4 不協和音の相談所
──最初は無難に、今回の依頼について各々考えて、ふと思いついたことを口にして話し合ったりしていたのだ。
「なあ後輩。実際、呪殺ってできると思うか?」
「それ、ユユに聞くんです?」
一度座ってみたかった、
先ほど「呪いとは何か」などという、根本的かつ初歩に過ぎる問いをユユが発していた場面を、彼──
「あー、な。俺だって詳しくないんだよ。知っちゃいるが、イメージが湧かねえ」
案の定ダメ元だったのか、バツの悪そうに暁國が首の後ろを掻いている。長い襟足が掻き分けられて、ユユにはどうにも邪魔そうに見えた。
体をゆらゆらさせつつユユがなるほどと思っていたところ、それまでソファに倒していた体を起こした暁國が、きちんと縦方向に視線を向けてきた。そこでユユも、テーブルの脚に足を引っかけて動きを止める。一応話をする姿勢にはなろうということだ。
そうして見合った暁國に訝し気に尋ねられたのは、「そもそも、
「甘蔗でいいですよ。呼び捨てで」
「うい」
そんなやり取りを挟んで、ややあって「ユユは、」と己の中で模索してきた答えを告げるため、つとめてはっきりと口を開いた。
「人間じゃない『神様』がいて、力を持ってるのは本当。けどそれはみんなが言って、信じてるみたいに、ユユたち……人のためじゃなかったりする。願いを叶えたりなんかしないってことも、知りました」
「その、力のことは?」
「一人、一匹だけのなら、結構詳しく聞いてるんですけど」
何の用意もなくそこまで言って、ユユは露骨に言い淀んだ。気もそぞろにうろうろと視線を彷徨わせたあと、躊躇いがちにユユが暁國に向かって口にしたのは、
「……あの、どこまで知ってます?」
という、繰り返しでお返しの質問だった。それを受けた暁國は、気難しそうな顔をして少し考えたあと、
「一緒にいた子──
「あ、そっか。昨日説明してた、」
「つか、それだけだよ。昨日端折って聞かされたこと以外、ぶっちゃけ俺は何にも知らない」
そこでようやくユユは、険しく見えていた暁國の顔が、実は眉間に皺を寄せたまま眉尻を下げた困り顔だったことに気づく。
初対面時から目つきが悪いとは思っていたが、表情筋などなど含めて人相が悪いんだなあと、改めて理解したユユだった。
なんとなくの苦手意識が認識を塞いでいたかたちだろうか。もっとも、さすがに失礼なので口には出さないが。
あの慈悲に溢れた麗しい顔立ちの姉と比べると──中身はさておき──やはり相当に似ていない。
顔のつくりで言えば、そもそも垂れ目と吊り目ということが一番の違いであるし、共通点は八重歯としっかりした目鼻立ちだけ──と、そんな風に横道に逸れかけた思考を戻す。
「ユユ気づいたんですけど。お互いがお互いのこと、全然知らされてなくないですか?」
「思った。報連相なあ、もうちょい言っとくべきだわ、これ」
そう言って暁國は嘆息する。単純に考えて、あの大人たち──一応は雇い主もしくは上司にあたる人々に対する、進言もとい抗弁の必要性を感じての発言だろう。
未成年という年齢と派手な外見に不釣り合いな、苦労していそうといった言葉がやけに似合うため息だった。
「改めて言っとくか。俺はアキ、
ゴツゴツした豆の多くある手のひらをパーにして、暁國が自己開示。桐秋大学というのは町は違うものの、この
腕を動かした際に手首につけたシルバーのバングルが打ち合わされて、チャリと軽い音を立てていた。
「ユユです。十七歳、学校は行ってません」
「……なんだ、不登校?」
「中卒です。これ、なんちゃって制服でした」
実は。となんとなく自慢げな顔をしてみたユユである。意表を突くのは相手が誰であろうと、いつ何時であろうと気持ちがいいものだ。
コメントに迷うのか微妙な表情をしている暁國を置いて、ユユは話題を本筋へと戻す。まるで自身の気を紛らわすように、指を絡ませながら。
「あの鼎って子、幼馴染なんです。ユユはずっと一緒にいたと思ってたんですけど、途中から中身が入れ替わっちゃってたみたいで。本当はトウテツって言うみたいです」
個体名であって名前じゃないと本人には言われたが、なら本名があるのかとユユが聞いたところ「ない」とぶすっとした表情で答えられたため、結局そう呼ぶしかない。
ユユから見ても複雑怪奇で大いにこじれている、そんな鼎との関係を聞いた暁國の顔の皴が、ますます中心にギュッと寄っていく。
「色々やらかしてたんですけど、今はもう人に危ないこととかできなくなってます。あと全然雑魚。ユユより弱い」
「マジか」
「マジです」
──全然マジじゃないけど。
殴り合ったりしたら普通に死んじゃうだろうけど、まあ結局勝ったし。と内心でちゃんと自覚しながら、ユユは自分に都合よく言ってみた。
「今はなんていうか、協力してって言ったらしてくれる、くらいの関係?」
「大体分かった。なんつーか、大変だったんだな」
小並感。そういった言葉が脳裏に浮かんでくるような着地点だった。
そのあっさりとした言い方に肩透かしを食らったユユが、「……まあ、ちょっと」とやや間を置いて返し、ふいっと目を逸らす。
その直前、情緒もへったくれもない発言の割にやけにまっすぐユユに向けられた暁國の視線が、居心地の悪さに拍車をかけた一番の要素で。
「──あ、そう。それであいつ、前に酸素を食べたんですよね」
「酸素ぉ?」
指先をいじっていた手をぱっと広げてから打ち鳴らし、ユユは思いだしたことを告げた。突拍子もなく飛び出してきたその単語に、暁國が胡乱な目を向けてくる。
それは一か月前、
『──オレが食えると判断したものなら、何でもだ。当たり前に食える。道理も理屈も関係ねエ、外法だろうがそういうモンだ』
崖下に誘導して上から倒木を落下させる、というのがあの決定打に欠けた状況下で
その木を落とす役に鼎が任ぜられ、事実、最早宙を足蹴にする身軽さと速度で駆け上って恐らくはやり遂げていたのだが、あとからユユは疑問を一つ覚えたのだ。
それが、燃え盛る木をどうやって蹴り出して崖から突き落としたのか──という謎。鼎に聞いた結果返ってきたのが、上記の不条理に溢れた回答である。
極小範囲の酸素を食らい、火の消えた一瞬でそこを目掛けて足を繰り出したという。
こともなげに言うその姿に、常識外との連続遭遇でそろそろ風化しかかっていた、女子高生姿の
あの口の中にぽっかり空いた深淵じみた暗闇は、まさにそういった超常の実現だったということになる。
「つまり『何でも食える』が、あいつの力ってことでいいか?」
「です」
簡単にそんな説明をして、暁國によるまとめにユユが頷く。一口に言ってしまえば簡単だが、鼎のあの口ぶりからするに力の際限はないと見える。
それこそ何でもありな、理不尽の体現者──そこで、ユユの頭の片隅に何かが引っ掛かった気配がした。がしかし、一瞬だけ浮かんだそれはすぐさま泡のように消えていき、
「『神』は一体につき一つ、俺たち人間にはできないことができる力を持ってる。基本やばいのばっかだ。ちなみに一つ、つったのは今みたいにまとめると大抵一個になるからで、んな縛りがあるって話じゃない。──で、」
喋りながら暁國が出し抜けに立ち上がり、奥にしまわれていたホワイトボードをがらがらと引っ張り出してきた。キュポッと黒のマーカーのキャップを外し、その上に書き込む。大振りで角ばっているが、意外にもまっすぐで整った字だった。
「『人を事故に遭わせる』は、何の能力だ?」
「それがさっき、呪殺がほんとにできるのかって言ってた理由?」
「そうなる。結局、分かんねえか」
「分かんねえです、ね?」
何も考えずにオウム返しをしたらガラが悪くなってしまい、語尾の部分で可愛く小首をかしげて相殺するユユ。一瞬不審なものを見る目で暁國に見られたが、結局は何も言われずにスルーされた。
沈黙が降り、ユユも自分の中でひとまずなかったことにして、
「今これ、分かんないこと挙げてく時間だったりします?」
「しねえの、甘蔗は」
「します。ならユユ、この『カナワ屋』がやってるの、結構めんどくさいやり方だなって思ったんですけど」
足で地面を蹴りつつ椅子のキャスターをころころと回し、ホワイトボードが見えやすい位置に移動したあとで。人差し指を顎に当て、ユユはその妙に段階を踏んだ
「『神様』が人を食べるためにはその人からの信仰が必要、ってことは、狙われてるのは呪いをかけた側」
「おん」
「呪いをかけさせて、『お礼参り』に来させてから、そこで……?」
「それは俺でも説明できる。多分、今回のやつが『
「コンショク?」
魂を食べると書いて『魂食』だ、と首を傾げているユユに暁國は言った。ご丁寧にも、ボード上に漢字で書きながら。
「肉食と魂食。化け物っていうのはこの二種類に分けられる、らしい」
今までユユが遭遇した化け物二体──鼎ことトウテツ、そして蜃──は、どちらも肉食に該当していた。そのため、てっきりそういう生態なのだとユユは思っていたが。
「主食が自分に向けられた祈り、信仰っていうのは共通してるんだが。それを体ごといくか、魂だけ食べるかで割れるんだとさ」
「どっちにしても嫌〜……」
「
詳細が判明しようが、やはり嫌な生態だという結論は変わらず。
ちなみに魂がどうとか言う宗教は巷に溢れているので、ユユも聞き慣れないワードではなかったという補足をしておく。
「やり口が今まで見てきた『魂食』と似てる。お礼参りの場所が指定されてない、多分だがこれ、教祖もいねえやつだ」
「見てみな」と暁國に顎をしゃくられて、ユユは改めてサイトを上から下にスクロールして見てみた。
呪い代行のやり方や体験談など、やはり
そう読み取り、ユユが「なんとなく分かりました」と顔を上げると、暁國が頷く。
「うん。セルフプロデュース型ってミツキさんが呼んでたな」
「え、アイドル?」
真面目腐って使われたあまりにも場違いな表現にユユが突っ込み、空気が緩んだ感触。同じ感覚だったのか、暁國は片頬を決まり悪そうにゆっくりと上にあげた。
「……悪かった、何も考えずに言ったわ」
「いいですけど。ぽいなー、って思いましたし」
釈明に対してユユの溢した、ぽいという言葉に何と何を比較しているのかと暁國が目を瞬かせ、
「俺が?」
「君月さんが」
ユユが訂正を告げると、納得したように深々と頷いていた。あの悪気なくどこかズレた、底の浅いのか深いのか分からない笑みが思い出される。まさしく彼の発言といった抜け方だったのだ。
ユユの表情も、気づけば柔らかくなっていた。
「ズレてるつか、たまに常識ないだろ、あの人ら」
「どっちかっていうと、ずっとないです」
「おう、それで合ってる」
いい顔でユユが言い放った全否定に対する、暁國の小気味いい全肯定。題材はともあれ、初めてのまともな意思疎通。
特に明言しないまま、ユユとしては際立って『おかしい』といえる二人のことを言ったのだが、同意が取れたということはそういうことだろう。まさか
と、さすがに言いすぎたと思ったのか天を仰ぐ暁國が「あー」と濁点付きで唸り、
「あんなんでも、昔世話になったんだよ。……まあ今もか」
「そ、なんですか」
「んだからこれ以上はやめとくわ。申し訳ねえし」
それは先ほど、君月らに問いかけていた『俺が関わっちゃいけない話』とやらに関係するのか、とユユは聞きたくなったが自重した。「ふーん」という、興味なさげな返事で留めておく。
──抱える事情で言ったら、ここに来たばかりのユユなんかは特に人のことを言えない状態だったろうし。
そんな具合にユユが不干渉を選ぶ中、閑話休題の気配が漂い始め。
「そういうわけで、この『カナワ屋』の関係者を当たるってのは厳しいんじゃねえかと俺は思う。やり方が回りくどいのも、姿を見せずに信仰を集めたいからだろうな」
「色々考えたんですけど、ちなみに実際試して呼び出してみるっていうのは」
「なしだろ。上手く誘き寄せれたとしても、そのあとどうなるか分かんねえ」
「ですよねー」
ないと分かって言った提案だったが、案の定即座に却下された。口をすぼめて息を吐きつつ、ユユは両腕を伸ばす。
ここまであちこちに話題を飛ばしながら駄弁った、その内容がホワイトボードの上に暁國の手で書き込まれていくのを眺めながらだ。あたかも真面目な会議の記録のようにコーティングされ、箇条書きで『検討事項』と題されたものが縦に並んでいく。
呪いの詳しい手法不明。囮作戦には大いに不安あり。
実態は口コミや噂から伺えること以外不明。
関係者も不明、恐らく皆無。
牛が見えるのは呪われた当人だけ。こちら側は、見ることも知ることもできない。
「……大丈夫そうです?」
「分かんね」
投げやりに暁國が言った通り、つまるところそんなオチだった。取り繕った議事録の上に、八方塞がり、四面楚歌という文字がおぼろげながら浮かんでいる。
キュポッと一回目よりもくぐもった音を立てて、マーカーのキャップが元の位置に納まった。それを置いた暁國はユユに背を向けて、ホワイトボードを黙って眺めている。
「なあ」
「はい?」
「あの客のこと、甘蔗はどう思ってる?」
指に何個も嵌めているごつめの指輪を触りながら、暁國から唐突に投げかけられた問い。先ほどまでのぬるい空気が、静けさをともなって消えていく。
それが何を意図してのものなのかを、ユユは正しく理解した。だから、きちんと声に出してまっすぐに表明する。
「──本当はいちゃいけない『神様』たちの、あっちゃいけないことを防ぐ。やめさせる」
それがここの理念で存在理由なのだと、村での出来事と、老婆──ミチの、しなくていいはずの懺悔を通してユユは感じた。痛感した。
いるのが常識のない変人ばかりでも、きっとその根本は真っ当で、だからユユは自分の居場所をここに定めたのだ。──この『先輩』だって、同じだと思っていたのに。
「もしも自業自得だとしても、死なないでほしい。それは
単純なんです。と、ユユは小さく付け加えた。
それはまだ知らないし、ユユが見たのは、彼女が差し伸べられた手に縋っていた姿だけ。
横を歩き去っていった暁國をユユが目で追いかけて、
「──。先輩は?」
「俺は、多分違うよ」
少し離れたところに立ち位置を定めた暁國に、外向きにした手で払う仕草をされる。椅子から降りて指示されたまま、無言で壁の方に行くユユ。
ユユが画面外にいったことを確認したうえで、暁國の構えたスマートフォンから軽いシャッター音が鳴った。
「おっけ、記録完了。消していい」
「了解ですー」
軽い口調でのやり取りの裏に気まずさを感じながら、元の位置に戻ったユユは言われた通りイレーサーをボードの表面に滑らせていく。文字が崩れ、代わりに掠れた黒線がイレーサーの通り道に引かれていくのを眺めながら、
──なんでわざわざ言ったの、今?
という、ユユの頭に浮かぶのはその一つのみ。
真っ先に思い浮かぶ手がかりは、彼がこの八方塞がりな状況が判明してから口にしたということ。解決が困難だと見て、そこに尽力するモチベーションがないという意思の表れ、かつその理由付けか。
他にも、言わなくてもいいことをわざわざ言ったのが誠意だとか、そんな風に思っているのか。
何にせよ、心証は最悪だった。
「……あの」と、何を言おうとしているのか自分でも分からないまま、ユユが言いかけたとき、ドサリと何か紙状のものが床に落ちる音がした。
◆
「えーっと、とり、あな?」
「トリアイナ」
「にせん……」
「九年前だな」
「……どもです」
お礼を礼とは思えないほどぶっきらぼうに済ませ、ユユがしていたのは机の上に広げた資料との睨めっこ。
戸棚の上、急遽置いたといった感じでファイルスタンドに詰め込まれていた神の束が、何かのはずみで弾き出されたのだ。一瞬だけ目を合わせ、二人はどちらからともなく手を伸ばしてそれを拾い上げた。
「『
表紙の明朝体が静かに物々しさを主張する。ユユが角にホッチキスで留められたそれを一枚めくると、そこにあったのは大層煌びやかな写真群だった。それを眺め、ユユは率直な感想を呟く。
「ホスクラにしか見えないんですけど」
略さずに言えばホストクラブ。外観はでかでかと掲げられた店名──光り輝く『TRIAINA』が目立つが、それ以外はごく普通のビルに見える。ただし、その内装がまさに一目瞭然だった。
薄暗い店内。真っ赤なベンチソファに、金の雫を垂らす豪勢なシャンデリア。小ぢんまりとした飲食には向いていなさそうな丸テーブル──ちょうど、酒くらいは置けそうなサイズ感。
写真に覚えた既視感に一人で頷いているユユを見やり、訝し気に暁國が口を開く。
「……後輩、行ってんの?」
「一回だけ? 彼氏いるから来てって言われて、けどもうその子とも縁切れちゃいましたし」
あっさりと打ち明けたが、それはユユが十六歳のときである。もちろん酒は飲んでいない。バイト先で仲良くなった子に誘われて行ったが、後から法律的にグレーどころか真っ黒な行為だったことを知り、あわあわして鼎に泣きついた記憶。なお、鼎は上品ながらもいい顔をしていた。
もう一度誘われたらどうしようかと思っていたが、その子はある日突然バイト先からいなくなって、多分首が回らなくなったんだろうなあというシビアな感想を抱いたユユだった。
そんな口に出せない裏事情はさておいて、ユユは暁國の視線からありありと感じる、自身にかけられた事実無根の疑惑を晴らすべく、
「ユユ、昔からこういうのハマれないんです。なんていうか、宗教と似てる感じして」
「──みたいだな」
そんな常々思っていたことを零したところ、思わぬ速度で賛同がきてユユが目をぱちくりさせる。その理由は「ん」と暁國に渡された、彼が先に眺めていた一ページ先の資料にユユが目を通したことで判明した。
暫定、君月、景、
教義はどこにでもあるような救済思想。そして『ホスト』はれっきとした人間で、信者。
そのシステムは直接『神』が表に出て人を引き込むのではなく、洗脳した信者を餌に新たな信者を獲得していくという珍しい方式だった。
「九年前一網打尽にできなかったのは、本体の『神』だけが神宿外にいて逃げ延びたから。なるほどなあ」
「似てますね、確かに。宗教と、」
コンカフェという近しい場所に身は置いているが、ユユがそういったものに熱狂的になることはなかった。理由はひとえに、ユユの中に強く、誰かを信じて委ねることへの忌避感があったからで──。
「──『推しのためなら死ねる』」
「なんだって?」
意味が分からないという、その心境が語尾の上がり方に分かりやすく表れている。困惑している暁國に向かって、ユユは解説を加えた。
「そういう名言みたいなのがあるんです。推し活する上で」
自分以外の何かを自身の中心に据え、祈り捧げることが一般的で標準的な行為になった今、もちろんその信仰対象が『神』だけでなく人になることだってある。
日々の救済と日々の活力、それぞれが自身にとって別物だと見なし、『両立』を実現させている者もいる。
信仰の自由、それは
その結末は誰も保証してくれない、なんて事実は秘されたまま、今日も無秩序に広まり続けている。
「神様は神様。推しも神様。お客様も神様、神様いっぱい~!」
「どうした急に」
「ていうのがウチの、『Divine♡』のモットーなんです。なので、ユユ」
両手を広げて営業スマイル。宗教の坩堝、かつサブカルチャーの王国らしいお題目を割と雑に紹介し、ユユは事務所内の唯一
「──踊ります」
「……なんて?」
疑問に困惑を重ねた声はユユの耳には届かない。
ミュージック、スタート。ユユは片手に張り切って構えたスマートフォンの音量ボタンの『上』を、ぐっと力を込めて長押しした。
◆
「──語呂、マジで悪い」
そうして、場面は暁國がそんな苦言を呈したところに戻ってくるのだ。
音楽が終わり、ユユは決めポーズのまま。
暁國の意見はユユにも共感できる、至極真っ当でなんなら図星なものだったが、残念ながら今ユユがほしいのはそういった類の一言ではない。
なので、もう一度。
「感想。どうです?」
「いやだから語呂
「──。はー……」
ポーズを解き、途中からソファの上で四肢を伸ばしていた暁國の正面にユユが座る。息を整える過程でわざとらしくため息を吐いたら、腕を組んで顎の下。前のめりになり、ユユは真剣な口調で問い正した。
「かわいいですかって聞いてるんですよね」
「……。は?」
「聞いてるんですよ」
「あ、はい。うす」
声が小さいような気はしたが、きちんと合意は取れたとユユは数回こくこくと頷いた。「カツアゲされてるみてえな気分」と暁國がぼやいていたが聞こえない。
合意が取れているのだから、これからユユがする要求には何の問題もないはず。
「ですよね。なのでこれが──えーっと、先払い」
「あ?」
「あ、逆だ。なんだっけ、商品
「マジで何の話してる、さっきから」
「明日、もう一回『Divine♡』に来てくださいってことです」
口を半分開けたまま、暁國が固まっている。見た感じ、処理落ちと言った方が近い可能性。
そんなに変なことは言っていないだろうと内心不思議に思いつつ、ユユは説明を続ける。
「推しに貢ぐために働いてる子、ウチにもいるんです。結構いっぱい。わんちゃん繋がってたり、それが調査に使えるんじゃないかって」
「──。──。なるほど?」
「なので、調べません?」
推し活の形態をとった宗教というものについて考えている最中、ひらめいたのだ。これはもしかして、ユユのバイト先が良い
そんなユユの冴えた提案を聞いた暁國は額を押さえて、絞り出すように唸りながら、
「理屈は分かった、が……調査ってそれ、あの人たちのことだろ。俺らは別件。関係な、」
「思ったんです。祥子さんのこと、ユユたちじゃどうするのがいいか思いつかなくて難しいなら、先にこっちを調べて、『その代わり』って言って君月さんたちに手伝ってもらうのはどうかって。あ、費用は経費にしてもらえたらなって思ってます」
ひらめき、その二。手立てのない中で暗中模索するより、にっちもさっちもいかない状況は一旦置いておいて、たまたま知ってしまった話でも利用できるならするべきではないのかと、そんな思考だった。
これは交渉で、宣告だ。ユユは組んでいた指をほどき、包んだ両手を膝の上に乗せる。
やる気がないだとかユユの前で暗に抜かした金髪男に、ユユは真正面から向き合って、静かに啖呵を切った。
「これは、ユユが知って、ユユが持ってきた依頼。──ユユの仕事」
──先輩だろうが年上だろうが、生半可な気持ちならまだしも、邪魔立てなんて絶対させない。
あの悲劇は、少なくともユユの前では二度と起こさせない。
そんな決意のこもった眼差しを、暁國がどう受け止めたかは分からない。
ただ、数秒間の瞑目のあと、少なくともその目線はユユから逸らされてはいなかった。姉に似た、彼の色素の薄い二つの茶瞳に、ユユの姿ははっきりと映っていたのだ。
「分かった。時間は」
「後で連絡します。……と、QRコード。読んじゃってください」
「ちょい待ち……っし、いけた」
片方のスマホの画面にカメラをかざすだけで交換できる連絡先を譲渡し、社交辞令用のスタンプを送って一応確認。そのあとで、ユユは相談所まで着てきたコートをハンガーから下ろしにいった。今日は一段と冷え込んでいたので、選んだのは最終兵器とユユが呼んでいるもこもこのファーコート。
会話はないまま、あっという間に帰り支度は完了し、
「あともう一個。割とユユ、したたかなので。そこのとこ、よろしくお願いします」
「……おう」
最後に一言、言い残して扉を閉める。一言二言まだありそうな先輩の返事は、扉が床を削る嫌な音に紛れて聞こえなかったことにした。
◆
独創的というかなんというか。アイドル然としたキャッチーな曲調の裏で、不協和音が妙に多く使われている曲だった。
未だ耳にこびりついているサビの部分を、暁國は頭を振ってどうにか追い出そうとして、何度かやったのちに諦めた。
不気味だったり不快感とまではいかないが、軽い引っかかりを覚えるくらい。こうして記憶に残っているのだから、狙いとしては成功といえるのか。
──それはともかくとして、だ。
「割と、じゃねえだろ……」
苦労したらしいが、それにしても強かすぎるポッと出の後輩に向けて。
暁國はそう吐息混じりにこぼすと、ソファに体を沈めたのだった。
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