私の愛した平成
令和になってからというもの、と思うことがある。
世界情勢、日本の経済状況、気候、価値観等、色々なものが令和になってから形を変えているように思える。もちろん平成から引き続いている問題もあるが、新元号になってから表面に浮き上がってきたような気がしてならない。
平成は良かった、と思うことが増えた。
今ほど世界情勢は不安定ではなかったし、ここまでの物価高ではなかったし、気候ももう少し安定していたと思う。私が子供の頃は夏が今ほど暑くはなかった。三十五度を超える日があるのは一夏に数える程だった。
振り返ることが多くなった。歳をとったのだと自覚する。
そんな私は巷では令和世代と呼称される。正直困惑する。何をもってして令和世代なのか。私は平成生まれだ。人格形成の時期は平成と共に過ごした。宝物のほとんどは平成が生み出したもので、その影響を受けて育ってきた。それは今でも私の核として存在している。私は令和によって形作られたわけではない。なのに令和世代などと大人たちに呼ばれる。困惑ではない、もはや迷惑だ。
私は平成を愛していた。その字が物語るように、平和で成長を続けるようなあの時代が好きだった。平成の世で子供時代を過ごせて良かったと令和の世を見て思う。スマホやSNSが身近になくて良かった。私は子供の頃から捻くれていたから、そういうものが身近にあったらそっちばかりに気を取られて碌な子供になれなかったと思う。
今の流行りよりもあの時流行っていたものの方が良かった風に思う。あくまで私の趣味だが、センスが平成と共鳴しているからそう思うのだ。派手でありながらもどこか幼稚で、線引きが曖昧だった。
令和の世で平成を懐古する。あの頃は良かったと、現在から目をそらす。よくない傾向だと自覚する。何事も過去を振り返ってばかりいるとよくない。特にあの頃は良かった、あの瞬間をもう一度と唱え続けるのは本当によくない。そんなことをして良い結果に繋がった人間など見たことがない。過去の栄光や、先人の栄光を手に入れようとして時代にそぐわないことをする人間など側から見れば愚かだ。それが政治になればより一層強くなる。
私が平成を良かったと思うのは、結局平成の世で生きていたからなのだろう。それを知っているからそう言えるだけで、令和に生まれていたら平成を丸ごと肯定できていたかと言われれば、わからない。子供時代という無敵な時代だったからそう思えていただけかもしれない。子供だったから楽しかっただけで、本当は全くそんなことはなかったのだろうか。逆に平成を生きたことで平成が最悪だったと思う人もいるだろうなとも想像する。
私がそう思っているならそれでいいじゃないか、と思う反面、それでいいのかと疑問を抱く。それ程までにあの時代を信じきっている自分がいる。ああ本当によくない傾向だ。前の時代に取り残されて現実に適応できない人間は淘汰されていく。ああ、私は自分が思うよりも深く根強く平成に取り残されているではないか。
令和、生きにくい時代。あの平成から陸続きで繋がっているとは思えないけれど、種を蒔いていたのは平成である。過去の全てを肯定することはできない。平成だけではない、その前のもっとずっと昔から連綿と続いている歴史。私が懐古するのもその一部に過ぎず、私は宇宙の砂粒の一つでしかない…。
壮大な話になってしまった。まあ今の私が平成を生きていたとしても、同じように生きづらかっただろうなとは思うから、日本はまだまだだということだろう。また次回。
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