あの時気まずい時間を過ごしていた自分へ

 私は社会人に向いていないと思う。悲観ではなく、私なりの自己分析の結果こう思うのだ。コミュニケーションは苦手だ。というか、そもそも必要以上の会話を求めたない性格だ。

 思い出したことがある。それは新学期が始まったばかりの頃だ。呼び出された担任は、クラスにしばしご歓談をと言って教室を出た。新しいクラスになったばかりの私たちを気遣ってのことだと今なら思う。

 しかし私はそういうのが嫌いだった。そもそも周りに知った顔がいなかった。自分と波長の合うような人間もいなかった。初対面の人と話すのは幼い頃から苦手なのである。だから私は本を読むなり書かなければならないプリントなりに手をつけるのである。私なりに時間を有効に使おうと思ってのことである。

 しかしそういう行為は側から見れば世間との関わりを拒んでいるように見られるのだろうと今は思う。お喋りしていいと言われているのに、勝手に本を読み出す。

 今はご歓談の時間だと担任は言っているのに。

 お前は本を読むのかと。

 私は間違えていた。担任の言っていたことの本質は新しいクラスに馴染むことだったのに、私は自分が使える時間と勘違いしていたのだ。こうして私は最悪な第一印象を与えることになった、と思っている。実際どうだったのかはもはや確かめようがない。

 とはいえ。

 私がやったことは本当に間違いだったのだろうか、とも思うのだ。確かに新しいクラスのための時間だったかもしれない。でも、私は私のやりたいことをしたかった。無理をして初対面の人とも話したいとは思わなかった。新しいクラスで一番最初に話した人とはそれ以降話さないなんていう話はよくある。あそこで話していたからといってその後の生活が変わっていたかはわからない。実際にその後も話すことはなかった。シンプルに生きる世界が、というか価値観が合わなかった。

 だからこそあの時の私の選択を、今の自分は否定できない。あなたはそうしたかったのだろう?だったらそれでいいじゃないか、と言ってあげたい。私は彼らと円滑な関係を保つために学校に通っていたわけではない。好きなふうに時間を使って何が悪い。同じ教室で同じ制服で同じ時間を過ごそうと、そこまで強制される謂れはない、とあの時の自分に今ならば言える。

 今は少し肯定感が強い時期らしい。また次回。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る