第23話 重圧

 王凱は苛立ちの極致にあった。

 試院を出て府城の大通りをしばらく歩くと、府城で寝泊まりしている宿が見えてくる。釉薬ゆうやく塗りの瓦でかれた貴人用の旅籠だ。普通、童生は試院に併設された会館に宿泊することになるが、特に強制というわけではない。王凱は他の童生にまじるのを潔しとしなかった。


「凱さま、お帰りなさいませ」


 故郷から付き従っている下男が出迎えた。

 苛々していた王凱は、返事もせずに下男を突き飛ばした。

 壁に背中を打ちつけ、どん、という鈍い音が耳朶を打った。


「な、何をなさるのです。何か粗相がありましたでしょうか……」

「五月蠅い! 目障りだ、お前はどこかへ行っていろ!」


 下男は何度も謝りながら去っていった。

 王凱は自室に踏み入ると、茣蓙の上にどっかりと腰かける。

 食い散らかした食べ物の残りカス。

 無造作に積まれてぐしゃぐしゃになった書物の山。

 見るだに気の滅入る光景だが、それを疎ましいと思う余裕すら王凱にはなかった。


「くそ。くそ。くそ……」


 王凱は机に突っ伏して呪詛のようにつぶやく。

 目を瞑ると、これまでの軌跡が立ち現れては消えていった。


 卓南王家は地元でも有数の名家だった。王凱は雪蓮や梨玉に対し、三代にわたって進士が輩出していると豪語したが、実際はそれのみに止まらない。その家祖は紅玲国を樹立した太祖たいそ豊熙帝ほうきてい宗仁そうじんに従った功臣、おうじゅんという歴戦の武将なのである。ゆえに卓南王家は紅玲国でも高貴な家系として一目置かれ、その嫡流たる王凱は、幼い頃から相当のプレッシャーとともに育まれてきた。



 ――建国の時分のごとく功臣たれ。

 ――王家は再び紅玲の朝廷に君臨せねばならぬ。

 ――何としてでも科挙登第せよ。

 ――ゆくゆくはお前が内閣大学士首輔となって皇帝を補佐するのだ。



 いずれも耳にタコができるほど聞かされた言葉だ。

 だからこそ腹が立って仕方がない。


 耿梨玉と雷雪蓮。いずれも雑草に等しい身分のくせに、太々しくも科挙登第を果たさんと粋がっている。それだけならまだいいが、いちいち王凱の気に障る言動をするから始末に負えなかった。


 しかも連中は、衆目の面前で王凱に恥をかかせたのだ。

「耿梨玉は女だ」と難癖をつけることで受験資格を奪ってやろうと思ったのに、やつはすでに根回しをしていた。おかげで王凱は、学政・王視遠に叱られ、童生たちの笑いものになってしまった。


(潰してやる……)


 耿梨玉。

 男のくせに女みたいな恰好をした変人。


(あんな馬鹿げた輩に負けてたまるか)


 当然といえば当然なのだが、この時点で王凱は、梨玉の性別を男だと信じて疑っていない。まさか本当に女が院試を受けているとは思ってもいないからだ。


 ともあれ、復讐は完遂せねばならぬ。

 すでに手は打ってあった。

 あとは連中が自滅するのを待つだけだ――


「あら? お帰りになっていたのですか?」


 にわかに背後から甲高い声が聞こえた。

 王凱がハッとして振り返ったところに、戸が開いて見知らぬ少女が姿を現した。


「散らかってますね! 私がお掃除してあげますよ」

「何を……」

「何をって掃除! 挙人さまだか何だか知らないけれど、こんなに汚かったら勉強にも身が入らないよ? 片付けてげるから、あなたはいったん外に出ていてくださいね」


 あまりにも自然と入ってきたので目を疑ったが、そもそも王凱は下男下女や従業員に対して「入るな」と厳命してあるのだ。すぐに怒りの炎が燃え上がっていった。


「掃除など必要ない! 出ていけ!」

「そんなこと言ったって。私はここの従業員なんだよ? あ、従業員って言っても昨日雇われたばかりなんだけど、部屋を片付けるのが仕事なの。これだけめちゃくちゃに汚されちゃったら、黙って見ているわけにもいかないし」

「この小娘……!」


 王凱は拳を振るおうとした。

 が、寸前のところで踏み止まった。

 少女が――少女の容姿が、あまりにも美しかったからである。

 たかが宿屋の娘とは思えない。服装は粗末な襦裙なのに、何故だか侵しがたい気のようなものを放っているから不思議だった。いずこかの名士の娘だと言われても疑いようがないほどの空気感。


「お前、何という名だ」

「へ? 名? えっと……」

「名前だよ。早く教えろ」


 少女は、何故か少し躊躇ってから言った。


「私は李照りしょう! さあさあ、お掃除してあげるから、いったんどいててね!」



          □



 二場の発表があった夕方のことである。

 雪蓮は欧陽冉の監視を決意した。


 頭場、二場において丙三組が獲得した点数を考慮すると、伍のメンバーのうち誰か一人が全問不正解を意図したことは明らかである。そしてそれは雪蓮、梨玉では有り得なかった。李青龍も怪しいといえば怪しいが、あの男はそういう姑息なことをする人間ではない気がした。


 ゆえに雪蓮が目をつけたのは、最後に仲間入りを果たした少女のような少年――欧陽冉だったのである。


 思えば、欧陽冉は終始様子がおかしかった。常に怯えるようにビクビクしているし、では何が原因なのだと問い質しても要領を得ない回答しか返ってこなかった。まさか実力でもって零点を連発しているとは思えないから、何らかの目的で丙三組を陥れようとしているのは確実だった。


 そしてその目的は、すでに大方の見当がついていた。

 雪蓮は読みかけの注釈書を閉じると、寝台の上でごろごろしている梨玉をちらりと見て言った。


「梨玉。ちょっと厠に行ってくる」

「あ、私も行く行く~」

「あんたは来るな」

「何で!?」


 梨玉を置き去りにして部屋を出る。

 欧陽冉の部屋は、別棟の隅にあるはずだった。


 ところが、渡り廊下を歩いている欧陽冉を発見した。

 雪蓮はこれ幸いとばかりに気配を消して尾行を開始する。


 この時間、童生たちは自分の部屋にこもって勉学にいそしんでいるため、辺りに人の気配はなかった。砂まじりの風が吹く音と、柳の木が揺れる音だけが雪蓮の耳に届く。


 欧陽冉は、何故か裏庭の方向へと足を運んだ。

 西日のせいで見えにくいが、誰かと言葉を交わしているようである。


(あれは……)


 やはり雪蓮の予想通りだったようだ。

 相手は三人。いずれも見覚えがある。王凱の伍――甲二組のメンバーだった。


 欧陽冉が小突かれ、転びそうになった。甲二組の連中は馬鹿のように笑い声を響かせると、踵を返してこちらに向かってくる。雪蓮は柳の影に隠れてそれをやり過ごしながら、この世のろくでもなさを嘆かずにはいられなかった。結局、すべて王凱の奸計だったのである。


「――あんた、こんなところで何をしてるんだ」

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