第十一話 光の方へ
漂っていた。なにも見えず、体を動かすこともできない。ただ、海面の上で波に揺られるように、体は目的地を定めずに彷徨っている。
不思議と焦りや恐怖はなく、落ち着いた気持ちだった。この暗闇の中で、呼吸するときの微かな息遣いや心臓の鼓動が浮つきそうになる心を鎮めてくれた。
『“真っ黒なもの”どこまでも辛くて、悲しみを拭えなくて、憎しみを撒き散らす。人が見限ってしまった、かつての希望』
どこからか声が聞こえる。女性の声だ。水のように澄んで、相手を慈しむ。愛に溢れた優しい声音。
『“真っ白なもの”どこまでも傷付いて、大切な人を失って、嘆き悲しむ。それでも歩み続けることをやめない、新しき未来』
女性は抽象的な語り口でなにかを伝えようとしている。
『人の持つ可能性は煌めく星々のように限りないもの。けれど、人はきっかけ一つでどちらの方向にも振り切れてしまう』
突然、なにかに体が包み込まれる。湧き上がる警戒心はすぐに解け、簡単に身を委ねてしまう優しさや暖かさ。深い愛情を感じ取る。
誰かに受けた罵倒や戦いの過酷さ、生きることの辛さ。それらの気持ちが浄化されて、胸の内からすっと消え去っていく。
『故に道を示しましょう。迷わぬ程度のか細い光ではあるけれど』
『……と。…ゆ、と。憂人』
誰かに呼ばれた気がする。聞き取り辛く小さな声だが、確かに俺の名前を呼んでいる。
『さあ、いきなさい』
なにも見えなかった視界に少しづつ光が差し込み、暗かった空間に色が戻る。同時に動かなかった体も動き、自由を取り戻した。
顔を上げ、正面を向くと純白な扉が存在していた。扉には装飾がなく、ドアノブも付いていない。軽く周りを見渡したが、この扉しか物体はないようだ。
仕方なく扉に近付く。すると扉は独りでに開き始め、空いた隙間から光が漏れ出す。徐々に光は強まり、その輝きから目を守ろうと顔を覆う。光量は頂点に達し、空間全体を一気に染め上げた。
◇◇◇
眩しかった光はどうやら消えたらしい。顔を覆っていた腕を下げて、周囲を見渡した。
区画整理された広い耕作農地。経年劣化した狭い道路に、断続的に置かれた電信柱。小さな頃、よく目にしていた懐かしい風景がそこにあった。
ゆっくりと道を歩き始める。
懐かしい。透の住む家が町から離れた所にあって、自転車を漕いで遊びに行っていた。合流すると、そのまま二人でそこら中を駆け巡ったっけ。
昔の思い出に浸るように歩いていると、景色が徐に切り替わっていく。
次に見えたのは辺り一面に広がる花畑だった。聞き慣れた野鳥たちの囀り。風に揺られた草花の葉擦れ。咲き乱れる美しい花々。この穏やかな景色に俺は目を細めた。
すると一陣の風が吹き抜ける。花々を強く揺らし、道を指し示すように。立ち尽くした俺を急かすように、何度も吹き続ける風に従って前へ進む。
陽の光が差し込んだ、花畑のど真ん中。そこに着くと風の道案内は終わり、静寂が訪れる。周りには色取り取りに咲いた秋桜があった。
「秋桜…。父さんや母さんとよく見ていた。俺にとって思い出の花」
「懐かしいなぁ、僕も久し振りに見るよ。こんなに沢山、咲いた秋桜は」
「出掛けたときに三人でよく見に行きましたものね」
懐かしい声が耳に届く。これまで見てきたどの景色よりも大切で、ずっと求めて焦がれてきた優しい声音。
後ろをゆっくりと振り返る。そこには純白の服を着た両親の姿があった。
「……父さん、母さん。なんだよね? 嘘や幻じゃない、本物の」
「はっはっは。憂人、そんなことを言ったら愛奈が拗ねてしまうよ」
「光さん、十年越しにようやく憂人の反抗期が来たわ。いつか来ると思っていたけれど、体験してみれば嬉しさ半分、悲しさ半分の寂しい気持ち、ね」
「愛奈。子を持つ親なら、いずれ体験することになるんだ。僕たちは息子の成長を祝って、静かに受け入れよう」
「──父さんっ、母さんっ」
ただ、駆け出した。考えることすらせず、二人に向かって全力で。そして、笑い合う父さんと母さんに勢いよく抱き付いた。
「おおっと、危ない危ない。大きくなったね、憂人。しっかり力も付いて、背丈も僕と殆ど変わらない」
「ふふっ。反抗期だと思ったら、まだまだ甘えん坊ね」
二人に優しく抱き締められる。十年前と変わらない暖かさ、揶揄うような口調。乾いていた心が満たされて、抑え付けていた気持ちが溢れ出す。
「会いたかったっ! ずっと、ずっと二人に会いたくて。苦しくて辛かったんだよぉぅ…」
「うん、うん」
「何度も死のうと思った! で、でも、二人の分まで生きなきゃと思って。ずっと我慢して頑張ったんだっ」
「わたしも、光さんも。ちゃんと分かっているわ」
「ぐすっ、う、うわあぁぁぁーーーっっ!」
湧き上がった気持ちを吐き出した。会えなかった十年を取り戻そうと精一杯、二人に甘えた。
「ところで、憂人。僕たちに謝らないといけないことがあるんじゃない?」
「謝る?」
「うーん、自覚なしか。仕方ない、愛奈!」
「憂人。わたしたちに会いたいからって命を粗末にする戦い方をしちゃダメでしょ?」
「!? か、かあひゃんっ」
母さんは俺から離れると、ギュッと頬を引っ張ってきた。そのまま頬を縦に揺らしたり、横に伸ばされた。容赦なく頬を弄んで気が済んだのか、そっと手が離した。
「こんなものでよいでしょう。光さんも憂人を叱ってあげませんと」
「分かった」
父さんは俺に近付き、頭のつむじに手を置いた。そのまま拳を握ると指の関節を当てて、ぐりぐりと手を回し始めた。
「痛っ、痛い痛い痛いっ!!?」
「下◯ツボ、◯痢ツボ、下痢ツ◯!! どうだい? 中々、痛いだろう。僕、秘伝の折檻は」
「痛い、痛いっ!! ごめん、もうしません。命を粗末にしないから!?」
「ならば、よろしい」
そう言うと、父さんはグリグリ押し付けていた手を頭から離した。つむじと頬。二人から受けた説教はじんじんと軽い痛みだけを残して、終わったようだ。ああ、痛かった。
「痛っ。二人はなんで俺の行動を詳しく知っているの?」
「僕や愛奈はね、常に憂人の傍にいたんだよ。この十年間、憂人が必死に頑張っている姿を隣で見続けてきたんだ」
「ええ、光さんの言う通りよ。わたしたちはショッピングモールで息絶えた後、霊魂となって憂人の中に居続けたの」
「ま、待ってくれ。
「本来ならね。だけど、魂は純粋な魔素を不純物という
「──なんで、そんなことまで知って。…まさか俺が東京ではなく、地元にいた理由も知っているの?」
「勿論。あの日、渡した鍵があるだろう? アレは指定した座標に移動できる、
「……父さんは色々なことを知っているんでしょ。それを全部、教えてはくれないの?」
「憂人は僕に色々、聞きたいことがあると思う。でも、全てを教えることはできない。神様と約束を交わして、未来に影響を与える行動を禁じられているからね」
「…神様?」
「そうよ、異界の神様。彼女は魂となったわたしたちの願いを聞き入れて保護し、憂人の傍に居させてくれたの」
「そのときに約束したんだ。未来に影響を与える行動をしてはいけないとね」
「だったら、魂や鍵のことを話してはいけないんじゃ」
「それはいいんだ。魂や鍵の属性については世界を構成する要素の一部であって、隠すようなことではないんだ。と、もう時間が来てしまったか」
父さんが不自然に話を切ると、周囲の景色が一斉に光を放ち、徐々に小さな粒子へと変換されて空へと消えていく。
「これは一体…」
「空間を構成していた、僕たちの魔力が尽きたんだ。すぐにこの場所は消えてしまうだろう」
「父さんや母さんはどうなるの?」
「魂を維持していた魔力がなくなる。つまり、わたしたちは魔素に還元されることになる。つまり、あの世へ旅立つのよ」
「ダメだ! 折角、会えたのにもう別れるなんて嫌だっ!!!」
「憂人、駄々を捏ねてはいけないよ。僕たちは神様の許可を貰い、こうして会うことができたんだ。これ以上、なにかを求めてはいけないよ」
「だって!! 二人にようやく会えたのに。こんなのあんまりじゃないか……」
「ふふっ、しょうがない子ね。憂人、光を辿りなさい。その先にあなたの運命が待っているわ」
「光を辿る? それに運命?」
「あちゃー。愛奈、これは言ってはいけない内容だったんじゃない?」
「大丈夫。ちゃんとお伺いを立てていたの。神様はこれくらいなら良いと仰っていたわ」
「なら、気にしなくていいのか。最後の最後で約束を破るわけにはいかないからね」
父さんと母さんは俺に近付き、力強く抱き締めてきた。
「ずっと憂人のことを見守ってきた。寂しさを隠して必死に生きる息子の姿を。でも、また僕たちは憂人を一人ぼっちにしてしまう。すまない、情けない親で。子を傷付けてしまう罰当たりな父でっ」
「わたしたちは憂人が辛いときや悲しいときに寄り添えなかった。手を伸ばして慰めてあげることもできなかった。薄情な親でごめんなさい。突き放すことしかできない母でごめんなさいっ」
俺を抱き締める父さんと母さんはさめざめと泣いていた。肩を震わせて、懺悔するように言葉を吐き出していた。
そうか。別れる辛さや悲しみを胸に抱えていたのは俺だけじゃなかったのか。父さんや母さんも、別離の痛苦をずっと受け続けていたんだ。
「父さん、母さん。俺にとって二人はかけがえのない家族だよ。気持ちを知って一層、強く思うよ。世界を責めることも投げやりにもならない。俺はちゃんと前を向くから、もう自分を責めないで」
「うん、うんっ。そうだね。憂人の言う通りだ」
「ぐすっ、そうね。最後くらい笑ってお別れしたいもの」
「「憂人、離れ離れになっても僕(私)たちが見守っていることを忘れないで」」
「うん。父さん、母さん。今まで傍にいてくれてありがとうっ」
父さんと母さんは笑顔を浮かべると、この空間と同じように光の粒子となって消えていく。俺は二人が消えてしまう最後の瞬間まで、その姿を見続けた。
◇◇◇
「ここはどこだ?」
気付くと、見知らぬ場所に俺は倒れていた。体を起こし、状況を把握しようと周囲を確認する。
どうやら辺り一帯は深い森林地帯のようだ。樹木は密集し、大きく育った枝葉が外からの光を遮っている。光が届かない為、森の中は暗く視認性が悪い。まるで自然の迷路だ。
「受けた傷がない。骨折もしていない。あの高さから落ちて無事だったのか?」
服に目を向けると血だらけのままだ。服を捲って確認したが外傷はなく、体の痛みや不調も感じない。ここはあの崖の底だった筈。あんな高さから落ちて無事だったのか。かすり傷一つ付かずに…。
「いや、深く考えるのはよそう。まずはこの森から出ることを考えないと」
都合よく足元にあった背嚢と盾を拾って、森を進む。道中、剥き出しになった固い根っこに途中で足を取られながら、慎重に歩き続けた。すると近くから鼻につく強烈な臭いが漂ってきた。
「この臭い、もしかしたら」
俺は臭いの出元が気になり、臭いを辿って足を進めた。
「ぐっ、やっぱりお前か」
臭いを辿った先にヤツはいた。周りに血を垂れ流し、息絶えた姿で。気を抜けば
ヤツの血に濡れた胸元、そこに突き刺さった一本の剣を見つける。それに手を伸ばして、勢いよく引き抜いた。柄にまでべっとりと付いた血を魔力で飛ばし、鞘に納める。
武器を取り戻し、その場から去ろうと背を向けると上から一筋の光が差し込んだ。その光は俺を通り過ぎて、森の奥を指すように伸び続けている。
“憂人、光を辿りなさい。その先にあなたの運命が待っているわ”
俺は母さんの言葉を思い出し、その光に追い付こうと走り出した。
真っ直ぐ伸びた光に従い、走り続けていると鬱蒼とした森を抜け、木々に囲まれた小さな広場に出た。
そこは日の光が当たり、周辺が明るく暖かい。見慣れぬ小さな草花が生い茂り、先程までとは別世界のようだ。半ば無意識に広場を歩いていると、中央に一本の巨大な木が
「デカい、異界で見てきたどの木々よりも」
巨木に惹かれ、ゆっくりと近付いた俺の足になにかが引っ掛かり、体勢を崩しそうになる。
「っとっと、と。これは、骸骨だよな? どうして、こんなところに?」
巨木の根元に
「異界で風化することなく残り続けていたのか。こんなに綺麗な状態で」
『女神◯◯◯◯◯◯よ。どうか私にもう一度、機会をお与え下さい。我が部下と領民たちの為に立ち上がる力を何卒、お与えください!!!』
「──っ!? お前なのか、あのとき語り掛けてきた声の主は」
“魂は強固な意思となって魔力と感応する。使命や義務、未練や後悔という強い気持ちが魔素に還元されることを拒み、存在を確立し続けるんだ”
父さんはそう言っていた。
目の前の骸骨はそれだけ強い感情を持ち続けていたのか。それだけ長い刻を経ても、途切れることなく未練を募らせ続けたのか。だが、職業を持たない俺が死んでしまった人に干渉なんて、できるわけが…。
“強イ
なんだ、この頭に響く声は。死霊術師? 能力? いつの間に取得したんだ。…いや、それよりも目の前の骸骨だ。能力名を呟けばいいんだよな?
「“再生”」
骸骨に手を向け、能力を呟いた。すると手から魔力が抜け、どんどん骸骨に吸われていく。吸われた魔力は骸骨の周りで小さな種火となり、徐々に火の勢いは増して大火の如く燃え上がった。
炎を纏った骸骨は緩慢な動作で立ち上がり、突き刺さった大剣を引き抜くと、剣に炎を宿して身を預けていた巨木を一太刀で切り裂いた。
音を立てて、地面に倒れ込んだ燃え盛る巨木。空を焦がさんとする大火を背景に骸骨は俺に視線を合わせると、炎を刀身から迸らせて静かに剣を向けてきた。
…この骸骨との出会いが俺を変える大きな転機、運命となった。
現代死霊術師と従徒たち -lost days and coming new dawn- しばふ晶彦 @Excelword6Soft
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