5 推しに祈りを



 日が沈みきって夜の帳がしめやかに下り始める頃、コンセプトメイドカフェ『Divine♡』の忙しさはピークを迎える。

 扉を開けば姦しく、それでいていやに熱気を帯びた喧噪が街にこぼれ出す。内部で渦巻くのは、対象が同種ひとという点で従来とは趣を異にし、しかし『実像崇拝』という現代でのあり方は共通する、それは欲にも似た信仰。


 本来のものを無色透明であるべきだというならば、ここに集うのはカラフルで雑多な色付きの『推し』という名の信仰心。各々が持ち寄ったそれにより、この店、もとい三軒坂さんげんざかの一角は成立しているのだ。



 店内の隅の方で、ツインテールの少女と色褪せた金髪の男が二人、無言で向き合っていた。少女は立っていて、男は席に座っている。

 否、男の横にはもう一人、紫色のフロートにスプーンを突っ込んでかき混ぜている少女もいた。しかしかちゃかちゃと音を立て続ける一方で顔を上げることすらしない、まさに我関せずといった様子のため、すなわち彼女が求めるところもそうと捉えていいだろう。『関わりたくない』と、そういう意思表示。


「──」

「──」


 人差し指と親指を真っすぐ立て、両手にそれぞれピストルじみた形を作った少女こと、ユユが指し示すのはネームプレート。自身の左胸にある『しゅがぁ』と丸文字で書かれたそれを、金髪男・暁國あきくにに強調して見せていた。

 それはそれははっきりと指を突き付けており、事の流れも踏まえれば、ユユが何を要求しているのかは極めて分かりやすい。


 事というのは今しがた、「なあ、甘つ──」と呼びかけられたユユが、やり直しという意味で有無を言わせぬ笑顔を見せた事案である。


 言わずもがな、本名流出からの身バレ未遂案件。『次、呼ぶならこれで』と、そういう圧だった。


「……メイドさん、は」


「は~い」


「っし……なんでここで働いてんすか?」


 通ったという勢いでか、机の下で小さく固められた拳に見ないふりをしつつ──ぎりぎり、許容範囲の呼び方だった──ユユはきちんと『しゅがぁ』の皮を被ったうえで答える。


「え~、稼げるから以外あります? どう見たって天職ですもん、私。ほら」


 適正は十分だろうと、両手の人差し指を頬に当てたポーズでそう言外に示す。ぷに、と可愛いへこみが顔の両側面に二つ生まれる。


 他の理由としては、衣装が可愛かったから。それにもう一つ、他に長続きしたバイトがなかったからである。元来の性格に加え、宗教観のギャップで周りとそりが合わないことも多々。

 長期での就職となると更に気は重く、正直なところ、社会に出ていける気がしないユユだった。


 そんな情けない内情をしれっとぶりっ子ポーズで覆い隠したユユに対し、暁國の「あー」という曖昧な頷き。一旦理解を放棄したのかもしれない。

 そこに、マーブル状になったフロートをピンクのストローで吸い上げるのを中断し、ようやく顔を上げたかなえが参入する。その顔についているのは品のいい微苦笑ではなく、品のない眠たげな仏頂面だ。


「例の客、今日はいねエのな」


「多分、他のお酒飲めるところに行ってるんだと思う。……ウチって普通に、毎日通うと破産だし」


 コンカフェとしては平均的な価格設定とはいえ、一時間三千円前後は世間的に見てやばい。かといってキャストが言うことではないため、ユユは後半部分を小声でぼそっと言った。視界の隅でメニューを三角形に立てて眺めていた暁國が、同意のつもりかしきりに頷いていた。


 鼎の言う例の客とは当然、高嶺祥子たかね しょうこのこと。

 ちなみに前回は彼らを引き合わせたかった都合上、ユユは祥子に合わせた場所を指定したが、普段鼎がくるときは端の席に案内するようにしている。なお、それはユユが猫かぶりする鼎をわざわざ見たくはないからで、決して気を使ったわけではない。決して。


「護衛も断られたしな。今頃、どこでなにしてんだか」


「最悪になる前にって、ユ……私は思いますけど」


「自分で言いかけてるじゃねエか」


「言ってないもん」


 狙われているのなら必要なのではと聞いても、当の本人には適当に飲み歩いてるからいいなどと言われ、歯がゆい気持ちのユユである。鼎の言うことは気にしない。


 もっとも護衛というからには、当然必要なのは武力。その筆頭である美曙みあけが今動けないのならば、次にお鉢が回ってくるのは男手の暁國だというのは見えている。鼎は論外。


 ──頼まれていたところで。と考えてしまうのは、人を信じることが下手な性格ゆえか。否、それだけじゃないはずだと、ユユは思う。


「あれから調べたが、やっぱり厳しいな。SNSに口コミ上げてるやつに何人か連絡も取ってみたが、『人呪ったあとどうだったか』とか、そりゃあ誰も教えてくれねえし」


「まずネットに口コミ上げてる時点でやばい人、……ん?」


 思考が止まって、一旦記憶の巻き戻し。

 彼が今なんと言ったのか、頭の中で再確認を終えると大げさなまでに目を丸くして、ユユは暁國の顔を食い入るように見つめた。


「調べたん、ですか? 一人で」


「なん──ああ。別に、捜査自体やる気がないわけじゃねえよ。そもそも護衛の話だって言い出したの、俺」


 ややあって暁國が、ユユの不自然な態度に合点がいった表情をする。

 ユユも確かに提案は彼からのものだったと思いだし、そういえばそうだったと、これに関してはやや反省。──同時に、そうなると昨日の発言の意図が余計分からなくなるのだけど。

 ついでに横で、そんな昨日の経緯をユユにメールで愚痴られた鼎が目を細めて笑っていた。『ほれ見ろ』といった煽りに思われたので、とりあえずユユはそっぽを向いた。


「そういや高嶺サン、今は何の宗教やってるって?」


「やってないって前に言ってました。前にわるーいのに騙された、もう懲りたのーとか」


 だから今は可愛い子推してたいの、と言って笑っていた祥子の顔を思い出し、ユユの胸が痛んだ。

 悪い人ではない、と思う。あのともすれば同年代に空目するほど朴直であけっぴろげな笑い方が瞼の裏にこびりつき、そう考えてしまうユユだった。


「おっけ。の線がないなら、やっぱ『カナワ屋』に絞っていいな」


「他の……あ」


 ユユが呟き、瞠目してからきゅっと唇を結ぶ。言われて初めてその可能性に気付いたことに思い当たり、顔が赤くなった。

 他の可能性、当然考慮しておくべき要素だった。『神』はこの世に数多いる。『黒い牛』という特徴がたまたま噂に一致しただけで、当事者の見解で証言とはいえ、本当は全く違う件を発端としているかもしれないというのに。


 ──全然、まだ。


「ミツキさんたちに頼ったところでどうにも、ってなったらどうする気だったんだ?」


「……どうにかなれば、いいなーって」


「──そう追い詰めんじゃねエよ、金髪。こいつは素人だぜ」


 暇を持て余し始め、分かりやすくかちゃかちゃとフロートをつついていた鼎が軽々しく、朗々と言った。


 まさか口を挟まれるとは思っていなかったのか、暁國がぴくりと眉を上げる。そのまま唇を歪めると、意識的にか無意識にか剥き出しの八重歯が片側だけに出現した。

 持ち前の不良っぽさをこの上なく活かした顔に変わる暁國に、ユユが内心で密かにあわあわしていると、


「んじゃアンタはプロか、トウテツさん」


本郷ほんごうでいいぜ? 金髪。崇められるのにゃァ慣れてるが、形だけなら何の意味もねえ」


 相変わらずの傲慢さは据え置きのまま、上目に鋭い眼光を送る鼎。それを受ける暁國。

 そんな言葉を選ばずに言えばチンピラじみた相対は、顔を逸らした暁國が出し抜けに「あー」と呻く、弛緩した感覚のある響きでもって終結した。


「どうにかなりゃいいってのは、そうだよ。臨機応変でいくってのもいい」


「……です、よねー」


 描かれてから時間が経って潰れた饅頭みたいな形になった三毛猫ごと、お絵描きラテを酒でも煽るかのようにぐいっと傾け──直後に「甘っ」と顔をしかめ──そう自身の発言をとりなすように言う暁國。

 話の終わりを感じ取ったユユは一拍置いて、澄まし顔を作った。


「私の卓のコーヒー、砂糖多めになってます」


「……しゅがーだから?」


「しゅがぁだから」


 しょうもない理由とでも思ったのか、彼は微妙な顔をしたあと、「……次からは半分で頼みます」となぜか敬語で控えめに注文してきた。一応、伝票にメモしておく。 

 そんな閑話を間に挟み、


「どうにかならなきゃ、あとは片っ端から口コミ辿ってくしかないって話だよ。──数エグいけどな」


「へエ」


「最初に見たお礼参り失敗の話のほかにも、噂が立ちまくってる。『カナワ屋』を知ってるやつと知らないやつ、投稿サイト絞って『黒い牛』で検索しても、直近一ヶ月で三百件とかはザラ」


 暁國が携帯をポケットから出し、画面に指を滑らせながら調査結果を淡々と述べる。そんな中、ユユが何か思いついた顔で、


「あ、ちょっとスマホ貸してください」


「ん、ほい」


「……っしょ、増えた。倍です」


「は、増えた?」


 豆鉄砲を食らった顔をしている暁國と、興味はあるのか目が合った鼎に向け、自分に向けていた携帯の画面をひっくり返す。

 断りを入れて受け取ってすぐに投稿サイトの検索ボックスに打ち込んだワードと、その検索結果を見せつけるかたちだ。そのままユユはほんの少し顎を持ち上げる。


「伏せ字って知ってます、間にちっちゃく文字挟んだり、崩した書き方にしてみたり。広まりすぎると微妙〜、っていう内容書くときとか、こうするんです」


「増やしてどォすんだよ」


「……。どーしよ?」


 鼎からにべもなく言われてみて、ユユは小首を捻った。確かに、ただでさえ多い口コミの件数が増えたところで、だ。

 と、そんな風にユユの内にあった期待とわずかな貢献できた感が萎みかけたとき、「いや」と暁國が待ったをかけた。


「隠したいときに使われるってんなら、逆にこれで絞って探せる、くないか」


「──。あァ、やましいことがあるヤツらを、ってことか?」


「それ。アリだろ」


 話しているうちに確証を得たらしい暁國が、その意図を確かめる口調の鼎に軽く返す。

 余計なことをしただけと思われたところから一転、アリだったらしい──と自分が一番意外だったユユは目をぱちぱちさせた。顔をちらりと上げて、茶瞳と目が合って。


「ないす」


 適度に脱力したサムズアップ。

 掲げるとまではいかない、肘もソファに置かれたままの緩いポーズにユユは。


「──主様、お仕事頑張ってらっしゃるんですねっ」


「ぉん?」

 

 弾みで暁國の口から零れ出た、間も気も抜けきった声が空気を淡く揺らす。半分下がった瞼と、目は完全に『何言ってるんだお前』の色。それが、近寄ってきた人物に気づいて納得の気配へと変わる。


 突如として鉄壁の営業用スマイルを装備したユユは、お盆を抱え直してスッと後ろに半歩下がる。

 それはドリンク提供のあとで少しだけ歓談していましたというポーズを、もといルール違反ではないことをきちんと見せるため。


 ユユが退くことで空いたスペースに、一人の少女が並び立った。黒白の揃いの制服を着た同僚は、当たり前にユユの見知った顔──なんていうのは迂遠な表現だ。彼女を呼び出したのはユユ自身。


 二つの視線が集中する中、ラベンダー色の内巻きのボブ、ユユでもここまではやらないレベルでゴリゴリの地雷メイク。実年齢もクマも包み隠した彩度の低い顔で、涙袋を目立たせる用の笑顔を作った少女が会釈する。


「──チェキ指名ありがとうございまーす。竜宮城からシスター見習いに来ました、おとです」


 ──この子です。という意味を込めて、暁國と鼎にだけ分かるよう、少女からは見えない斜め後ろに位置取ったユユが頷いた。



 ◆



「コンカフェとガルバ……ガールズバーとの違い、分かります?」


「……同じじゃねえの?」


「違いまーす。次、ラストチャンスです」


「もうかよ。早すぎだろ。で答えは」


 時刻は『Divine♡』来店一時間前。作戦会議と腹ごしらえ──言わずもがな、コンカフェで腹を満たすというのは現実的ではない──のため、ショッピングモールのフードコートにユユと暁國は赴いていた。

 テーブルには安いバーガーショップのトレーが二つ並んでおり、片方の上には皺くちゃに丸められた、もう片方には丁寧に畳まれたバーガーの包装紙が乗っている。もちろん前者が大雑把な男ので、後者がユユの食べた跡。


 外見的に遊んでそうと思ったのに知らないんだ、というのは、ちまちまと冷めきったポテトをつまむユユの密かな感想である。ユユは両手をクロスさせて顔の前でバッテンを作り、


「ガルバは女の子とお話しできて、コンカフェはできないんですよ。お喋り禁止ー」


「ほー? こないだ行ったとき、普通に喋ったのはなんだったんだ」


「お給仕中は長話しなきゃオッケーって扱いです。けど基本どの女の子がくるかは運なので、推しと喋りたいときにするのがチェキ指名」


「推しねえ」


 自分の分を食べ尽くし、コーラも飲み干して手持ち無沙汰に頬杖をつく暁國が物憂げに言う。どうやらよほど縁遠い概念らしい。

 ただ、今回話を聞き出そうと画策している相手は、その『推し』に全てを捧げている子だ。そこに、彼が無知ゆえに変なことを言って失敗したら、とユユは一抹の不安を覚えている。


「色々知ってそうな子です。今日の指名、ユユがその子にしておくので話しちゃってどうぞ。言っときますけど、『まじ理解できねえ』とか『きもい』とか、絶対言っちゃダメですからね」


「言わねえって、ドン引きだろそんなんしたら」


 どうだか、という不信の目線を向けるユユである。大抵こういう男はデリカシーに欠けると相場が決まっているもの、と思いながらポテトのカップへと手を伸ばす。


 そこににゅっと腕が伸びてきたかと思うと、ユユの眼前からポテトを一本掻っ攫っていった。無慈悲にカップの中から引き出されていったのは、よりにもよって油を十分吸い、ふにゃふにゃにくたびれた長い──要するに単価が高いやつで。


「お、ラッキー」


「ラッキーじゃない! あっ」


 ユユがあんぐりと口を開ける前で、顎を床と水平になるまで逸らし、つまんだポテトを上から口の中に放り込んだ鼎。遅れて到着した小動物じみた外見を持つ少女は、着いて早々悪びれもせず盗みを働いた。

 ため息をついたユユが、びしっと五指を開いた手のひらを突きつける。

 

「あとで百円だから」


「高いよユユちゃん」


「今月食費やばいの! 大変なんだって一人暮らし、も〜〜っ」


 猫かぶりでくすくす笑う鼎に、ユユが大げさに手を振って抗弁する。いつものことと流した鼎は眠たげな目を細め、ユユの斜め向かいに座る暁國に向けて、


「お疲れ様でーす。作戦会議でしたか」


「お疲れ。おう。チェキと推しと、ガールズバーじゃねえってこと、あと失言に注意だったか」


 妙に律儀に、指折り確認事項もとい雑話の内容を伝達する暁國。聞いておきながら中身自体には興味がないようで、鼎は適当に相槌を打っていた。ユユもとりあえず首肯して、


「そんな感じ。今日の出勤十八時だって書いてあったから行くのもそこらへん、であと三十分。なんか食べとく?」


「もう一回ポテトちょーうだい」


「やーだ」


「ちぇ」


 かわいこぶって舌を出した鼎が、席に荷物を無造作に放ってから同じバーガーショップに向かってく。数分後、そこには流石のファストさで提供されたセット商品をトレーに乗せ、ユユの隣に着席した鼎がいた。

 彼女が包み紙を開ける寸前、ストローから鳴る排水口じみた音に顔をしかめ、烏龍茶を飲み干したユユが唐突に、


「はい。じゃ、今からお手本見せます。見ててください」


「手本?」


「……え、何?」


 両手でバーガーを持ち、かぶりつきの体勢に入った鼎が嫌な予感に眉を寄せている。その期待にきちんと応えて、ユユはにっこり笑いかけた。手本というのは他でもなく、チェキ撮影のことだ。


「ほら、冷めないうちにやっちゃお。座ったままでいいから。初心者の先輩にちゃんとした、スムーズな聞き込みしてもらわなきゃでしょ」


「うん。で、本音は」


「暇」


 鼎を待っている間、暁國と二人きりでの無言がしんどかったというのもある。何が始まるのかと、脱力した体を椅子に預けたままこちらを訝しげに見ている暁國。

 呆れゆえか素に近い表情になった鼎の短い嘆息を了承と受け取り、気まずさを吹き飛ばそうとユユは声をワントーン上げて、


「チェキ指名ありがとうございます、〇〇まるまるでーす。ソロにします? ツーショ?」


「ツーショでお願いしまーす」


「かしこまり〜」


 恒例の流れをシミュレーション。突然始まった茶番に無言の暁國が何を思っているのか、ユユには分からない。


「ポーズはいつもの、二人でハート作っちゃいます?」


「うーん、今日はがおーで」


 一応は乗ってくれた鼎の注文通り、関節を緩く曲げ、爪を立てるようなポーズ。上目遣いで手を顔の近くにし、ついでにもう片方の手でぎゅっと鼎の肩を引き寄せ、顔を近づける。


「ほらほらもっと寄って寄って」


 本当はキャストから触るなんてあり得ないことだが、普段散々からかわれている意趣返しだ。無抵抗の鼎に向け、少しびっくりさせようとユユはイタズラっぽい顔になると、頬と頬が触れ合う距離の鼎を見下ろして、その顔色の変わらなさに──あれ。と目を瞬かせた。


「わあ、かわいいしゅがたんがこんな近くに」


「誰それユユ分かんない」


 ユユの期待から外れるどころか、わざとらしく源氏名で呼んできた鼎に内心ほぞを噛む。ユユからはっきりと見える、勝ち誇った顔の鼎が宣言した。


「ユユちゃん笑って、ほらにっこりー」


「……はいにっこりー!」



「──はいっ、ばっちりです、確認お願いしまーす」


 シャッターを切ってOKと指で示しつつ報告。無難にピースとハートを半分ずつ分け合うポーズをしていた暁國とメイド──乙に向け、ユユは出来上がったチェキを見せた。

 場所は戻って『Divine♡』内。カメラを向けられてぎこちなく笑顔を作っていた暁國は、解放されたといった感じに深々と息を吐いている。そんな様子を尻目にユユが乙にチェキを渡すと、彼女は落書き用のペンの蓋を開けて書き出した。

 メイドの落書きまで含めて、チェキ撮影というイベントなのだ。


「っと、乙さん?」


「乙でいいよ、主様。ていうか、もしかしてこないだ祥子さんと話してた?」


「話してましたね。あー、聞いてたんすか」


「あんだけ大声出してたら、まあ普通に? 何回も来てて絡まれてる子もいたし。広まってるよー、牛さんがどうとかさ」


「牛さん」


 暁國が復唱する。やけに可愛らしく表現された『呪い』だった。元をたどれば、ユユもあの大っぴらに語られる事情を耳にして、相談所に持ちこむことを思いついたのだから、他のキャストが同様に認識していてもおかしくはない話。


「あー、じゃ、なんか好きなものとかあります?」


 そんな不慣れにもほどがある切り出しで暁國が聞き込みを始める。ちなみにその横では「初手でタメ口……」「しっ」などと、余計な一言を口にした鼎をユユが短く黙らせるという場面もあった。


 乙はユユの半年前に入った、ユユにとっては先輩メイド。異質なまでに粗い接客をあえて売りにする、コアな客層を持つやり手──かつ、ユユたちキャストの中では非常にガチなホス狂いとして知られている。


「乙、竜宮城からきたんでー。お魚好きですよ」


「ああ、そすか。……じゃなくて!」


 明らかに営業用と分かるトークに加え、見ているこっちが気まずい沈黙だったが、暁國がかぶりを振って仕切り直した。


「『TRIAINA』って知ってますか」


 ぴたりと、今日の日付をチェキに書き入れていた乙の手が止まる。

 その動きは、それが彼女にとって既知の単語だということを如実に示していた。


「……ちょっと待ってー」


 そう断ってから振り返り、彼女はユユに顔を向ける。『もしかしてワケアリ客?』と問うような、疑問符を浮かべつつ億劫そうな顔。間違いではないので、ユユはこくりと頷いて返した。

 そこに暁國が畳み掛けるように真剣な口調で、


「俺の友人が、そこにいるかもしれないんすよ。なんか知ってたら教えてくれるとありがたいです」


「……。お客さん、どうせあんま通ってくれなさそうだから言うけど」


 事情──こちらは真っ赤な嘘だが──を聞き、新しい指名客というわけではなかったと粗方悟ったような顔をした少女は、逡巡の間ペンを指で緩慢な動作で回した。そのあと、声をひそめて告げる。


「ぶっちゃけ知ってるし、行ってるよ。自担いる」


「──!」


「けどもう切る寸前。しんどい」


 後半は再び筆を執りながら淡々と自担、推しがいることを明かした乙に、ユユは思わず鼎と顔を見合わせた。予想外、想像以上の収穫だった。暁國が身を乗り出し、重ねて聞く。


「それは例えば、相手からの要求がエスカレートして、みたいな理由だったり」


「要求? どんな?」


「いやほら、俺のためならこれできるか、あれやれるかーとか」


「よく分かんないけど、別に全然死ねるよ? 推しのためなら」


 見込みのない客相手に接客モードを完全に脱ぎ捨てた乙が、おざなりにとんでもないことを言い放った。しかしその常識外れな宣言はユユにとっては突拍子もないというわけではなく、言うなれば想定内──と、乙からは見えない位置に立っていたユユに暁國が顔を近づけてきて、


「やめとけ、そういう顔」


「そういうってなんです」


「その、ほらやっぱりって顔じゃない?」


 小声での忠告と、鼎に耳打ちされた補足に──そんな顔してないし。と口を尖らせたユユだった。幸いにもそのやり取りは乙には聞こえていなかったようで、


「だからさ、問題そこじゃないの。推しのために生きるのは前提だし、全部尽くすのもガチ。ただなんか……」


「なんか?」


「……そこのオーナーが最近、すごい出張ってくんの。うちが貢いでるのも信じてるのもハルだけなのに」


 オーナー──『TRIAINA』の『神』のことだ。

 九年前の調査では姿は見せず、ホストのような信者たちの元締めとして名目上で君臨していた存在。本拠地の神宿しんじゅくに入れないのだから当たり前といえばそうだが、自身は動くことなく餌として撒いた信者を通し、信仰を得ていたらしい。


 いうなれば祈りの矛先のコントロール。想定される流れは『自分が信じているから信じてほしい』、『あの人が信じる相手なら』というもの。

 しかし九年後の今、そのシステムはどうもあまり上手く機能していないようだった。


「ノリ合わないし推し変しよっかなって。はーい、完成」


「あざす。そうっすね、した方がいいすかも」


「トモダチが消えたんだっけ、お客さん。やっぱそうしよっかなあ」


 モノトーンのリボンフレームで囲んだ写真を暁國に渡し、立ち上がりながら乙が零す。そこにあからさまに上品に手を膝の上で組んだ鼎が、


「心当たりある言い方ですけど、やっぱりそういう、人が消えるみたいな噂があったんですか?」


「噂も何も、普通に消えるもんでしょ……ですよ。金なかったら飛ぶし最悪飛ばされるし、そんなもん」


 実際に飛んだ、もしくは飛ばされたであろう人はユユの周りにもいた。うへえ、と唇を曲げて、暁國なんかは無縁なオーラをありありと出しているが、実際は乙の言う通りよくある話なのだ。

 ──行方不明者の何割かが、何かばけもののせいで消えていたとしてもきっと気づかれない。


「そろそろ行くけど、もう大丈夫そう?」 


「そ、すね。よけりゃ、その『TRIAINA』にいる人……ハルさんの連絡先教えてくれませんか」


 その要請に、乙はしばらく目を伏せて視線を下の方でさまよわせたあと。

「うちの名前出さないなら」とどこか吹っ切れたような、投げやりながら憑き物の落ちたような顔で受け入れたのだった。


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