序章 其ノ二 十年後の世界
第一話 過去に取り残された者
「憂人、どうしたんだい? ボーッとして」
「まだ、道中の疲れが残っているのね」
「え? あ」
父さんと母さん、俺にとってかけがえのない大切な両親。でも、なんで二人が傍にいるんだ? 父さんたちは十年前に、ヤツらのせいで死んだ筈じゃないか。
「……」
「さて、僕たちは先に進むよ。ゆっくり後を付いておいで」
「気分が落ち着いたら、自分のペースで付いて来なさい」
そう言って二人は歩き始めた。父さんたちの様子にどこか違和感を覚え、周囲を確認しようと辺りを見回す。すると、大きなショッピングモールがあった。あのときと変わらないままの形を保った状態で。
怪訝に思いつつも二人の後を追おうと足を動かした瞬間、頭が割れるような痛みと共につんざくような耳鳴りがする。堪らず、地面に倒れ込み頭を抱える。しばらく経った後、頭痛は治まり、耳鳴りも消えた。すぐ起き上がって正面を見ると、異様な光景が広がっていた。
「な、なんだこれ?」
目の前のショッピングモールに続く道には、大量の死体が無造作に横たわっていた。切り刻まれて四肢がない者、体が真っ二つに両断されている者。全てが惨たらしく殺されていた。だが、どの死体も重たい物に潰されたように体の節々が
「……どういうことなんだっ」
この場所で惨劇が起きたのは知っている。あの凄惨な光景の一部始終を俺は見ていたから。欠損した死体も当時の状況そのままだ。
状況が飲み込めず、唖然としていると建物の奥に巨大な化け物の姿が現れた。鍛え抜かれた鋼のような巨躯に褐色の肌、極め付けは額から伸びた二本の角。間違いない、あのとき人々を惨殺した“鬼”だ。
「どうして、お前がまたここに!?」
巨大な鬼の背後から次々と、人と変わらない背丈の鬼たちが現れ始めた。ヤツらは俺を取り囲むようにわらわらと群がっていく。無防備の俺になにもせず、ただ馬鹿にして笑っている。
だが、そんな俺を嘲笑うように変化が起こった。いつの間にか父さんたちが歩いていた。化け物共に“舗装された道”に気付かず、ただ、真っ直ぐショッピングモールを目指して。
「父さん、母さん! 行っちゃ駄目だ!!」
俺は二人の行動を止めようと大声を出した。けれど父さんや母さんは気付く素振りすら見せず、淡々と前へと進んでいく。
俺は体を無理矢理、動かして二人に近付いた。あのときと同じ再現をしているなら、このまま中に入ってしまうと父さんたちが危ないっ!!
「父さん! 早く、ここから離れよう!!」
「ショッピングモール、まだ行ってないでしょ? 今から行こうよ」
「なにを言ってるんだ! 母さんも建物から離れて!!」
「ふふっ、たまには良いじゃない。予定通りにいかないのも旅の醍醐味よ」
「どう、して…」
なんで言葉が通じないんだ!? こんな状況で危機感すらなく、平静を保っていることはおかしいんだ。なにより二人の話す言葉はまるで一貫性がない。
父さんたちは俺と同じで恐怖していたじゃないか。化け物共が巨大な門から現れて周囲の人々を殺戮していった、悍ましい光景に!いや、それよりも早く二人を止めないとっ。
「父さん、母さん。中に入っちゃダメだ!! 入れば二人はきっと!!!」
二人の行動を止めようと懸命に足掻いた。腕や肩を掴んで力づくで動きを止めようと試みた。だが、存在が曖昧なのか、体を掴もうとした手は容易くすり抜けた。
そして運命に定められたように二人はショッピングモールの中へと入った。後を追って建物に入ると、いきなり視界が塞がれて意識が遠のく。
気付けば辺りは真っ暗でヤツらは消え去っていた。だが、スポットライトに照らされたように光る場所に、瓦礫の下敷きとなった二人がいた。急いで駆けつけようとしたが、勢いよく地面に叩き付けられた。まるで体に重しが載せられて身動きが取れなくなり、うつ伏せの状態を強制される。
「動けよ! 目の前に父さんと母さんがいるんだ!! 頼む、動いてくれよっ!!! うあああぁぁぁっーーー!!!!」
必死に動こうともがいたが体は全く動かない。ただ、変わり果てた二人の姿を見ていることしかできず、絶望した俺はひたすら泣き叫び続けた……。
◇◇◇
「うああぁぁーー!! はぁはぁ、クソっ。また、この夢か…」
起き上がるように目覚めた。ドクドクとうるさく聞こえる程、心臓が拍動している。体全体が気持ち悪く感じるくらいの湿り気を感じる。背中に手を当てて確認すると、服に汗が染み込んでいた。
枕元の傍を探り、置いていたスマホを手に取る。画面を開くと時刻はまだ、夜中の四時を指していた。
二度寝することも億劫になり、予定外の早起きに苛立ちと気怠さを感じながら立ち上がる。リビングの照明を付けて布団を手早く畳み、部屋の隅に動かす。
眠気を噛み殺しながら洗面台に向かうと、泣き腫らした無表情の男が鏡に映っていた。
泣いていればこうなるよな。はあ、泣き跡がくっきり残ってる。ちゃんと顔も洗わないと。水道代もまた高くなったんだっけ? 仕事、頑張らないとな。
取り留めもないことを思いながら、歯ブラシを手に取って磨き始める。歯磨き粉がないことに物足りなさを感じながら、丁寧に歯を磨いた。
口を濯ぐ為に蛇口の栓を捻って水を出す。流れる水を掬って口に運ぶ。モゴモゴと口を動かして含んだ水を吐き出した。軽くうがいを終えた後、タオルを取り出して顔を洗う用意を始める。
鏡が目に入る。鏡に映る無気力な瞳を見つめて思う。なんで俺だけ生き残ったんだ? 父さんも母さんも死んで、たった一人俺だけが…。
両手で水を掬い、勢いよく顔に叩きつける。頭に浮かんだ余計な考えを掻き消そうと何度も、何度も。
──はっと我に帰り、すぐに蛇口の栓を捻って水を止める。服や髪はずぶ濡れで洗面台周りは水が飛び散って、そこら中が水に濡れて滴っている。
…やってしまった。片付けしないとな。水垢はできるし、借家が傷む。
俺は濡れた服を脱ぎ、洗濯カゴに入れる。洗面台近くの収納棚からタオルを取り出し、飛び散った水を手早く拭き取り続けた。
◇◇◇
衝動的に動いて時間を無駄に浪費した後、厚い生地の服に着替えて、朝食の支度を済ませた。
作った料理をテーブルに運ぶ。目玉焼きに味噌汁、そして安売りしていた食パンだ。料理を適当に並べ終えると近くのリモコンを手に取って、テレビの電源を付けた。
「いただきます」
掴んだ箸を動かして食べ物を口に運ぶ。
うん。長年、自炊してきたおかげか不味くない。手頃に作れる料理だし、味噌は市販品だから当たり前か。しかし、卵や味噌も随分、高くなったな。生産者は少ないし、昔と比べてリスクが増えたからな。仕方がないことか。
『おはようございます。朝のニュースです。今年は
「……」
流れるニュースを横目にただ、黙々と食べ続けた。朝食を平らげるとテレビの電源を消して、流し台に食器を持っていく。食器用洗剤がないので仕方なく水洗いだけしておいた。
今月もカツカツだからなぁ。生活用品すら切り詰めないといけないなんて、昔じゃあ考えられなかった。
やかんを手に取ると中に残ったお湯を食器に振りかけて、申し訳程度の殺菌をしておく。本当なら熱湯に浸したほうが遥かに安全なんだろうけど。
やかんを置き、右手を上に掲げる。人差し指と薬指に嵌めた両親の形見である銀色の結婚指輪。シンプルで飾り気はないが、とても丈夫だ。なにより、この指輪を見ると父さんと母さんのことを思い出す。
『憂人が大きくなったら、僕たちと離れ離れになるときがくるかもしれない。だから、指輪を通して僕たちが傍にいることを忘れないでほしいんだ』
……分かっている。二人の愛情と優しさの全てを。それでも、どうしようもなく淋しさを感じてしまう。多分、俺の時間は十年前のあの日から止まったままなんだ。
首を振って物思いに
「さて、仕事の支度を始めるか」
リビングから離れて隣の個室に移動する。扉を開いて中に入ると、暗いので照明を付けて部屋を明るくする。四畳程の小さな部屋には必要最低限の物だけを残しただけの簡素な室内だ。
部屋の中央に長年使い込んだ
棚に近付き、剣に手を伸ばす。
柄を握って
次に盾を手に取る。
金属製だが剣よりも軽い。両手で盾を持ち裏側を確かめる。盾を扱う時に重要なのは
武器の点検を済ませたので、予め部屋に置いていた
緊急事態に備えて水、食料などの基本物資。怪我を想定した救急物資に雑貨、小物類も入っている。よし、大丈夫そうだ。背嚢の中身を詰めて戻す。
再び棚に手を伸ばす。掛けてある
近くに置いた背嚢に盾を押し付けてロープで軽く巻き付ける。戦闘が始まったとき、すぐ解けるように。背嚢を背負うとすぐ部屋を出ようとしたが、なにか忘れているような……。
──ああ、そうだった。忘れていたことを思い出し、付近の収納棚の引き出しを開けた。中には装飾が施された
馬鹿だな俺は。父さんから渡された、もう一つの形見なんだから。盗まれないようにちゃんと身に付けないと。
自分に呆れながら鍵と革紐を手に取り、鍵の先頭に空いた小さな丸い穴へ革紐を通していく。革紐を通すと首に掛け、うなじで交差させて固く結ぶ。結び終えると鍵を服の中に仕舞う。
用意が済んだので、部屋の明かりを消して玄関に向かう。玄関口で鉄板の入った頑丈な安全靴を履き、意識を切り替える。武器、持ち歩く荷物も含めて出立の準備は整った。
深呼吸して、懐から
“
資格証を懐に戻し、玄関を開けて外へと出る。晴れやかな朝日の光を感じながら玄関を閉めた。
父さん、母さん、今日も仕事だ。いつものように頑張ってくるよ。
俺は目的地に向かって、ゆっくりと歩み始めた。
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