4 山の声



「嘘くせエ」


 開口一番にかなえが吐き捨てたこと、それがユユにとって意外だったことの二つ目だった。


「村の人たちが嘘ついてる、ってこと?」


 どこにいても、どこからか感じる視線。村人の監視から逃れられる場所を探し、村の外れに来たところで、やっとそれが和らいだ感触がした。

 ここまで休める場所もほとんどなかったため、どうしても座りたかったユユはしょうがないので地面にハンカチを敷き、その上に腰を下ろしている。しかし、見上げる鼎に答える素振りはなく、


「意味深なこと言っといて……!」


「なんとなく分かるわ。突拍子なさすぎるもの。山の神に彗星、しかも世界が終わるって、なんだかねえ」


 意外だったこと、もう一つ。大変失礼な話だが、美曙が話ができていたこと自体がそうだった。話ができる、というのは聞き込みのときも、聞いた話を纏めている今もそれに当てはまる。

 なんというか、彼女はもっと殴って解決するタイプだとユユは思っていた。内心で美曙に謝罪し、これで不問とする。言ってないからセーフ判定。


「『クエビコ様』が守ってくれるって、どうやるんですかね。なんかバリアー、みたいな?」


 鼎はもう放置すると決め込んだユユは両手を広げ、子どものするように軽く前に腕を伸ばしてみせる。

 『クエビコ様』について詳しく話してくれたのは、農作業をしていた男性だった。


 ──曰く、一つ目に一つ足。曰く、かつては野を駆け巡り、山を支配していた獣であったが、今は村の守り神として君臨している。


 十メートルを超える巨躯。ぎょろりとした大きな血だまりのような赤い目玉に、太い唇、猪のそれに似た二本の立派な牙。獣であった名残である針のような体毛、そこから伸びる、丸太のごとき太さと大きさをもつ人の足。

 一年に一度、雪の夜に現れて巨大な足跡だけを残す、封じられた神。


 罪を裁くと謳われる、人面を持ったその異形は、鬼神と──そう呼ばれて久しいという。


「『罪人の村』についてもよく分かんなかったし」


 罪、罪人、罰。そこら辺のワードを口に出してみたのだが、問われた村人たちは皆、一様にその口を閉ざしたのだ。

 『クエビコ様』に関しては、個人差はあれど誰も言いたがらないといったことはなかったのに、恐らくそれで信仰されるに至ったであろう肝心の「罪を裁き罰を与える」という部分は不明。

 実に不思議な話だった。

 

「けど、次に話を聞く相手は明確になったじゃない?」


 美曙が「ほら」と首を傾けてみせたそれに、ユユは同意する。


丹羽にわさん──丹羽清次郎せいじろうさん。ですよね」


「伝承に出てきた『丹羽』と、彼の間に関係がないわけがない。そう言うでしょうね、ミツキなら」


 消化不良な戦果となったが、聞いて回る中でいくつか興味深い話も耳にした。

 それは老人の乗った車椅子を押していた、女性が口にしていたこと。


「──『かつて山には暴れ猪だか熊だか、定かではないが、化け物と呼ばれた一つ目一つ足の獣がいた。それをある流れの修験者が封じ、獣はクエビコという鬼神へとその身を変えた。そうして神は現在に至るまで、修験者の流れをくむ家──丹羽家をはじめとし、稗多ひえだ村を守っている』」


 戦国時代だか江戸時代だか、とにかく昔から伝わる話らしいと女性が話した内容をそのまま、ユユが大急ぎで写したメモだ。スマートフォンに残したそれをユユが読み上げると、後ろの方でふん、と鼻を鳴らした鼎がいたが考えない。何がしたいのだろう。


「罪とか罰とか、なんにも出てきてない」


 老女と丹羽の発言を鑑みても、不自然な伝承──もしくは、あの二人がおかしいのか。

 いずれにせよ、くだんの人物には必聴といったところだった。と、それはそれとして。


「……美曙さんって、あの人たちのこと、どれくらい知ってるんですか?」


「あら、聞き込み?」


 くすくすと袖を持ち上げて美曙がおかしそうに言った。合わせようとしたユユが微妙に口を開いてにへら笑う。


 ちょっと、先の発言──再三だが、改めてミツキという独特のあだ名を聞いて気になったためだ。というか、結構前から気になっていた。

 元々、いち職場というには随分と空気感が確立されていたというか、別にだからなんだというわけでもないが、「分かってる」な雰囲気が強いなあと感じていたのだ。そりゃ気になるだろう、というのがユユの乙女心である。乙女とはえてして、少し下世話なものだから。


 はたして彼女は特に言い悩む様子もなく、少し間をおくと、


「付き合いの長さってことなら、そうねえ。中学校のときからだから、十年は超えてるんじゃないかしら。十一、二くらい?」


「え、そんなに」


 「相談所を開いたのは十八のとき」と、昨日君月きみつきは言っていた。歳は二十二で、美曙はもう少し上だとも。

 それに加えて今知った、中学時代に会っていたという情報を考えに含めると──、


「美曙さんって、にじゅう」


「それ以上は気をつけなさい。言葉は刃よ」


「本物持ってる人に言われても……あっ、なんでもないです。なんも言ってないです」


 さすがに喪服に刀は目立つと判断されたため空き家に置いてきているが、何よりも本能的にその笑顔に畏怖を覚えたユユだった。許してください、はギリギリのところで飲み込んだ。


「山行くな、って言われなかったら逃げてました。今」


「あら。どうして?」


「いやっ、理由はちょっと分かんないですけど。──そう! 祠ですよ祠! 山の!」


 裏手、見上げると首が痛いほどに近い、すぐ背後にそびえ立つ山を焦りながらのユユが指し示す。村人の監視から抜け出すため、最終的に行き着いたのは禁足地とされた山の、すぐそばであった。


 意外だったのはそれを提案したのが鼎であったこと。「行くなって言われてんだ。なら行きゃァいい。ギリまでな」と言い放った鼎、結果的にはその言う通りとなったのだが、なんとなく納得のいかないユユだった。


「多分二十日、『果ての二十日』に行くんですよね。その、『クエビコ様』って大きいみたいだし、封印されてるって祠、どんだけ大きいのかなー、って」


 えへへ、とユユは誤魔化し笑い。大丈夫。可愛い。


「解放するって、どうやってやるんでしょうね、っていう」


「ユユちゃん」


 緊張をはらんだ静かな声。美曙は、し──と指を唇の前に一本、立てた。


「──すいません。結城ゆいらぎさんはいらっしゃいますか」


 知らない声がして、今度こそユユの心臓は跳ね上がった。

 深呼吸で動揺を抑え込み、見ればこれまた若い男性だった。その声は固く、やはりというべきかしきりに山の方を気にしている。

 どうしても目が行くのを抑えられないといった風に、落ち着かなさげに視線を揺らし──手の震えを、両手で強く握りこんで隠している。


 単なる村の決まりというには、それは随分と異様な反応だった。


「結城は私だけど、」


「明日の葬儀について、お話ししたいことがありまして。お連れ様のところまでご案内いたしますので、着いてきていただけますか?」


 ちら、と美曙がこちらを見やる。それにユユは小さく首肯し、「一旦先帰ってます」と短く促した。美曙はそれを見留めると男性に向かって、


「ええ、もちろん。──気を付けてね、ユユちゃん」


「はい。えっと、美曙さんも」


 胸の前で控えめに手を振り、 別れ際、安心させるように浮かべられた微笑を見送る。

 彼女が最後の最後、一瞬だけ鼎に釘を刺すかのごとき目線を向けていたことには、気づかなかったユユだった。



 ◆



 よほど山の近くにいることが嫌なのか、そそくさとその場を離れていった男性、ししてその後ろを着いていった美曙を見送った後。


 ──気まずい。


 鼎と二人、取り残されたユユは、もにゅもにゅと顔を変形させて百面相をしていた。今はちょうど、まるで酸っぱいものでも食べたような顔。もちろんわざとなんかじゃない。


 あれ以降、本当の意味では多分初めてとなる、二人きり。周りに人もいて勢いで乗り切った昨晩とはまた違う──というかこれ、ユユが話さないとどうにもなんないやつだって面倒くさいなもう! 以上、ユユが脳内で叫んでこれにて思考切り上げ、百面相も終わり。 


「ねえ」


「あア?」


「帰る。……よ。いい」


「あァ」


 終わった。危なげなく。つい溜息が口から出たが気にする余裕はない。さっさと歩きだし、空き家──仮宿とでも呼ぼう、は確かこの先だったとユユは右を真っすぐに指して、


「道。あっちだよね」


「違エが」


「……」


 後ろからユユを追い抜かしていった鼎が、左にずんずんと迷わず歩を進めていく。後れを取ったユユは口を閉ざし、代わりに足音を大きくしてその背中を追いかけた。


「ユユが迷ったら、喜ぶかなーって。道間違えて迷って、そしたらやったーばかばかとか言うかなーって思ったの」


「へエ」


「試したの! だから」


「だりィことすんなア」


「……。だるくないもん。今の全部嘘だから」


 なんだろう。どう転んでも、転がされている気がする。


 それに事実、こうやってたまに親切になるところが最も不可解で──。


「……ユユに、どうしてほしいの?」


 悩んだ末にとうとう口に出した、その言葉に前を歩いていた鼎がぴたりと立ち止まる。


 流れる沈黙、指数関数的にユユの心拍数が上がっていく。何か、返ってくるのだろうか。そもそも答えなんて持っているのだろうか、考えたこともなかった、どうでもいいなんて言われたら、この考え続けた時間をユユはどうすれば、


 ──その瞬間、鼎はぐずりと溶けた。


「──え?」


 長い灰の髪が、白のセーラー服が、高校生にしては低い背中がほぐれていく。

 日に溶けたアイスのようにぐずぐずに崩れて広がって、土に染み込んでいった。見る間にその体積が減っていき、どろどろに色の混ざった灰色の液状の塊となって地面と同化。


 立ちすくむユユの前で、『鼎』は跡形もなくその姿を消した。


「え、あ」


 現実とは思えない光景、違う、現実なわけがない。こんなの見たこともなくて動けなかった、違う、見たことあるわけがない。知らない。


「か、──」


 呼ぶ名前がなくて、悲鳴ごと喉に引っかかっている。声が出ない。無理に喉を動かしてごくりと唾を飲み込み、一歩後ずさったところで気づく。

 その周りの、変化に。


 ──舗装などされていない地面、一面に広がる青々とした原風景。ユユを囲むようにうっそうと生い茂る木々、見上げると緑というより黒に近い葉に空が覆いつくされていて、鼻に届くのは、むせ返るような青臭さ。


 ──山だ、とユユは悟った。


 そして、胸につっかえていたものがすとんと取れた、気がした。


「ひ──っ」


 抑えの効かなくなった悲鳴が、大気を、山を震わす。


 山は後ろだ。後ろだった。だって、ユユたちは仮宿に向かっていて、畑の横を歩いて、山から遠ざかっていたから。辿ってきた道がどうなっているのか、確かめたいなら、後ろを向けばいい。振り返ればいい。後ろを、


 そんな気、起きるはずもなかった。


「──ッ!!」


 溶けきった鼎に背を向けて、ここから離れたくて、ユユは山道を走り抜ける。前もこんなことあったな、なんて思う暇はない。今どこにいるのかすら分からないけれど、多分下だと思う方向に向かって無我夢中で足を回す。


 ──けれど、どんなに走ろうがその景色は変わらない。緑だけだ。おかしい、今は冬のはずなのに。どこまで行っても緑、緑緑緑緑──。茶、が。目に止まった。


 妙に膨れた木が並んでいると、最初は思ったのだ。それが、一斉に鳴き出すまでは。


「──」


 その正体はセミだった。木に隙間なくへばりついた夏の虫が、逃げ出した先でユユを迎えていた。

 セミが鳴く。否、口が動いている。声を発している。


 人の声で喋っている。


「──」


 それを目にしたときからきっと、ユユはずっと叫んでいる。聞こえないから、分からないけれど。


 セミの背中にびっしりと生えている、立派に白い歯の揃った口、太くて赤い唇、それらが全てが無機質に異口同音に。


 ──おまえのつみはなんだ、と唸り続けている。

 それが、今のユユの聴覚が捉えられる全てだった。


「お前の」

「罪」

「おま」

「罪は」

「罪はなんだ」

「はなんだお前の」

「罪」

「お前の罪」

「えの罪はな」

「罪」

「なんだお前のつ」

「お前の罪はなんだ」


「お前の罪はなんだ」


「──ぁ」


 気づけば、ユユはぺたりと座り込んでいた。耳を塞いでも既に手遅れだ。絶えず雨のように降りかかる追及が、とっくに耳から入り込んで脳を侵しきっている。


「まえのつ」

「お前の罪」

「みはなんだ」

「罪」

「えの罪は」

「お前の」

「の罪はなんだ」

「罪」

「罪は」


「罪を償え」


 喋り続けたまま、詰問を繰り返すまま、それはだんだんと一所に密集していった。呆然とそれを眺める、ユユの行く手を遮るように蠢くセミ。

 ──それらは円を描いていた。


 奇妙にじりじりと丸く形成されていくそれが、不意に大きい一つの目のように、ユユには見えた。唇の赤はそのまま、真っ赤な虹彩。口の奥の深い黒は、瞳孔。


 ユユを責め立てているのは、その赤い目なのだ。

 

「──」


 ──ご、めんなさい。


 だから、謝らなくてはいけないと思った。


「──」


 ──ごめんなさいごめんなさい、やだごっ、う、ぇんな、さ、


 自分の声すら聞こえない喧噪の中、頭を抱え、土が付くことなど気にもせず、手足を寄せて全身を赤子のように丸める。嗚咽を交えながら、繰り返し繰り返し、ユユは真っ暗な視界の中で懺悔していた。


「ちがう、わ、たしじゃ、わたし、ちが、っ」


「──ユユ!!」


 それは、人の声だった。


 絶対的な温度感があって、きっと焦っていて、ユユが顔を上げればきちんと表情がついている。声から想像しうるものと全く同じその顔は、決してぬくもりなどではないけれど、確かに生きているもののそれだった。


「……か、なちゃ、」


 掴んだ腕は、どくりと脈を打っていた。



 ◆



「なァ。何があった? 急にガタガタ震えだしたと思ったらなんだ、さっきの」


「わ、かんない、わた……っユユも、気づいたら、って感じで」


 最初は腕を鷲掴みにしてきたユユだったが、その手は時間とともに徐々に下がっていき、最終的につまんだのは袖の端っこ。

 最初は錯乱したような様子もみせたがその頃には落ち着いたようで、俯きながらもしっかりとした受け答えができるようになっていた。


 小刻みに肩を震わせ、すっかり顔色の青ざめたユユが語ったその体験は、鼎の見ていたもの──突然ユユが立ち止まり、しきりに言葉を発さず口だけを動かしていたかと思えば、座り込んで泣き出したという──とは全く違っていた。

 けれど、つっかえつっかえのそれは、妄言と切り捨てることなどできないほど真に迫っていた。


「だいぶ休んだし行けんだろ」


「……。い、くけど。……その、忘れて。さっきの」


「覚えてねエが」


 疲労ゆえか深く息を吐いたユユの肩越しに、鼎は山の鎮座する方に視線を向ける。そして、その枯れ木に彩られたセピア調に──いるな、これは。とすっと目を細めた。


「──次やばくなったら頭っから噛んでやるよ。痛エってなって戻れるぜ」


「やだ死ぬ、それ……」


 ぶつぶつ言いつつ、ユユは本調子とまではいかないが戻ってきた様子。土を払いながら立ち上がったユユは、後ろを一度も見ることなく。


「山に、近づいちゃダメだった」


 村人と瓜二つの恐怖を宿した表情を浮かべたユユに、鼎は何も言わなかった。



───────────────・・



早くもペースを守ることを諦めました、楢木野です。リアルが忙しくなってきたため、不定期投稿に切り替えます。週二投稿、二十時〜二十一時という部分は死守する予定です……

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