3 違法×脱法〇無法△



「で、どうだった。その傍迷惑なコンカフェ通いとかいうのは、うちの依頼人になったのかい?」


「言い方やばいですけど、はい。ゲットです」


 ユユはグーサインを出した。


 ──一通り高嶺祥子たかね しょうこの事情を聞きだした後、本命の事柄へと切り込んだのは暁國あきくにだった。ちょうどユユが、へちゃむくれ気味の猫をオムライスの上に描いていたときである。

 祥子の遭遇した類の、そういった不可思議な話を解決している事務所があるということ、そのためにも現在ある情報をできる限り全て提供してほしいということなど。下手に勧誘だと思われては面倒なので、小さめの声でのやり取りだった。


『……なんとかできるなら、してください。あとで金、出します。欲しい分全部』


 世間からの認識やら実体験やらを色々と考慮した挙句、ユユはコンカフェ潜入という割と遠回りな手段を取った──ではなく取らせたのだが、結論から言うと即決だった。

 疲れ果てた声でそう言った彼女の顔は、まさに藁にもすがりたいといった面持ちで。


 正直なところ、今日にいたるまでユユは彼女があんなに追い込まれていると思っていなかったのだ。というより、気づけなかったというべきだろう。

 この三日間、毎日のようにどこかで飲んだくれてから来店し、呪いがどうだとか言ってキャストにも客にも手当たり次第に絡んで回る姿を見ていたというのに。あれは、言ってしまえば自棄になっていたのだ。


 反省したユユは、祥子にチェキを一枚サービスした。ハートも一緒に作った。


「けど祥子さん、どうしても神宿しんじゅくには来たくないそうなんですよね」


「へーえ。そりゃまたどうして」


「治安の問題では?」


「単純に、行くのだりーってこともありそうすよ」


 今日はその翌日というわけで、まだ日は高い時間。場所は戻って神宿相談所、晴れて正式な依頼となった件について顔を突き合わせているのは、ユユに加えて君月きみつきけい、暁國の四人だった。

 美曙みあけはまたもや不在、かなえは平日なので学校だ。暁國大学生は、今は空きコマという時間にあたるらしい。


「ま、何か理由があるんだろ。もともと今回の件は君らに任せようと思ってたし、メイドコンカフェでも何でも、好きなとこで話し合ってくれ」


 ユユが一抹の謎として挙げた依頼人の言に関し適当に予想を出し合ったあとで、頬杖を机についた君月がそう軽く投げた。「りょい了解で──」とユユが言いかけ、遅れてそれが意味することに気づく。


「……あれ、ってことは」


「実は現在、別件の調査を進めてまして。俺と君月さんはともかく、美曙さんはお貸しすることができません」


「はいそういうこと」


「え。お二人っていうか、美曙さん、来れないんですか?」


 察しのついたユユに対して形のいい眉を下げ、謝意を交えた微苦笑を浮かべる景。あっけらかんとした顔の君月。『貸す』というワードチョイスはさておき、言い渡されたのは大幅な戦力低下の通達だった。

 聞くところによると、今回の悪いのは人に呪いをかける『牛』──もとい化け物。鼎は最低限引っ張り出すとして、今まで切り札的存在だった美曙がいないとなると、非力なユユとしては随分と心もとなくなる。


 すると景が「はい」と申し訳なさそうに首肯し、スッと視線を右隣に向けた。その先にいるのはたった一人しかいない。


「なのでアキ、そちらは任せることになりますが……」


「了解す」


「返事早っ……いですね?」


 ぼさっとした様子、省エネな雰囲気を漂わせる二つ年上の金髪が即座に了承し、思わずツッコミを入れるユユ。と思いきや、見上げるその顔がにやりと破顔する。

 ──笑った。と思っていると、不意にその視線がこちらに下りてきた。


「ケイさんに言われりゃな。よろしく、後輩──なんだったか、しゅ」


甘蔗あまつらですユユです。ここプラべなんで分けてくださーい」


 緊張にユユがぱちぱちと目を瞬かせたのもつかの間、デリカシーのない発言に声のトーンが下がる。業務とプライベートは別、リアルの知り合い──あくまで知り合い──に言われるのはなんとなくいい気がしないものなのだ。へえへえ、と苦笑しながら暁國がおざなりな謝罪。

 ──なんとなーく、苦手。などと思い、ユユは目を逸らした。


 ついでに、そう呼ばれたくないとかつての鼎に対しても何回か言ったことがあったのだが、今思うとあれはわざと呼び間違えられていたのかもしれない。ひどい話だ。


「仲良くて結構。で、問題なのは『カナワ屋』だったか」


 どう思われたのかは知らないが、そんな一方的な評価を下されながらユユは「ですです」と答える。スマートフォンをいじり、画面をスライド、スライド、そしてタップ。

 昨日のうちにブックマークしておいたそれを表示して見せた。


「めっちゃ普通にありました」


「本当だ。普通に見れる」


 つまりはそういうこと。鼎の事件──『メリのめぐみ』のときのように七面倒くさい手順はいらず、随分と開かれた呪術代行サイトだった。


 背景は黒一色──こういうものは黒と相場が決まっているのだろうかとユユは思った──文字のサイズは多少拡大して読む必要があるほど小さく、黒地に白とあって目がちかちかする構成。アクセントのつもりか、重要な単語に使われている原色の青も一役買っている。

 お世辞にも凝った造りではなく、何故か全体が左に寄っていたり、パソコンに詳しくないユユでももっとやりようがあるのではと突っ込みたくなる粗雑な出来。


 ユユのサイト評はともあれ、「どれどれ」「ミツキさん見えないす」「僕も」「俺がこっち行きますから」──などと言いながらユユのスマートフォンの回りに集まってくる一同に正面を譲り、ユユは反対側のソファの後ろに回ると、背もたれに肘を置いて寄りかかった。一人、快適である。


「では読み上げます」


「よろしく」


 立ち位置決めが落ち着いたようで、そう宣言した景がサイトの上部から順に読み上げていく。それは、世にも胡散臭くユユからしてみればいかにも信じがたい広告サイトだった。


 ──丑の刻参り代行『カナワ屋』。呪いをかけるのに金銭は不要、謳い文句は『信じるだけで叶います』。

 手順は簡単。新月の夜、午前二時に適当な鳥居のある神社に赴き、その鳥居の下でまずは古典的に二礼二拍手一礼。そして『カナワ様』と三回呼んだあと、呪いたい人の名前を告げるのだ。


「そうしたら、願いが聞き届けられた証として『黒い牛』が出てくると」


「質問です」


「どうぞ甘蔗くん」


「そもそも丑の刻参りって、普通の……普通のって言うとあれですけど、なんか特別な呪いだったりするんですか?」


「ふむ。日本における呪い、呪術についてか」


 顎に片手を添え、かがみ込んでいた背筋を正す君月。

 その反対に、別にそんな毎回大仰に語ってくれなくてもいいんだけど──と聞いておきながらつい生暖かい目になるユユがいる。そんなとりとめのない憂慮は案の定当たることになり、


「一般的には、呪文を用いて何者かを害そうとする行為全般をそう呼ぶ。そもそもは言霊信仰に端を発するが……一旦省略しよう。本当に昔々の話だけど、それ自体を生業としていた人々もいたほど、呪いはポピュラーな文化で手段だった。とされてる」


な文化ですね」


「丑の刻参りはその中でも特に有名どころ。しかし同時に、他の呪いにはない特徴が一つあってね」


「特徴?」とユユは首を傾けた。有名どころなのはユユも聞いたことくらいはあったことからも分かるが、そんな独特なポジションにいたのか。とややズレた発想。


「呪いをかけた自分自身が『鬼』となり、力を得る呪術。それが丑の刻参りだ」


「鬼、っていうのは」


「晩期死体現象」


「はい?」


 思いもよらないところからの回答にポカンとした顔になる。特に、ばんきとは漢字でどう書くのか。首を捻っていると「晩御飯の晩ですよ」と景が知らせてくれた。本人が言えばいいのにと思いつつ、謝辞ついでにそちらに目を向けて、ユユはもう一度首を傾げた。


「前提として、呪い自体は『神世』以前から知られていた。で、取るに足らないだろうと断じられてた」


「あ、はい」


 視界内のものに思考を引っ張られかけたユユに気づくことなく、晩期なんとかにも解説を加えることなく、ひとりでに君月は語り続ける。


「不能犯という言葉がある。簡単に言うと、殺したって言うんなら証拠を出してみろ、できないだろう──ってやつだよ。それに該当していたのさ」


「できないんだ……ですね?」


「できなかった。ついでに言えば、今もできない」


 多分前も言ったけど、と君月が注釈を入れ、


「『神』を処断できない理由の一つに、日本の法律の対象が未だ人間に限られているというものがある。長々と何やってるんだかとも言いたくなるが、しかし仮に法改正が実現したとしても、彼らは間違いなく不能犯に分類されるだろう」


 確かに前に──最初の頃にユユも聞いたような話だ。今も残り続けるそういった課題のせいで警察などの国の機関が手出しできず、かつそれ自体がこの神宿相談所の存在意義でもあると。


「呪いも『神』の持つ異能も、実証不可能。それが一番の問題点」


 思えばその発言を聞いた頃は、まだユユがここに対して懐疑的だったときでもあった。だが彼らは不法や無法ならぬ、言うなれば脱法の領域で抗っているのだと、紆余曲折あった今では理解している。一応。


「けれど実証もできず裁けないながらも、それでいいとしていたんだ。『バカげた話だから』、『迷信を実行に移したところで何も起きないから』と」


「迷信……」

 

「そう位置づけてきたのが、古の絶対王者──科学だよ。科学が幻想をふいにして屠る。それが今は亡き、かつての世界の在り方だった」


 科学。数学が苦手という、あまりにもありがちな理由でギリギリ文系なユユには縁遠い単語。一瞬様々な嫌な思い出がよぎったが、それが学校の授業でやるたぐいの話ではないと、さすがに早々思い直す。


 ──現代の覇者は他でもなく、宗教。その対義語として使われたことを示す、『今は亡き』という言葉選びには無情さすらあった。


「遺体を放置すると色が変わり、肉が膨れ上がり、鬼のような形相になる。これが晩期死体現象。例えばそんな風にして、恐れられてきた異形の正体を人類はいくつも解明してきた」


 人類すごい、というのが割合飽きてきて、頬杖をついたうえで頬を指の腹で捏ねだしたユユの繕わない感想だったのだが、口に出さないほどにはまだ理性があった。

 ──と、何の気なしにずらした視線の先で、色落ちしかけの金髪の男とばちりと目が合って。


「鬼に人魂、悪魔憑き。言い伝えだの迷信といったものを暴いてきたという実績があるからこそ、整えられた法も凝り固まった理学も正真正銘本当の埒外にはなすすべがなく、人類に残されたのはその『実在』を受け入れるという選択肢だけ。そして世界は狂わされ、ついには現代に、この神世に至ったというわけで」


「ミツキさん」


「何」


「話長いっす」


 律儀に手を挙げてにべもなく告げ、この長々続いた講義もとい講釈を打ち切った暁國に、ユユは初めて感謝した。──いや多分大事なことを言っていたのだろうし、真面目に聞くべきだったのだろうけれど。


 それこそ初めの頃ならまだしも、今のユユには酷な話だと内心で自己弁護。良くも悪くも、その何倍も気が抜けてしまった後なのだからと、頬をむにむに潰しながら暁國に同意の意味を込めて数回頷いたユユだった。


「要するに呪いっていうのは現代技術に負け、そして甘蔗くん。君が大して知識を持っていなかったことからも分かるようように、現代宗教にもコスパとタイパ、知名度で負けた敗残兵ってことさ。──まったく、これだから若い子は。しょうがないな」


「んは、三つしか変わんねえでしょ。ミツキさんより姉貴のが上だし」


「本人がいないからこそ言える台詞ですね」


「っすよ」


「あ、ならユユ、一番若くてそれにかわいいので、なんかください」


「人慣れしたあとの猫か君は」


 そういえば、彼は十九歳の大学一年生という身分らしい。やれやれと欧米人のようなポーズを決める君月にそんな暁國がズバリ言った。

 余談だが、背の低くやや童顔の傾向もある君月と十二分に上背のある暁國では、なかなかに視覚情報とのギャップがある発言だったと、適当にねだった結果取得したせんべいをぱりぱり食べながらユユは思う。一見して、逆に見えかねない組み合わせのためだ。


「ではこちらを。軽くですが纏めてあります」


 棚の戸を閉めたあと、そう言って景が差し出してきたのは、厳つめの傷が縦横無尽に入ったスマートフォンの画面だった。角の一つなどは特にひどく、網目状に割れて蜘蛛の巣のようになっている。

 端的に言って、景のイメージからはかけ離れた粗雑さがそこにはあった。もっとも、その違和感は暁國が自分をちょいちょい、と指さしてみせたことで即座に解消されたが。自分のものだという意味だとユユは察する。


 物理的に見苦しいながらも周りに倣ってユユも画面を覗いてみると、そこにはSNSの書き込みがずらりと一覧にされて並んでいた。「ほー」と君月が声を上げる。


「仕事早いね、さすが」


「アンタが長話してる間にっすよ。ケイさんと、俺で」


 伸ばした人差し指の向きを変えて、暁國が軽薄に功績をアピールしている。実際、そこが二人で何やら端末を覗き込んでいたのはユユも目にしていたため事実なのだろう。と、君月がブロンズの方の髪をかき上げて、


「じゃあ僕も間接的に貢献してるね。どうもどうも」


「いいんですか景さん、この人ほっといて。かかってるフィルターの枚数すごすぎません?」


「どうでしょう、数えてみたことがないもので」


 そう言って浮かべた景の笑みに、ユユは煙に巻かれたような気分になる。「ああ、それと」と彼は仄かにいたずらっぽく目を細め、


「言葉の選び方にはご留意を。下手に包めば褒め言葉だと認識されますよ」


「めんどぉ……」


「身も蓋もないねえ君ら。ただのジョークじゃんか」


 爽やかながら不遜に対処法を授ける景と、それに抗弁する君月。「話進めていいすか」と手を挙げた年下に、「どうぞどうぞ」と揃って言う姿はなんだかお約束じみていた。

 それを眺めつつ、舌に乗ったせんべいの味に、醤油は濃口より薄口の方が好みだなとぼんやり思ったユユである。最後のひとかけらだった。


「多分、たか……たか、」


「高嶺祥子さんです。先輩」


「その人が見たっつう噂、これじゃないすかね」


 SNSに投稿されていた、『これやばい しらなかった』という文面とともに紐づけられていたウェブサイトを暁國がタップした。



 ◆



 ──注意! カナワ屋のウワサ。


 ──呪いをかけたらお礼参りが必須、というのはこのサイトをご覧になっている皆様も知っての通り、カナワ屋のホームページにも記載されている『道理』だ。

 ただしその際、『黒い牛』が現れた場合。とある注意が別途必要になる。


「単刀直入に言おう。君は失敗した。よって『死』を覚悟すべし──か」


 甘い話には裏がある。そんな書き出しで始まった、オカルト趣味な個人製作のサイトの『噂』を君月が全文読み上げて、事態はようやくとっかかりが掴めたといった具合だった。


 ただ唐突に妙なものが見え始めた、というだけではなかったのだ。こんな脅し文句を目にし、それに実際に遭遇したとあってはあの怯えぶりも無理はない。そう思い祥子への同情を深めるユユ。


「この、『黒い牛』で検索した結果がこちらになります」


 黒手袋に覆われた指が画面を下にすい、と流す。それスマホ対応だったんだ、とユユはどうでもいいことを考えた。


『黒い牛いる、道ど真ん中』

『交差点歩いてますやば』

『車』


『どっかから脱走してる!?黒い牛!!』

『ついてくる~かわい』

『駅はいってきた??、?』


『黒い?牛がいます。誰も、反応していません。不思議な出来事。』

『通報って、どこにしたらいいんでしょうか。牧場?』

『見て、います?』


 流れてきたのは老若男女、十人ほどの書き込み。誰に聞かせるでも見せるでもない、独り言の呟きをメインとしているプラットフォームの特色が大いに出た、取り留めなく雑然とした言葉たち。

 それが、直後の景の補足によって、途端に別の意味を帯びてくることになる。


「──全員、この直後に書き込みが途絶えています。二つ目の方のみ、交通事故に遭われたという遺族の方の書き込みが数日後に」


「えっ」


『牛』を見た、その直後に失踪、否、恐らくは死亡。ユユの中で、呪いというふわっとした言葉で覆われていた今回の被害が、急速に像を結んでいく。

 そんな人死にという未だ慣れない──正直慣れたくもないが──要素に固まるユユをよそに、『先輩』は軽く「うーん」と唸った。


「これって全員、『お礼参り』やった人なんすかね」


「多分、逆だ」


 最期の言葉と聞いて、視線を動かすことが躊躇われたユユなどとは反対に、画面をちらりと一瞥しただけで顔を上げ、顎に手を当てて考え込んでいた君月だ。

 多分と言いつつ、その口調は確信めいている。


「数が多すぎる。内容も含めて順当に考えれば、彼らはほぼ間違いなく呪われた・・・・側だろうね」


「あと一つ。『カナワ屋』で検索をかけると、出てくるのは大半が口コミです。死んでほしかった相手が轢かれてくれたとか、自分で事故を起こしてくれたとか」


「なるほど。事故を引き起こす化け物──もしくは単に、そう言う可能性のある場所で出現し、被害者の注意を引いて事故に遭わせるか。これだけじゃ読み取れないな」


 景の追加情報も踏まえ、とんとん拍子に推測が進んでいく。ユユも、と身を乗り出した。頭をフル回転させて場にある情報を自分なりに集めて、まとめて。


「呪いをかけられた人を、『黒い牛』がその……死なせて。呪った人も、何人かは『お礼参り』で同じことになっちゃう。ってことで、合ってます?」


「ん、いいんじゃない? 上出来」


 ぐぐぐとユユが上半身ごと、首を三十度くらい傾けながらしぼりだした総括は、短い賛辞で受容された。君月の横顔に見えた、その僅かに持ち上がった口の端。

 驚きの現れで目を何度か瞬かせたあと、ユユの桜色をした口元も、同じように──否、彼のは得てして嘲笑スレスレのものであり、以前ならユユも疑念を持って受け止めていただろうから同じではない──その可愛さと可憐さを保ちながらにまにまと上がっていく。

 ──そう、そうだ。ユユ、上出来なのだ。


 どうだ、と暁國に自慢げな顔を向ける。携帯をポケットに突っ込んでいた彼に心底不審そうに片眉を上げた顔で「なんだよ」と返され、ユユの唇がつんと尖った。「なんでもないでーす」と期待外れの表明。


「仲良くて結構。じゃ、僕と景はそろそろ行くから──」


「まじすか?」


「どこに?」


「別件別件」


 おもむろに外套を着込みだした君月にユユが目をぱちくりさせて尋ね、その横にはいつの間にかチェスターコートを纏って微笑している景がいる。

 唐突な外出支度と、答えのようで答えでない返事に、自分と同時に振り向いた暁國に説明を求めるユユの視線。似たような反応をしていたところから、無意味な気も大いにするが、と。


「別件すか」


「うん、そう」


「……それって例えば、俺がいちゃいけないやつすか」


 ──あれ? と、ユユが浮かべたのは大きめのはてなマーク。


 話が、ユユの知らない方に転がっている。そんな気配を如実に感じた。

 どういうことかとユユのようにただ尋ねるのではなく、なんならその行き先に心当たりのあるかのような言い回し。暁國の顔は深刻そうで、その理由はユユには全くもって分からなかった。


「もしかして──」


「や。全然別個、別問題。気にしなくていいよ」


「マジなら、別にいいんすけどね」


「どうでしょう。軽く言っておいてもいいのでは? あと十五分なので、手短にですが」


「んー……ま、いいか」


 彼にしては長めの勘考の末、言うことに決めたらしい。マフラーを割と不器用にぐるぐる巻いていた君月が視線を上げる。その範囲には、ずっと一人、はてなマークを頭に乗せ続けていたユユも含まれていた。


「別件っていうのは、以前摘発した神宿内で活動してる集団のこと。わざわざここを拠点に選んでいるだけあって、大分厄介でね」


 どうやら心当たりとは本当に異なるものだったらしく、拍子抜けした顔の暁國があーだのおーだの脱力したように言っている。それを横目にしつつ、ユユが気になるのは後半の方だった。


「それが、なんで厄介なんですか? わざわざ、っていうのは」


「あれ、言ってなかったっけ」


 聞いた覚えがない、とユユに返された君月が、判断をゆだねるように景に視線を寄越している。しかしすげなく首を横に振られており、よって正しいのはユユだと証明された。ほらあ、とユユは胸を張る。

 瞑目のちに取りなすように咳払いをし、「アキくんは知ってるだろうけど」と、マフラーの位置が定まったらしい君月が、


「──この街に化け物は入ってこれない。どうやっても、不可能だ」


「──。入って、これない?」


 真顔で、そんなユユにとっては初知りにもほどがある話を口にした。口をぽかんと開けて復唱して、疑っているわけではないがユユは念のため景をちらりと見て、頷かれた。どうやら本当のことらしい。


 けれどそれで納得、とまではいけないユユだ。他でもない、鼎のことがあるために。ユユに引っ張られるどころか、率先して嫌がらせのために相談所に足を運んでいたはずなのだが。


「あいつ──トウテツ入れてます、よね?」


「うん。簡単に言えば、許可証を発行したかたちになる。そうそう取らない方法だし、説明は面倒だから本人に聞いてくれ」


「へー……」


「これも詳細は省くけど、この街って実は自治体みたいなのがあってさ」


 どんどん出てくる、知らない情報が。斜めに倒した顎の下で可愛く両手を合わせてみて、ユユはひとまず難しい顔をした。


「以前、っていうのはうちじゃなく、その自治体がやった摘発のことでね。あー、神宿ってそもそも水商売が多い……歓楽街だろ。つまりそういう理由。その団体も自治体モドキが昔に捕まえかけたけど逃げられて、今回は僕らも協力することになったって流れ。……一気に言ったけど、分かったかい?」


「なんとか……?」


 確かに、ここを一言で言うならば歓楽街。しかし神宿といえば確からしいものからあやふやなものまでよくない噂のオンパレードで、蓋を開けても明けなくても無法地帯そのもの。ユユも、相談所までの安全なルートを教えてもらうまで近寄ることすらなかった場所だ。

 そんな場所にも、法はなくともことわりはあったらしい。学びを一つ得たユユだった。


「そろそろ出る時間です、君月さん」


「了解。で、そのモドキとの情報共有というか、会議があるんだけど」


「はい」


「……気になるなら、行く?」


「あ、やめときます」


 推奨はしないといったオーラを溢れさせている君月──僅かにだが、気のせいでなければ景からも出ていた──の提案をユユは即決で辞退。ちなみに暁國はというと、「アキ──」と名前を呼びかけた景を遮って「いかないっす」と空笑いで断っていた。

 似たり寄ったりな三者の反応といい、君月には最終的にモドキ呼ばわりまでされていたが、その自治体とやらは一体どんな集団なのか。

 悪い意味で気にはなったが、ユユとしては賢明な判断をしたつもりである。


「だろうと思ったよ。じゃ、ちょっと出かけてくる」


「日が暮れる前には恐らく戻ります。外に出ても帰っても構いませんが、残る場合は留守をお願いしますね。鍵は、」


「あります。気ぃつけてくださいよ」


「えっと、頑張ってきてください?」


 ポケットを叩いてみせ、けろりとした顔で暁國が応える。それに微笑んで頷き返し、先んじて内開きの扉を開ける景。スマートに先行を促された君月がひらひらと手を振り外に消えていったあとで、軽く一礼した景が静かに戸を閉めつつ出ていった。


「行ったなあ」


「ました、ね」


 暁國がぽつりと呟き、ユユも同調。沈黙が気まずくなる寸前、暁國がくるりと後ろに向き、一直線にソファに向かっていった。横向きに腰掛けてジーンズを履いた足を、靴は乗せないまでも反対側に伸ばし──癪な話だが身長差の分、ユユよりも長そうだ──人数が半減して広くなったスペースを悠々と占領している。


 ──あれ、これって。


 手持ち無沙汰で何の気なしにじっとその一連の動作と、背もたれから唯一覗くプリン気味の後頭部を眺め、はたと気づいたユユである。


 ──二人きり?


 暖房から流れるぬるい温風が、無機質にかさついた感触をユユの頬に残していった。



 ◆



 流れるのは電子音を盛りに盛ってチープな可愛さを全面に押し出した、日本ならではといったアイドルソング風。BPMは心臓の鼓動より早い。

 曲調は基本的にわざとらしい『萌え』の中、メロディーラインの裏でひずむギターと浮ついた装飾のピアノが、ゴシックの要素が組み込まれた独特の雰囲気を曲中に醸し出している。

 いわゆる不穏・・、王道から時折外れる、妙に半音多めのコード進行がその象徴だ。


 くるりとターン、制服チックなスカートが揺れる。ツインテールも負けじと舞う。こう見えて当たると痛い、女の子のシンボルみたいな凶器。

 ──余談だが、鼎の件があって以降、ユユは全てのボトムスをスパッツ付きに一新している。突然修羅場に巻き込まれようが、スカートが舞い上がろうが何も問題ない。我ながら英断だとユユは思う。


 肘を上げて両手を胸の前に構え、古い方のハートマーク。ばちりと満点のウインクをして、ラスト。


「──でぃばいんっ!」


 音程のないユユの掛け声とともに、軽やかなパーカッションの音で曲が締めくくられた。体力は同年代にしてはある方と自認するユユだが、歌に踊りにとなるとどうしても息が上がる。あとで暖房の設定温度を変えようと考える。

 やり切った実感が、確かにある。そしてユユは可愛くポーズを決めたまま、目の前に座る男へと一言。


「感想。どうです?」


「──昨日から思ってたけど、語呂、マジで悪い」


 体全体を斜め横に向かってだらりと伸長させ、肘置きに思いっきり肘をついて頭を預けた体勢の。

 何を見せられているのかと困惑した顔の暁國が、そんな無遠慮な感想を求められるままに述べたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る