第四話 報告


 屋敷ここに来たのも随分、久し振りだ。憂人が二歳のときにお義父さんとお義母さんに息子の顔を見せに訪れたんだ。

 あの頃は会社設立に奔走していて今以上に多忙な時期だった。そんな中、僕の為に手を貸してくれた二人が孫の顔を見たいと言ってきたら断れないじゃないか。でも、あのとき憂人を抱いた二人の穏やかな表情を見て、連れてきてよかったと心から思ったんだ。


 屋敷を歩きながら思い出に浸り、過去を懐かしんでいると日本家屋に不釣り合いな黒塗りのドアが視界に入る。義兄のいや、歴代当主が使っていた執務室だ。

 ドアに近付き、軽く二回ノックする。『誰だ』という中からの呼びかけに応じる。

  

 「僕です、義兄さん」

 

 『光か、入れ』

 

 義兄の返事を聞くとドアノブを握り、手前に引いて扉を開けた。

 中は正しく西洋風の部屋といった様相だった。床は板張りで部屋の左右後方に至るまで本棚があり、分厚い書物で敷き詰められている。正面には檜皮色ひわだいろの使い込まれた机が置かれている。机の奥には書類へ目を通したまま、こちらに顔を向けない義兄が椅子に座っていた。

 

 「相変わらず、ここは凄い部屋だね。僕がこの部屋にいることが信じられないくらいに」

 

 「初めて来たわけではないだろう。由縁くらい知っているだろうに」


 「ここに来たのも随分、久し振りなんだ。だから改めて聞かせてほしい。この部屋のことをさ」


 「全く。……江戸末期、欧米列強に立ち向かう為、あらゆる人々がその知恵や技術を用いて並び立たんと奮起していた。そして我が家も当時の欧米人を知る為に、多くの書物や海外製の武器などを手に入れた。いつかは迫りくる外国に対抗できる日が来ると信じてな」

 

 「そこの本棚にある書物も大事な物だったよね」


 「ああ、この本棚にある本も美貴家が調べ上げ残した、当時の貴重な文献や記録だ。まあ、管理や維持する手間を考えると名家の誇り以外の何物でもないがな」

 

 溜め息を吐き、疲れた顔をする義兄。美貴家というより、名家に生まれてきた人々は物心つく前から家の誇りと伝統を守ることを強制される。その重責はの人間として生まれた僕には計り知れない。


 「ここに来ると毎回、圧倒される。僕自身が元々、分家の人間だからというのもあるけど」


 「卑下するなどお前らしくもない。だが、言わんとすることは分かる。美貴家の全てを受け継いだ今でも私は決断することを躊躇うときがある」


 目を通していた書類を机に置き、真っ直ぐこちらを見つめて義兄は語りかけてきた。


 「お前も知っていると思うが、ようやく我が国も核融合発電所を稼働する目処めどが立った。先進国を含む各国に出遅れ、三年という歳月を経てやっとだ」


 「日本の規制と各利権団体の強い反発によって止められていたからね。世論は導入を強く望んでいたけど、固定票が欲しい政治家政治屋は利権を優先して衰退する道をいつも選択するから」


  二千二十五年。当時、核融合発電に注力していた各先進国。その中でも北米アメリカはいち早くそれを実現させようと躍起になった。世論を上手く味方に付けて障害となる規制を廃止し、あらゆるリソースを惜しみなく投入。そして二年後、実用化に漕ぎ着けた。

 北米に続くように欧州諸国が核融合発電所を稼働させた。次いで中国、露連ロシアと続いていった。そうして次世代のエネルギー源を手に入れた各国は大きく国力を伸ばすことになる。


 「たった一つの技術が世界の常識を一変させる。弓や刀剣を使っていた時代から銃主体の時代に代わり、有人が主体となっていた軍隊も次々と無人機ドローンによる無人化が進んでいる。文明の著しい進歩と引き換えに一人一人のコストが増大し続けているのが原因だろうがな」

 

 「全ての先進国が抱える問題の一つだね。エネルギー資源に関しては特に頭痛の種だった。旧来の重要資源である石油や天然ガスを中東などから輸入し、依存しなければならなかったから。でも核融合発電の確立が現実を大きく変えた」

 

 「ああ、核融合発電はそれまでの常識を置き去りにした。水素さえあれば無尽蔵に等しい、莫大なエネルギーを生み出し続けることが出来るのだからな。もたらされた結果はよく知っているだろう?」

 

 「勿論。核融合発電所稼働前はガソリンを使うハイブリット車が主流で電気自動車EV車の普及数はごく僅かだった。けれど核融合発電によって賄われる電気量は桁違いに多くなった。従来の化石燃料に頼らなくてもいい環境が構築された結果、僅か三年。北米での電気自動車の普及率は八割を超えた。末恐ろしさすら感じる変わりよだ」

 

 「うむ。停滞していた様々な技術も一つの技術の登場により、これまでの苦労が嘘のように花開いていく。マイナーだった電気自動車が市場を席巻したようにな。核融合発電所を稼働させた各国は今まで輸入していたエネルギー資源に頼らずとも良くなった。結果、起こったことが」

 

 「……中東資源戦争」

 

 「そうだ。中東の石油産出国は恵まれた量の石油を原資にして各国に輸出し、外貨を獲得してきた。特に日本のような自前の資源が少ない国にとっては頼みの綱だったろう。化石燃料はまさに金の成る木そのものだった。だが、各国が核融合発電を手にしたことで状況は一変した」

 

 当時、石油や天然ガス等の二酸化炭素を発生させる化石燃料は、環境に悪影響を与えるとしてから嫌悪されていた。この問題は徐々に世間へと浸透し、大衆の意見を二分する社会問題へと発展した。ところが核融合発電を確立したことが不幸の始まり。環境問題を根絶したいと望む人々は理想的な環境整備が出来ると確信を得た。

 そして力尽くで物事を動かした。核融合発電所を持つ各国は中東から輸入していたエネルギー資源の一切を断ち切った。それも事前通告など行わず、一方的に。この行いはそれまで湯水の如く外貨を獲得してきた中東の国々にとって、まさに寝耳に水だった。だから、あれだけの暴挙に出てしまった。

 

 「オイルマネーに物を言わせた中東国による無差別爆破テロ。通称、嘆きの動乱。各国に潜ませた工作員を用いて、現地で無人機の組み立てから爆発物の調薬などを行わせる。組み立てた無人機に爆発物を仕込み、市街地へ大量に展開。同時多発テロを引き起こした。被害を受けたのは核融合発電所を保有する全ての国家」

 

 エネルギー資源という既得権を失った一部の中東諸国は示し合わせたように協力し、事を起こしてしまった。大量の無人機による無差別爆破によって各国、合わせて百万人を超える人々の命が失われた。

 中東国の起こした暴挙によって怒り狂った常任理事国は国連決議をすっ飛ばし、被害を受けた全ての国が報復を行った。

 嘆きの動乱の比にならない程、大量の無人機を使用。軍事に関連するあらゆる地域、建造物を吹き飛ばした。手加減なしの報復によって地図上から幾つもの地域が消滅した。その苛烈な攻撃には各国の怨讐が深く込められていたのだろう。

 

 「被害国に一蹴された中東国は戦争を終結させる為の条約締結において一つの枷を掛けられた。それは被害を受けた全ての国の許しなく、核融合技術の開発を禁ずるという大き過ぎる罰を与えたことだ」

 

 本来、国家が他国に対して内政干渉を行うことは原則認められない。しかし、一つの技術がそれまでの常識を破壊し、双方に夥しい犠牲を出してしまった。

 先制攻撃を仕掛けたこと、無関係な民間人に多大な犠牲者を出したこと、最後に戦争で大敗してしまったこと。これによってテロを起こした国は、先進技術の核心に触れることの一切を禁止された。つまり強制的に時代から取り残すと各国が決定したんだ。

 

 「そして現在、中東の一部地域では以前の栄華を失い困窮。内紛が絶えないと聞く。我が国もそうだったように一つの過ちを犯すだけで世界から締め出され、野垂れ死ぬことを強要される。思うことはあるが、同じくらい哀れみも感じている」

 

 嘆きの動乱を起こした国々。そこでは戦争を起こすきっかけを作った上層部による醜い責任の擦り付け合いを始まった。自らの利権を死守し、民衆のことを考えない自己保身を繰り返した結果、困窮した人々は暴徒と化して血みどろの内紛状態に突入した。良質な武器を持つ政府軍と数に物を言わせた民衆の対立によって激化する争い。戦争から一年経った、今でも現地の人々は終わりなき抗争を続けている。

 

 「ところで私に用があって来たのではないか?」

 

 義兄はこちらに目を遣り、要件を聞いてきた。…このまま昨今の状況を話し合い、家族として穏やかな日常を過ごしたかった。だが、僕には会社のトップとして、いや、一人の人間として義兄に残酷な現実いまを伝えなければならない。

 

 「……義兄さん、いえ、。政府合同で内密に進めていたA.W.S.A計画が失敗しました。恐らく一月も経たない内にこちらの世界に大きな変動が起こるでしょう」

 

 「──なんだとっっ!? 計画が失敗したというのか!! あの裡方家うらかたけも事態解決の為に動いていたのだろうっ。それでもダメだったというのか!!! ようやく先進国に追いついたというのに。また邪魔立てされるのか、クソッッッ!!!!」

 

 「今、話した通り、既に猶予はありません。我々は異常事態発生の予測を一月と仮定しました。しかし状況の変化によっては更に早まる可能性も捨てきれません」

 

 「……此度の訪問も観光目的や可愛い甥と会わせる為ではない。この報告が主目的だったわけかっ」

 

 「仰る通りです。現出が始まるまでの猶予はあまり残されていないでしょう。今すぐにでも出来る限りの準備をされて下さい」

 

 義兄は報告を受けると胸に宿った絶望をぶち撒けるが如く怒り狂った。だが、事の重大さを認識すると落ち着いた。いや、挫折したように項垂れていた。

 

 「このことを国民に向けて公表は出来ないだろうな。今の話を耳にすれば、あまりの荒唐無稽さに驚愕や恐怖よりも困惑が勝る。他国から侵攻されたほうが余程、分かりやすいというのに……」

 

 「はい。そこで息のかかった各民放局やインターネット番組に対して偽りの情報を流布します。カバーストーリーとしては近くに大きな地震が発生すると嘘を信じ込ませ、自主的に避難を促す予定です」

 

 「そうする他あるまい。事ここに至ってはどうしようもない。後は現出が始まったときにどれほど被害を減らせるか。違う、どれだけ多くの人々が生き残れるかだな。光、準備は済ませてあるか?」

 

 「はい。立ち上げた会社の内部留保を一部流用し、各拠点を建設し終えています。こちらが当該資料です」

 

 懐に手を入れて三つ折りにした紙を義兄にそっと差し出す。義兄は紙を受け取り、軽く目を通す。そして上を向いてゆっくりと目を閉じている。三十秒程、経った頃だろうか。目を開けるといつものように覇気を纏う美貴家当主としての姿があった。

 

 「報告ご苦労。状況は最悪だが手を打っていたことに感謝する。まずは使用人に状況を説明して裏切り者がいるか見定めるか。これだけの事態と知れば動揺し、尻尾を出す輩もいるかもしれぬ。次は政界、財界、芸能界に向けて働きかけねばならぬか。事情を知らぬ芸能界は特に荒れそうだが、割り切るしかないか」

 

 当主として出来る限り、最善を尽くす姿を見てやはり人の上に立つ大器だと感じた。あんなに打ちひしがれても現実を諦めていない。体質の問題がなければ、息子憂人と変わらない歳の子もいただろうに世知辛いものだ。

 

 「さて、今回の件でお前たちと顔を合わせるのが最後になるかも知れぬ。特に愛奈や憂人と会えなくなるのはな。だから可愛い甥と二人で話す時間を作ってくれないか?」

 

 「承知しました」

 

 「これから、この世界は激動の時代を迎えることになる。かつての中東資源戦争が生温く思える程のな。だが、私は打ち勝ってみせる。第二次世界大戦後に定められた敗戦国の謗りは受けぬ。次こそは時代の勝者となり、繁栄を享受する。美貴家当主としての誇りと責任に懸けてな…」

 

 「僕もご助力致します。忠平様」


 愛奈や憂人を守る為に僕は出来る限りの準備をしてきたつもりだ。だけど、これから世界がどうなるか予測がつかない。

 もしものときは、憂人だけでも助けなければ。ポケットに入ったを握り締め、固く決意した。

 


 



 

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