2 神宿相談所の鼎談



 甘蔗あまつらユユ。前述したように十七歳。


 身長百五十七センチメートル、小柄な体躯に小顔が乗っかり、ぱっちりとした二重に大きなアーモンド形の黒瞳、玉のような肌に薄紅に染まる頬と天性の愛嬌のある顔立ちは完全無欠に超最強。髪は染めたことのない艶やかな黒。前髪は切り揃えられ、腰上まで流れるツインテールが可愛さをプラスしている。

 第一ボタンを開けたシャツに薄ピンクの大きめセーターで抜け感、スカートとリボンは黒と、二色でまとめきった制服姿はまさに最適解。


 疑いようもなく、「可愛い」と、誰もがそう言う容姿。

 ──そう、少女は己を認識している。


「なので、最初は『また変な人か~こわ~通報しよ』って思ったんですけど」


「なるほど? 経験からの判断だと。それはまた、見習いたい自己評価だね」


「そうですか?」と小首を傾げる少女に、今の今まで保っていた理知的な雰囲気を崩された青年が嘆息する。いかにもな偉い人用、光沢を帯びて重厚感を醸し出す机の向こうで、彼はすぐさま誤魔化すように咳払いをし、椅子の上で足を組み直すと非常に上から目線に告げた。


「──や、構わないさ。一風変わった依頼人、大歓迎だよ」


 ──そっちのが変わってると思うんだけど。


 と『変わってる』判定を下されたことに釈然としない顔の美少女こと、ユユが『神宿しんじゅく相談所』に訪れたのはほんの数分前。



 ◆



「ようこそお客人。ご依頼かな?」


 腕と足を針金細工のように組んで、はっきりと聞く人を意識した気取った言い回し。足を踏み入れてすぐ、ユユはまず少しだけ気圧された。

 その理由は入ってすぐ、待ち構えていたかのように「ようこそ」と歓迎の意を示されたというのが一つ。しかしさらに目を引いたのは、それを口にした人間──お偉いさん椅子に座る、唯一の在室者。その彼が持つ、左半分をブロンドに染めた特徴的な頭髪だった。


 なかなか市井ではお目にかかれないであろう、金と黒、二種の髪色をした青年だったのだ。良く言えば個性的かつ自己主張強め、ユユは決して偏見を持った少女ではないが、一目見た印象で言えば、信頼が置けると表現するのには無理がある容姿。


「何かな?」


「えっや、なんでも……?」


 そんな風に思わず入り口を塞いだままじっと視線を注いでしまいそうになったが、すんでのところで我に返る。

 そしてざっと『相談所』の室内を見回して、最初に抱いた印象は、とにかく殺風景。青年が座る椅子、曰くの『お客人』用だろう二つのソファ、その間にあるテーブル、あとは奥にあるホワイトボードだの最低限の収納スペースを確保する棚だのがあって、特にそれ以外の目立つものはない部屋。


 無駄はないが、機能美を求めた末、もしくは効率優先故の物の少なさというよりは単に──お金なさそう。というのがユユの見解だった。


「……ここ、看板ないんですね」


 思考終了。観察を終えての第一声は、あからさまな不審。


 そもそも入る前、ユユが一番気になったことがそれ──『神宿相談所』だか何だか知らないが、その名前すら表に掲げられていなかったことだった。

 ゾンビに襲われ、助けられて。美曙みあけに案内されて着いた場所は、看板も貼り出しもないただの路地裏。

 なにか、圧倒的に嫌な予感がした。


 繁華街の中心から少し外れているとはいえ、狭い路地に面した造りのボロい建物。薄暗い裏道。そもそもこんな時間に。

 そもそも神宿にある時点でいろいろ眉唾だ、ここの悪評はユユだって知っている──そんな疑念がぐるぐると巡る中、案の定、あまりにも堂々と扉を開けた美曙の後ろ姿に眩暈がしそうになったユユだった。


 ──ちょっとでも信じたのがバカだった。


 その瞬間のユユの後悔が、これである。ドアから顔を出し、ちょいちょいと手招きする美曙に今更帰るとも言い出せず、恐る恐る足を踏み入れてみれば。


「ちょっと事情があってね。一見さんお断りにしてる」


「はあ」


「怪しいもんじゃないよ。ただ困ってる人がいたら手を差し伸べる、それだけの事務所さ。さ、座りたまえ」


 怪しい場所に、無駄に怪しく胡散臭い変な頭髪の青年がいるだけだった。「お茶の一つも出せず申し訳ない。あいにく、茶を入れられる人間が出払っていてね」と注釈が入ったが──他にも人いるんだ、とは思った──本音を言うとさっさとお暇したいユユにはむしろ好都合。


「ペットボトルのならあるけど、いる?」


「いえ全然、大丈夫です」


 言葉少なに固辞し、とりあえずは席に着く。ちらりとユユが斜め横を見ると、送り届けたのだから仕事は終わったとばかりに、早々とソファの席を確保した美曙がいる。

 目が合って、何を思われたのかにこりと微笑まれる。ひらひらと手も振ってきた。困り笑い半分、愛想笑い半分でぎこちなく返す。


「一応、まだ依頼するって決めたわけじゃなくて。お金とかも、」


「気にしないでくれ、大体の話は美曙から聞いてる。とりあえずは話だけ、信用するかどうか、依頼するかもそれ次第。って感じだろ?」


「……まあ、はい」


 要求は思ったよりあっさりと通り、これまた拍子抜けだったユユが少しだけ渋い顔を作った。


「呼びつけたのはこっちだ、話聞くだけで金なんか取らないよ。だから存分に試してくれ──」


「そろそろ本題入ったらどう? ミツキ」


「ん」

 

 美曙に促され、ミツキと女の子のような名前で呼ばれた青年は頷くと、指を組み直す。切れ長の目がユユを真っ直ぐに見据え、「改めて」と清涼な声が紡がれた。


「──ようこそお客人。僕は久野君月ひさの きみつき。神宿相談所の所長をやってる。よろしく」


「……甘蔗、ユユといいます。まだ客人じゃないです」


 女の子みたいな名前の人ではなく、変な名前の人だった。青年改め、君月がにこりと笑みを作る。

 眉を顰めたくなるほど胡散臭く、取ってつけたようにわざとらしい笑顔だった。


「じゃあ、まずはヒアリングといこう」



 ◆



 そして雰囲気に流されるままユユが語りだし、冒頭の自己主張強めの独白へと繋がる。


「だから最初、ゾンビって気づかなかったんです。暗かったし、今変な人っていっぱいいるじゃないですか。さすがに近づいたらやばい感じって分かったんですけど……噂があったから」


「噂ね」


 近頃流行りの、ゾンビの噂。がらんどうの眼窩が頭をよぎり、にわかに粟立つ腕をぎゅっと抱きしめるユユをよそに、思案げに指を顎に当てた君月は美曙に顔を向ける。


「どうだった? 実際」


「確かに今までに見た中だと、人寄りだったわ。首以外、どこもバラけてなかったし。斬ったらフワッて消えたけど」


 あれでマシな方のビジュアルだったという新事実。他にどんなものがいるのかは想像もしたくなくてげんなりする。


「で、その噂が」


「あ、はい。知ってました、か?」


「──曰く、夜ごと死体が起き上がる。曰く、何かを探して街を徘徊している。曰く、朝になったら消えている」


 誰に向かって聞いているのかと言わんばかりに、滔々と君月は語り始めた。曰く、と付け加えるごとに指をピンと一本ずつ立てるおまけつき。

 確かに調査と言ったのには嘘はないようで、それはユユが聞いた話とほぼ相違なかった。語られているのは、くだんのゾンビの出来の悪いイベント用のごとき『習性』。しかし、話はそれだけでは終わらない──否、終わるはずだった。


「曰く、見た目はしっかりエグいが、人に危害は加えない」


 もったいぶって告げられた最後の一言に、ユユの視線が固くなる。

 『近づくと逃げるように姿を消す』というのが、噂のオチだったのだ。

 一風変わった設定が都合が良すぎると逆にウケて、まさにユユも冗談半分で聞いていた一人だった。そんな人を襲うとか、頻発してたらニュースになってるでしょ、と。


 確かに危機感が不足していたことは認める。けれど、いちいちビビって逃げ帰るのにも嫌になる程度には、変な人も変なモノも街には溢れていたから。

 結局のところ、そうして不用意に近づいた結果、追われて食われかけるハメになったわけだが。


「君が遭遇したのがそれだとすると、不自然だね」


「アレのこと、調べてるんですか」


 芯は固いまま、ユユの声が熱を帯びる。気づけば返答を急くように、無意識に前のめりになっていた。


 ユユはたまたま、アレと遭遇したわけではない。──と思う。ましてや、襲われたのが偶然だったとも。

 ゾンビがいたのは、彼女の探し物の、手がかりのすぐそばだった。


「そうとも言えるし、そうでないとも。僕らの専門は原因の方でね」


「……原因が、あるんですか」


 そう尋ねた瞬間、がらりと雰囲気が変わる。

 その発信元は他でもない君月だった。突然場を支配し始めた異様な空気に、ユユはごくりと唾を飲む。


 それまでのちょけた感じはかき消え、打って変わって無表情。真剣な顔の中で、目だけが爛々と光る。

 見開かれたその双眸にはどこか、狂気じみた光が宿っていた。

 彼は引き気味になるユユを凝視すると、厳かに問う。


「──君は、神を信じるかい?」


「帰ります」


 ユユは静かに言い放った。



 ◆



「そういうのじゃないって言ったのに。だから来たのに。来たんですけど」


「いや違うちがう、ごめん待って言い方間違えた」


「方針変えたの? 先に言って頂戴よ」


「違うってややこしくなるだろ!」


 つい数秒前までの荘厳さをかなぐり捨てて怒鳴る青年。その横では、「あらごめんなさい」と、袖で口元を隠した美曙が他人事のようにくすくす笑っている。同僚のように見えつつも急激に身内感を醸し出し始めた二人に、さらに白い目を向けるユユに彼は慌てて弁明を計った。


「このバカの言うことは気にしなくていいし、じゃなくて、っていうか逆に……え、信じてないの? 何にも?」


「……特別、これっていうのがないってだけです」


「うっわレアケース」


 穏やかではない単語が一瞬挟まったが、美曙の反応はない。そのためユユも聞かなかったことにする。胸元のクロスタイを弄りながら、少しいじけたように「本当に違うんだって」と君月が繰り返し、


「本当の本当に、勧誘じゃないんだ。誰にでも通じる身近な取っ掛かりという、あくまでそう、話題作り!」


「はあ」


 分からなくはない話だったが、既に不信は灰のように積もり積もって、ユユの目はじっとりと半開きのまま戻らなくなっている。口はへの字だ。

 先ほど偉い人用の椅子を蹴とばすように立ち上がった君月は、片手を机に置いて身を乗り出したうえで大袈裟に手を振り、ユユの警戒心を緩めようと必死の申し開き。


「むしろ逆で、『だよねそうだよね、なんだけど〜』みたいな展開に持っていくつもりだったんだよ」


「それもちょっと、難しいと思いますけど。みんな……すごいから」


「うん。──けれど実は、信じてるってだけじゃすまないこともある」


 あ、軌道修正した。

 切り替えたのだろう、再び指を組んだスタイルに戻った君月が顔を引き締めて、


「いわば宗教トラブル。願いは尊く、祈りは得難い。信仰は滅多なことでは消えない。それ自体を否定するつもりは毛頭ない」


 祈る対象というのは、人が生きていく上で確かに必要なものだと。

 長年勤めた教師が生徒に語るようになめらかに言葉が紡がれ、するりとユユの頭の中に滑り込む。わずかにジト目から通常サイズの可愛い瞳に戻したユユに、再度着席した君月が続ける。


「ほら、トラブルっていうのはどこでも起こるもんだろ? 加えると現代の宗教構造は実に複雑怪奇。一言で言っちゃうとめんどくさいし、抗争なんかが起きても国も安易に介入できないんだよ。ましてや民間ではリスクが高すぎて請け負う連中なんてほとんどいない。僕ら、神宿相談所以外はね」


 そう言うと彼は長い指先を自分と、次いで美曙に向ける。片方の口の端をきゅっと持ち上げたその表情は、絶対の自信に満ち溢れていた。


「かつては金銭絡み、勧誘が面倒だとか、脱退の仕方が分からないとかの相談がメインだったらしいけど。今や、ことは人対人ひとたいひとだけに留まらない」


 君月が言うのは『神世』以前の話だろう、とユユの推測。彼もユユの目にはだいぶ若く映るが、さすがにその時代の経験者というわけではないはずだ、と考えた矢先、


「断言しよう。現代における怪事件──不可解かつ不条理、人智を超えた異常現象。それら全てを引き起こしているのが、やつら──『神』であると」


 その発言で、再び空気が張り詰めた。


 先ほどとは違うのは、それを作り上げたのがユユであるということ。

 目を見張り、口を僅かに開けた状態で強張る表情が、受けた衝撃の深さを如実に物語る。


 やつら、と君月は『神』を称した。

 ──とんでもないことだった。

 例えば彼の椅子に真に相応しいほどの偉い人、そんな人物が言おうものなら天地がひっくり返るような騒ぎが起こるのがこの世の中だ。信仰対象の差異はあれど『神』は平等に絶対。それは君月の言にも含まれていたような、数多の宗教間での対立という歴史の上で作れらた暗黙の了解。

 八百万の実在する『神』自体への疑念や、まして敵意など、あってはならない。


 そんな不文律を、いとも容易く彼は破り捨てた。


 声に込められたその敵意の鋭さに、気づかないユユではない。否、誰であろうと気づくだろう。そして察知されれば危険人物として認識され、人によっては依頼どころか金輪際関わりたくないとすら思われる。


 試せと言われたが、これでは試されているのは自分ではないか。


 不服で形のいい眉根に皴が寄る。


 ──が、ユユの興味を引くことが目的なら、それは大成功と言えただろう。


「アレも、その一つってことですか」


 まんまと乗せられた自覚がユユにはある。気づけば引くに引けなくなり、こうして身を乗り出してしまったのだから、これが思惑通りだとしたら大したものだ。

 我が意を得たりとばかりにしめた笑みを湛えた君月が、


「いい反応だ。ああ、可能性は高いと僕は睨んでるよ。──例えば、カリブ海のとある国には死人を動かす秘術がある」


「それって!」


「あくまで例だ。憶測ならいくらでも立てれるが、手掛かりはほぼない状況でね、こちらとしてもぜひ話をお聞かせ願いたい」


 協力と美曙が言ったことは嘘ではなかったようで、「言ったでしょ」とでも言いたげに上機嫌に胸を張っている。途中から飽きていたように見えたが、大事なところだけは聞いているタイプらしい。

 そのどこか場違いながらも堂々たる姿に、ついユユの毒気が抜かれる。そしてユユが落ち着いたところを見計らって、ぽんと手を叩いた君月がまとめにかかった。


「ま、この話は一旦置いといてくれて構わない。単純に、僕らにも調査する理由があるということさ。……あと、お金だけど」


 来た。そう身構えるユユに、彼は手をひらひらとさせ、


「いらないよ。散々言っておいてあれだけど、依頼って形に拘らなくてもいい」


「ええ?」


「言うなれば情報提供者かな。そもそも君、未成年だろ。制服だし」


「そうです、けど」


「無理やり取るんだったら親御さんに連絡、とかってのもあるけど」


「……それは、」


「それは面倒くさい」


 都合のいいといえばそうだが、ユユはこっそりと胸を撫で下ろす。その様子に特に言及はせず、君月は朗らかに言った。


「だからといって、放置できる案件でもなさそうだからね。──さて。どうだい、だいぶ色々話したけど。僕らは君が相談するに足る相手だったかい?」


 こちらは判断材料たる事情を明かし、理屈を提示した。次は君の番だと、彼は穏やかに決断を促す。


 話が思ったよりも壮大な方向に広がった感があるのは否めない。結局ゾンビの正体は分からなかったし、ユユの探し物と関係があるというのも、あくまでユユの直感でしかない。『かも』の範疇だ。──けれど、


「未成年がこんな時間に一人。こんな怪しい話にホイホイ乗っちゃう。で、『神』を信じてない。そもそもワケアリだろ、君」


「いいんですか、ワケアリで」


「言っただろ。一風変わった依頼人、大歓迎さ」


「……人に、助けてもらうとか、あんまりしたことなくて」


「一つ、訂正させてくれ」


「──」


「助力はするが、『助ける』とは言わない。人間ごときに、人は救えないからね」


 そう言って彼は苦笑する。どこか決まりの悪そうな、眉を下げたぎこちない笑顔。それが、今までで一番の証明だった。


 ──つまりは、ちょっとは信頼できると、ユユは思ったのだ。


 姿勢を正し、足をきっちり揃えて座り直す。そうして一つ、深く息を吐き出すと語り始めた。


「友達を、探してたんです。──本郷鼎ほんごう かなえという少女を」


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