夢想と現実、何に阻まれることもなく
時折夢と現実の境がわからなくなる夢を見る時がある。
夢の中で話したことを現実で人に言ったかどうかわからなくなるのだ。これって言ったっけ、となる。
夢の中でとても怒っている時や泣いている時もある。現実ではなかなか出しにくかった感情を、夢の中で出している時がある。とある芸能人の死に悲しんだ時も、夢の中では素直に泣きじゃくっていた。現実では理性が勝り、ただ悲しむことしかできなかった。
さて、私は夢想家か。
そうは思わない。私はどちらかといえば現実的な人間だ。ファンタジーはファンタジーでしかなく、現実には起こり得ないと思っている類の人間だ。どれだけ世界に没入できたとして、それは誰かの努力の空想であることを忘れることはできない。
私は決して夢想だけで生きているわけではない。現実的な視線を失ったわけではない。根拠も洞察もなしに夢や理想は語らない、抱かない。現実と夢想という相反する世界の中、私の思想は形成されていると思う。
だから迷う。こういうものがあればいいのに、こういう世界になれば面白いのに、そう思うことは私のライフワークみたいなものだ。だが、現実を見るとその空想が実現するにはなかなか困難だということがわかる。とてつもなく大きなことから、手のひらで扱えるほどの問題まで、そういう風に考える。
そして迷う。こう思うこと自体が間違っているのではないか。私の考え方は根本的に人とずれている、足りない知識でものを見ているからそうなるのではないか、などと思う。
無職だから、若いから、どこに住んでいるから、どんな育ち方をしてきたから、どんな人に会ってきたから、といった理由が私の思考を形成しているのだとして。
それで終わりたくない。無職だから苦しいのじゃない。若いからだとも思ってほしくない。私だから苦悩している、絶望している足掻いている、立とうとしている。
誰かの正論で私は救えない。自分だけの正しさが私を救う。それを見つけるために日々生きている。誰に邪魔をされることなく、それが成せたらいい。難しいことかもしれないけれど、成し遂げられたならいい。
木が枝を伸ばすように、鳥が空を羽ばたくように、魚が前へ泳ぐように、生きていけたらいい。そんな繊細で尊い時間のために苦しんでいこうと思う。また次回。
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