月岡の理由

 月岡というのは本名ではない。本名とは全く関係ない。影も形もない。勝手に名乗っている。

 この月岡というのは私の好きな絵師から拝借したものである。絵師の名は月岡芳年。幕末から明治にかけて活動した浮世絵師である。

 彼を知ったのは高校二年生の時だった。課題の一環で浮世絵を調べていた時に芳年の作品が出てきたのだ。それまで私は北斎や国芳といった有名な絵師は知っていたが、好きな絵師として名を挙げることはできなかった。絵師に対してそこまでの熱量ではなく、ただ浮世絵への熱意が人よりは多かったというだけだった。

 だが、芳年の作品を見たとき、その一瞬で私にとって芳年が特別な絵師になった。絵がとても好きだと思った。線がとてつもなくかっこいい。浮世絵は平坦な顔つきが多いのだが、彼のはそうではなかった。凹凸があり表情が豊かだ。画面には独特な緊張感や動きがある。芳年の絵は私の浮世絵に抱いていたイメージを刷新した。

 それ以降私は芳年を調べ研究した。国芳に弟子入りし、幕末明治という動乱の時代で西洋画に圧されながらも絵を描いた。そして病気のこと。その人生や画業を知ると、また彼という絵師を好きになった。

 彼の晩年の作品に「月百姿」という揃物がある。月を主題にした説話や逸話を百枚描いた彼の代表作の一つである。

 この作品に好きなところがある。晩年に描かれたこの揃物は芳年が江戸への回帰を見せた作品である。明治になると浮世絵は段々と廃れていった。新聞錦絵という形で生き残りを見せたこともあったが、それでも全盛期のような盛り上がりは見せられない。華々しい江戸は終わった。それを見せつけられる。しかし芳年はあえてそれを振り返るように江戸の浮世絵のような揃物、しかも大型のものを描いた。私はそこにどうしようもなく美しさを感じる。人間としての美しさでもあるように思う。歳を重ね若き日の楽しかった日々を思い出す。戻ることはないその輝きを、研鑽を積んだ自分の手によって描き出す。絵師の最後としてこんなにも美しいことは他にないのではないかとすら思えてしまう。移り行くことが悲しかったこともあったけれど、今ならばあの日々をちゃんと愛することができる。そんな時の流れへの悟りすら感じさせる彼の画業が好きだ。

 それでいて彼は弟子たちには浮世絵を強要しなかったことも好感が持てる。浮世絵はもう終わるから積極的に西洋画を学ぶように言ったのだという。このエピソードは師匠としてなかなか凄いものだと思う。自分が浮世絵の夕暮れになるのだという覚悟を感じさせるし、弟子への愛を確かに感じる。

 さて、最後に私が月岡の理由だ。この通り私は芳年が好きだ。そして芳年と出会ったことは人生の転換点、スイッチであったと思う。彼に出会わなければ何かが違ったと思う。何か、違う世界を生きていたと思う。芳年という絵師を知らないまま生きなくてよかったと心から思えるのだ。世界が確実に広がった。だから私は、月岡を拝借した。表現者として彼を尊敬し、そのように追求したい。浮世絵師が弟子に号を引き継ぐように、私は勝手にではあるが月岡を名乗りたいと思った。だから月岡だ。

 太陽と月、どちらかといえば月が好きだなとも思った。目が眩まないから。月には兎が住むというのもメルヘンで好きだ。いつか月の出る丘で絵でも描こうか。また次回。

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