第二話 叔父さん
空港で小休止を挟んだ俺たちは外へ出て、そのままタクシー乗り場に足を運んでいた。外に出ても人の多さは変わらない。観光目的の旅行客が多いようだ。
再発しそうな人酔いを我慢し、気になったことを父さんに問い掛けた。
「父さん、どうしてタクシー乗り場まで移動したのさ? タクシーは使わないって言ってたよね」
「そうなんだけど。向こうは久しぶりに会えるって張り切っちゃったみたいで。サプライズしたいから、“ここで待っておれ”って言われたのさ」
「タクシー乗り場で待っておれ、か」
通りに出た人たちは不思議そうに或いは困惑しながら、ある一点を見つめている。
それはタクシー乗り場だというのに、一台もタクシーが見当たらないからだ。周囲の人たちと同様に俺も戸惑っている。でも隣にいる父さんと母さんは気にする素振りすら見せない。
二人が平然としているなら慌てるべきじゃないよな、うん。
「ところで父さん。なんでタクシーが一台も見当たらないの? 最近のサービス業は季節休暇を導入するくらい余裕があるのかな」
「…義兄さんが。憂人の叔父さんがね、年甲斐もなく
戸惑っていたのは俺だけではなかったらしい。隣で溜め息を吐く父さんを横目で見つつ、顔を上げて嘆息した。
母方の祖父母は既に亡くなっている。ただ、母さんには歳の離れた兄がいるらしい。らしいというのは俺が生まれてから、一度も親戚と会ったことがないからだ。
「お兄様は愛情深い方です。わたしたちに会う為なら多少、強引な手法を取ってもおかしくありません」
「母さん、それは大丈夫なの? こんなことしたら警察に通報されても仕方ないよ」
「大丈夫よ。お兄様のことですから、各方面への根回しは事前に済ませていると思うわ。顔合わせをする前に水を差されたくない筈でしょうから」
「それは大丈夫なのかなぁ」
「やっと、お迎えがきたみたいだ」
会ったことのない親戚に大きな不安感を覚えていると、父さんが道路の先を見つめて声を出した。その声に釣られて同じ方向を見る。
ブルブルと唸るようなエンジンの駆動音を立てながら、真っ黒なリムジンがこちらへゆっくり近付いてくる。ハイブリッドでもない純粋なガソリン車なんて
「もしかして、あの車が…」
「うん、愛奈の実家。
「あれが、母さんの実家の」
「そういえば憂人は親戚と会ったことがなかったね。大丈夫、義兄さんたちは真面目だから気に病むことはないよ。ただ、初対面の相手には…。いや、やめておこうか」
「なんで絶妙なタイミングで話を切ったのさ!」
「憂人、光さん。車が着きましたわ」
父さんと話していると正面にリムジンが静かに停まった。ドアが開き、黒いスーツ姿の運転手が外に出てきた。彼はこちらに向かって一礼すると、一番奥の後部座席のドアを開けた。すると父さんは少し焦った様子で俺の背中へと隠れた。
「? …どうしたの父さん」
「ガッハッハ、久し振りだな義弟よっっ! おー愛奈も久し振りではないかー!」
開いたドアから、ゆっくりとその人物は現れた。背丈は父さんを軽く越すほどに高く、着ている和服を押し上げる程、筋骨隆々としている。黒髪を後ろへと軽く流し、溌剌とした声音の美丈夫だった。
「うーん? おー! そうかお前が憂人か! ガッハッハ。大きくなったな。男子、三日会わざれば刮目して見よ、と言うしな」
車から降りた親戚は真っ先に父さんたちに反応したかと思えば、目にも止まらぬスピードで俺の方へ顔を近付けた。
初っ端、大声を出してきたのでバリバリの
そうか、この人は俺の人となりを見たいのか。だったら一人の人間として毅然とした態度で答えないといけないな。
「初めまして、相田憂人と言います。あなたの名前を伺ってもいいですか?」
「くっくっ、ガッハッハ。私の振る舞いに動じず、自己紹介してくるとは。流石、愛奈と光の子だな。よかろう、私の名前は
自己紹介を終えると叔父は先程の大仰な態度とは一転し、落ち着きのある雰囲気を纏っていた。やっぱり、ただの脳筋じゃない。母さんと同じで気品のある人なんだ。
「……義兄さん、会う度に人を試すような振る舞いをしてはいけないよ。憂人は義兄さんとは初対面みたいな間柄なんだよ」
「息子の背に隠れてよくも抜け抜けと。私は憂人が立派に成長しているか、確かめたかっただけだ。それにお前が教育を間違えて可愛い甥の性格が捻じ曲がっていたら、三日は寝込んでしまうわ!」
「心配しなくても憂人は他人を思いやる優しい子に育ったさ。現に義兄さんの奇行を見ても落ち着いていただろう? ちゃんと人を見る目は持っているよ」
「そこまで言われずとも重々、承知だ。お前から憂人の近況を逐一、聞いておるのだからな。しかし、百聞は一見に如かず。実際に会ってみるまで分からんではないか」
「義兄さん、それよりも美貴家当主が公共の道路を占有しちゃダメでしょ。普段から節度ある態度を心掛けても一つの行いで台無しになってしまうよ?」
「心配せずとも各公共機関に通達済みだ。特に観光バスやタクシーなどの交通、運輸業には手間賃として少なくない額を支払っている。
「…義兄さん、支払う対価が多すぎなんじゃない? 羽目を外しすぎだよ。ちゃんと姉さんに話しをしたの? この件を耳に入れれば、こんなムチャクチャな行いを咎める筈だよ」
「さ、咲良は関係ないだろうがっ。それに今回の件は私の
「はぁぁー。女性の強さを甘く見てはいけない。この歳になってもお叱りを受けるんだよ? 義兄さんは一度、説教して貰ったほうがいい。そうすれば突飛な行いも出来ない筈さ」
「ええと、二人共そこま…」
俺を見つめていた御仁は助け船を出した父さんに絡み出して、お互いに舌戦を繰り広げ始めた。
ヒートアップする二人の様子に周囲の人々も気になるのか、徐々に人集りが出来ている。通行の場でこれ以上注目を浴びたくない為、会話を切り上げさせようと声を掛けようとした瞬間。
「あなた、お兄様。いつまで往来の中、時間を潰されるのかしら?」
「「ギクっ」」
「屋敷で皆さんが、わたしたちの帰りをいつまでも待ち続けているのですよ。積もる話は屋敷に着いた後、されては
「「…はい、仰る通りです」」
「さあ、皆様。美貴家に参りますよ」
車の前でアクションが起こせず、あたふたしていた運転手が母さんの言葉で我に返り、『う、承りましたっ』いう言葉と共に俺たちをリムジンの中へと案内し始めた。やはり、母は偉大なり。
◇◇◇
車内へ案内されると俺と母さんは一番後ろの後部座席に。父さんはなぜか中間の席へと案内されていた。
リムジンは縦長の車体とは思えない程、中は広々としている。叔父さんが右奥に座り、俺を挟み込むように母さんが左奥の座席に着いた。流されるように中央の座席へ着き、ほっと一息付いた。
座席の適度に反発しつつもどこまでも沈んでいきそうな素晴らしい感触を密かに楽しむ。貴重な体験が出来て顔が綻んでいると叔父さんが俺に向かって話しかけてきた。
「しかし、本当に大きくなったな憂人よ。背丈もよく伸びているし、体に一切の弛みがない。日頃から運動を欠かさないのがよく分かる。叔父として鼻が高いぞ」
「ありがとうございます。ええと美貴の叔父さんと呼べばいいですか?」
「ガッハッハ、そう畏まらずともよい。私のことは気軽に叔父さんと呼んでくれ。可愛い甥なのだから遠慮する必要はない」
「分かりました。叔父さん」
「こうも素直に返事をしてくれるとは。実に心地よい気分だ」
「お兄様の嬉しそうなお顔を見るのは久しぶりですね。いつもは美貴家当主として険しい顔付きをしてますのに」
「うむぅ。父上や母上が早くに
「……後ろで皆、仲良く話していて僕は羨ましいよ。全く」
叔父さんは俺や母さんと喋るのが楽しいのか、相好を崩している。ただ、中央席から一人、輪の中から外された父さんの拗ねた声が聞こえてくる。
「光、お前はいつも家族と居られるではないか。私は物理的に距離が遠く、このときしか愛奈や憂人との時間が取れないのだぞ」
「義兄さん。こっちだって仕事の都合でつい先日、家に帰ってこれたばかりなんだ。もう少し僕も労わってくれよ」
「全く、部下をもっと効率的に使ってやらぬか。お前はもう他人に使われる立場ではなく、使う立場なのだぞ? 折角だ、この機会にお前の抱える仕事を多少、部下たちに割り振ってみるといい。困難は人を成長させる、お前がそうであったようにな」
「コンプライアンス全盛の時代で部下に仕事ばかりを押し付けることなんて出来ないよ。それに皆が仕事を
「情けない。出来る、出来ないの
再び、言い合いを始めた二人を見て案の定、不穏なオーラを纏い始めた母さん。大人二名は口喧嘩に夢中で母さんの様子にまるで気付いていない。
はぁぁー。また、ややこしくなる前に場の雰囲気を変えないとな。
「叔父さん! 向こうでは誰が待っているんですか?」
「……ごほん。ああ、私の妻が待っている。勿論、屋敷で働く使用人もな。本当は咲良も連れてきたかったのだが、最近の情勢を鑑みて留守番させることにしたのだ。」
「そう。それでお義姉様の姿が見えなかったのですね。良かったわね、光さん、お兄様。ここにお義姉様がいれば、さぞ大変だったことでしょう」
「はっ、ははは…。義兄さん、僕もいい歳なのに大人気ない発言をしてしまった。折角の機会に水を差すような真似をしてしまって申し訳ない」
「……私も妹や甥と久し振りに会えたことに舞い上がり、お前のことを粗末に扱ってしまった。美貴家当主として不甲斐ない態度であった。許せ、光」
傍から見れば互いの過ちを認めて謝罪しているように見える。しかし実際は母さんの怒気に当てられた二人が怒りを静めようと必死に取り繕おうとしているだけだろう。俺はそんな二人の様子を見て、母さんを絶対に怒らせないことを固く心に誓った。
◇◇◇
あれから特に何事もなく、車は目的地に向けて走り続けた。二人は母さんの機嫌を損ねない為か互いに一切、絡まなくなった。
場の空気を変えようとしたのか隣に座る叔父さんは度々、俺に話しかけてきた。なんでも父さんから話を聞いたうえで直接、俺の口から話を聞いてみたかったらしい。
「憂人は親しい友がおるのか?」
「はい。竹林透っていう小さな頃から付き合いがある幼馴染がいます」
「そうか、その言葉を聞いて安心した。友というのは意外と出会うのに時間が掛かる。腹を割って話せる相手であれば尚の事だ。憂人、その友を大切にするのだぞ」
「勿論です」
「うむ、堂々たる態度だ。打てば響くように清々しい。やはり憂人は美貴家の血をしっかりと受け継いでいる。我がことのように誇らしい」
「わたしと光さんの子供なのですから、当然です」
「確かにそうだったな!」
ガッハッハと笑う叔父さん。俺には分からない。母さんの実兄だからといって、いきなり現れた甥にここまで親身に接してくれるだろうかと。
戸惑いを隠せず、困惑していると肩を軽く揺すられる。隣を見ると母さんが黒いスモークガラスを指差して『屋敷に着いたわ』と一言、発したのだった。
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