第十三話 最後の抱擁


 

 

 一階へ降りた俺たちは笹原さんに誘導されて下へ向かった。進路を塞ぐふさように置かれた、立ち入り禁止の規制線を通り抜けて階段を降りて行く。

 地下階に着くと笹原さんの言った通り、内装は仕上がっていて一階と変わらない広さがある。フロア全体に照明が取り付けてあるが節電対策なのか、その殆どに明かりは点いていない。エレベーター近くの機材を除けば、工事自体は終わりかけの状態なんだろう。


 「ここには、誰もいないみたいだ」


 「好き好んで、立ち入り禁止の場所に入る人はいないよ。それにしても本当に殆ど完成しているのか。エレベーターまで完成していれば地上と地下、両方で人が溢れることになっていたのかもね」


 「不幸中の幸いでした。お陰で我々は建物から脱出することが可能になったのです」


 「全くだ。笹原、この先までの道順は分かるか?」


 「はい、構造は一階と変わりません。そのまま通路を真っ直ぐ進むと出入り口が見えます」


 「よし、このまま一気に出口へ向かう。足元に気を付けて前へ進むんだ」


 父さんの言葉に頷いて再び、地下階を進んでいく。通路の幅は大人二〜三人が通れる程で、開店予定の店が向かい合うように建っている。各店舗の間隔は狭く、飲み屋街を思わせる密集度だった。どうやら地下階は地上階とは違うコンセプトらしい。

 開店前だから当然、各店の防火シャッターは下りている状態だ。しかし、店内に搬入しきれなかった商品が幾つも店前に置かれている。立ち入り禁止の規制線を過信してなのか、商品の扱いが杜撰になっているようだ。


 「道幅が狭いうえに一直線の通路。笹原、緊急事態時に退路を確保できそうか?」


 「難しいかもしれません。広さは同じでも一階と違い、通行に大きく制限をかけているようです。裏道すらないのが、その証左でしょう」


 「そうか。なら、もしものときは──っ前方へ全力で走れ!!!」


 父さんが勢いよく後ろを振り返ると、血相を変えて大声で叫んだ。その言葉を理解すると無意識に近くにいた母さんを抱き上げて、そのまま全速力で走り出す。後ろを振り返ることすらしなかった。恐らく現れたんだ。ヤツらがここに!


 「父さんっ、ここにヤツらが!」


 「そうだ! 絶対に後ろを振り返るな!!! 笹原、頼んだぞ!!」


 「はっ、お任せを!!!」


 先頭を走る父さんに追い付こうと出口目掛けて必死に駆け抜けた。走っている道中、嫌な予想が何度も浮かび上がった。ヤツらが現れたということは一階の人たちは皆殺しにされた? それとも最初から、この場所で人が来るのをずっと待っていた? 嫌な考えは尽きない。だが、抱えている母さんを守るという強い意思を持って、不安を掻き消した。

 走り続け、ようやく出口手前まで辿り着いた。体からは大量に汗が流れて、息は切れている。母さんを下ろして周囲を警戒する。ずっと抱えていた反動からか両手に上手く力が入らず、手先が震えている。しかし、先行している父さんに続こうと体に鞭打ち、母さんを連れて出口を抜ける。




◇◇◇


 出口を抜けた先に光はなく、地下階と同じ暗い空間だけがあった。先程とは違い、微かな光源すら無く目の前には真っ暗な空間が広がっている。息が上がったままの俺の呼吸音だけが周囲に響いていく。


 「はぁはぁ、父さん。この場所は一体…」


 「地下駐車場だよ、恐らくね。あると予想していたけど、この広さは予想外だ」


 「出口は分かる?」


 「多分ね。憂人、今からまた走るよ。付いて来るんだ!」


 父さんを見て頷くと、また母さんを抱え上げて走り出す。息が整う前に走り出したことで疲労が蓄積されていく。化け物共に追われているという焦燥感が、体を緊張させて心拍数を大きく上げている。

 精神的にも肉体的にも消耗し、先が見通せない暗がりの中、先導してくれる父さんの存在は心強い。わざと音を立てて、道に迷わないように誘導してくれている。俺は絡れそうな足を動かして音の聞こえるほうに向かって走り続けた。


 走り続けていた父さんが突然、立ち止まった。俺は隣に駆け寄り、様子を確認しようとした。だが、急に目が霞み体が鉛のように重くなった。呼吸が早く浅くなって息が苦しい。堪らず、母さんを下ろして膝に手を付き、呼吸を整えようと何度も息を吐く

 ここまでロクに休みも取らず、走り続けた影響で疲労は限界に達したようだ。無理した体は休息を欲して強制的に動きを止めたんだろう。息も絶え絶えの状態で脳に酸素が上手く行き渡らず、思考がボヤける。


 「憂人。…ここが出口だ」


 最初、父さんの言葉を理解出来なかった。しかし、呼吸が安定して息が整い始めるとようやく意味を理解した。暗い空間を走り続けた影響で、目は暗闇に慣れたようで朧げおぼろながら目の前の輪郭を捉えた。

 大型トラックが入れる程の高さがある出入り口。付近には事故防止用の回転灯が幾つも設置されている。侵入を防ぐ為の分厚いシャッターを下ろし、内側にはポールを立てて通行禁止を徹底していた。


 「ぜぇーぜぇー、父さん。シャッターをこじ開ける為の道具を探さないとヤツらが」


 「大丈夫だよ。ほら、シャッターを開ける為のコントロール室がそこにある」


 父さんは素早く駆け出すと、出入り口付近の小部屋に向かった。まだ疲労が残る体を少しでも休めるべく、シャッターの開閉を父さんに任せた。脱出の目処が立ち安心したのか、先程までじっとしていた母さんはハンカチを取り出して汗を拭ってくれた。

 少し待つとシャッターがゆっくりと上がっていく。暗い空間に外からの光が差し込み始める。眩しく感じる程の光量が空間全体を照らしていく。


 「ふぅー、扉が閉まっていて焦ったけど、ピッキング道具を懐に忍ばせていてよかったよ」


 「父さん、やっと外に出られるよ!」


 「そうだね。憂人、外に出てもヤツらとは違う集団に出会す可能性は高い。僕が案内する場所に着くまで決して気を抜かないようにね」


 「分かった!」


 「さっさと出よう。少しでもヤツらを引き離すよ!」


 素早く歩き出した父さんに続こうと動き始めた瞬間、ゴトッという音と共に外からがこちらに向かって転がってきた。

 それは狙ったように俺たちの足元まで転がってきて、止まった。しゃがんで足元の“物体”を確認する。目から光を失い、恐怖で引き攣った人の顔。しかも、つい先程まで顔を合わせていた人物の…。これは笹原さんの生首だっ!?

 

 「笹原、なのか?」

 

 「──そんな、嘘だろ。もう、やってきたって言うのかよ! …外に出て確かないとっ!!」

 

 「「憂人、待つんだ!(待ちなさい!)」」


 俺は状況を確認する為、勢いよく外に向かって駆け出した。もし、ヤツらのうち一体だけなら逃げられるかもしれない。そんな都合の良いことを考えていた。でも現実は残酷だった。


 晴天の青空の下、外には無数の鬼たちが待っていた。前方、左右と出入り口を取り囲んでいるヤツら。出てきた俺を見てケラケラと笑い始めた。まるで、必死に逃げてきた俺たちを馬鹿にするように嘲笑している。ヤツらが手に持つ武器は血でドス黒く染まっていて、笑う度に武器にこびり付いた血が地面に滴っていく。

 俺は身の毛もよだつ恐怖から少しづつ後退あとずさる。体は緊張で強張り、震えが全身に伝播していく。ヤツらはそんな俺の様子を見て大きく喜んでいる。湧き上がる恐怖を押し殺しながら、ヤツらに向ける目線だけは外さなかった。ジリジリと後ろに下がり続けて、とうとう屋内へ戻されてしまった。


 「憂人!! なんで勝手に外へ出たんだ!?」

 

 「勝手に出て行っては駄目よっ!」


 屋内に戻ると俺の傍に父さんたちは駆け寄った。心配する二人をよそに、脳内には疑問が浮かんでいた。ヤツらは誰であっても容赦なく殺してきた筈だ。なぜ、俺を攻撃しなかった? 外に出たんだ、普通ならそうするべきだ。それに、あの嘲笑。最初に出てきた鬼もそうだったが、ヤツらは人が恐怖する姿を見て喜んでいた。やっぱり、ただ殺すだけが目的じゃない。なにか別の目的があるんだ。


 「…父さん、ヤツらが外で待ち伏せていたんだ。まるで俺たちが来るのをずっと待っていたように」


 「な、なんだって」


 「外に出た俺をいつでも殺せた筈なのに、攻撃を一切してこなかった。それどころか馬鹿にするように笑っていたんだ。」


 「攻撃せずに笑っていた?」


 「父さん、俺は思うんだ。ヤツら、恐怖に引き攣る人々の様子を見て楽しんでいるんじゃないかって。直ぐに人々を殺そうとしないのは、恐怖が熟成するのを待って命を刈り取ろうとしているんだ。じゃないと俺たちを殺さず、笹原さんの頭部を投げてきた説明がつかない」


 「…憂人。僕が海外へ行っていたとき、幾度も紛争に巻き込まれた。けれど何度も生き残った、そのコツを教えようか。敵の心情を学ぶことだよ。敵がなにを考えているのか、なにが目的なのか、それを深く知ること。僕はそれが出来たから、戦火から生き延びてこれた」


 「父さん?」


 「憂人。最初に現れた、あの鬼を覚えているだろう? アイツが鬼たちになんらかの指示を出した後、その姿を見たことはあるかい?」


 「──っない! 最初の鬼はいつの間にか、消えていた」


 「笹原から報告を聞いたとき、僕は考えた。ヤツらは手当たり次第に人々を殺戮した。しかし、なぜかショッピングモール内の人々には手を出さなかった。そこにヒントがあるとね。人の恐怖心に歓喜する残虐性、鬼たちの行動目的。そしてヤツらのまとめ役と思われる“あの鬼”の存在だ。アイツには快楽殺人鬼としての側面と現場指揮官という立場がある。そうなると効率的に人を殺していきたいだろう、自らを愉悦する人々の恐怖心も伴って。なら、次に仕掛けるのはアレしかない」


 父さんは顔を青褪めながらも、いつものような冷静さで滔々とうとうと話した。曰く、化け物共は今すぐ俺たちを殺せる状況なのになぜ、そうしないのかと。父さんは美貴家の裏方として培った確かな経験と感覚を持って、ヤツの思考を分析していた。人々に恐怖を植え付けたいが、効率よく殺さねばならない。答えとなる言葉を続けた。


 「恐らく、あの鬼が仕掛けようとするのはこのショッピングモールの近くにある、高層ビルを倒壊させて僕たちを瓦礫の下敷きにすることだ」


 「は、な、なにを言って」


 「辻褄つじつまが合うんだ。もし身動きが取れない中、命を危険に曝すようなモノが迫ってきたら? しかも自分一人じゃない。周囲の人間にも一斉に“それ”が迫ってくるんだ。…恐怖は伝染し易い。命尽きる、そのときまで絶え間ない怒号と悲鳴が響き渡るんだ。ヤツらにとって、それは至高の美酒となる筈だ」


 俺は父さんの考察を聞いて、膝から崩れ落ちた。脱出する為に必死になっていたが結局、最初から化け物共の思惑通りだった。地下階に人が逃げ込んだことも初動から気付いていて、わざとここまで俺たちを追い込んだのか。ははは、確かに嘲笑するわけだ。目の前に垂らされた糸はお釈迦様ではなく、化け物共が垂らしていたのだから。




 ドーーーン!! ドーーーン!!





 「──まさかっ!?」


 「…始まった。ここまでよく聞こえてくるよ、ビルの支柱をへし折る音が。僕たちにもうすぐ死神の鎌が振り下ろされる」


 「父さん、母さん!! 今すぐにでも出口へ向かおう! 俺が囮になるから、二人は逃げてくれよ! お願いだ、父さんたちの傷付く姿なんて見たくないんだっ」


 諦めたように静かになる父さん。そんな父さんに寄り添う母さんの姿を見て、覆しようもない現実を思い知った。俺の心中にあったのは死の恐怖より、目の前にいる大切な二人が死ぬかもしれない焦燥感だった。口に出した言葉も身勝手なものだ。それでも俺は父さんたちに死んでほしくなかった。


 「今から言うことをよく聞いてくれ。建物が倒壊し、僕たちは瓦礫の下敷きになるだろう。助かる確率はごく僅かだ。でも生き残ることが出来れば鬼たちの追跡をきっと躱せるかわ筈だ。侵略者側鬼共の目線に立てば、ここ一ヶ所だけにリソースを割けないだろう。単なる時間の無駄だからね」


 「…父さん」


 「憂人、僕たちに残された時間は少ない。だから、一つだけ言っておく。…今回の家族旅行はとても楽しかった。次もまた、家族三人で行けるのを楽しみにしてるよ」


 「……ああっ」


 「憂人、この四日間はとても楽しかったわ。美貴家にあなたを連れてこれたのもその一つよ。次に行くときは、屋敷で三泊四日を過ごしましょう。…光さんを除いてね」


 「ぐすっ、う、ううっ」


 長い逃避行は失敗に終わり、俺たちに死が訪れる。その事実がどうしようもなくて、涙が溢れて嗚咽が漏れる。


 「ちょっと、僕だけハブにするのかい!?」


 「……」


 「なんで黙ってるのさ!? 愛奈、許してくれよー」


 「ふふっ、ごめんなさい。あなたの反応が面白くて、つい悪戯してしまったわ」


 「なんだ、冗談か。びっくりしたよ、本当に」


 話し終えた二人は俺に近付くと力強く目一杯、抱き締めてきた。そこに不安や恐怖は微塵みじんも感じなかった。ただ、二人からの惜しみない愛情が伝わってきた。その愛情に応えようと俺も抱き返す。いつの間にか涙は止まり、恐怖すら忘れて穏やかな気持ちになっていた。

 

 「憂人、目を閉じてわたしたちに身を委ねて」

 

 「憂人、怖くはないかい?」

 

 「怖くないよ、二人がいるから」

 

 「うん、ならいいんだ。憂人から僕たちに言いたいことはあるかい?」

 

 「勿論、あるよ。父さん、母さん、ありがとう。俺、二人の子どもとして産まれてこれてよかった。いつまでも愛してるよ」

 

 「「……僕(わたし)も愛している。愛しい憂人」」


 ドゴオォォォーンという粉砕音が聞こえてくると共に俺の意識はプツリと途切れた。









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