第三話 親戚一同


 屋敷に到着したことを確認するとリムジンはゆっくりと車体を停めた。運転手はバックミラー越しに俺たちへ視線を向けると、叔父さんは軽く頷くような素振りを見せる。

 運転席のドアが開き、運転手は外に出たようだ。


 「さて、憂人は屋敷に来るのが初めてだったな。外に出ると少々、驚くかもしれぬ。だが、ここはお前の第二の家だ。じきに慣れよう」


 叔父さんはこちらを見つめて凛とした雰囲気を漂わせながら、優しげな声で話し終えると視線を前へと戻した。

 訝しみながらも姿勢を正して叔父さん同様、前を向いていると隣のドアがゆっくりと開かれた。隣を見ると母さんは外を見つめたまま、『私を真似て気負わず、胸を張って降りなさい』と告げた。

 母さんは堂々とした態度で車を降りた。俺も合わせるように下車すると十数人程であろうか、使用人の皆さんが綺麗な横一列に並んでいた。

 ドラマでしか見たことのない光景を目の当たりにして惚けていると、父さんと叔父さんが車から降りてドアが静かに閉められる。


 「「「「「お帰りなさいませ、旦那様、お嬢様、憂人様、あと光様」」」」」


 すると、使用人は俺たちが降りるのを待っていたのか、こちらに向けて一糸乱れない動きでお辞儀した。その角度は四十五度、正しく目上の者として敬う理想的な角度だった。……邪険にされた一人を除いて。


 「うむ。皆、忙しい中、忠勤ご苦労である。私が客人の案内をする故、持ち場へと戻ることを許可する」


 叔父さんが使用人へ声かけを行う。しかし、何を思ったのか姿勢を戻すとそのまま直立不動の状態を維持している。

 様子がおかしいと怪訝に思っていると、使用人の列の奥から母さんより、小柄で若々しい女性が俺たちの前に現れた。

 女性の背丈は低く、華奢な体型をしている。叔父さんと同じように和服を着ており、長い黒髪をゆるく纏めている。顔付きは幼げであるが柔和な表情がこの人の優しさを物語っている。


 「皆様。遥々はるばる、この美貴家の屋敷へ足を運ばれたことを大変、喜ばしく思います。私は美貴家当主の妻、美貴咲良みとうさくらと申します。美貴家の者として皆様がご滞在中、羽を伸ばせるように誠心誠意尽くし…尽くす? うーん、もういいや身内だし。これからよろしくね! 皆さん」


 あんなにお淑やかに振る舞っていた人が面倒臭さからなのか、貴人としての仮面を取っ払って快活な女性としての姿を見せつけていた。


 「…ね、姉さん。ダメじゃないか、幾ら僕たちが相手だからって急に素の自分を見せるような真似をしたら」


 「光は相変わらず、真面目ねぇ。お姉ちゃんだって大事なところはちゃんと気を引き締めているわ。いい? 人生において重要なのは適度に気を抜くことなの。…分かった?」


 「お、仰る通りです…」


「…さ、咲良。光の言うことにも一理ある。親しき仲にも礼儀あり、と言うだろう? 身内であっても重要な場面では気を引き締めなくてはならぬ」


 「あらあら、。そう言うあなたは、初対面の相手にいっつもガハガハ大きな声を出して威圧しているじゃないの。礼儀云々、言うならその悪癖をやめては如何かしら?」


 「……はい、すみません」


 大の男二人が、女性一人に言い負かされて意気消沈している。女性のヒエラルキーが高いのはうちだけだと思っていたが、親戚一家であっても変わらない事実に世間の狭さを痛感した。


 「お義姉様っ、お久し振りでございます」


 「ふふっ、相変わらず愛奈ちゃんは甘えん坊ね。…うん、抱き心地も昔と変わらない。ご飯もちゃんと食べていて安心したわ」


 本日二度目の衝撃だった。いつもお淑やかな、あの母さんが小走りで駆け出すと女性の懐に飛び込んだのだ。抱き付いた母さんは安心しきった幼子のように笑みを浮かべている。女性も甘えてくれたことを微笑みながら喜んでいる。

 驚いて、その様子を見ていると女性は俺をニコニコしながら見つめている。指を軽く曲げて手を動かし、“こっちへおいで”とジェスチャーを送ってきた。

 あの手招きを見るに女性の元に行かなければいけないと察する。苦笑いしながら、ゆっくり近付くと俺も巻き込むように抱擁してききた。


 「あなたがゆうちゃんね。初めまして、叔母の咲良よ。お顔をよく見せて? ふふっ、顔付きは光そっくり。でも、目や口元は愛奈ちゃんに似たのね」


 「その、なんて呼べばいいですか?」


 「うふふ。叔母さんでも咲良でも好きなほうで呼んで頂戴な。二人の可愛い子供だもの。目くじらは立てないわ」


 「じゃあ、咲良さんって呼んでいいですか」


 「ええ、勿論よ。ふふっ、ごめんなさいね。気を遣わせてしまって。でも、こんなに若いのにしっかりしていて叔母として鼻が高いわ」


 咲良さんに抱き締められるとなぜか安心する。初対面の女性なのにどうして身を委ねてしまうような安心感を覚えるんだろう。…ああ、そうか。母さんと同じ優しい香りがするからだ。


 「奥様、そろそろお嬢様と憂人様を解放して差し上げませんと。わたくしたち、使用人一同もこの場から動けません」


 気配もなく咲良さんの背後に現れた、スーツを着込んだ年配の女性。使用人だと思うが、躊躇ちゅうちょなく咲良さんに割って入ると端的に要件を述べた。


 「そうだったわ、いけないいけない。香純、ありがとう。さあ、使用人の皆さん。来ていただいた客人を迎え入れる為に各々の持ち場へ戻ることを許します」


 抱き締めていた俺たちを解放すると咲良さんは凛とした態度に切り替えて、使用人一同に指示を飛ばしていた。

 指示を受けた使用人はそれぞれが動き出すと目の前から音もなく消え去った。はっ!? 俺は夢でも見ているのか。というか使用人はどこに行ったんだ…。


 「たっくん、光、いつまでしょぼくれているの。屋敷に向かうわよ」


 咲良さんが男二人に喝を入れるのを横目で見つつ、俺は降りたリムジンに近付いた。ドアを開けて中のキャリーケースを取ろうとしたら、荷物はなく既に屋敷へ運ばれている最中だった。


 「凄いな。これが名家の、使用人の気配りと体捌きか。とても俺には真似できないな…」


 「そう言っていただけますと私たち使用人一同、大変、嬉しく思います。憂人様」


 後ろを振り返ると咲良さんに話しかけていた、あのスーツ姿の使用人が立っていた。髪を後ろに束ねた年配の女性で顔のあちこちに皺が出来ている。体の緩みや背筋の曲がりは一切なく、灰色に近い白髪にはしっとりとした色艶が残っている。

 さっきと同様、気配を全く感じなかった。訂正する、ここまで来ると使用人というよりは忍者や暗殺者と言い換えたほうがいいくらいだ。折角だし、名前を聞いておこう。


 「あの、よければ名前を聞かせてもらえませんか?」


 「うふふ、お優しい顔付きでそんな情熱的なアプローチをされるなんて。これが所謂いわゆると呼ばれる殿方の特徴でしょうか」


 「ち、違いますっ。というかロールキャベツ系男子なんて随分、前の流行じゃないですか!?」


 「それではまさか、下心を隠そうともしないベーコンキャベツ系男子なのでしょうか!?」


 「だから違いますって! というかよく咄嗟とっさに思いつきましたね、その造語!?」


 「うふふ、冗談です。失礼しました、打てば響くように反応するので揶揄い過ぎてしまいました。…では改めて、私の名前は名原香純なはらかすみと申します。ご滞在中、ご用件があればいつでもお申し付け下さいませ」


 今のやり取りを経て分かった。俺は香純さんに逆立ちしても勝てないだろうと。俺の疲れきった顔を見て口角を釣り上げ心底、楽しそうにしてるよ。この茶目っ気、見た目通りの年齢じゃないだろうな、この人。


 「さあ、憂人様。皆様も中に入られます。私たちも屋敷へ参りましょう。それとも今日一日は私とお出掛けでも致しますか?」


 「──っ、結構です! ほら、さっさと行きますよ香純さんっ」


 


◇◇◇

 

 歩きながら周囲を見渡すと改めてその広さがよく分かる。リムジンを停めている石畳で舗装されたこの広場。目の前に正門があることから中庭ですらない、ただの敷地なんだろう。

  

 「憂人様。ここを抜ければ屋敷は目前ですよ」


 正門前で待っている香純さんに頷き、前へ進む。門を抜けるとそこには歴史を感じさせる木造建築物が堂々と建っていた。目一杯に飛び込む瓦葺かわらぶき屋根の大きさに圧倒される。

 屋敷までの道のりは正門から玄関まで続く、大振りの飛び石と砂利で敷き詰められている。玄関を見ると父さんたちは先に屋敷へ着いたみたいだ。咲良さんがこちらに手を振っているから、俺が着くの待ってくれていたのか。

 視界を横切り、いつの間にか先頭を歩いている香純さんの後に続いて玄関口に向かう。じゃりじゃりと音を立てながら、待っている皆の元に駆け出した。

 

 「遅れてしまってごめんなさい」

 

 「よい、気にするな憂人。初めて来る場所だ、目移りしてしまうのも仕方ないことだ」

 

 「そうさ、憂人。姉さんや義兄さんもこのくらいで目くじら立てる程、狭量な人たちじゃないよ」

 

 「ありがとう。叔父さん、父さん」

 

 「では、中へ入ろうか」

 

 叔父さんがそう言うと傍に控えていた香純さんが玄関を開けて中へ案内してくれた。中を見渡すと玄関口は広く一度に三、四人は入れるスペースがある。

 気になったのは中へ上がる為の段差が高いこと。そして段差の一段下にまた段差が設けてあることだ。段差近くの土間には、飛び石のような横に広い厚みのある石が置かれている。

 

 「叔父さん。玄関に置いてある、この大きな石はなんですか?」

 

 「ああ、これか? これは沓脱石くつぬぎいしと言ってな。靴を脱いだり、靴を置く為に使う物だ。特に目の前にある二段目の段差、式台しきだいを使うとより楽になる」

 

 「ありがとうございます」

 

 叔父さんは俺の質問に快く答えてくれた。使いやすいように聞いていないことまで教えてくれる。そんな事細かな気遣いに安心した。

 教わったことを早速、実践する。式台に腰かけて脱いだ靴を沓脱石の上に置いた。父さんや母さんも式台に腰かけて土間に脱いだ靴をそのまま置いていた。使用人が整理するだろうと当たりを付けて、さっと家に上がる。

 

 屋敷へ入ると叔父さんたちによって中を案内される。屋内は思ったよりも狭く、通路は二人がギリギリ通れる広さだった。経年劣化によるものか、歩く度に木が軋むような音が聞こえる。

 

 「屋内は割と手狭であろう? 済まぬな。背丈が高いと歩き辛い筈だ。ただ、これでも年季の入った屋敷でな、建て替えることがはばかられるのだ」

 

 叔父さんの言うように天井の高さは思いの外、低く俺たちは背を屈めるようにして前を歩いていた。

 屋敷ならではというか、ドアの代わりに障子やふすまが付いてあるのは見ていて新鮮だ。

 

 「あの頃と同じく屋敷は変わっていませんね。昔を思い出して懐かしい気持ちになります」

 

 「愛奈ちゃんにそう言って貰えると嬉しいわ。うふふ、たっくんはね準備していたの。光や愛奈ちゃんがいつ帰ってきてもいいようにね」

 

 「なるほど。堅物の義兄さんにこんな気遣いができるなんて。年を取るわけだ」

 

 「馬鹿者め。まあ、咲良に言われてしまったがその通りだ。本当は床板くらい変えたかったのだがな。昨今の不安定な情勢が治安にも影響を与えつつある。だから安易に業者を招くのを避けたのだ」

 

 「危機管理の側面から見て義兄さんの判断は正しいよ。点検の為に業者を一人入れるだけでも、美貴家の人間としては警戒しなければならない。当たり前のことだね」

 

 「へそ曲がりのお前が私を褒めるとはな。だが、いずれは屋敷の補修もせねばならん。美貴家を継いだ者として、雑務に追われるのは仕方ないことだがな」


 「今日も部屋に篭って仕事を?」

 

 「ああ、そうだ。歴史ある調度品とはいえ、固い椅子に座り続けるのだ。四十を過ぎれば流石に堪える」

 

 「椅子ぐらい取り替えてもバチは当たらないのに。僕も後で伺っていいかな? 久々に二人で話をしたいしさ」

 

 「構わん。雑談できる程には仕事も片付けてある。ゆっくり腰を落ち着けてから来るといい」

 

 「旦那様、光様。お話中、申し訳ありません。客室に着きました」


 「もう着いたか。家族とはいえ、寛ぐ間もなく話込んでしまうのは客人に対して無礼だったな。さあ、使用人に持たせた荷物を部屋に運ぶ故、しばらく寛いでくれ」

 

 目的の部屋に着くと叔父さんたちはこの場から去っていた。叔父さんは道中、常に俺たちへ気遣いを見せていた。きっと話したいことも沢山ある筈なのに。本当に品のある人たちだ。

 残った香純さんは目の前にある白色の襖の前に膝を付いて正座する。そのまま体を横に向けて、ゆっくりと襖を開けた。

 

 「皆さま、大変お待たせ致しました。こちらが屋敷の客間である“白百合の間”でございます。ゆるりとお寛ぎ下さい」

 

 香純さんは立ち上がってこちらに一礼すると用を終えたのか、静かに去っていった。使用人が荷物を部屋に運び込むのを横目に中に入ると父さんが話し出した。

 

 「それにしても義兄さんは愛奈や憂人に余程、会いたかったみたいだね。まさか、この部屋に通してくれるなんて」

 

 「ふふっ。お兄様は年甲斐もなく燥いでいましたもの。それに、この部屋はお父様の代から使われていなかった部屋です。下手に扱えず、持て余していたのでしょうね」

 

 家に居るかのように安心している父さん。母さんも落ち着いて和かに会話している。二人が話している、この部屋が気になって尋ねてみる。

 

 「ここは一体、どんな部屋なの?」

 

 「この部屋はね、開明的だった初代当主が白百合の花に魅せられて、部屋丸ごと白一色に染め上げたという場所なんだ。その後、大事な客人を迎える為の部屋として代々、重宝されてきたって感じかな」

 

 「付け加えるなら、お兄様がお仕事をなさっている執務室が出来るまでの間、代々の当主がこの部屋で政務に取り組まれてきたという歴史があります」

 

 「ここ、そんなに凄い部屋なんだ」

 

 「まあ、それなりに古い部屋だからね。愛奈が言った通り、ここはお義父さんの代から使われていない。招くに値する人間がいなかったということさ。ちなみに身内は関係ないから遠慮なく寛ろぐといいよ。義兄さんたちも喜ぶだろうから」

 

 分かったと、父さんに返事して腕時計を確認すると針は十時を指していた。

 こんなに時間が経っていたのか。まあ、そうだよな。空港からここに来るまで多少、時間がかかっている。屋敷に着いてからの密度も相当、濃かったしな。

 昼まで時間を潰そうと取り敢えず、近くの座椅子に腰掛ける。テレビの電源を点けてボーっと画面を眺めていると父さんが話し掛けてきた。

 

 「憂人、僕は義兄さんの所に顔を出すけど、部屋でゆっくりしていて構わないからね」

 

 「叔父さんの所に?」

 

 「そうそう。家族とはいえ男同士、積もる話があるってことさ。心配しなくても昼前には戻るから」

 

 「分かった。行ってらっしゃい」

 

 「うん、それじゃあ行ってくる。愛奈、憂人と留守番よろしく」

 

 「ええ、行ってらっしゃい。あなた」

 

 父さんは静かに部屋から出て行った。

 変わらず飄々とした様子だったけど、俺はなぜか言い知れぬ違和感を覚えていた。隣を見ると母さんは静かにテレビを見ているし、ただの勘違いなのかもしれない。俺は心のざわめきを抑えようとテレビの音量を大きくした。

 

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