第五話 美貴家の歴史


 

 父さんが部屋を出て行ってから、俺と母さんはゆっくり部屋で寛いでいた。

 ここまで慣れない出来事の連続でなにも考えずに羽を伸ばすことの大切さを感じた。香純さんが俺を揶揄いに度々、部屋に訪れなければもっと実感出来たんだけどな。

 座椅子に凭れて心の中で溜め息を吐いていると、襖越しから使用人の声が聞こえてきた。


 「お嬢様、憂人様。お食事のご用意ができました。今すぐ、料理をお運び致します」


 「分かったわ。ご苦労様」


 “失礼致します”という一言と共に使用人の気配がふっと消えたような気がした。屋敷で働く人たちの行動に驚くことはないだろう、多分。

 腕時計を見ると針は十二時を指そうとしていた。…父さんはまだ叔父さんと話しているのか。気を紛らわせるように襖を見ていると誰かが足音を立てながら、部屋に近付いてくる。


 「遅くなってごめん。義兄さんと話し込んでしまって……」


 襖が開かれて父さんが部屋に戻ってきた。長かった叔父さんとの話し合いは済んだみたいだ。ただ、どこか様子がおかしく感じる。父さんが部屋を出て行ったときより、なぜか強く違和感を覚えていた。

 なんだろう? 例えるなら大きな決断を下して安堵していると同時に、それでも不安感を拭えないというジレンマを抱えているような。……気にしても仕方ないことか。


 「憂人、そんなに僕を見つめて心配事でもあるのかい?」


 「…いや、なんでもないんだ」


 「そっか。ああ、一つ言い忘れていたよ。義兄さんたちも、この部屋で昼食を食べたいらしいんだ。すぐに部屋と同じの高さのテーブルを使用人が運んでくるだろうから、男衆は手伝ってあげようか」


 「了解、父さん」


 それから間もなくローテーブルを運ぶ使用人と一緒に部屋へ入れるのを手伝った。元々、部屋に置いてあるテーブルに横付けするだけだから楽なものだった。作業が終わるとタイミングよく、叔父さんたちが部屋に訪れた。


 「ガッハッハ。突然、押しかけて済まぬな。本来なら別棟にて午餐ごさんを行う予定だったのだが、家族なら畏まった作法も要らぬと思うてな。まずは、この場所で皆と食事を摂ることにしたのだ」


 「ふふっ。こんなに偉ぶっていますけど、皆で一緒にご飯を食べたくてそわそわしていたのよ」


 「さ、咲良。余計なことは言わないでよい。ともかく、席に着こう」


 咲良さんに指摘されて恥ずかしいのか、耳が赤く染まっている叔父さん。照れを隠すように使用人がいつの間にか用意していた奥側の座椅子に素早く座った。咲良さんも叔父さんに続くように隣の席に座った。俺たち三人は叔父さんたちと向かい合うように席に着く。

 皆が席に着いたのを確認した給仕が部屋の前まで運んできた数々の料理を目の前のテーブルに置いていく。和食中心で春に合う色鮮やかな温野菜や茶碗蒸し、蛤の潮汁など体を労わる料理に目を惹かれる。

 ただ、一つ言うことがあるならば。


 「あの、一つ伺ってもいいですか?」


 「遠慮せず、なんでも聞くといい」


 「…なんで香純さんまで座っているんですか? しかも咲良さんの隣の席に」


 「憂人様、私から答えましょう。それは勿論、毒味をする為でございます」


 「いやいや、毒味をするなら調理の段階でも出来ますよね!?」


 「憂人様。毒味とはただ、有る無しの確認をすればよいわけではありません。その場で料理を食して、皆様に安心感を齎らすことも大事な勤めの一つなのです。よって、この場に使用人一人が混ざったところで違和感はないわけです」


 「凄く大事なことを言ってます感、出してますけど、あなたがここにいる理由になってませんよね!! というか俺の言ってることを上手く煙に巻こうとしているだけですよね!?」


 場がシーンと静まり返る。香純さんのボケに対して、無意識に突っ込みを入れてしまった。やってしまったと後悔したが突然、皆が笑い出した。


 「「「「「ぷっははっははは(ふふふ)」」」」」


 「いや、済まない。的確な突っ込みだった故な。はしたなく大笑いしてしまった。憂人は歳の割に大人びた印象があったからな。新鮮に感じたのだ」


 「ふふふ。ごめんなさいね、ゆうちゃん。でも香純がこんなに人を揶揄うのは珍しいことなのよ。身内であっても、ここまですることはないわ。香純にとても気に入られたのね」


 叔父さんたちにフォローされている間も、俺を澄ました顔で見つめている香澄さん。一見すると表情が乏しいように感じるが、口角が徐々に上がっているのを確認した。

 ああ、この人。また俺をイジる為のネタを考えているんだと、半ば諦めた。


 「さて、このままでは折角の料理が冷めてしまう。戯れはここまでにして、いただくとしよう。では、いただきます」


 「「「「「「いただきます」」」」」」


 叔父さんに合わせて、感謝の言葉を口にすると箸を取った。後は出された料理を美味しく味わいながら、叔父さんたちと緩やかに食事の時間を楽しんだ。

 食事中、部屋に備え付けられたテレビのニュースを見ていると、叔父さんは呆れた様子で政治家の裏事情をぼそっと漏らした。苦笑いしながら聞いていると叔父さんを揶揄おうと恥ずかしい過去を暴露した香純さん。叔父さんが狼狽える様子を見て皆と笑い合っていた。

 

 料理を食べ終わり、給仕がテーブルに置かれている空になった皿や器などを下げている。昼食後ということもあって、父さんたちもゆっくり寛いでいるようだ。

 俺もまったり過ごそうとスマホを取り出した。画面をタップして途中まで読み進めていた電子書籍の続きを読もうとしたら、叔父さんが俺に向かって話しかけてきた。


 「憂人、昼食も済んで寛ぎたいだろう。だが、特にやることもないならどうだ? 私と二人で話をするのは」


 「俺と二人で? 車の中で色々、話をしましたよ?」


 「確かにしたな。だが、車内ではあくまで憂人の話を私が聞いていただけだ。私自身のことは一切、話をしていないだろう?」


 「…言われてみれば、叔父さんのことは聞いていませんね。でも、なんで急に二人きりで話を?」


 「それは…。憂人は十五歳になったと聞いている。時代が時代なら大人として見られる年だ。まあ、なんだ。私の話を聞いて人生の選択肢を広げてほしいという気持ちがあるのだ」


 叔父さんは俺の質問に言い辛いことでもあるのか半ば、はぐらかすように喋り終えるとゆっくりと席を立った。そして俺に付いてくるように目で促している。

 周りを見ると父さんや母さん、咲良さんも心配せずに行ってこいと俺に向かって頷いている。これは事前に根回しされていたなと、心の中で苦笑いしつつ席を立った。


 「僭越ながら、お二人が腰を据えてゆっくりと話せる場所へご案内致します」


 香純さんはそう言うと我先に部屋を出て行った。まさかとは思うけど、この人まで話に混ざってこないよな。

 若干の不安を抱えながら、叔父さんと部屋を出る。俺たちが廊下に出たのを確認すると香純さんは目的地へ向けて先導し始めた。


 「そういえば、まだ屋敷内をちゃんと見回っていませんね」


 「そうであったな。私も憂人たちと会えたことで少々、浮かれておったのかもしれぬ。香純、この際だ。軽く屋敷を案内できるか?」


 「はい、仰せのままに」


 予定を変更して屋敷を案内されることになり、俺は叔父さんたちと一緒に屋敷をぐるっと見て回った。台所や浴場に始まり、歴代当主の遺影が飾っている応接間など様々な場所へと案内された。案内を続ける中でどうせならと叔父さんの解説も交えながら、香純さんは美貴家の歴史を俺に教えてくれた。


 美貴家は江戸時代、当時の天皇のご落胤から始まった。天皇は側室ですらない身分の低い女性との間に子供を設けた筈だったが、実は身分を偽って宮中に出仕していた高貴な血筋の方だったようだ。この出来事に慌てた朝廷は生まれた庶子を公家の養子として育てることに決めた。子供は成人するまで養子として育てられ、立派に成長すると改めて公家としての身分を用意されたという。


 「憂人は屋敷で幾つか見たであろう? 我が家の家紋を」

 

 「はい、桜に似た紋様でしたね」

 

 「憂人様。桜、そのものでございます。“一重桜に菊桜”、美貴家を象徴する家紋です。当時、江戸にて流行していた桜の花びらをご当主様が取り入れたのです」

 

 「初代様は大層、新しい物好きでな。公家であるにも関わらず、小難しい仕来りにもあまり拘っていなかった方だ。だが一方で先人が築き上げてきた伝統や歴史も守ろうとしてきたのだ」


 初代当主は幼少の頃から物好きで長崎の出島から輸入される海外の本や調度品に目がなかった。与えられた屋敷の一部を改装して西洋風の部屋へ建て替えるなど。公家にしては珍しくあまり伝統に囚われない人物だった。

 だが、幼少期から海外の文化や情報に触れ続けたことで異国の脅威を強く認識していたらしく、幾つもの警告文を上奏している。それだけでなく自らの危機感を子供たちに伝え、異国に対する警戒心を継承させている。初代当主は幕末の英雄たち同様、先見の明があったようだ。


 「幕末、ご先祖様は公家ゆえ佐幕派ではあったのだが、自らの私財を譲り渡して陰ながら倒幕派の面々を支援していたのだ。夷狄外国の脅威を誰よりも理解し、対抗する為にな。後は知っての通り、倒幕派が実権を握ったことで明治新政府が発足した。美貴家は倒幕運動を支えた陰の立役者として政治、経済に大きく関わっていくことになるのだ」


 「そんなことが。でも歴史の教科書にはなんで美貴家の名前が残っていないんですか?」


 「それは簡単なことでございます。当時のご当主様が伊藤博文や西郷隆盛などの立役者たちに、ご自分のことを歴史に残さないよう要求したのです」


 「恐らくではあるが、公家という立場で倒幕運動を支援していたという事実を知られたくなかったのであろうな。胸中には仲間を裏切ってしまったという罪悪感が強くあったのかもしれん」


 歴史で習う公家というと、平安時代や鎌倉時代から存在する長い歴史と伝統のある家というイメージだ。しかし、美貴家は江戸時代から始まった歴史の浅い家ということもあり、時代の狭間で柔軟に動けていると感じる。

 だけど戦後には華族制度が廃止されて多くの名家が落ちぶれていったのも事実。大きな功績があるとはいえ、新興貴族とも言える美貴家はなぜ大きな屋敷を維持出来ているんだろうか。


 「疑問に思ったのですが、なんで美貴家はこうして屋敷を維持したり、多くの使用人を雇っていられるのですか?」


 「うむ、憂人の疑問は尤もだ。長い歴史の中で見ると美貴家は若く権威も小さい。だがな、一つだけ優れたものを持っている」


 「…それは一体」


 「それは「先見性だ、です」」


 「……」


 「美貴家は戦後、財閥解体の憂き目にあった旧財閥の援助をしていたのです。それだけでなく兼ねてより、目を付けていた中小企業にも援助を惜しみませんでした。これによって新勢力の台頭と同時に旧財閥の流れを汲む企業を復活させたのです。この行いは後に起こる高度経済成長で多くの実りを美貴家に齎したのです」


 「香純に言われてしまったな。美貴家は時代の節目に代償を支払うことを厭わない鋭い一手を打ってきた。これによって、捧げてきた物よりも多くの物を手に入れたのだ」


 屋敷を歩きながら二人は多くのことを俺に教えてくれた。学校では知り得ない、隠された歴史を知れたことに歓喜した。なにより、二人が自信を持って誇らしげに話す姿がとても眩しく見えた。


 「旦那様、憂人様。目的地に到着致しました。存分にお過ごし下さい」


 「うむ。香純、案内ご苦労」


 「では、失礼致します」


 香純さんはお辞儀をすると速やかにその場を立ち去って行った。叔父さんは香純さんが立ち去るのを見届けると俺の肩にポンと手を置いた。


 「では、憂人。参ろうか」


 「はい、叔父さん」

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