無知はやっぱり罪だった
朝、虫を殺した。
サンダルの裏で潰した。真上からその虫めがけて足を振り下ろした。迷いはなかった。サンダルをどかすとわずかな体液で地面が湿っていた。
その虫を見かけたのは昨日だった。見たことがない虫が地面を這っている。徐々に窓辺に近づいてきていたので、その日は如雨露で水をかけて流した。そして今日、その個体を私は殺した。
なぜ殺したのか。逆に昨日はなぜ殺さなかったのか。昨日と今日に何の違いがあるのか。それは多分、恐怖心である。昨日は怖かった。見たこともない虫、得体がしれない。なるべく遠ざけたい。知らないところに行ってほしい。だから、水をかけた。もしかすると死ぬかもしれないとも思ったが、それならそれでよかったと思っていた。でも、やっぱり殺すのは良くない、とも思っていたのも本当だ。
でも今日、その虫を殺した今日は違った。昨日と同じところにその虫はいた。私は恐怖よりも憎悪のようなものをその虫に感じた。私の領域に二度も侵入した、一度は見逃してやったのに、そう思ってしまった。だから、踏み潰して殺してしまった。
それでもその虫の正体は気になった。多分、自分の行いを正当化したかったのだろう。害虫であればああよかったと思えるから調べた。
『小さい虫 腹がオレンジ』
と検索した。似たような虫の画像が出てきた。クリックする。yahoo知恵袋に辿り着いた。何個か見てみて、これだと思ったものの回答を見た。
謎の虫の正体は益虫だった。アブラムシを食べるのだという。
私は深い後悔に襲われた。なんてことをしたのだと、取り返しのつかないことをしてしまった。私の一時の感情で益虫を殺してしまった。今、私は野菜を育てている。もしかしたらそこについたアブラムシを食べていたかもしれない虫を、私は殺してしまった。ただ怖いとか不気味だと思っただけで、そんな自分本位な考えで、尊い命をこの世から消してしまった。自分よりもよっぽど世界の役に立っている命をだ。
もし、昨日の時点で調べていたら。あの奇妙な虫は一体なんだったのかと検索していれば、お互い良好な関係を築けて共存できたはずなのに。無知は罪だ。罪を呼ぶ。もし私が虫に精通していればすぐに分かっただろうに。知らなかったことと、知ろうとしなかったことが一つの命をこの世から不当な理由で消えることに繋がってしまった。
怖い、気味が悪い、領域を侵した。だから排除する。
人の世界にだってこれは適用される。理解できないから、見た目が気に入らないから、私の邪魔ばかりする、そんなものを人は排除する。時に人は人にそういうことをする。自分の理解の及ぶ範疇から飛び出たものを排除したがる。そういうものは嫌だと思っていたのに、私は虫に対しては迷いなくそういうことをした。こんなにも気色の悪いことがあるだろうか。
私は今日、二つ絶望した。一つは命を奪ったこと、そして自分の中の無意識にだ。いっそあの虫が私を呪ってくれればいいのだけれど、あの虫がとっくに成仏しているのならば、それも叶わない。私だけがこの思いと向き合わなければならない。これこそがあの虫が私に課した呪いなのだろうか。わからないが、もしこれが呪いなのだとしたらちゃんと効果が出ているから安心してほしい。安心するような肉体も精神も、あの虫には既に無いのだけれど。絶望と共に、また次回。
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