終着駅か、もしくは途中下車か

 この日記は、私自身のことを赤裸々に綴ったつもりだ。本来であれば隠したかったことや、墓まで持っていこうとしていたことも多少入れた。それくらいの対価を払わなければ、人には読んでもらえないだろうと思ってそうした。それくらいの覚悟は持って始めた日記だった。

 私は多分、物を書いて生きていたかったわけではない。小説やエッセイという形にこだわりがある方ではない。きっと私以上に物書きとして食べていきたい、生きていきたいという人はいくらでもいると思う。それに比べれば私は手段の一つとして文字の連続を利用しているだけだ。そこにこだわりはなくて、表現方法の一つでしかない。

 じゃあなぜ私は書くという行為をしたのか。なんてことはない、そうしないと死ぬと思ったからだ。表現しないと死ぬ。あるいは、このまま死ぬのも勿体無いと思ったからかもしれない。

 頭の中に膨大にあるアイデア。アイデアというよりは喉を掻きむしりたくなるような鬱憤と叫び。そういう物を世界に吐き出さないままいれば私は爆発して死んでしまう。きっと解剖された私の体からは何も出てこない。脳を探しても思考は見つからない。心臓を裂いても心はわからない。血液を調べても温度はわからない。何もわからないまま、私は世界から消えていく。

 私は自分が優れた人間だとは思わない。決して人と付き合うことが得意ではない。人を怒らせる、イライラさせる、悲しませることは少なくないと思う。嫌われることの方が多い人生だ。馴染めることも少ない。

 それでも、私の中にあるアイデアは好きだ。考えたことだって、自分を責めることもあるけれど、間違ってはいないんじゃないかと思ったりする。素敵な世界をいつだって頭の中で空想している。これならきっと私や私と似たような考えを持つ人が幸せに暮らせる世界にできるんじゃないか。そう考えることがある。

 アイデアは好きだ。このまま途絶えてほしくない。どうにもならないまま消えていってほしくない。表現はしていたい。そうしないと死んでしまうから。

 無職という船は終着駅に着こうとしている。どうなろうとも終点は近い。終点につけば私は金を手に入れられる。家族からの信頼も得られるし、誰かのために生きることができる。そうすればきっと自己肯定感も上がって、少しはこの世界が生きやすくなるのだと思う。

 わかっている。そこまで大きく物事を考えなくてもいいことも充分にわかっている。金のために働けばいい。それを手に入れれば人生生きやすくなる。そんなことはもう何年も前からわかっていて、それでもこのドブ川でのたうち回っている。醜い、無様、哀れ、なんと言われてもこのドブ川で足を引き摺りながら進んでいる。

 私は、ドブ川を愛してしまった。人にはドブ川に見えただろうが、ここは住みやすいのだ。こっちに来たことがなければわからない住みやすさと安寧がある。ここでしかないものも見つけた。きっとそれは清流にはない。清流にしかないものもあれば、ドブにしかないものだってあるのだ。いつだって、どんなものであれそういうものである。

 

 私はなぜ生きているのか。


 四月から、いや、そのずっと前から私が思い続けてきたことだ。もしかしたら生まれてからずっとこれを考えながら生きてきたのかもしれない。

 馴染めない『学校』というルールと場所。それでも何年かすれば徐々に適応していって慣れていった。中学や高校とレベルアップしていく中でそれは変わらず続き、大学という新しい場所を知って、そしてまた適応していった。

 学校以外の日々の生活で遭遇するいざこざと悲しい出来事。辛いことも苦しいこともたくさんあって、どうしてこんな世界なんだろうと思う毎日。生きていることそのものが苦痛で仕方のないあの夜。涙が堪えきれなかった布団の中。なぜ、なぜ、と思い続けてきた。

 この思いはきっとこの先も消えないと思う。私はきっと割り切れない。食べていくためだとか、好きなことをするためだというような考えはできない。幸か不幸かそれが私という人間の本質のようなもので、物事を機械的に考えるよりも複雑化して考える。そして答えのない問いを悶々と考え続ける。きっとこのまま死んでいくのだと思う。

 無職は罪か。

 確かに納税は人と比べてできていないから罪といえば罪だし、家族に迷惑をかけたことは罪だ。正当化はできない。

 けれど、無職は「無」ではなかった。

 今日の空の色を見て、ああ綺麗だ、とかどんよりとしている、とか思うことができた。雲の形に敏感になった。あの雲は夏の雲、少しずつ秋の雲が近いと思うようになった。風の匂いを嗅いで季節を感じる。春と夏の生き物は違うことを知った。異常な暑さに家族を心配するようになった。朝、目覚めた時に今日はどんなことをしようと思えた。あそこに行こう、あれをしようと思える毎日だった。街を歩くどんな人でも尊敬の目で見られた。彼らは働いているのだなと思うと、どんな嫌な態度のやつですら少しかっこよく見える。時間が有限であることを重く実感した。この毎日を変えなければいけないと思いながら、こんな日々がいつまでも続けばいいと誰よりも望んでいた。

 自分の望むように生きられるこの毎日は、今まで生きてきた人生の中で一番生きている心地がした。

 それはきっと新卒採用で四月から入社した人たちには決して分かり得ない、掴み得ない幸福であったと今なら思える。もちろん私が手に入れられず彼らが手にしたものもある。比較することはできない。

 私は無職になれてよかった。あの日あの時、中途半端な心のまま社会人になることを選ばなくてよかった。そうでなければここに思いを綴ることもできなかった。誰にも言ったことのない、言えなかった気持ちを形にすることはできなかった。それができてよかったと思う。その何百倍も呪いの言葉を吐いていたとしても、それはよかったと言うことができる。


 どれほど自分を責め世界を呪い、全てを嫌いになっても、素直に「人間」であれたこの日々を誇りに思う。


 無職と冠した列車は駅につく。そこは終着駅かもしれない。あるいはただ乗り換えをするために降りた駅かもしれない。ふらりと途中下車をしただけの可能性がある。

 ただどうであれ、私はその列車を降りた。

 見送った列車は随分と馴染み深くて愛着が湧いている。一抹の寂しさと不安と、怠さが残った。


 次に乗る列車はフリーター号。きっと座席はガタガタするのだろうな。列車に乗っているだけで疲れるのだろう。それでも今は少しだけどこか遠くへ行けるこの列車に乗ることを楽しみにしている。

 無職日記、これにておしまいだ。

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無職日記 月岡玄冬 @tsukiokagentou

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