりからして景が美曙の捜索に向かうのならば、その間、ユユにできること、すべきことは。
「『裁判』がそれで成り立ってるとして……ユユに言ったってことは、つまり」
「いいね、察しの早い。どうやら既に味わったみたいだし、適任だろう。頼んだよ」
結局、最後まで緊張感の欠片も見せなかった彼は、飄々とそう託してみせた。
◆
夜が明けて、葬儀も滞りなく終わり。
ユユの今日の服装はいつもと少し変えて、グレーのセーターに黒のブレザーを合わせた。ユユ自身は弔問客ではないが、一応きちんと喪に服す姿勢は示すかたちだ。
当然一人にさせておくわけにはいかない鼎は、いつもの白いセーラー服。
寒くないのだろうかという疑問はさておき、向かう先についてユユは考える。
昨日の『裁判』で派手に立ち回ったのは君月一人だけ。ユユは隠れてはいたが、実際気づかれていなかったのだろうかと聞いたところ、
「景が外套着てただろ。あれ、周りからの認識を薄くするみたいな効果があるんだよ。そもそも彼ら、周り見る余裕もなかったっぽいしね」
という斜め上からの回答が返ってきた。
後半部分に関してはユユ自身、あれほど気味の悪かったどこからともなく向けられていた視線も、『裁判』になると途端に鳴りを潜めていた──ような気がしていたのだから納得ではある。
ちなみに「ちょっと便利すぎません?」という当然の疑問をユユがぶつけると、
「うちの協力者にはね、ドラえもんがいるんだ」
「あんまり子供に見せたくないタイプのドラえもん」
と彼はなぜかしみじみと言ってきた。──どんなドラえもんだとユユは思ったが、それ以上の追及はしなかった。
「──こんにちは!
「……あ?」
景に伝えられた通りの家の引き戸をノックして、出てきた相手にユユがにっこりと可愛く微笑む。突然自身の名前を当てられた相手は当然たじろいで──と、それにしては眼光が鋭い気もするが、ユユはまずはゴリ押しとばかりに、
「ユユはユユって言います。はじめまして!」
「すみません、三日前からこの村に滞在させていただいている
はきはきと喋るユユとは対比のごとく声量は控えめ。非礼を詫び、いかにも申し訳なさそうに眉を下げた鼎が続く。その様子には思うところはあれど、文句は言うまいとユユは黙って笑顔をキープ。
かたや愛嬌、かたや清楚。猫かぶり頂上決戦を食らえ、だ。
「はあ……?」
年齢はユユよりも間違いなく上であろう、二十代前半らしき男──熊谷は不審そうな格好を崩さない。十分に睡眠がとれていないのか、その顔にはクマが目立つ。
実際、ユユもこんなことされたら不審者と思うに違いないが、遠慮なんてしている時間はないのだ。だから、
「『被告』の人ですよね? ユユ、昨日見ちゃったんですけど」
「……あ? あんたら、あの変な髪のやつの知り──」
「──ユユたちなら、なんとかできるかもしれないです。よ」
顔を近づけて、熊谷に反射で逃げられるより前にユユは耳打ちする。誰かを真似したわけではない、決して。
──そして『被告』と言った瞬間、背中に感じる視線がみしりと質量を感じさせるものに変化したのは、きっと気のせいではない。
「昨日の恩、返してください。……っていうのが、うちの『上司』からの伝言です。ユユはよく分かんないんですけど」
指を唇に当て、ユユはこくりと首を傾げる。ぶりっ子と言いたければ言うといい、可愛いのは事実なのだから。
──というか本来、『甘蔗ユユ』というのはこれなのだ。
相談所の面々に関しては最初の出会い方を間違えたせいで、今更取り繕えなくなったとユユは回顧する。あの時は余裕がなかったからしょうがないけれど、ずっと素のままでいるのも実は結構、しんどいのだった。
「……」
沈黙の間、彼が何を考えていたのかはユユには分からないが。
外を窺うためだけに薄く開かれていた引き戸が、ゆっくりと人を招き入れられる程度に外に向かって引かれたのが、交渉成立の証だった。
◆
杖を補助に使用し、片脚を引きずりながら熊谷は廊下を歩いていた。引きずるといっても多少で、その慣れた足取りからは痛々しいといった印象は感じられない。『裁判』のときにも気になっていたそれについてユユが聞くと、「生まれつきだ」と端的に返ってきた。
「お前らが何を知っていて何するつもりかは知らねえが、外の連中が何したって無駄だぞ。俺が生まれる前からやってんだから」
「えーと、そこらへんも詳しく教えてほしいです。みたいな」
えへへ、と居間に通されたユユがはにかんでみせる。ユユに『真面目』は無理、それに加えて美曙の離脱により鼎を利用しないわけにはいかなくなった。非常に癪だが、これも役割分担だ。
「話していただければ、もしかしたらお役に立てるかもしれないんです。迷惑はかけしませんし、」
「迷惑ってなあ……」
直接言うことはないが、「子どもだろう」と思っていることが丸わかりの疑い一色、まさに量るような視線。
もしくは、「迷惑なら既にかけられている」といった意味合いかもしれない。
彼がどれくらいこの『因習』に迎合しているのかは不明だ。事前の予測では、抵抗していたところから見ても協力の目処はあると見て間違いない、となっていたが。
「……『果ての二十日』ってのがある。それのために、毎年最低一人は罪人を作んなきゃなんねえ」
「──」
果たして、ぽつぽつと熊谷は喋り始めた。
「その日以外でも……いる、ってなったら見つけて、償ってもらわなきゃいけねえが。『二十日』だけは……絶対っつうか。やらなきゃいけないと決まってる」
「『クエビコ様』に、決められてる?」
ユユの問いに熊谷が首肯する。
口にはしなかったが、今年の『罪人』が彼というわけだ、とユユは理解する。
今日は十二月十八日、あと数日まで迫った己の死に怯えない者はいないだろう。事実、彼のどこか呆けた表情はいかにも心ここにあらずといった風で、喋っている最中もしきりに腕や首、頭などを落ち着きなく掻くなどしていた。
「あー……
「えっと、確か、昔の人が山で暴れてた動物を封印して、神様になって家と村を守ってる、みたいな」
「その子孫があのニン……丹羽
今こいつニンゲンって言いかけたなと思いつつ、ユユは熊谷の反応を伺う。これ自体は何の変哲もない昔話だな、と最初に聞いた時も思ったのだが、これがどう関係しているというのか。
「『村は罪人により築かれた。この村に生まれたものは生涯に渡り、神に懺悔し続けないといけない』──この手のやつは聞いたことない、でいいか」
それを聞いたユユはハッとした表情。ずっと引っかかっていた老婆の言葉が、すとんと腑に落ちた気がした。
なるほど、だからここは──。
「──罪人の村」
「神が罪人がいると告げたなら、必ずそれを探し出し、捧げなければならない。それが俺たちがしなきゃならない償いで……『果ての二十日』は、俺たちが一年誠実に過ごしたかどうかを神が確認される日だ」
忙しなく肘を掻いていた動きが止まり、代わりに見るからに深々と肉に食い込んだ爪から彼の緊張が伝わる。
それを紛らわすように「なんたらの村っていうのは昔っから大人が言ってたやつだ」という補足が入り──と、その話にユユはどこか、違和感を覚えた。
違和感というか、その矛盾についてだ。
「守ってるけど、裁く……?」
それぞれ、理解はしがたいが話の筋は通っている。しかし先日聞いたものと今聞いたもの、前半と後半とで、神とやらの態度が変わりすぎではないのか。
そう、ユユの呟いた推察の台詞に答えるように、
「クエビコ様はずっと、この罪人の村を守ってきたそうだ。何百年だかそれより前か、とにかくずっと昔から。……俺は今、二十五なんだが。俺の生まれる十年ぐらい前、ある一人が決まりを破って山に立ち入った」
神の心変わり、その転機となったのは人間だったのだと熊谷は語った。
「神を怒らせたんだ。そのときから神は許すことをやめ、罪を裁かれるようになったんだとさ」
──彼らは、他者の犯した過ちを、ただ一人の罪を身勝手に背負わされ続けている。
それがこの異質な村の、真の成り立ちで。恐らくは数十年間絶えずここで繰り広げられている恐怖と狂気、その根本だった。
「山に入ったその人は、どうなって?」
「中身がなくなってたらしい。──見てくれは変わんなかったが、頭の中身がまるっと」
心配する風を装っていたがどうせ興味本位であろう鼎の質問に対し、熊谷は、くは、と無理やり息を押し出すように笑った。
一方、誰よりも精神的な苦痛の只中にいるであろう人物の前で、してはならないと思い堪えていたユユだったが、そのいかにもな文言を前に顔が引きつるのを止められないでいた。
──自分も『山』を見たことで、もしかしたらそうなっていたのではないかと想像してしまったこともある。
幸いにも熊谷はどこか遠くを見つめており、彼は自嘲するようにその唇を捻り上げると、
「……俺もそうなるんだよ。このままだとな」
飾り気のない部屋の中、彼の視線の先にあったのは一枚の写真立て。
撮られたのは少なく見積もっても十年以上前であろう、色褪せたそれに何が──誰が写っているのか。目を凝らさずとも、それを理解するのに時間はかからなかった。
しばらく写真を眺めていた彼は何かを振り切るように視線を戻すと、
「俺は話した。なんだ、あとはお前らがどうにかしてくれんのか? 外の奴らに何ができるって?」
「頑張ります。その、ユユも。……それと一つ、質問があるんですけど、いいですか」
ここまでユユは、大丈夫ですか、なんて声掛けはしなかった。
それはユユが古くから続く、因習などというものに対して限りなく無知で。けれどきっと、それを生まれたときから守り続けて。否、恐怖により支配され、守らなくてはならなかった彼らだ。
自分の番がやってきたのだと悟り、どうしようもない諦念の中、もしかしたらという一縷の望みをかけるようにこちらを見つめる彼に──ただの可愛い一アルバイターであるユユができることは、何もない。
「これも、『上司』からなんですけど。──知ってる範囲で構わないので、今まで亡くなった罪人の方々の、そのときの年齢を教えてくれませんかって」
色々と誤魔化しはするけれど、嘘はつきたくないのがユユだ。
だから、今美曙を探しに動いているであろうあの人に、何に繋がるのかは分からないが頼まれたことだけをユユは伝える。ユユと同じように、ちょっとだけでも懸けてほしいと願って。
──それが、何よりの間違いだとも知らずに。
◆
全身黒の喪服に身を包んだ青年が、四十代程度だろうか、一人の男性と向き合って座っている。自信家と一目で分かる薄い笑みを携えた青年と対照的に、男性はどこか幸の薄そうというか、冴えない感じのする見た目をしていた。
村の中では恐らく唯一の瓦屋根、土地柄ゆえか豪邸とまではいかないが、それでも一際大きな家だった。その客間の中心で、鋭い緊張が両者の間から発せられ──ではなく、極めて一方的に向けられており、
「わざわざお一人で訪ねてこられるとは、どういったご用件でしょう。──ああ、そういえば同行者が一人行方不明になられたんでしたか。もし私どもをお疑いなら、」
「や、全然」
「え?」
実にすげない返しだった。
そのうえ思惑通りに衝撃を受けた男性──丹羽の顔が滑稽だったのか、青年の顔つきは不自然に歪んでいる。
露骨に気味の悪そうな表情をした丹羽に向かって、彼はごまかすように咳ばらいを一つすると、
「こほん。その件について、僕はそちらを全く疑ってませんから。どうぞ安心してください」
「……。では、
「──三十五年前、山中で不自然死を遂げた貴方のお父上についてお聞きしたい」
丹羽の頬が動く。その反応に目を光らせて──輝かせて、という風に表現した方が正しいだろう。君月は本人なりに相手の緊張を解こうとしたのか、軽い調子で付け足した。
「ご心配なく。ただの興味本位ですよ」と。
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