第十二話 逃避の決意


 

 「ゆ、憂人!! 無事だったんだね」


 「憂人!!」


 俺は運転手に案内されて父さんたちのいる場所へ着いた。二人はメイン通路の脇道、細長い通路の半ばにある男女トイレの近くにいた。

 焦燥したように壁に凭れる父さんと、不安げに手を組んで立っている母さん。二人は俺に気付くと安堵し、喜びを露わにした。母さんに至っては勢いよく駆け寄り、俺を強く抱き締めてくる程だった。


 「…ごめん、心配かけたね」


 「いや、無事に戻って来てくれただけでいいんだ」


 「ごめんなさい。憂人を置き去りにして、わたしたちだけで避難してしまったのっ」


 「いいんだ、母さん。泣かないで、俺も周囲の様子に気が付いていなかったんだから」


 懺悔するように泣き出した母さん。落ち着かせようと背中を軽く摩りながら、道中の様子を思い出す。

 運転手に案内されている道中、建物内の様子を確認していると怪訝に思った。逃げ出そうとした人々はなぜか出入り口手前の一階ロビーへ集まっていた。口々に現状に対する憤りや不安を当たり散らしていたが、根本では未知の恐怖に支配されていると感じた。なぜなら、寿司詰状態の人々は逃げ出したい筈なのに建物から出ようとしなかった。まるで逃げ出した末路を知って縮こまってしまったのだと。


 「父さん、叔父さんに連絡は?」


 「……したよ。助けを寄越すと義兄さんは言ってくれた。だけど、間に合わない。いや、間に合っても助かる確率は限りなく低いと言うべきかな」









 僕は愛奈を抱えて連絡通路を抜け出した。憂人が近くにいることも忘れて、という自分の生存本能に従った。皆が外の異常に釘付けになっている間、建物内に引き返して人通りのない脇道に入った。

 トイレ近くまで来ると愛奈を地面に下ろして様子を見る。僕同様、異界の禍々しい気配に当てられて恐怖に支配されている。立つのもままならない程に。

 懐からスマホを取り出すと震える手で緊急連絡用の番号にかける。僕たちの護衛役の笹原に連絡を行い、ショッピングモールの潜入と憂人の捜索を依頼する。


 一通りの手順を終えて最後に義兄へ緊急連絡を送る。周囲に人がいない、このタイミングでしか美貴家と繋がれない。憂人を置き去りにしてしまった罪悪感を飲み込み、美貴家の諜報員としての仮面を被る。


 『光か!? 街全体が錯乱しているっ。なにが起こっているんだ!!』


 「…忠平様、恐れていた事態が発生。我々の予測時期を遥かに早めて、異界現出が始まりました。」


 『な、なにを言っている。現出が始まった? お前程の人間が発生時期を読み違えたというのか…。そんな、馬鹿な』


 「既に異界より、現れた侵略者たちが周囲の人々を殺し回っています。抵抗する人々もヤツらの手によって、恐らく無力化されたでしょう」


 『……クソっっっ!!! 関係各所に緊急事項を通達したのがつい最近だ。事情を知らぬ国民が異界の魔の手から逃げ切ることは出来ぬっ。…我々は後手に回ってしまった』


 電話越しに義兄は取り乱していた、無理もない。平時であれば下らない政治屋共から揚げ足を取られる、そんな慌てようだろう。だが、今回は未曾有みぞうの危機だ。敵の動きはこちらの予測より、遥かに早かった。敵対国の軍事行動や大規模テロでもない。わざわざ世界を跨ぎ、別世界の人類に牙を剥いた異形なる存在だ。冷静に対処など出来る筈もない。

 それにマスコミや政治屋共が騒いでいない。もしかしたら、国会議事堂周辺や民放局にもヤツらが。いや、或いは全国同時多発的に現出が起こり、一斉に周囲の人々を鏖殺おうさつしたか。どちらにせよ情報が遮断され、各所の様子が全く分からない状況だ。


 「そちらは今、どんな状況ですか」


 『…こちらは無事だ。咲良たちと一緒に屋敷に避難している。屋敷に戻っている道中、近辺にヤツらが現れる空間は見当たらなかった。それよりもお前たちは無事なのか? 憂人や愛奈は!』


 義兄や姉さんたちは現出に巻き込まれず、屋敷へ避難できたようだ。少し安心して、ふーっと軽く息を吐いた。

 だが、脅威は去っていない。屋敷に篭って籠城戦を行ってもいずれは物量で潰される。義兄たちに屋敷を離れるよう説得し、建造したシェルターに誘導しなければ。

 義兄は当主でありながら愛情深い。もし、事態の把握と報告の為に憂人を置き去ったと知れば、冷静な判断は出来ないだろう。だから、少し嘘を交えて現状を話す。


 「僕たちのいるショッピングモールのすぐ近くで現出が起こりました。愛奈は近くにいますが、…憂人と逸れてしまいました」


 『現出が起きた? お前たちの近くで…。ゆ、憂人は近くにいないのか? どこだ、どこにいる!? 光、お前たちに付けた笹原を使って、なんとしても探し出せ!! この侵略者共に私たちの息子を奪われてたまるか!』


 「連絡を行い現在、捜索中です。笹原が直に憂人を連れてくる筈でしょう。それよりも自衛隊の到着は間に合いそうですか?」


 『……無理だ。緊急出動であっても少なくない時間を要する。かといって街中に装甲車や戦闘機を向かわせて、砲撃や爆撃を行うことは出来ない。そもそも、市街地において発砲許可が降りるのかという懸念もある』


 義兄は当主として、最低限の根回しを済ませてくれた。脅威を全体に周知することが出来なかった為、夥しい犠牲者が出たのは僕の責任だ。愛する息子すら気にかけず、全体ではなく美貴家の安全を優先した薄情者だ。人々はこの災禍を生き残った後、次の時代の基盤を築くだろう。僕は関係者の一人として、起こった惨劇の責任を取らなければならない。


 「…分かりました。ところで以前、お渡した緊急避難用の地図は持っていますね? 持っているならば僕たちより先に屋敷を離れてシェルターに避難してください」


 『光、なにを言っている!! お前たちを見捨てて私たちだけで逃げろと言うのか!?』


 「。美貴家の当主なら、この後に起こる出来事を予測できるだろう? 緊急事態で人々はパニック状態。恐らく政府中枢は麻痺して、正常な判断が下せなくなっている。異界の侵略者だけじゃない。この状況を利用して、投獄されている犯罪者たちも暴れ回る筈だ。そうなると戦時下の日本が受けた以上の大量虐殺が行われる。事後に冷静な判断が下せる人間が必要なんだっ!」


 『……私にお前たちを見捨てるという重荷を背負えと言うのかっ!!』


 「義兄さん、頼む。侵略者たちに対抗する準備が整う前に現出が起こってしまった。もう時間がないんだ。この国を、僕たちの代で終わらせないでくれ」


 『──っ、分かった。私たちは今から屋敷を出立する。だが、お前たちのことを諦めたわけではない! 必ず、助けを向かわせる。だから、生き残れ!! いいな!!!」


 「了解。義兄さん、姉さんにもよろしく言っておいてくれ」


 『生き残って自分で言え、馬鹿者がっ!!』


 「…確かに、その通りだ」


 義兄は吹っ切れたようだ。決断したことに隠しきれない後悔を滲ませていたが、ちゃんと覚悟を決めたようだ。よかった、これで姉さんたちはヤツらから生き残る確率が増えた。

 自衛隊については不確定要素が多すぎて、助けを待つという選択肢には含めない。緊急事態に備えて試作型の武器を提供はした。しかし、どれだけの部隊に行き渡ったかは確認出来ていない。だから、自衛隊を頼りにすることは出来ない。

 笹原が憂人を無事に連れてくるまで、ここから脱出する計画を練らなければならない。ヤツらの刃が僕たちへ届く前に。











 「じゃあ、叔父さんたちは無事に逃げられたんだね」


 父さんの話を聞きつつ、状態の安定してきた母さんをそっと体から離す。まだ、さっきのことを気にしている様子だが、それでも感情をうまくコントロールできているように思える。


 「ああ。でも、僕たちの置かれている状況が変わったわけじゃない。笹原、ここへ来る道中に分かったことはあるか?」


 「はい。化け物共は目に付いた人々を容赦なく殺戮しました。それも気配を殺し、隠れていた人を容易く見つけ出して。ですが、ヤツらは必ず“とある個体”の言うことを聞いていました」


 「もしかして一回りくらい体格がデカいヤツのことかな」


 「ええ。目の前に人がいても奴が命じれば殺さずに放置させたのです。恐らく、あの化け物共の指揮官に相当する立場の者と推察しました」


 「あの鬼が…」


 「やっぱりか。一体一体の暴力が桁外れなうえに、群れをまとめるリーダーまでいる。タチが悪いよ、全く」


 運転手いや、笹原さんの話を聞いて俺たちに重苦しい現実がのし掛かった。ヤツらはただ人々を殺し回っているわけじゃない。人を襲う明確な理由があるんだ。それが、なんなのかは分からない。だが、一つ言えるのは俺たちの命を化け物共が握っているという変わらない事実だけだ。


 「笹原、工事中の地下階は調べてあるか?」


 「はい。皆様が買い物を楽しまれている間、この建物の構造を把握しておりました。勿論、立ち入り禁止の地下階も含めて」


 「ずっと、車の中で待っていたわけじゃないんですね」


 「はい。あの車は防弾、耐爆性能などの機能を盛り込んだ特殊仕様。そのおかげで自由に動けたというわけです」


 「まあ、美貴家なら当然のことさ。それよりも中はどうだった?」


 「工事の九割方は完了しているようです。内装はきちんと仕上り、車が出入りする地下トンネルも開通済み。残すはエレベーターの完成を待つ段階でした」


 「そうか…。憂人、今から残酷なことを言う。心して聞いてくれ」


 笹原さんの報告を聞いた、父さんの雰囲気がガラっと変わった。まるで鞘から抜き放たれた刀のように鋭く、冷たい目で俺を見つめてきた。


 「僕たちはこれから地下階に向かい、この場所から脱出を図る。当然、一階に集まった人々を無視して。今、ヤツらの注目はショッピングモールに篭る人々に集まっている。この状況を利用して、ごく少数による脱出を目指す。彼らには僕たちが生き残る為の贄となって貰う。意味は分かるね、憂人」


 「……俺たちが助かる為に下の人たちを囮にするってこと?」


 「そうさ。化け物共や彼らも地下階の存在を忘れて、お行儀良く向かい合っている。僕たちが生き残るにはこれしかない。考えてみてほしい。彼らが地下階のことを思い出し、濁流の如く逃げ出す光景を。ヤツらは抜け道を容易く見つけ出し、今度こそ包囲される。そうなったとき、全てが手遅れだ」


 いつもの飄々とした父さんじゃない。ただ、辛い現実を突き付けてくる。父さんは時間が残されていない現状を俺にハッキリと伝えているんだ。人々にこの事実を知らせても先程と同じく、必死になって逃げ出すだろう。それが自分たちの首を絞めるとは知らずに。

 ……そうか、父さんは俺に決断を迫っているのか。力尽くで俺を連れて行くのではなく、選択してほしいのか。生き残る為の決断を。分かったよ、父さん。悪役になって自分一人で責任を負うつもりなんだろ? でも、この重い十字架を父さんだけに背負わせない。俺にも一緒に背負わせてくれよ、大切な家族なんだからさ。


 「行こう。俺はここの人たちを見捨てる。父さんに促されて決めたんじゃない、自分の意思で決めたことだ」


 「──憂人っ、分かった。笹原! 地下階までの道案内を頼む。僕たち以外の人々に気付かれる可能性もある。そのときは邪魔をしてでも気を逸らせ」


 「承りました」


 「さあ、母さん。一緒に行こう、生き残る為に」


 「憂人、待ってくれ。今のうちに渡しておく物がある」


 母さんの手を握って移動するよう促した時、父さんに呼び止められた。さっきまでの冷たい雰囲気は霧散していたが、その表情は真剣味を帯びていた。早々に俺へ近付くと、ある物を手渡してきた。

 手渡された物は古い鍵だった。所謂、アンティークキーと呼ばれるもので、手の平程の大きさがある。鍵の先頭、リング状の部分から棒が伸びて鍵穴に差し込む先端が凸凹になっている。棒、鍵の柄の部分は太く、リングに近い上部分には細かい装飾が施されている。古い物だからか全体的に細々こまごまとした傷や錆びが目に入る。


 「父さん、どうして俺に鍵を?」


 「理由は聞かずにちゃんと持っていてくれ。懐に入れて絶対に落とさないように気を付けるんだ。いいね?」


 「分かった」


 「よし。なら、早く下に向かおう。笹原も僕たちを待っている」


 父さんは鍵を手渡した後、俺と代わって母さんを連れて下へ向かっていく。俺も二人の後を追って動き出した。

 ズボンのポケットに仕舞った、この古い鍵。父さんがこれを手渡してきた理由までは分からないままだった。

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