第19話 結成
「いやあ、さすが雪蓮殿だ! あの
「でしょ!? 小雪はすごいんだよ、天下無双の万夫不当で一騎当千なんだから!」
李青龍と梨玉が雪蓮の敢闘を褒め称えていた。
場所は試院の会館、食堂である。
微妙な時間帯のためか、雪蓮たちの他には人影はなかった。
雪蓮は思わず溜息を吐く。
「あのな梨玉。あんたが余計なことを言わなければ争いになることもなかったんだ。正義感を発露させるのは立派だが、もうちょっと思慮深い行動を心がけてくれ」
「えー? でも弱い者いじめしてたんだよ? 黙っていたら負けだよ、負け」
「それはそうかもしれないが……」
「まあまあ雪蓮殿、皆が無事だったのだからよいじゃないか」
李青龍が笑って雪蓮を宥めた。
これが無事と言えるのだろうか。王凱は明らかに執念深い
(それに……)
雪蓮はちらと斜め前を見やった。
葬式のような面で黙り込んでいるのは、世にも可憐な少女――にしか見えない少年である。先ほど王凱にいじめられていた童生だ。
彼は雪蓮の視線に気づくと、慌てて居住まいを正した。
「ご、ごめんなさい。僕のせいでこんなことに……」
「いいんだよ! それよりも怪我は大丈夫?」
「はい。それは大丈夫ですけど」
細い指、白い肌、薄幸そうな表情は庇護欲をそそられた。
こういう少年がいると知ると、必死に男装するのが阿呆らしく思えてくる。
李青龍が興味深そうに少年を見つめて言った。
「きみは院試を受験する予定なんだよな? それにしては少女然としているが……最近はそういうのが流行っているのか?」
「流行っているはずがない。たまたまそういう顔立ちのだけだろ」
「流行ってるんだよっ! ちなみに私は耿梨玉っていうの。こっちが小雪――じゃなくて雷雪蓮、そんでこっちが李青龍さん。同じ童生同士、仲良くしようね!」
梨玉が太陽のように微笑みかける。
少年は少し迷ってから口を開いた。
「……僕は
「ねえ、まだ組む人が見つからないの?」
「へ? あ、え、は、はい。すでにほとんどの童生は伍を作っちゃいました。僕は余り物だったんです。でも王凱さんが、お金を払えば何とかしてくれるって言うから……払ったんですけど、何故か、あんなことになっちゃって……」
欧陽冉は目に涙を溜めて黙り込んでしまった。
つまるところ、王凱はろくでもない悪党だったというわけだ。
梨玉が立ち上がって言った。
「ひどい! ひどいよ! どう考えても君子ならざる行いだよ!」
「しょうがないんです。僕は間抜けですから」
「そんなことない! ねえ小雪、冉くんをうちの伍に入れてもいいよね!?」
欧陽冉がハッとして顔を上げた。
その瞳に宿っているのは紛れもない希望だ。
だが。しかし。果たしてその選択は正しいのかどうか――
「いいんじゃないか、雪蓮殿。他の童生たちが伍をほとんど作り終えているのは本当さ。これまで十四人の童生が我々に誘いをかけてきたが、きみはその悉くを退けているじゃあないか。これでは明日の早朝に間に合わなくなってしまう」
「ふむ……」
「ねえ、何だって小雪はたくさん断ったの? 頭のよさそうな人もいたでしょ?」
「こちらから選びたい。寄ってくる者は信用ならない」
「しかしだね雪蓮殿、その選択肢もすでになくなりかけているんだ。そろそろ腹を決めたほうがいいと私は思うが」
李青龍の言うことにも一理あった。
欧陽冉によれば、他の伍はすでに完成しつつあるらしい。
いずれにせよ、そろそろ頃合いだった。
雪蓮は欧陽冉をまっすぐ見据えると、いつものごとく淡々と言った。
「では欧陽冉、よろしく頼む。一緒に合格できるように頑張ろう」
「は、はいっ! 雪蓮さん……!」
欧陽冉は、顔を真っ赤にして微笑んだ。
神でも見るような目を向けられ、雪蓮は居心地が悪くなって身じろぎをする。
そういう尊敬の視線は、誘った張本人である梨玉に向ければいいのに。
「ちなみに冉殿、府試は第何等の成績で合格したんだい?」
「えっと……七番でした……」
「七番!? すごいよ小雪、冉くんなら心配いらないね!」
欧陽冉は、府試の合格証書をもったいぶらずに見せてくれた。そこには確かに七等の成績で通過したことが証されている。王凱が彼を門前払いをした理由は、おそらくそれ以上の猛者をすでに揃えていたからだ。
(まあ、いずれにせよ院試の準備は完了か)
あとは明日からの問題に備えるだけだ。
梨玉はさておき李青龍もそれなりに優秀だったと記憶している。
普通に考えれば、雪蓮の伍が敗北する要素はないと思われるが――
科挙試験は、やってみなければ分からない。
事実、雪蓮たちは明日の頭場にて度肝を抜かれることになるのだ。
□
百六十人の童生は四十の伍に分けられ、それぞれ識別のために名称が付与されることになった。雷雪蓮、耿梨玉、李青龍、欧陽冉の四人組は、〝
喧噪を極める試院の大門を潜ると、例によって身体検査が行われた。
ここで性別を看破されたら終わりなのだが、係員たちは、雪蓮の服をぽんぽんと義務的に叩き、その正体に気づくこともなく流してしまった。まさか女が紛れ込んでいるとはつゆほども思っていないのだ。さすがに梨玉の時には不審そうに首を傾げたが、カンニング用の道具が出てこないことを知ると、特に詮索することもなく入場の許可を出した。
「全然気づかれないんだな……」
「えへへ。実は青龍さんに言われて策を講じたんだ」
そういえば昼食の時にそんな会話をしていた記憶があった。
梨玉が言うにはこうである。
女物の服を着ていたら疑いは避けられない。そこで梨玉は一昨日、姉の形見である襦裙に手紙と戸籍台帳の写しを添えて府に送りつけておいたそうだ。
曰く――亡き姉から授かった襦裙を着て科挙登第することは、一族の大願である。珍奇な恰好になるのは百も承知だが、一族を思えばこその行動なのである。そこで試験官のお歴々には、私に孝を尽くさせていただくご許可を下していただきたい。
これを聞いた学政・
服をいったん府に預け、試験が始まる前に受け取って着替えれば、不正を仕込む余地もない。こうして梨玉はまんまと身体検査を突破するに至ったのである。
ろくでもない話だ。
が、今回は喜んでおかねばならない。
梨玉が脱落すれば、雪蓮が合格できる見込みはなくなるのだから。
答案用紙を受け取った後、それぞれ伍のメンバーで固まって試験開始を待つことになった。雪蓮の右隣には梨玉、その前には欧陽冉、その左隣には李青龍が座っている。
「――さて、それでは試験開始です。頑張ってくださいね」
陽が昇る頃、王視遠の訓示が終わると、ついに院試の頭場が開幕した。
童生たちはいつになく真剣な面持ちで筆を執った。これが学校試における最終試験だから――というのも無論あるが、院試の形式があまりにも常識外れだから、何か得体の知れない恐怖を抱いているのだ。試院の会場が、重く張りつめた空気へと変化していく。
間もなく係員が榜を持って巡回を始めた。
そこに書かれている第一問は――
民○無くんば立たず
○に入る字を答えよ
(……何だこれ?)
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