第八話 分家と馴れ初め


 

 夕食を摂ったということは覚えている。皆の後に続き、渡り廊下を抜けた先の別棟の一室。その部屋の長いテーブルで料理が出されたことも。

 ただ、料理の内容がうろ覚えで味も美味しかったのか、不味かったのか曖昧なものだった。食中、食後に誰かと会話をしていたことだけが頭に残っていた。


 …気付けば目の前は真っ暗で客室に敷かれた布団に包まっていた。隣を見ると父さんと母さんも寝静まっている。毛布を半分捲り、上体を起こす。体を触るといつの間にか寝間着パジャマに着替えていたようだ。枕元に置いたスマホを確認すると時刻は二十三時を過ぎていた。

 意識が次第にハッキリしてくると入浴中の叔父さんの言葉が繰り返される。“大きな出来事”って一体、なんなんだ。なんで、こんなに心がざわつくんだっ…。

 俺は二人を起こさないようにゆっくり立ち上がる。このどうしようもない焦燥感を押し殺して、静かに部屋を後にした。


 「……光さん」


 「ああ、分かっているさ」




◇◇◇


 部屋を出てふらふらと当てもなく歩き続けた。すると縁側があった、あの一室の前に着いていた。障子を開けて中に入る。真夜中だというのに縁側の障子に薄く光が差し込んでいた。その光に惹かれて目の前の障子を開けると縁側に足を伸ばした。

 冬を抜けたばかりの夜の肌寒さを感じながら、暗闇を思わせる夜空を見上げる。そこには、無数の星々と青白い綺麗な満月が鷹揚おうようとその場に佇んでいた。月の光は庭木だけでなく、目立たなかった草花も包み込むように照らしている。昼間とはまた違った光景にただ、目を奪われた。


 「綺麗だ…。」


 「同意するよ。夜の庭先は本当に綺麗だ。特に満月が出ている日はより一層、際立っているよ」


 「お義姉様たちとよく夜中に部屋を抜け出して、ここに来ていたのは懐かしい思い出ですね」


 「──っ!? 父さん、母さん」


 ただ、一心に目の前の光景に集中していたからか、二人の気配に気付かなかった。どうやら俺を追って、この部屋まで来てしまったみたいだ。きっと心配しただろう二人へ素直に謝る。


 「…心配をかけてごめん」


 「普通の家庭なら部屋を抜け出した子供を心配して、叱りつけるんだろうね。でも僕たちにその資格はないな。なぜなら、こうなると分かっていて屋敷ここに憂人を連れてきたのだから」


 「本来であれば何度も交流を重ねて、憂人に少しづつ美貴家や光さんの家のことを知ってほしかった。でも残念ながら、わたしたちの都合であなたに全てを受け止める時間を与えてあげられなかったの。本当にごめんなさい憂人…」


 「…一体、どうしたのさ。二人が罪悪感を抱く必要なんかない。俺が考え過ぎているだけなんだ。だから自分を責めないでよ」


 なんで、そんなこと言い出すんだ。父さんも母さんも。いつもの二人なら優しくて自信に満ち溢れているじゃないか。…なのに、ここまで感情を露わにするなんて。どうして俺を屋敷に連れてきたかったんだ?


 「憂人がお風呂に浸かっているとき、義兄さんから聞いた言葉に動揺していたことを僕は察していた。夕食中と就寝前後の記憶も朧げな程、混乱していただろう?」


 「…でも俺は会話をしていた覚えは確かにあるんだ。傍から見てもそこまで不自然じゃなかった筈だ」


 「確かにちゃんと受け答えはしていた。でも目の焦点が合っていなかったんだよ。まるで知ってはいけないことを知ったと感じただろう? 詳しくは言えないけど、それは正しい感覚だよ」


 「…なんで美貴家の跡取りでもないのに父さんはそんなに詳しく知っているんだ?」


 「……いい質問だね、憂人。義兄さんから美貴家の歴史について教わっただろう? 実はこの家にはもう一つ秘密がある。それは血を分けた分家が存在すること。そして、その分家が姉さんや僕の生家だった見沢家みさわけだ」


 「…見沢家。父さんの旧姓ってこと? でも、なんでいきなり」


 「まずは歴史から話そう。美貴家の初代当主には二人の息子がいた。彼は愛情深い人だったようで息子たちに分け隔てなく接したという。だが、名家の掟として長男が家を継ぐと決まっている。そうなると次男は当主の座から弾かれてしまう。家督を巡って兄弟で争ってほしくなかった当主は次男の為に市井で暮らせる身分と新たな姓を与えた。これが見沢家の始まりだ」


 父さんは話を続けた。美貴家の初代当主は次男に身分を与えた後、改めて息子二人を呼び出してある言葉を双方に言って聞かせた。、その言葉を忘れないように何度も念を押して。

 初代当主は愛情深い一方で実に強かで、長子長男の家が潰れてしまうことも考えて血のスペアを残すことにした。息子たちはこれを了承し、両家の血脈は途絶えることなく現在に至る。


 「でも父さん。これじゃあ、ただ美貴家と見沢家の歴史を話しただけだよ」


 「ははは。憂人は歴史の勉強は苦手かい? 冗談だよ、そんなに睨まないでくれ。見沢家は市井で暮らしていくんだが、長男を慕っていたようで自ら進んで本家の手助けを始めたのさ、陰ながらね。つまり見沢家は美貴家の暗部。美貴の目であり、手足となったんだ。江戸から始まって現代に至るまで忠誠を尽くし続けてきたというわけさ」


 「憂人は使用人の動きを見て驚いていたわね。けれど美貴家の使用人の大半は元々、見沢家で訓練を受けた諜報員なのよ」


 「──っ」


 「愛奈が補足してくれたね。まあ、見沢家と同等かそれ以上の能力を持っているの方たちもいるけど、今は置いておこうか。ともかく僕は見沢家の嫡男として生まれて、美貴家を支える為の教育を受けてきたわけさ。もう縁切りして見沢家の人間ではないけどね」


 肩をすくめるように話す父さん。

 …つまり父さんは元々、美貴家を支える分家の嫡男。本家に役立つ裏方となる為に様々な鍛錬を施されてきた。でも父さんは実家と縁を切って姓名まで変えている。一体、なにが起こったんだ。


 「父さんは言ったよね、見沢家と縁切りしたって。一体、なにが父さんをそこまでさせたんだ」


 「…美貴家と見沢家の婚姻。義兄さんからざっくりと聞いただろう? これから話すことを聞いてほしいんだ」


 父さんは語り出した。

 戦後、戦争の惨禍によって焼け野原となった東京を見た美貴家は戦前の日本の暴走を止められなかったことに深い悔恨を抱いた。二度と悲劇を起こさせないべく、関わりのあった政界だけでなく財界、芸能界へとその手を伸ばしていった。

 特に財界と深く関わり、後に台頭する企業勢力の拡大を大きく手助けした。そこには経済力を用いて日本を争いから遠ざけたいという思慮があっての行動だった。だが、美貴家は影響力の拡大と引き換えに代償を支払わなければならなかった。


 「これまでの美貴家は自分に逆らうことが出来ない格下の家から伴侶を迎えていた。だから美貴家主導で舵取りが出来た。そして強い影響力を保つ為に企業のご令嬢を娶った。これが美貴家を柵という沼に沈めていく原因となった」


 高度経済成長を迎え、戦後から見事に復活した日本。企業は成長を続け、世界を席巻するまでになっていた。しかし、豊かであることに胡座をかいて旧来の体制を改善する機会を逃し、いつしか企業は現状維持することに執着してしまった。

 そして企業は肥え太り、増長したことで政界、芸能界と手を結び、自らの利権を死守する為の法案や規制を作らせた。結果、次世代の台頭を阻み、世界から大きく出遅れてしまう原因の一つを作り出した。


 「美貴家は財界と深く繋がってしまったあまり、彼らの要望を跳ね除けることが出来なかった。特に縁戚となったのは大きな痛手だった。主導権を半ば奪われた美貴家は起死回生の為にある決断を行った。それは分家である見沢家と婚姻を結ぶことにしたんだ。戦後に作られた柵を解消しようとね」


 元々、財界と深く関わり過ぎたことを憂慮した先々代の当主が跡取り息子と話し合い、今までの関係を清算する計画を練っていた。

 そこで白羽の矢が立ったのが見沢家だった。初代当主の時代から血の交わりはなく本家に尽くし続けたという実績があり、権力を追い求める野心もない。美貴家は関わりの深い分家と婚姻することで外戚を排除し、血族の結束を強めたいという意図があったらしい。


 「見沢家は本家から婚約の打診があったことで大はしゃぎして、一も二もなく了承した。そこからは憂人も知っている通り、姉さんが美貴家に嫁ぐことになった。十五歳で婚約、十八歳で婚姻という流れだね。見沢家は浮かれ過ぎていた。だから、この後に起こる出来事に怒り狂ったんだ」


 娘を嫁がせて子供が生まれることを楽しみにしていた見沢家。だが、年月を幾度経ても子が出来ないことに疑問を抱いた。見沢家は美貴家の了承を受けて検査を行った。そして本家の嫡男が子を作れない体質であるという衝撃の事実を突き付けられた。

 普通ならば子を残せない本家の嫡男を責めるのだろう。しかし、見沢家は自分の娘をひどく罵倒した。口に出すのも悍ましい罵詈雑言をひたすら浴びせ続けた。

 終いには自らに過失があるかのように振る舞い、婚姻解消を言い出した。を美貴家の力となれる有力者の元へ差し出すという自分勝手な理由を言い放って。


 「美貴家と縁戚となった関係でよく屋敷に来たけど、それまでの姉さんは家にいたときよりも生き生きとしていた。義兄さんを心から愛しているのが傍から見ても分かるくらいだった。でも、あの出来事が起きて見沢家から何度も罵倒を受けた姉さんの鬱屈とした表情を今でも忘れられない。それだけでは飽き足らず、見沢家は姉さんを自分勝手な都合で引き離して他家へ売り渡そうとした。縁切りすることに微塵も躊躇わなかったよ」


 当時、十五歳だった父さんは家を出奔して身一つで美貴家へ足を運んだ。実家とは縁を切り、美貴家に仕えたいと訴える為に。

 見沢家の嫡男だったこともあって美貴家に大きく反対された。家に戻れと幾度、突き返されても父さんの決心は変わらなかった。そんな父さんの覚悟に美貴家は折れて、遂に屋敷へ迎え入れられることになった。


 「いやあ、美貴家の人たちは容赦なくてね。僕に音を上げさせたくて、過酷な仕事を何度も押し付けたりしたんだよ。そんな日々の中で出会ったのが愛奈だったんだ」


 実は父さんと母さんは何度も出会っていたらしい。それこそ叔父さんたちの顔見せの場でも。ただ二人には接点がなく、お互いの認識も曖昧なものだった。

 けれど父さんが美貴家へやって来てお互いの接点が自然と増えていき、顔を合わせる機会も多くなっていた。


 「いつものように海外の情報収集を終えると屋敷に戻って報告したんだ。当時、休む間もなく働いていた反動か僕は気を失ってしまったんだ。ふと目を覚ますと誰かに膝枕されていた。最初は姉さんが介抱してくれたのかと思ったけど、違った。愛奈が膝枕してくれたんだ」


 「あのときのわたしは、光さんのことを屋敷に来た新しい使用人の一人だと思っていたわ。でも、お兄様にどこか似た面影を感じて気になっていたの。そんなある日、日光浴をしようと庭を散歩していたら、倒れている光さんを見つけて介抱してあげたの」


 「膝枕はさ、家族の中で姉さんだけが唯一してくれた。だから僕はとても嬉しかったんだ。愛奈が膝枕してくれたことで、姉さん以外の人から優しさを強く感じたんだ。あのときからかな、君を強く意識し始めたのは」


 「ふふっ。わたしの容姿ではなくて、膝枕一つで好きになる殿方はあなただけでしたよ。わたしたちは空いた時間を見つけては逢引きしていて、そんな様子を見ていたお父様はいつもお冠でしたもの」


 「お義父さんには散々、言われたよ『分家の貴様に娘はやらん』ってね。それでも君を諦めることは出来なかったから、とても頑張った。美貴家の人たちに認めて貰えるように」


 「息子を置いてイチャイチャしないでくれませんか、お二人さん」


 「ごめんごめん。ただ、そこからはあっという間だった。姉さんやお義母さんが僕たちの仲を後押ししてくれてね。渋々ではあったけど、お義父さんも認めてくれたんだ。相田という姓も結婚する際にお義父さんから貰ったんだ」


 「そうだったんだ。お祖父さんから」


 「そしてもう一つ、今まで黙っていたけど僕が働いていた商社はただの幽霊会社ペーパーカンパニーなんだ。美貴家の手足として動けるように用意された擬態そのもの。海外へ頻繁に出向いていたのも、そのせいなんだ。ちなみに今でも似たことをやっているよ」


 「まさか、相田カンパニーも?」


 「その通り。僕が企業したけど実態は美貴家の下部組織だね。言ったでしょ? 財界との過度な関係を清算するって。だから美貴家が自前で企業を立ち上げたってわけさ。責任者に任命された僕は現役を引退して、後進育成に励んでいる最中だね」


 父さんのあっさりとした語り口に開いた口が塞がらない。こんな事実、世間は知りもしないだろう。それを息子とはいえ、堂々と話してよかったのだろうか。俺はただ、茫然と立ち尽くすしかなかった。


 「なんで、ここまでって顔をしているね。何度も言うけど僕たちは今、話したことを少しづつ憂人に教えなければいけなかった。でも、それを怠ったんだ。だから話せる全てを打ち明けているんだ」


 「…なにがあって、父さんをそこまで言わせるんだ」


 「辛い事実だけど義兄さんは子供を残せなかった。ただ、代わりに僕と愛奈。それぞれの家の血を引く人間が子供を残した。この意味が分かるかい? つまり憂人は美貴家の正統後継者になる資格を持っているんだ」


 「──な、なにをいきなり言って」


 「初代当主の言った言葉だよ。“必ず、男子が家督を継ぐこと”ってね。憂人は男子で美貴家と見沢家、双方の血を引いている。これ以上ない程、適格な存在なんだ」


 「そ、そんな急に言われても俺には分からないよ!? 美貴家の歴史や血筋を知ったとしても、俺はその為の教育を受けてこなかった。いきなり言われても、はいとは言えないよ…」


 「うん、憂人の言う通りだ。僕も無理して美貴家に関われなんて言わない。ただ、知っておいてほしかったんだ。憂人に流れる血と取り巻く環境を。今まで屋敷へ連れて来れなかったのも見沢家が絡んでいるせいなんだ」


 「見沢家が…」


 「見沢家はね、美貴家に仕えることを至上の喜びとする。本家に大きな情熱が向けられる分、自分も含めて家族は主を支える為の道具としか思っていない。あの家には愛情がないんだ。…脱線したね。話を戻すと僕が出奔した後、二つ下の弟が跡を継いだらしい。だが、弟は憂人に強く執着しているんだ」


 「なんで顔も合わせたこともない親戚が俺に」


 「弟はあくまでも見沢家の人間。でも憂人は美貴家の人間だ。流れる血は似ていても、その過程が違うからだ。弟は憂人に執着し、嫉妬してしまったんだ。本家の人間として認められたことにね」


 「……」


 「憂人が二歳のときに一度だけ屋敷へ連れてきたことがあってね。そのとき見沢家の息が掛かった使用人の手で憂人が誘拐されそうになったんだ。あの事件が起こって幼い憂人を屋敷に連れて来ることを僕と義兄さんは危惧した。そして憂人が大きくなるその日まで、ここには連れて来ないと取り決めたんだ」


 「だから今まで親戚がいても会わせなかったんだね。俺を護る為に」


 「うん、その通りだ。家族で屋敷に来たのは全てを打ち明ける時期がきたと思ったからさ。義兄さんも僕も十五歳のときに人生の転換期を迎えた。だから同じ歳の憂人なら受け止められると思ったんだ」


 父さんの瞳は真っ直ぐ俺を見つめている。そこには様々な思いが渦巻いているように感じた。本当は俺に打ち明けることを何度も躊躇ってきたのかもしれない。これだけ複雑な事情なら尚の事だ。

 俺は優しい二人の子供だ。そこには美貴家も見沢家も関係ないんだ。父さんが俺を信頼して話してくれたのなら、その期待に応えたい。


 「父さん、母さん。教えてくれてありがとう。まだ全てを飲み込めたわけじゃないけど、俺は大丈夫。時間はかかると思うけど必ず答えを出すからっ」


  言葉を聞いた父さんと母さんは俺に近付くと優しく抱き締めてきた。…ああ、俺は二人の期待に応えられなかったのか。


 「憂人、父親として一つだけ言わせてほしい。どうか焦って答えは出さないでくれ。憂人をここへ連れて来たのは人生の選択肢が沢山あることを教えたかったからなんだ。時間なんて幾らでも掛けていい。五年や十年でも。だから自分のペースを大事にしてほしいんだ」


 「光さんの言う通りよ。わたしたちは見沢家という負の遺産を取り除くことが出来なかった。そのせいで、憂人の人生の選択肢を狭めてしまったという負い目があるの。だから、これから過ごす日々をどうか楽しんで。わたしたちやお兄様たちも答えを急かすようなことは絶対にしないわ」


 「……うん、うん。分かった。ありがとう父さん、母さん」


 ここに来てから、時計の針が早く進んで一人取り残されたような感覚だった。自分のことや美貴家のことで知らず知らずの内に頭が一杯になっていたのかもしれない。

 でも俺にまだ考える時間をくれるんだね。二人のその言葉を聞いたら、ふっと力が抜けて途端に眠気がやってきた。...ああ、やっと良く眠れ…そう、だ。






 「ふふっ。寝てしまったようね」


 「無理もない。一度に多くのことを話してしまったしさ」


 「光さん、わたしたちも部屋に戻りましょう?」


 「うん、憂人は僕が部屋に運ぶよ。もう夜も更けてきた。すぐ横にならないとね」

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