第十話 戦いの果て
眼前に映る森が轟々と燃え広がり、空を染めるように黒煙が漂う。それを引き起こした化け物は殺した人間の肉を貪り喰っていた。いずれ、お前もこうなるのだと俺に見せ付けるように。
ヤツの内包する魔力、圧倒的なまでの強者の威圧感に俺は気圧されていた。目の前であんなに大きな隙を晒しているのに、蛇に睨まれた蛙のように体は動かなかった。
「クケケケケ」
化け物は血で赤黒く汚れた口元を見せて、馬鹿にするように嘲笑している。十年前と同じだ、全く変わらない。ヤツの見た目を鬼と入れ替えるだけで、あのときの絶望を簡単に再現できる。
満足したのだろう。化け物は喰い漁った人間の体を用済みとでも言うように前肢で吹き飛ばした。血だらけになった口や前肢を丁寧に長い舌で拭っている。そして、ヤツの視線は常に俺を捉え、見逃すつもりは欠片もないようだ。
自分に問い掛ける。なぁ、
「……違う。違う!!! 逃げるな、相田憂人。現実から目を背けるな、お前は既に持っている。他者を守り、自分を守る力と意思の強さを。だから、相対せ。はっきりと輪郭を捉え、前を見て。そして降りかかる災禍を跳ね除けろ!!」
湧き上がる気持ちを言葉にして吐き出す。すると、縮み上がっていた気持ちは消え去った。代わりに炎のように燃え上がる強い意思が胸に宿る。そうだ、最初から諦めるな。俺にはまだ手段が残っている。
背嚢を地面に下ろして、急いで中を探る。中身を辺りにぶち撒けながら、探っていると手に硬くサラサラとした触感が伝わる。これだ! 素早く背嚢から、それを取り出す。
赤い液体が詰まったガラス製の小瓶。幹屋さんが渡してくれた回復薬だ。俺は小瓶の蓋となっているコルク栓を口で抜き取ると、中身を一気に飲み干した。
「体が軽い?」
変化はすぐに現れた。戦いの中で受けた、打撲やすり傷に痣、呼吸器の損傷などの傷が一気になくなった。呼吸は安定し、息苦しかった先程とは全く違う。まるで生まれ変わったような感覚だ。
俺は魔力を武器に込めて、こびり付いた血を弾き飛ばした。これから戦う相手は圧倒的な格上。隙を晒したくないからな。不安要素を少しでも解消しないと。
化け物は俺の様子が変わったのを見て取ったのだろう。嬉々とした表情を浮かべていた先程とは違い、苛立ちを隠さない不満気な顔付きになっていた。
「分かりやすいな、お前。好きなんだろう? 人間の恐怖や絶望が。残念だったな、恐怖に引き攣る人々にはもう出会えない。なぜなら、ここで俺がお前を殺すからだ!」
「グガァァァァァーーーーーッ!!!」
俺の挑発を真に受けて、ヤツは激高した。大きく声を張り上げて、殺意を振り撒いている。
人の言葉を理解できる知能があるくせに、こんなに分かりやすい挑発に乗るとは。
「グガァ!!!」
ヤツは口元に魔力を溜め始めた。
その能力は遠くの敵に向かって撃つ技だろう? それを近距離の人間に撃ったら、どうなるか見せてやる!!
俺は体に魔力を注ぎ込み、全力で前へ駆け出した。盾に魔力を集中させて、攻撃の用意を整える。
ようやく魔力が溜まったのか、ヤツは俺に顔を向けて熱線を吐き出そうとしている。だが、遅い。素早くヤツの懐に潜り込んだ俺は顔目掛けて、盾を思い切り殴りつけた。
「ゴガァァァッッッ!?」
熱線を放とうとした化け物は、俺が横から殴りつけた衝撃で姿勢を維持できず、見当違いな方向に熱線を放っていた。それも魔力の流れを乱したお陰で口内を傷付けながら。
痛みで暴れ回る隙をつき、ヤツの前肢に向かって勢いよく剣を振り下ろす。
「──っ」
硬い! まるで鉱物でも叩いているようだ。魔力を更に込めて剣を振ったが、手応えは変わらない。硬い鉱物そのものだ。
折角のチャンスも束の間、ヤツは素早く起き上がると、警戒するように俺から大きく距離をとった。
「グゥゥゥゥッッッ」
唸り声を出しながら、恨みがましい様子で俺を見ている。頭に血が昇っているとはいえ、ここまで距離を取られると次の熱線は躱わせない。
あの硬い皮膚、多量の魔力から構成された鉄壁の守り。このままでは傷一つ付けることすらできない。だが、ヤツには一つ弱点がある。熱線を放とうと口に魔力を集中させたとき、体全体に流れる魔力が少なくなっていた。その瞬間が絶好の好機になる。
「グゥガァァァァッッッ」
馬鹿の一つ覚えのように、また熱線を放とうとしている。次は当たるだろう、このままなにもしなければな。
俺はその場で立ち止まり、剣を逆手に持った。剣を持つ腕を肩に高さを合わせ、上に持ち上げる。そしてヤツの魔力に合わせるように、こちらの魔力も剣と腕に集中させていく。
想像しろ。大地に染み渡る雨水が木々を伝い、大きな流れとなっていく様を。そして複数の大きな流れが連なり、巨大な大河となる風景を。この剣と腕は大河そのもの。その巨大な流れをただ、目の前の敵にぶつけろっ!!
「これでも、食らえっ!!!」
俺は持っていた剣をヤツに向かって力強く投擲した。沢山の魔力を込めた剣は風を切って、左前肢を貫通した。そして、止まらぬ勢いのまま左後肢に深々と突き刺さった。
「ゴガァァァッッッーーー!!???」
ヤツは突然の痛みに悲鳴をあげた。痛みのあまり、何度ものたうち回っている。口に集中していた魔力は霧散し、熱線を放てる状態ではなくなった。
「今だ!!」
俺は痛みに囚われて、隙を晒したヤツに向かって駆け込んだ。剣が突き刺さった左後肢に近付き、片手で柄を握ると魔力を込めながら、力尽くで引き抜いた。そのまま右前肢の後側に素早く回り込む。
足首に向かって、剣を横に薙いだ。肉を切り裂いた感触と共に鮮血が舞う。返り血を浴びながら、剣を何度も同じ部位に振り続ける。
ある程度、攻撃を与えた俺は前肢から離れて距離をとる。ヤツは肢から血を垂れ流しながら、のそりと立ち上がる。痛みに顔を歪ませ、睨みつけるように目が血走っている。
「グゥガアアァァァッッッーーー!!!」
ヤツは咆哮と同時に距離を詰めてきた。その巨躯に見合わぬスピードから、前肢を叩き付けてきた。俺は攻撃の瞬間、大きく横に飛んでその一撃を躱す。ヤツは苛立ちをぶち撒けるように、見境なく前肢を叩き続けている。
俺を殺そうと必死な様子だが、怒り狂ったヤツは気付いていない。自分自身の体の異変に…。攻撃を加え続けていた右前肢。その肢が攻撃の度にプラプラと揺れている。これで仕込みは終わりだ。
「おい、化け物! そんなヘボい攻撃じゃあ、いつまでも俺に当たらないぞ!!!」
「グガァァァッッッーーー!!!」
怒りに支配されたヤツは俺目掛けて、大振りな叩き付けを行った。
俺は叩き付けがくる前に、盾を構えたまま足元まで駆け込み、右前肢の足首に向かって体当たりを打つけた。
「グゴガァァァアアアアッッッーーー!!?」
ゴキッという音と共にヤツの足首が大きく折れ曲がる。支えをなくした体躯は、振り上げた前肢ごと勢いよく転倒した。
「お前の関節を外してやった。事前に切れ込みまで入れたんだ。くっ付くことはない」
剣を肩に担ぐように構える。魔力を一点に集中させて、動こうともがくヤツを捉える。
「これで終わりだぁぁぁっーーー!!!」
ヤツの首へと全力を込めて剣を振り下ろした。剣は抵抗すら感じさせず、血肉を切り裂いた。
「ゴガァァァッッッ」
勢いよく吹き出す大量の血。首を傷付けられたヤツは弱々しい鳴き声をあげると、力尽きるように横たわった。
「……はあぁぁーーー。疲れた、この九年間で一番。血と汗が染み付いて体が臭い、風呂に入りたい。早く家に帰ろう」
疲れ切った俺は化け物の亡骸に背を向けて歩き出した。
「その前に組合に戻って、幹屋さんに謝らないと。きっと川上さんも怒るだろうなっ!?」
突如、膨れ上がる魔力の気配。──この威圧感はまさか後ろからっ。
咄嗟に後ろを振り向くと、殺した筈の
「ば、馬鹿な。傷が再生しただと? それも殺し切った直後に…」
尽きることのない魔力量。一撃一撃の破壊力。そして、殺しても生き返る再生力。間違いない。……コイツは乙級だ、それも恐らく上位の!!
「──来るっ!!!」
ヤツは音もなく駆け出した。先程とは比べ物にならない速度で近付くと、目の前から姿が消える。
「どこだ、右、左か。いや、違う。上だっ!!」
真上で宙返りを始めたヤツは、勢いよく蠍の尾を振り下ろした。
反射的に盾を構えて一撃に備える。瞬間、腕に凄まじい衝撃が伝わり、大きく後ろに吹き飛ばされた。
「ごほっ、ごほっ。アイツ、さっきよりも強くなってるっ」
咳き込みながら、ゆっくりと立ち上がる。
俺はヤツの一撃が当たる直前、自分から後ろに飛んで衝撃を逃した。お陰で呼吸器を庇うことができた。このジンジンと疼く腕の痛みを無視すればだが。
「グゥゥゥッ」
唸り声を上げながら、ゆっくりとヤツは近付いてくる。激昂していた様子はなく、能面のように感情が抜け落ち、獲物を狩る純粋な捕食者となっていた。
一つ気になるのはヤツの体の中心。膨大な魔力を生み出し続けている、あの胸部。幾つもの粒子が光輝き、まるで攻撃してくださいと主張している。
「……アレが弱点と仮定して、俺の魔力でヤツに一撃が届くか、どうか」
いや、届きさえすればいいんだ。あの胸部に。
目の前まで近付いた化け物は回転して、尻尾を勢いよく振り回した。
俺はその一撃を前に飛び込んで避けると、崖目掛けて全力で駆け出した。
「はぁ、はぁ。殺戮兵器と化したお前に真っ向から勝つすべはない。だが、感情まで失ったというなら、俺がやろうとすることをお前は理解できない!」
首だけで軽く後ろを見る。ちゃんと後を付いてきている。
「よし、そのまま付いてこい!!」
崖を目指して走りながら、剣に魔力を込め続ける。そして、遠いようで短い鬼ごっこが終わりを告げた。
目の前にある崖上に着いた俺は体を翻して剣を前に突き出すように構えた。
化け物はその体躯から止まることができず、剣を構えた俺に勢いよく打つかり、崖から身を投げた。
ヤツと打つかった俺は衝撃をマトモに食らって、空中に放り出された。隣を見ると、弱点である胸部に剣が深々と刺さり、力尽きた化け物は下へと落ちて行った。
「ざまぁ、みろっ」
打つかった衝撃で体の至る所が痛み、痺れ出した。それにこの高さだ、もう俺が助かることはないだろう。
「幹屋さんと川上さんは叱るだろうな。自分の命を粗末にするなって。二人共、ごめん」
俺はさ、生きていることが辛かったんだ。
どれだけ周囲の人たちがよくしてくれても、常に満たされかった。生きる為と自分を奮い立たせても、どこか虚無感を抱えていた。父さんと母さんのいない人生に意味なんてないんだ。
なぁ、神様。一度だけ願いを叶えてくれるのなら、父さんと母さんに会わせてよ。あのときの優しい二人に。もう一人で生きていたくないんだ。
意識が徐々に薄れていく。視界がゆっくりと暗くなり、ヒューヒューと風切り音だけが聞こえる。ああ、やっと二人の所へ行け、る。
…………
………
……
…
『強烈ナ
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