そういうものの上に土はある
散歩をしていると時々ぎょっとする光景を目にする。
それは死骸だ。ミミズをはじめとする虫はしょっちゅう道端で息絶えているのだが、日によっては野鳥の亡骸を見かけたりする。その時はかなり驚く。
豊な自然の中を歩いているのだから、そりゃあ死骸の一つや二つあるだろうとは頭では理解していても、やはり見つけるといい気分ではない。その日は一日若干憂鬱になる。鳥一羽の死に一日引きずられる。
これこそが死の持つエネルギーなのだと思う。生きている者へ無条件で与える絶対的な負のエネルギー、それを感じ取れる感性であり続けたいと思う。もし、死骸を見ても何も感じないようならば感覚が鈍っている証だ。あれほどまでに強大に影響を及ぼすものは他にはない。
しかし人によってはそれらが日常の人だっているのだなとも思う。鳥をはじめ、動物の死骸を扱う職業はあるし、人の遺体を扱う職業だってある。命のない肉体を扱うわけではないけれど、命に関わる職業だって存在する。どれもこの世界や社会の中で欠けてはならない人たちであることを忘れてはならないと思う。
それでも死骸への経験値が浅い私ごときは道端で死んでいる鳥やネズミにびっくりするわけである。というかネズミはいるだけでびっくりである。誰かの日常と私の日常。当たり前すぎる認識なのだが、その差を実感する。
当然のことだが、自然の中では普通に生死が存在している。人間の世界だけで生きているとそれを忘れてしまう。果たして私たちはどうやって死ぬのだろうかと、時々不安になる。碌でもない終わりが人間を待っているような、そんな気がする時もあるが、それも生活の中で埋没していく。こんなことを考えている時は大抵お腹が減っている時か、何か嫌なことがあった時だ。こういう時に書いたことは間にうけずに左へ受け流すことが重要である。また次回。
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