3 少女の行方と思惑二つ



 本郷 鼎ほんごう かなえ甘蔗あまつら ユユの友達であった。親友といってもいいかもしれない。

 それも、唯一の。


「小学校からの友達で、同い年で。今は高校とかで別れちゃったんですけど。四日前、突然姿を消したんです」


 鼎の両親から、娘を見ていないかと聞かれるまで約半日。

 両親が警察に届出を出すまで、そこから更に約半日。

 二日間、何もなし。


 業を煮やしたユユが彼女の家に突撃し、事情を聞いて愕然としたのは三日目の夜中のこと。


 事件性なし。一般家出人として受理されたのだと、気だるげにそれだけ告げた母親は、立ち尽くす少女の前で早々にドアを閉めた。


「納得できませんでした」


 自主的な家出。本郷鼎は学校からの帰り道にふと思い立ち、誰にも告げず行方をくらましたと。


 そんな結論、到底納得できるものではなかった。


「だから、自分で調べることにしたんです」


 ──思い立ったユユはまず、仕込んでいた携帯の位置情報アプリの履歴を洗った。


「ちょっと待ってくれ」


「はい?」


 君月きみつきが手を伸ばし話を遮る。何か止められるようなことを言っただろうかと、ユユは怪訝そうに首を傾げた。

 止めた張本人は頭でも痛いのか、額に手を当てては「位置情報。なるほど」と繰り返している。不思議な光景だ。


「アプリね、うん。GPSか。え、なに? 共有してたの?」


「念の為です。いろいろ心配で。前に頼んで入れてもらったやつで、普段はいつ確認してもオンにしてないっぽくて、期待はしてなかったんですけど。一ヶ所だけ、履歴が残ってたんです」


「──。──。続けてくれ」


 今の間はなんだろう。ユユは首を傾げた。


「えっと、日付は四日前、その子がいなくなった日のデータでした。そこに」


「君はその友人を探しに行き、例のゾンビと遭遇したわけだ」


 そう君月が引き継ぎ、話をまとめる。ことの顛末、ユユがここに来るまでの流れはまさに言われた通りで、「はい」とユユは言葉少なに首肯。


「そのデータってまだ見れるかい?」


「スクショ撮ってあります。……と、これです」


 ユユはぽちぽちと慣れた手つきでスマートフォンを操作し、画面を開いて見せる。明るさの調整も忘れずに。


 画面いっぱいに映し出されたモノトーン調の簡易的な地図、その中心には赤い丸がしっかりと主張している。それこそがまさに、彼女が最後に残した足跡──。


「地図で見た感じ、周り、特になんにもなかったんですけど」


「だろうね。──美曙みあけ。覚えてる?」


 思い当たる節でもあったのか、君月は地図を見るなり、得心がいったような素振りを見せた。そして、横から首を伸ばしてスマホを覗き込んでいた美曙に話を振る。


 ユユを連れてきたきり、沈黙を保っていた彼女。柔らかな微笑を湛えた美女は、ようやっとお鉢が回ってきたと誇らしげに、


「覚えてるわけないじゃない。私よ?」


「だよね。忘れてくれ」


「……ん?」


「まあ早い話、僕らも行ったことあるんだ。調査でね。ただの住宅地だったんだけど、あの近辺だけ異様にゾンビの出現例が多くてさ」


 ──今のいる?


 口には出さなかった。ユユは空気を読める女の子だったから。


「範囲が被ってる、ってことですか」


「モロ被り」


 ふざけたやり取りが挟まったが、会話の内容は重大だった。やはりあれは偶然ではなかったと、ユユはひとり確信を深める。


「そうだ。アレの呼び方はゾンビで構わないね?」


「え、構い……ませんけど」


「前にうちでも意見が割れてさ。僕は格好よく屍人しじんにしたかったんだけど。しかばねの人で」


「ゾンビでいいじゃない。単純で」


「頭外れてて、欠けてて、『あー』しか言えないやつはゾンビでいいと思います」


 適当に美曙に賛同しながら、ユユは自分の発言に何か引っ掛かりを覚えた気がした。


 ──しかし記憶をたぐり寄せるより先、「それはそうと」と、君月の脱線した流れを元に戻す声に思考が途絶える。違和感の答えを出すことは叶わず、それは意識からするりと抜け落ちて、


「単なる死人じゃないのは間違いないんだ。朝になったら消えるし、近づいても消えるから実体があるかも定かじゃなくてさ」


「幽霊かもってことですか?」


「幽霊は存在しないが、近しい何かって可能性があった。で、今回」


「斬れたわね。けど消えちゃったわよ?」


「基本的には霊体──仮にこう呼称するけど──に近いのかもしれない。人を襲うときだけ実体を得て、」


 と、中途半端に言葉を切った彼はユユの背後に目線をやる。つられて振り返れば、今まさに相談所のドアが開かれるところだった。


「──戻りました」


「お帰りなさい」


 入ってきたのは若い男性。戻ったと言うからには関係者なのだろう。真っ先に反応したのは美曙で、次いで君月が「おかえり」と端的に続く。


 後ろ手にドアを閉めた青年が、室内に見慣れない人物──客であろうユユを見とめて一礼。

 出遅れたことを恥じつつユユも小さく頭を下げると、それを尻目に頬杖をついた君月が口を開き、


「どう? 痕跡とか残ってたかい?」


「何も。綺麗さっぱりですね」


「今までと同じかあ」


 軽い調子でやり取りを交わす青年と君月。気になったのはその外見、ひいては相談所の平均年齢。ユユが言うのもあれだが、全員随分と若く見える。今更な話だろうか。


 そうこうしているうちに、「そちらがお客様で?」と青年が視線を寄越したのでユユは思考を中断し、慌てて背筋を伸ばす。


「あっ、と、お邪魔してます」


「そうそう客人。じゃ、自己紹介よろしく」


「俺ですか」


 思わずまじまじと見てしまうほど、整った顔立ちの青年だった。スラリとした長身のフォーマルスタイル。欧米風に軽く胸に添えられた手に、短い黒手袋を嵌めているのが印象的だ。


 その体勢のままかしこまってお辞儀をすれば、やや目にかかる長さの前髪がさらりと流れる。

 見事なまでの優男──それも、ユユに言わせればホスト風の。微笑みを浮かべた青年の、垂れた目元が一層細く弧を描いた。


椿原景つばはら けいと言います。椿に原、景色の景と。ここの副所長を……助手みたいなものですね、務めている者です」


「ユユです。甘蔗ユユ、カンショの甘蔗で。依頼人、みたいな感じになりました」


 青年あらため景は真面目な性質らしく、互いに業務的な自己開示。ことここにおいてはやや浮いているレベルの真っ当さだった。


 流れで連絡先を交換すると、ちょうどキリのよいところだったのだろう。「さて」と君月が両手を合わせ、まとめに入りそうな雰囲気を醸し出す。


「もうじき日付が変わる。いい頃合いじゃないかな」


 ユユがスマホを確認すると、時計は天辺を回らずともその一歩手前。本来ならとっくに帰っていないといけない時間だ。

 そうして気づいて初めて自覚した睡眠不足。というより、疲れが出たという方が近い。

 にわかに重力に従おうとする瞼をこじ開け、露骨に眠気と格闘し始めたユユに対し、君月が穏やかに声をかける。


「今日はもう帰りたまえ、美曙に送らせよう。ゾンビの件を除いても、近頃の行方不明者の多さは異様だからね、用心するに越したことはない。続きは明日の昼に」


「……はい」


「任されたわ」


 なんとなくどういう立ち位置か見えてきた美曙に促され、扉の前に立ち、ノブに手を掛けようとしたところで動きが止まった。

 一瞬の沈黙ののち、ためらいがちに振り向いたユユの口が小さく「あの」と動き、


「それじゃ、明日、ご友人が消息を絶ったという場所で。いいかい? 依頼人」


 折悪く、出だしでかち合った。ユユは言いかけた言葉を引っ込め、何かを振り切るように勢いよく頭を下げる。


「はい。──。また明日、よろしくお願いします」


 ツインテールが暗がりに吸い込まれ、耳障りな音を立てて扉が閉まった。



 ◆



「『神』とは、信仰を食らう化物のことである」


 金と黒のハーフカラー。

 ソファの真ん中に腰掛け、足をラフに崩して組み。そう大仰に告げたのは、非常に目立つ髪色をした青年、君月。


 講演でも始まるかのような謳い出しだが、なにやらガサガサと忙しない物音がそれを台無しにしている。


「おおよそ全ての化物は人々の信仰を求め、信仰によって生かされ──そのために『神』を名乗る」


 彼が滔々と論説するのは、現代における宗教がここまでの発展を遂げた理由──すなわち『神世』の裏側。


 人々にとっては畏れ多いどころか、考えることすら憚られるレベル。妄想の域を超えた不敬極まりない発言だ。

 だが、ここに限ってはその常識がひっくり返る。


 指を一本立て、彼は引き出しに手を突っ込んでいる唯一の聴者に向けて問いを発する。


「ここで疑問だ。例のゾンビ。信仰を求めているように見えるかい?」


 ガサゴソと音を立てていた張本人──景は、一旦引き出しから手を引き抜きつつ、やや考え込む素振りを見せる。

 これはいつも通りの応酬であり、質疑応答は予定調和に等しい。


「突然現れ消えるだけ。それも異形に、興味を向けるならまだしも敬おうとは思わないでしょうね」


「そう。あれは、『神』の生態とは明らかに趣を異にしている」


 的確に話者の異に沿うよう提示された回答に、君月が上機嫌に口元を歪めた。

 否、理由はそれだけではない。


「一般人を襲うという行為自体、そもそも破綻してる。ただの肉では満たされないのがやつらだからね」


 ──興味。


 奇しくも景が例に挙げたそれが君月の顔を、憎々しげながらも抑えきれない好奇にひずませる。


 難儀な性格だと、景はほんの少し、悟られない程度に目を細めた。しかしこれもいつものこと。視線を戻し、再び引き出しを漁り始めた彼は片手間に問い、


「彼らの目的は、あの少女自身にあると」


「ああ。むしろ、行方不明の子の方がオマケだと僕は考える。どちらにしても、彼女がまだ何か隠しているのは間違いない。警察には頼らないという、頑なさも気にかかる。──あの件もあるしね」


「そちらは勘ですか?」


「まだね」


「あの件については、こちらで確認は取れませんでした。あちらの誤認である可能性も高いかと」


「それに関しちゃ、明日以降……もう今日か。僕が直接話しにいく。──既に食われてるとしたら、死体が見つからないのもおかしな話だ。それこそフィクションでよく見るように彼女もゾンビと成り果てたか、もしくは髪や骨に至るまで全て食われたのか──霊体のようなあれらにそんな芸当ができるのなら、」


「そういうの、あの子の前ではやめときなさい。引かれても知らないわよ」


「おかえり美曙」


 開口一番。扉を開け放った美女──端正な顔を白けさせた美曙が、躊躇いなく会話に割り入った。

 叱られた側の君月はひらりと手を振り、全くもって意に介さない姿勢──だったが。


「──」

「──」


 扉に片手を添えた立ち姿のまま、無言を貫く美曙。沈黙が降りる中、じっと冷やかな目線が注がれる。


 互いの視線が交わり、君月はスッと手を引っ込めると、いそいそとソファの左端に体を寄せた。


「あの子、四ツ道よつみち住みだったわ。うちからはそこそこ近かった」


 とは、空いたソファの右半分を獲得した美曙の談。肘掛けに肘を置き、優雅な所作で頰に手を添えると「タクシー代はツケよ。長話に付き合わせた分」と付け加える。

 「領収書は景のデスク」と君月は流れるように丸投げし、


「出た? ゾンビ」


「いいえ?」


「そっかあ」


 にべもない否定に腕を組んで唸る。やはり一筋縄では行かなそうだと、頭の中で仮説のやり直し。


 と、脈絡もなく「ああ、ありました」と景が声を上げる。上から順にひっくり返され、荒らされた引き出しは四段目に突入していた。

 ついでに整頓しようという腹づもりか、取り出された中身は丁寧に選り分けられ、床の上に揃って鎮座している。


「でさっきから何探してたの」


「これですよ」


 そう言って彼が差し出したのは、輪っかの付いた全長三十センチメートルほどの黒い棒。「なあにそれ」と美曙が怪訝そうに問いかけた。


「金属探知機か。なんでまた……いや、なるほど」


「必要になるかと思いまして」


 それには答えず、ニコリとアルカイックスマイルが一つ。顔を見合わせる君月の方は、やや疑問符を浮かべる過程が挟まったが、即座に合点のいったという表情に変わった。美曙はまだ首を傾げている。


「ともかく、僕らの目的は変わらない」


 パン、と君月が両手を打ち鳴らし、乾いた音が緩みかけた空気を引き締める。両者の視線が集まり、彼は不敵に宣言した。


「──神を殺す。全てはそのためだ」


 時刻は午前一時を回ろうとしている。

 秋の夜長。月のない暗夜が、しんしんと更けていく。


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